2018年03月20日

謙虚さが大事だということを学んだ話

 かつて自助グループでともに気づきを得ていた頃の話です。

 そのグループでは「謙虚」ということが最大の価値の1つでした。

 ワレガワレガで自分頼みで生きてきた私聞風坊と仲間たちにとって、

 それはとても真新しい心の姿勢でした。

 だって、我を強くしないと家族から侵略されちゃうんだもの。

 控えめとか謙虚とかって引き下がっていては安全でいられないのだもの。

 親の代わりに自分がなんでも責任を果たさねばならないから、自然と思い上がってくる。

 だって、それぐらいじゃないと、家庭でやってけないのだもの。

 ところが、
 そのために息苦しく、人の世で暮らすことに困難が生じていたのです。

 生き延びるための手段が、生きづらさを生みだしていた。

 これを変えるために必要なことが「謙虚」であることだったのです。

 謙虚に、自分のやったことを振り返り、

 謙虚に、他者の言葉に耳を傾け、

 謙虚に、自分がやれなかったことを受け容れ、

 謙虚に、自分がやらかしたことを認め、

 謙虚に、自分の問題と向き合い、

 謙虚に、他者から学び、

 謙虚に、自己主張し、

 謙虚に、暮らす。

 私聞風坊の当事者活動の根源には、この教えがあります。

 おごらず、現実を引き受けて、自分にできることをし続ける。

 当事者運動の基本と思っています。   
タグ :当事者運動


2018年01月30日

スーパーマンになることを我が子に求める親の話。

 こもる人の親御さんと話しているとよく感じることがあります。

 弱さを認めない。

 くじけることを認めない。

 つまずくことを許さない。

 降りることに反対する。

 負けてはならない。

 立ち上がらねばならない。
 
 向かっていかねばならない。

 まるでスーパーマンにでも成れというように。

 強く、たくましく、世間でやっていくことを求める。

 スーパーマンなら、機関車を止められるでしょう。

 大型トラックと相撲が取れるでしょう。

 大地にたたきつけられてもすっくと立ち上がるでしょう。

 でも、あなたの子どもは人間です。

 クリプトン星人ではありません。

 地球人。じんるい!

 我が子が、弱さを持った人間であることを認めましょう。

 自分と同じに。

 我が子にスーパーマンになることを求めるのではなく、

 我が子は自分に何を求めているか?

 応えていくことが必要に思えます。 
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アダルトチルドレン

2017年11月06日

障害とか納得がいけばあきらめもつくかもの話

 久しぶりに当事者としての発言です。

 当事者は、

 なぜ?

 という思いを多く持っています。

 日常の中でとてもたくさんの

 なぜ?

 と思う場面に出くわすからです。

 フツー学校行くよね。

 フツー結婚するよね。

 気持ちよい朝です。皆さんいかがお過ごしですか?

 止まない雨はありません。元気を出して。

 盆には帰省して、おふくろの味を味わってくるっちゃね。

 帰省の混雑で、渋滞40㎞です。

 挙げればきりがありませんが、こんな場面でいろいろです。

 これに加えて、自分の身に起きる不調も。
 
 急な出来事にとてもあたふたする。そして消えたくなる。

 外に出ることがとてもしんどい。気が散ってしようがない。

 人の言っていることが分からない。しゃべりが速すぎたり、2~3人一緒だと誰が言っているのか分からなくなる。 

 どうしても感情の起伏が収まらない。

 みぞおちあたりが不快で、そわそわして落ち着けない。

 なんでなんだろう? ま、そんなもんやし。みんな違うの?

 こんな思いで子どもの頃から大人の今まで暮らしてます。

 そして、それが、かつて経験した過酷な経験のためだったとか。
それにより、脳の機能のバランスが悪くなったからだとか。

 説明があると、

 あぁ、なるほど。それならば、フツーと違う今の自分も納得だわ。

 という風に、落ち着きのなさが減り、気持ちが少し安らぎます。

 フツーにはなれないこと。フツーではないこと。フツーになるには努力がいること。

 などの理由に納得ができるからでしょう。

 あきらめるにしても、あきらめねばならない理由に納得できれば、

 落ち着いて自分自身を引き受けることができるようです。

 フツーと違う理由の解明。
 当事者にとってはとても重要なことです。

参考図書
『いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳』 新版 (友田 明美  2011 診断と治療社)

  
タグ :障害受容


2017年09月24日

親と闘うことをやめてみる話

 以前紹介した記事の再掲と言えば再掲です。
常に意識した方がいい、
座右の銘と思えますので。

 それは、

「きみの家庭での力関係を考えて、勝つ見込みのない闘いは避けなさい」
(『心的外傷と回復 』(ジュディス・L. ハーマン著  中井 久夫 訳 みすず書房 p266)

親を変えよう!
親に分かってもらおう!
自分の苦しみを分け与えよう!
復讐してやろう!

 いろいろな思いから、親に対して直接的になにかしようとすることはよくあります。
でも、家庭内の関係にあって親の影響は大きい。

 よしんば勝ったとしても、その後何が残るのか?
権力を持ったとしても、親を隷属させたとしても、それは家庭内だけの小さな世界での話。

 そんなくだらないことに限られた力を使うより、
自分を養うことに力を使った方がましだよ。

 親のために使うことはないよ。
自分のために使いなさいよ。

 そんなメッセージが聞こえてくるのでした。


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Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アダルトチルドレン

2017年09月12日

精神療法の前提が違うということ

 アダルトチルドレン、ひきこもり、不登校、トラウマ関連の書籍や各種調査でよく指摘されていることに、

 治療効果がない。

 支援継続が難しい。

 分かってもらえない。

 逆に傷つく。

 というような、治療・支援と当事者本人がうまく協調できていない点があります。

 支援のミスマッチなんて言われることもあります。

 さて、心理・精神療法は治療モデルというものがあります。

 当事者本人が困難をかかえるに至ったいきさつや、

 そこから困難解消までの道筋を、

 ある程度パターン化したものです。

 この、状態が悪くなってきたパターンとよくなっていくパターンをもとに、治療が進められます。

 認知の歪みが原因だから、ゆがみを直せば改善する。とか、

 感情を抑え込んでいるから、感情を解放すればいい。とか。

 一人で問題を抱え込んでいるから、しっかり聴かれる経験をすれば自然と回復する。とか。

 本当はまったく怖い要素はないのに、不安でいっぱいで行動を起こせないから、まず行動するよう少し強引でも行動を起こさせる。とか。

 です。

 ところが、このモデル・パターンには、前提があるんです。

 人と関われる。

 健康になりたい欲求がある。

 社会生活を送りたい気持ちがある。

 将来展望がある。

 どうもこんな感じ。

 そのため、

 人と関わることに一番困難を感じる。 ※人である治療者と関わることが難しい。

 だから、健康になって人と関われるようになる意味を感じない。
 
 だから、社会と関わる気がない。

 そんな自分だから、将来の夢や希望がない。

 そんな人に対しては、そもそも治療が成り立たないのです。

 治療モデルの前提が違いすぎる。

 当事者本人が、町の医療機関、支援機関に行っても、

 あの有名な医師や、治療家や、支援者を頼っても、

 今ひとつ効果がないと感じることはよくあります。

 前提の違いの影響のように思えます。

 そもそもこの世に足場のある人を前提に作られた治療モデルだからでしょう。

 では、どうすればいいのか?

 足場を築くことが先決なようです。

 足場のない人がそのまま違和感なくいれる場で、足場は築かれます。
 
 受容支持的な治療空間や、

 いわゆる当事者グループは、その足場になるのでしょう。

   
タグ :足場前提


2016年11月16日

何を意識してこもっていたか?

 充実したひきこもり時間を過ごすためにどうしていたかシリーズです。

 私聞風坊は、こもった当初から、

 もうヤだ!

 限界だ!

 二度とゴメンだ!

 という思いがそこはかとなくありました。

 もうこれまでのような生活はゴメンだ!

 今までのような生き方は限界だ!

 あんな経験は二度とゴメンだ!

 という思いです。

 親の顔色をうかがい、

 自分の気持ちを押し殺し、

 やらねばならないことをしぶしぶやり続け、

 あるべき姿でいることでいっときの安全を確保する。

 そんな生き方です。

 そんな生き方を捨てる!

 新しいやり方で生きる!

 当時無意識に、そう決断したようでした。

 だから意識したのは、

 好きなようにやる!
です。

 でも、実のところ、この「好きなように」が分からない。
 自分が何が好きなのかが明確じゃないのです。

 嫌いなことは分かるのに。

 だから、
 好きなこと探しからはじめました。

 それはある意味やりたいこと探しです。

 やりたいことをやり続ける。

 それを心がけて、ひきこもり生活を送っていました。

 そんな生活も、
 何年かすると、気がすんだようです。

 一生わがまま勝手にやりたいことをやり続ける心配はいりませんでした。

 気がつくと、
 力まずに好きなことができるようになってきました。

 そう、フツーの人がやっているような感じで。
  


2016年11月07日

肩こりを頑張る話

 私聞風坊は、腕組みをする癖があるんです。

 子どもの頃から。

 人と話すときも、テレビを観るときも、信号待ちの時も・・・。

 とりあえず腕組んでます。

 きっと腕のやり場に困って組んでるのだろうと思っていましたら、

 なんと、

 仰向けに寝てるときでも組むんです。

 最近発見して、笑ってしまいました。

 寝ながら腕を組むって、面白すぎる。

 せっかくなので、

 なぜ組むのか?

 検証してみました。

 胸になかなかの重みが加わるので、安心するからでした。
 確かに組まないより組んだ方が落ち着く。

 同時に、肩が上がるんです。
 そうしていろいろ考え事をしたいからでした。

 確かに子どもの頃は布団に入ると、考え事をよくしていました。
 寝ながらでもテンション上げて思考したかったんですね。
 都合、寝つきがヒジョーに悪い。

 しかも肩をすくめるので、首肩が凝る。
 
 つまり、寝る間も惜しんで。
 肩が凝るよう頑張っていた。
 
 のです。

 この気づきを機に、腕を組まないように気をつけています。

 おかげで少し肩こりが減ったような。

 イヤ減ってないかな。
   あ、でも以前よりは・・・

 と考えを巡らさないように。

 肩を落として、呼吸もヘソまで落として。

 過ごしています。


  


2016年10月18日

親が発達障害であること 2

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 について考えてみる記事の続きです。
 
 特に、

 どれだけ努力しても、親から共感されない、
 相談に乗ってくれない、
 社会のルールなど社会で生きていくために必要なスキルを教えてくれない、
 いつも親からの一方的な要求ばかり。
 自分の気に入らないことがあるといつまでも激しく感情的に接してくる。

 つまり、
 こちらの立場を思いやってもらえない。

 そんな子ども時代を過ごし、
 大人になっても変わらずずっと不快な気持ちを味わっている人。

 にとって、
 自分の親が特性に応じたサポートを受けてこなかった発達障害である可能性
 を考えることはとても大事なことだと思っています。

 もしかすると、
 子どもの頃から味わうあの不快感。恥の感覚。忸怩たる思い。
 は、自分の努力不足ではないかもしれないからです。

 今ここでの他者の気持ちに寄り添う。
 そういうことがとても苦手な親なのかもしれません。
 だから、こちらの思いはいつもいつも聞き届けられない。

 その結果、
 私は大事にされない。
 私には価値がない。
 そんな想いを抱くのも不思議ではありません。

 発達障害の分野では、寄り添うことが基本です。

 そう考えると、

 子どもに寄り添えない。
 子どもが寄り添うしかない親。

 なのかもしれません。

 大人になった今、
 寄り添い方というか、期待の仕方というか、あきらめ加減というか、距離の取り方というか、
 そういう親との付き合い方は、自分で決められます。

 もう、親の気まぐれに振り回されずに生きていいんです。

 親に期待することをあきらめていいんです。

この項終わり。
   


2016年10月16日

親が発達障害であること

 相手の立場に立った言動が難しい。

 暗黙の了解など、空気を読むのが苦手。

 じっとしていない。

 こだわりが強い。

 コミュニケーションが苦手。

 誤解が多い。会話の要点がズレている。

 食べ物の好き嫌いが多い。

 自分なりのルールに従う。

 融通が利かない。

 予定などの急な変更にひどく動揺する。

 感情に振り回されやすい。

 興味のあることには熱心だが、興味がないことには極めて素っ気ない。

 具体的に、ひとつひとつ説明されると分かるが、ざっぱな説明だと混乱する。

 なんて印象を持たれたり、観察されたりした子どもは、

 発達障害ではないかと懸念を持たれることが多いもの。

 でもこれ、子どもに限ったことではありません。

 お前の頭はゼッペキでかわいそう。
 なんて、子どもの立場に配慮のない一言を平気でちょくちょく口にしたり、

 子どもから相談されても、ポイントがずれた返答をいつもいつも繰り返したり、
 または、子どもがなんでそんなに悩んでいるか共感できなかったり、

 そもそも、自分の関心のあることに熱心で、子どもと関わることに興味がないことが日常しばしばだったり、

 自分なりのルール・手順を重視するあまり、社会のルール(特に暗黙の取り決め)を子どもに教えることが苦手だったり、
 または、厳しくルールを守らせすぎたり、

 子どもにいつもいつも、大声出したりやイライラして感情的に関わったり、

 基本的に自分の都合優先で、子どもにも都合があることが分からない。子どもの都合を想像しない。

 そうして、
 親がそんな関わりをしていると、子どもがどんな風に苦しんでいるかなんて、思いを寄せることをしなかったり、
 ※自分がどれほど苦労しているかには強い関心があるけれど、

 する親の場合、

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 を考えてみることは大事だと思っています。

 特に、
 親との関わりに子どもの頃からとても苦労している人の場合は。

この項続く。  
タグ :発達障害


2016年09月15日

逃げ出せない立場に身を置いて

 先日、炊事場で、ゴーヤを洗っているときにふと思いついたことです。

 逃げ出せない立場。

 を基準に、物事を考える。

 それが自分の立脚点だと。

 当事者。

 自分の症状、

 自分の特性

 自分の歴史

 ・・・

 自分から逃げ出せません。


 家族。

 うちの子は不登校だから家族解消。

 うちの親が統合失調症になったから別の親に代えてもらう。

 うちの子が、うちの親が、うちの兄が、うちの妹が、うちの・・・。

 これらはなかなか難しい話。

 家族から逃げ出せません。


 時間外なんで。

 うちは専門外ないので。

 休みを取っているので。

 ・・・
 
 専門職は、逃げ出せます。

 というか、専門職として働く以外の時間をとるように努めます。

 じゃないと、心身が傷んでしまうからですね。



 逃げ出せない立場に身を置いて考える。

 当事者支援者の真骨頂のような気がしています。
  




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