2017年10月18日

障害者就労を学んだのでした。

 この前、宮崎市自立支援協議会 就労支援部会さん主催の

 障がいのある方の「働く」を知る事例発表会を拝聴してきたのでした。

 一般企業で働いている障害当事者の3人が自分の体験を語られました。

 皆さん
 たくさんの苦労を重ねながらも今の仕事に就かれたようです。

 皆さんに共通するのは、
 相談に乗ってくれる人がいたということ。

 一般の人には、※福祉職以外の専門職にもですが
 障害者就労の仕組みはまだよく知られていません。

 だから、
 その人の困難を障害者就労に結びつける人材に出会えるかどうかが肝となるようです。

 この人の働きづらさ、暮らしづらさは、努力不足じゃなくて、障害から来るものではないか?

 そう、ピンと勘が働く人。

 こういう人材が地域にたくさんいるようになると、もっと暮らしやすい社会になるのでしょう。

 印象的だったのは、
 どんな点が仕事をする時の喜びですか?
 の問いに、

 職場の人やお客様から感謝されることに加え、
 職場の人たちとの慰労会などのレクレーションが楽しみという答えです。

 仕事のやりがいを重視している風潮がありますが、

 どっこい、福利厚生が労働者の喜びになっているようです。

 日々、しゅくしゅくと仕事をこなし、

 時折、ねぎらいがてらのレクレーションがあって、

 あぁ、この職場でよかったなと思う。

 働き続けようと思う。

 働くって、存外そういうものかも知れないなと思ったのでした。

 そうして、
 日常の日課のようになっていく。
  
タグ :就労障害


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のことニート

2017年10月15日

暴力的なひきこもり支援のこと

 こもっている人を無理やり暴力的に引きずり出し、

 社会参加を強要する人たちがいるようです。

 そうでなくとも、

 家族からの暴言、暴力はよくあります。

 兵糧攻めと呼ばれる、お小遣いや生活費等のお金を渡さない作戦も聞きます。

 いずれも、攻撃すれば嫌でも動き出すだろうという思想がもとになっているようです。

 そういう場合もあるでしょう。

 こもる人が、とってもエネルギッシュな場合です。

 そしてそういうケースはとても希少でしょう。
 
 だって、元気があれば、部屋にじっとこもっていられないもの。

 元気パリパリなのに、じっとしているのは苦痛だもの。

 体力も気力もない、つまり元気のないこもる人は、

 残った力を振りしぼって、抗議して要望を伝えるのだけども、

 そんな非力な訴えは、暴力という強さには対抗できません。

 そもそも暴力的なのだから、こちらの言い分なんか聞く耳持ちませんし。

 じゃ、どうするか?

 社会に訴えるというのも1つです。

 ひきこもり新聞は、
 暴力的な支援団体によって気持ちを蹂躙された人の声。今まで社会に届くことのなかったひきこもり自身の声を伝えるために

 創刊されたそうです。
 http://www.hikikomori-news.com/?page_id=42

 または、自分の身を自分で守るというのも1つですね。

 暴力が迫ってきたら?

 対抗する。

 外に逃げる。
 
 服従する。

 およそ3種類の防御法が考えられます。

 私たちは、服従を選択しがち。

 加えて、他の2つができるようになると、心に余裕ができるでしょう。

 対抗は、
 パンチやキックや関節技を磨くことや、警察に通報する。というのもあるでしょう。

 外に逃げるは、
 着の身着のままで突っ走るというのもありますし、事前に食料品や服など必要品をまとめておくという準備をしておく。
 というのもあるでしょう。

 いずれにしても、体力と気力・ガッツがいりそう。

 ということは、
 こもる生活に、体力と気力を養うメニューを入れた方がいいということ。

 筋トレで筋力を、
 
 ストレッチなどで急な動きでもケガせずしなやかに動作ができるような身体の柔軟性を、

 ランニングやウォーキングで心肺機能を、

 あえて人混みの中に外出する、苦手な家族と関わる、助けを求める電話をかける練習をするなど、気力を養いストレスになれる。

 などがいいように思えます。

 こもる時間を、自分のためにどう使うか?

 これは、こもる人に任されています。

 あなたは、あなたのこもる時間をどのように使いますか?
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

2017年10月12日

自助グループは拡大再生産を目指さない。

久しぶり自助グループの話です。

私が経験した伝統的ミーティングを主体とする自助グループは、

社会に訴える活動を主軸にすえません。

 そのため、
一部の当事者活動団体がやっているように、

自分たちの困難を広く知ってもらうためにイベントを行ったり、

マスメディアに露出したり、

広く知ってもらう活動を極力控えます。

都合、メンバーを増やすための活動も控えます。

メンバーが増え、所帯が大きくなり、グループがたくさんできることを目指しません。

もちろん仲間が増えることは望んでいますが、

そのために直接的な行動はしないのです。

 なぜなら、
外にうったえかける活動のために、自分の変化と成長が置き去りにされるから。

自助グループでは、自分を変えることを一番重要視しています。

 だから、
 他人を変えたり、社会を変えたりする余裕があるなら、

 もっと自分をよくするにはどうすればいいかを考えなさい。

 と厳しく指摘されます。

 このように、
広く世間に訴えかけ、生産量を上げ、利益を拡大する拡大再生産と呼ばれる消費社会のモットーは、

自助グループでは採用されていません。

自分をよくする。

それが結果的に社会を変えることとなる。

 他者を変えずに自分を変える。

こういうゆるぎない信念にもとづいて活動するのです。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)自助グループ

2017年10月09日

自分に利益のある感情の話

どうも、人には、それぞれお好みの感情があるようです。

 やたらと怒る人は、怒りの感情。

 なにかと悲しむ人は、悲しみの感情。

 とにかく喜ぶ人は、喜びの感情。

 すぐに不安になり怖がる人は、不安や恐怖の感情。

 などなど。

 行動理論によると、人が繰り返すことにはなんらかの利益があるようです。

 こう考えると、

 感情を、怒ったり、悲しんだり、喜んだり、不安で怖がったりする形で行動として表出することを

 子どもの頃から繰り返しているとするならば、

 その人にとって、その感情を感じそれをもとに行動することは、なんらかの利益があるのかもしれません。

 例えば、

 怒ると、うってかわってまわりの人が自分の言うことをきく。

 悲しむとまわりの人ががいつもより優しくしてくれる。

 喜ぶと、嫌な気持ちをスッパーンと忘れられる。

 不安で怖がると、あれやこれや思いを巡らして完璧な行動をとることが出来る。
  完璧な対応。それは親から求められた行動なので、親の期待に応えることにもなるし。

 理不尽なことをされたので怒りを感じると、悲しみや情けなさを感じなくてすむかもしれません。
 
 他の望まない感情を感じなくてすむ。

 まわりの人から関心を持ってもらえる。

 改めて考えると、子どもの頃、親などのまわりの人からその感情を持つことを推奨されてきたみたい。
  泣くんじゃない、笑うんだ。
  悲しむんじゃない、怒りなさい。
     みたく。

 その通りにすると、OKがもらえる。
    生き延びられる。

 だから、私はその感情を抱きやすい。
 それは私の、お好みの感情。

 さて、
 自分のお好みの感情を抱いている時、

 横に置いている感情。

 を知ることは、素の自分を知るのに役立つでしょう。

 まわりに迎合するために感じている感情ではなくて、

 素の自分が自然に感じている感情かもしれないからです。

 この辺のこと、TA・交流分析ではラケット感情として指摘されています。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2017年10月06日

フラッシュバックで悔やむこと

 トラウマケアの話の中でフラッシュバックと言えば、一般的に、

 トラウマを負った場面に瞬時に戻り、その時の恐怖にまつわる感情や体の状態を再体験するとされています。

 これは、害を被った体験を再び味わうというものです。

 一方で、自分が害を与えたことをフラッシュバックして再体験して、自分の行いの未熟さを悔やむことを繰り返す形もあるようです。
 
 あの時、あんなことしてしまった。

 または、あんなことしなかった。

 よく吟味しないで発した不用意な発言。

 慎重さを欠いた態度。

 を、不意に思い出し、全身を緊張させて、自分を叱りつけるのです。

 たまらず頭をたたいたり、大声を出したりして。

 でも実際は、悔やむほど配慮がなかったわけではありません。
 完璧ではないかもしれませんが、その場面では十分な配慮をしていたのです。

 にも関わらず、もっとこうすればよかった、と自分の愚かさを悔い、全身で恥じ入るのです。

 良心の呵責にも似ています。

 その人に最善のことをしてあげられなかった罪責感。
 
 無言の求めに応じられなかった無能感。

 を繰り返し繰り返し悔やんでいるかのよう。

 悔やむ必要のなことをあえて悔やむ。しかも不意に瞬間的に悔やむ。
 それはなぜなんだろう?

 繰り返し繰り返し考えたところ、一応の答えにたどり着きました。

 それは、

 危険を冒したから。
 です。
 
 気を許した言動。
 それは、相手の不興を買うリスクが高い。

 そういう認知だからでしょう。

 完璧な応対でなければ、安全は確保されない。
 危険はあとからたっぷりいつでもやって来る。
 そんな信念があるのでしょう。

 だから、
 自分の身を危険にさらすリスクを冒した行為を責めさいなむようです。

 もっと安全に配慮せよ!

 自分をさらけ出すな! 隠せ!

 相手が望むような態度をとれ!

 危険を冒すな!

 緊張せよ!

 虐待や養育者が精神的に不調な環境で育った子どもは、こういう思いになるかもしれません。

 養育者の暴言暴力、感情の激しい起伏、がいつ起きるか、いつまで続くか予想がつかない恐怖環境の中では、

 自分の言動1つで、自分の身の安全が左右されるからです。

 失敗は命取りのリスクをはらんでいるからです。

 または、アテにならない大人のかわりに、自分だけはまともであらねばならない。
 しっかりと自分を律していなければならない。

 そうでなければ家庭が崩壊する。命の危険がある。

 そう無意識に思っているかも。

 そんなこんなで、完璧な対応がデキない自分を責めるのでしょう。
 実のところ今はもう、その必要はないのに。

 TA理論的には、Pが侵襲しているとか、
 一時的に力を失ったPの隙をついて調子に乗った行動をとったCを勢いを取り戻したPがとっちめてる。
 なんて考えるだろうフラッシュバックのお話でした。

 
  



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