トラウマ体験を語れること3
2016年05月19日
前記事の続きです。
あぁ、それあるあると言える場ならば、
トラウマ体験を語っても癒やしにつながるのではないか。
その時、その人には安全と安心が訪れているだろう。
経験上、私聞風坊は、そう思ったのでした。
さて、
体験発表という場があります。
病気、不登校、ひきこもりなどなど、困難を抱える少数派(マイノリティ)が、多数派に向かって、自分たちのことを知ってもらうために語る場です。
残念ながらそこでは、あるあるは言ってもらえません。
なるほどぉ。
そうだったんですねぇ。
辛かったですね。
勉強になりました。
そんな感想がよく聞かれます。
これ、肯定的に受容してくれていますが、発表者は実は語った後の孤立感は強いのです。
だって、
自分の苦痛を誰も知らなかったことを再確認しのだから。
知ってたのは自分1人。
そんな社会に安心感は持てません。
安全という気持にはなりづらい。
語ること自体が再体験のリスクを冒しています。
その上孤立を感じる。
体験発表はこんな危険性をはらんでいるのです。
社会啓発のために体験を語ることは、自己犠牲の要素が強く、傷の癒やしにはつながらないかもしれません。
傷を癒すならば、あるあると言える場がいいかもしれません。
そこは、困難をこれからの糧にしている仲間が集う場です。
この記事終わり。
あぁ、それあるあると言える場ならば、
トラウマ体験を語っても癒やしにつながるのではないか。
その時、その人には安全と安心が訪れているだろう。
経験上、私聞風坊は、そう思ったのでした。
さて、
体験発表という場があります。
病気、不登校、ひきこもりなどなど、困難を抱える少数派(マイノリティ)が、多数派に向かって、自分たちのことを知ってもらうために語る場です。
残念ながらそこでは、あるあるは言ってもらえません。
なるほどぉ。
そうだったんですねぇ。
辛かったですね。
勉強になりました。
そんな感想がよく聞かれます。
これ、肯定的に受容してくれていますが、発表者は実は語った後の孤立感は強いのです。
だって、
自分の苦痛を誰も知らなかったことを再確認しのだから。
知ってたのは自分1人。
そんな社会に安心感は持てません。
安全という気持にはなりづらい。
語ること自体が再体験のリスクを冒しています。
その上孤立を感じる。
体験発表はこんな危険性をはらんでいるのです。
社会啓発のために体験を語ることは、自己犠牲の要素が強く、傷の癒やしにはつながらないかもしれません。
傷を癒すならば、あるあると言える場がいいかもしれません。
そこは、困難をこれからの糧にしている仲間が集う場です。
この記事終わり。
Posted by 聞風坊 at 06:00│Comments(0)
│トラウマ
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これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。
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