相談と要望の話 お知恵拝借という知恵

2020年10月24日

人に相談することが実は大好きな私聞風坊なので、

困ったら相談すればいっちゃが~。

と軽~い調子で人にも相談をすすめるのですが、

そのたんびに、

なんか違う感じを持つのでした。

???

オレ、なんか難しいこと言った?

そんな雰囲気になること幾百回。

最近、
1つの仮説を持ちました。

私の相談は、本当に純粋にどうしたらイイでしょうか? と言う相談なんです。
昔の言い回しで言えば、お知恵拝借。

ちょっと困りごとがおきまして、それで(あなた様から)お知恵を拝借したくて本日お時間ちょうだいしました。
のノリです。
※昭和のノリですか。

ところが、こういうことをして欲しいのだけどもやって頂けますか、どうでしょうか?
の相談のノリの人が案外多いことに気づいたのです。

実はこれは、要望です。

そのため、
相手にも事情や都合があるのだから、こちらの要望をお願いするのははばかられる。
または、
自分の要望を先方が聞き入れてくれるかとても不安だ。

だから、相談するのに抵抗がある。
そんな人たちに出会います。わりと多く。

私から軽~く相談すればいっちゃが~と言われた人が難しい顔をするのもこれが原因かも。

私聞風坊は、お知恵拝借=相談のつもりで勧めたのに、
要望を交渉して、それがうまくいかず悩んでいる場合が少なくありません。
やっぱり難しかったわぁ。みたいな顔で。

あら、そら要望じゃが。断られるわ、そら。
だって、そん人があんたのためになんかできることじゃないもん。
と思うことはしばしばなんです。

どうも、
相手に自分の困りごとを解決してもらおうと相談の形で要望する人は多いみたい。

ちなみに、
親が不登校やひきこもりの相談に、専門機関に出向いて、思い通りの成果が得られなかった場合の多くがこれです。
曰く、
なんもしてくれん。(要望したのに。助けを求めたのに。)

そりゃそうです。家族の問題に介入できる組織はあまりありません。
大きな人権侵害問題をはらんでいるからです。

だから、
相手への要望じゃなくて、
自分がどうすればいいかのお知恵拝借。

そういう気持ちで相談すれば、現状打破できるかもしれません。

そういう気持ちで、こもる我が子と向きあうとすると・・・。

この先どうやっていけばいいか分からんから、相談したいっちゃけど、
なんかイイアイデアあったら言うてくれんね。
お父さん(またはお母さん)もあきらめずに考ゆっかいよ。

みたいになるかしら。

いいかげん働いて欲しいっちゃが~。
ってムダに要望するよりマシじゃないかしら。

相談と要望の話でした。


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

居場所という福祉的サービスについて考えてみた話

2020年10月20日

居場所(いばしょ)。

不登校・ひきこもり界で最も有名なそして効果があるとされている支援方法=サービスです。

家に居場所のないこもる人たちが、居てもいいんだと思える場所。
です。

支援者・研究者はその効果を認め、居場所が増えることを目指して設置を勧め、こもる人の家族にはこもる人の参加を促します。

家族は、それを真に受け、開設に躍起になり、開設されたと聞けば子どもに案内し、参加をしつこく勧めることが定番になっています。

子どもが行きそうな学校の開設を必死に求めたり、
今の学校に行かない子どもに、別のイイ学校があるからと尻を叩いたりすることと同じように。

でも、
家に居場所のない人が、本当に心の底から自分はここに居てもいいと思えるのでしょうか?

人間関係がうまくいかなくてひきこもっている人が、人間関係が求められる場で居心地よく過ごせるのでしょうか?

誰かと一緒に居るだけで緊張する人が、ここに居てもいいんだと思えるでしょうか?

やったことややらなかったこと、またはやられそうなことに気をもんだり、知らぬ間になにかやらかしたんじゃないかと不安になって寝込んでしまうような人たちが、進んで、喜んで居場所に行くでしょうか?

居場所に行くこと自体が新たなストレスになり不調の原因になりはしないでしょうか?

利用者同士のケンカもいさかいもなく、常時穏やかに万事順調にいく居場所は、これまであったでしょうか?

居場所をすすめる人は、居場所のイイとこばかり喧伝してはいないでしょうか?

私聞風坊は、たくさんの疑問を抱きます。

実のところ、
本人たちの多くは、居場所への参加を見合わせます。
それは、
私が抱く素朴な疑念が払拭できないからかもしれませんし、
そのために、
はなから参加する気がまったくないからかもしれませんし、
様子をみるために、うやむやな返事を繰り返しているからかもしれません。

それらは、
これまでの人生で、友人関係で、学校で、
つまり、
他者と関わる場での痛みを伴う経験にもとづく予測に基づいています。

そうなんです。
居場所に行くことを拒むのは、根拠のある回避行動なんです。

そんな本人の気持ちと乖離したサービスは利用されないでしょう。

さて、
近年話題のこども食堂ですが、子どもに食事を提供する場だけにとどまりません。
居場所であり、子ども(と取り巻く大人)が抱える問題解決のきっかけとなる場であることが求められているんです。

このとき大事なことは、
子ども(と取り巻く大人)が、居場所と思えるかどうかです。
子ども(と取り巻く大人)が、本音を相談できる場であるかどうかです。

美味しく安全な食事が安心して食べられるだけでは不十分なんです。
不登校・ひきこもりの居場所と同様に。
利用対象者の気持から解離していないこと。
ニーズに応えられること。
が大事なんです。

来ている人たちだけが食事がおいしかったと喜んでいるだけでは
一部の問題の解決しかならないでしょう。

確かに、誰かと一緒においしい食事が安心して食べられることは生きる基盤でしょうからとっても重要なことですが、
それを達成しただけで終わってはならないでしょう。

食堂の開設数が多いことは大事です。
同時に、どんなサービスをやっているか? 中身も重要なんです。
だから、
とりあえず開設することに躍起になるのは芳しくありません。
数と中身。両方充実せねばなりません。

なんてことを自助グループというある意味居場所をやっていた私聞風坊は考えるのでした。

そして、
家に居場所がない(食べる機会がない)という点がそもそもの問題なんじゃないのだろうか。

こもる人の親が、家の外に我が子の居場所を作ろうと躍起になったり、
子ども食堂をたくさん作ろうと頑張ったりするのはそれはそれでいいのだけども。
とも。

宮崎市のこども食堂関連ホームページは下記。↓
https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/education/support/syokudou/223832.html

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと不登校

ごほうびはいらない。依存の話

2020年10月16日

私たちは、
忙しい仕事、難しい勉強、緊張する人間関係、迫る〆切など、
頑張って嫌な状態を辛抱したごほうびとして、
自分になにかを与えることを一般的にやっています。

それで、
心のバランスを保つためためですね。
もしごほうびがなかったら、なんだか損した気分になります。

ごほうびとして自分に与えるものとしては、
アルコール、ゲーム、お菓子、ごちそう、スポーツ、パチンコ、読書、映画鑑賞、音楽堪能、気の置けない人とのおしゃべりなどなど多種多様です。

なんでも
自分の喜びになればごほうびになります。

ところがこの、ごほうびの取り方には、
注意が必要なんです。

特に、
とっても頑張っているとき、
嫌なことを辛抱強くやっているとき、
忍耐強く我慢しているとき。
のごほうびには。

とっても頑張っているときの心の状態はとってもハイテンション。
心は緊張で張り詰めています。

忍耐強く重圧の下で頑張っているときは、いつかくるその時に備えて動き出すためのエネルギーを密かにためている。
見た目では分からないけど、エネルギーは噴火を待つマグマのように身体の内側にうごめきながら溜まっている。
言わばハイボルテージ状態。

だから頑張れる。
無理してでも頑張れる。
疲れも感じず、ストレスに負けず。

こんなハイテンションやハイボルテージの状態で、ごほうびを取るとなるとどうなるでしょう?
皆さんご存じ、
たくさんたくさん、これでもかと取り過ぎてしまいます。
貪欲なまでに、ごほうびを取りまくる。
アルコールを飲みまくり、カラオケで歌いまくり、スイーツを食べまくり、ゲームをしまくり、おしゃべりしまくり・・・。

その結果、どうなるでしょう?
生活習慣病の肥満から始まる身体の病気や、依存症(アルコール・ゲーム・ギャンブルなど)の多くはストレス対処のごほうびが過ぎた結果でもあります。

ハイテンションやハイボルテージな状態でごほうびを取ろうとするとこうなります。
心に勢いがついているからでしょうね。

そもそも、ごほうびなんだから、たくさんあった方がイイ!
山のようなごほうびは正直なところ至福です。
でも・・・。
なんですね。

では、
害を与えないようにごほうびを手にするにはどうしたらいいでしょう?

まずは、ハイを下げるのが最優先のようです。
テンションやボルテージが高すぎるので、必要以上にごほうびを取り過ぎるからです。

心がハイテンションやハイボルテージで高ぶっているときは、
呼吸が浅く激しい。
身体のそこかしこの筋肉がこわばっている。
頭の中では思考が駆け巡って止まらない。
鼻の穴も広がっているかも。

これらのサインに気づき、
呼吸を深くゆっくり、
身体を動かしてこわばりをとり、
意識をそれらに集中することで思考が駆け巡るのを止める。

もはや、自分を苦しめる重圧はないことを。
抑圧から解放されたことを味わう。
ほっと一息。

そうして、穏やかな心と身体の状態を取り戻す。
その上で、必要なごほうびを手にする。

それは、
きっとちょうどいい分量でしょう。

なぜならもうすでに、
平穏という一番のごほうびを手にしているからです。