2017年12月30日

虐待を受けると脳にも影響が出る話

 年末最後の記事は何がふさわしいかとちょっとだけ悩んだ末に、
本の紹介をさせて頂くことにしました。

いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳
(友田明美著 診断と治療社 新版)

です。

 著者が熊本大学におられた頃、宮崎での講演を拝聴しましたが、
 暴力が、心理的・機能的だけでなく脳の部位の大きさにも影響があるという報告に衝撃を受けつつ、
 なぜか納得したことを覚えています。

 以来ずっと研究に期待していました。

 私聞風坊は、過酷な環境で大人になった子どもたちをテーマにしていますが、

 著者の研究によると、過酷な環境で育つと、その環境に適するように脳が発達するのだそうです。

 またその脳機能は、発達障害と同じような特性を持つこともあるのだそうです。

 虐待を受けた子どもの行動特性がADHD(注意欠損多動障害)と診断される。

 というのは割と有名な話ですが、その理由も、本書を読むと納得がいきます。

 特に印象に残ったのは、
 暴力を受けるよりも、暴力を受けている現場にいて見聞きした方が脳への影響は大きいということです。
 ※暴力場面に暴露されたなんて言うそうです。

 殴られてないから大丈夫。
 怒鳴られてないから心配ない。

 ということにはならないようです。

 このことは経験的に知っています。
 暴力場面への暴露はのちのち大きな影響を及ぼします。

 暴力場面に適した脳は、平和な環境では不適応をおこしやすいもの。
 生きづらさの理由の一つが脳にもあるのですね。

 同時に著者は言及します。
 脳の可塑性に。
 平和な環境に適応するように脳はまた発達するのだそうです。

 トラウマケアの大原則は、まず安全・安心。
 その状況を確保することが最優先。

 脳的にもいいみたいです。
 
 まず、今日一日安全であること。安全であったこと。

 安心できる時間があったこと。心穏やかな時間を受け容れること。

 そんなとこから始めるといいみたいです。

 皆さまどうぞ穏やかな年の瀬をお迎え下さい。
  
タグ :虐待暴力


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)本の紹介トラウマ

2017年11月06日

障害とか納得がいけばあきらめもつくかもの話

 久しぶりに当事者としての発言です。

 当事者は、

 なぜ?

 という思いを多く持っています。

 日常の中でとてもたくさんの

 なぜ?

 と思う場面に出くわすからです。

 フツー学校行くよね。

 フツー結婚するよね。

 気持ちよい朝です。皆さんいかがお過ごしですか?

 止まない雨はありません。元気を出して。

 盆には帰省して、おふくろの味を味わってくるっちゃね。

 帰省の混雑で、渋滞40㎞です。

 挙げればきりがありませんが、こんな場面でいろいろです。

 これに加えて、自分の身に起きる不調も。
 
 急な出来事にとてもあたふたする。そして消えたくなる。

 外に出ることがとてもしんどい。気が散ってしようがない。

 人の言っていることが分からない。しゃべりが速すぎたり、2~3人一緒だと誰が言っているのか分からなくなる。 

 どうしても感情の起伏が収まらない。

 みぞおちあたりが不快で、そわそわして落ち着けない。

 なんでなんだろう? ま、そんなもんやし。みんな違うの?

 こんな思いで子どもの頃から大人の今まで暮らしてます。

 そして、それが、かつて経験した過酷な経験のためだったとか。
それにより、脳の機能のバランスが悪くなったからだとか。

 説明があると、

 あぁ、なるほど。それならば、フツーと違う今の自分も納得だわ。

 という風に、落ち着きのなさが減り、気持ちが少し安らぎます。

 フツーにはなれないこと。フツーではないこと。フツーになるには努力がいること。

 などの理由に納得ができるからでしょう。

 あきらめるにしても、あきらめねばならない理由に納得できれば、

 落ち着いて自分自身を引き受けることができるようです。

 フツーと違う理由の解明。
 当事者にとってはとても重要なことです。

参考図書
『いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳』 新版 (友田 明美  2011 診断と治療社)

  
タグ :障害受容


2017年10月06日

フラッシュバックで悔やむこと

 トラウマケアの話の中でフラッシュバックと言えば、一般的に、

 トラウマを負った場面に瞬時に戻り、その時の恐怖にまつわる感情や体の状態を再体験するとされています。

 これは、害を被った体験を再び味わうというものです。

 一方で、自分が害を与えたことをフラッシュバックして再体験して、自分の行いの未熟さを悔やむことを繰り返す形もあるようです。
 
 あの時、あんなことしてしまった。

 または、あんなことしなかった。

 よく吟味しないで発した不用意な発言。

 慎重さを欠いた態度。

 を、不意に思い出し、全身を緊張させて、自分を叱りつけるのです。

 たまらず頭をたたいたり、大声を出したりして。

 でも実際は、悔やむほど配慮がなかったわけではありません。
 完璧ではないかもしれませんが、その場面では十分な配慮をしていたのです。

 にも関わらず、もっとこうすればよかった、と自分の愚かさを悔い、全身で恥じ入るのです。

 良心の呵責にも似ています。

 その人に最善のことをしてあげられなかった罪責感。
 
 無言の求めに応じられなかった無能感。

 を繰り返し繰り返し悔やんでいるかのよう。

 悔やむ必要のなことをあえて悔やむ。しかも不意に瞬間的に悔やむ。
 それはなぜなんだろう?

 繰り返し繰り返し考えたところ、一応の答えにたどり着きました。

 それは、

 危険を冒したから。
 です。
 
 気を許した言動。
 それは、相手の不興を買うリスクが高い。

 そういう認知だからでしょう。

 完璧な応対でなければ、安全は確保されない。
 危険はあとからたっぷりいつでもやって来る。
 そんな信念があるのでしょう。

 だから、
 自分の身を危険にさらすリスクを冒した行為を責めさいなむようです。

 もっと安全に配慮せよ!

 自分をさらけ出すな! 隠せ!

 相手が望むような態度をとれ!

 危険を冒すな!

 緊張せよ!

 虐待や養育者が精神的に不調な環境で育った子どもは、こういう思いになるかもしれません。

 養育者の暴言暴力、感情の激しい起伏、がいつ起きるか、いつまで続くか予想がつかない恐怖環境の中では、

 自分の言動1つで、自分の身の安全が左右されるからです。

 失敗は命取りのリスクをはらんでいるからです。

 または、アテにならない大人のかわりに、自分だけはまともであらねばならない。
 しっかりと自分を律していなければならない。

 そうでなければ家庭が崩壊する。命の危険がある。

 そう無意識に思っているかも。

 そんなこんなで、完璧な対応がデキない自分を責めるのでしょう。
 実のところ今はもう、その必要はないのに。

 TA理論的には、Pが侵襲しているとか、
 一時的に力を失ったPの隙をついて調子に乗った行動をとったCを勢いを取り戻したPがとっちめてる。
 なんて考えるだろうフラッシュバックのお話でした。

 
  


2017年09月12日

精神療法の前提が違うということ

 アダルトチルドレン、ひきこもり、不登校、トラウマ関連の書籍や各種調査でよく指摘されていることに、

 治療効果がない。

 支援継続が難しい。

 分かってもらえない。

 逆に傷つく。

 というような、治療・支援と当事者本人がうまく協調できていない点があります。

 支援のミスマッチなんて言われることもあります。

 さて、心理・精神療法は治療モデルというものがあります。

 当事者本人が困難をかかえるに至ったいきさつや、

 そこから困難解消までの道筋を、

 ある程度パターン化したものです。

 この、状態が悪くなってきたパターンとよくなっていくパターンをもとに、治療が進められます。

 認知の歪みが原因だから、ゆがみを直せば改善する。とか、

 感情を抑え込んでいるから、感情を解放すればいい。とか。

 一人で問題を抱え込んでいるから、しっかり聴かれる経験をすれば自然と回復する。とか。

 本当はまったく怖い要素はないのに、不安でいっぱいで行動を起こせないから、まず行動するよう少し強引でも行動を起こさせる。とか。

 です。

 ところが、このモデル・パターンには、前提があるんです。

 人と関われる。

 健康になりたい欲求がある。

 社会生活を送りたい気持ちがある。

 将来展望がある。

 どうもこんな感じ。

 そのため、

 人と関わることに一番困難を感じる。 ※人である治療者と関わることが難しい。

 だから、健康になって人と関われるようになる意味を感じない。
 
 だから、社会と関わる気がない。

 そんな自分だから、将来の夢や希望がない。

 そんな人に対しては、そもそも治療が成り立たないのです。

 治療モデルの前提が違いすぎる。

 当事者本人が、町の医療機関、支援機関に行っても、

 あの有名な医師や、治療家や、支援者を頼っても、

 今ひとつ効果がないと感じることはよくあります。

 前提の違いの影響のように思えます。

 そもそもこの世に足場のある人を前提に作られた治療モデルだからでしょう。

 では、どうすればいいのか?

 足場を築くことが先決なようです。

 足場のない人がそのまま違和感なくいれる場で、足場は築かれます。
 
 受容支持的な治療空間や、

 いわゆる当事者グループは、その足場になるのでしょう。

   
タグ :足場前提


2017年09月06日

トラウマケアのこと 9 まとめ

 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

 を読んで、自分がこれまでやってきたことと照らし合わせてみるシリーズの一応の最後です。

 トラウマについて、科学的根拠を元に解説とケアの仕方が網羅されている本書は、
 これまで、自分の身に起きているなんとも言えないスッキリしない感じの理由がよく分かります。
 自分はどうにもフツーとは違う。という感覚の理由もふに落ちます。

 例えば、
 トラウマを負うと、アドレナリンの量が減りづらくなるのだそうです。

 一般的に、神経伝達物質とか脳内ホルモンとかは、必要な時に一気に分泌され、状況が終わったらすぐに無くなっているものだそうです。
 アブナイ! と感じた瞬間に自動的にアドレナリンが分泌され、アブナくなくなった。と感じたらアドレナリンは無くなっていきます。

 ところが、トラウマを負うと、アブナくなくなった。と感じづらくなるのだそうです。
 脳の危機感知部分(扁桃体とか)が日頃からものすごく活動的になってしまっているかららしいのです。
 常に、アブナイ! と感じているような状態にいるのがトラウマを負った人。
 
 興奮や、ストレスから解放されづらい脳の状態、身体の状態になっているのだそうです。
 だから、怒りがおさまりづらく、すぐドキドキするし、なかなか静まらないし、いつもイライラしてるんです。

 また、目を閉じると心が静まるのがフツーだとすると、トラウマを負うと気が高ぶるのだそうです。
 危機を感知するために、より耳をすましてしまうからでしょう。

 だから、
 眠りに入ることに困難があります。
 リラックスもできません。

 私は子どもの頃から不眠なんです。

 こんな感じで、トラウマを負った人が感じる
 なんかフツーの人と違う。
 点についても詳細に解説があります。

 全体的にトラウマを負った人への思いやりあふれる筆致です。
 特に、
 「どうせ誰も助けてくれないんだし、自分でやるしかないじゃん」的な、
 虐待によるトラウマを負った人の特徴の、現実的でありつつも多少皮肉交じりの世界観も愛情豊かに受け入れている印象です。
 
 トラウマを負うと、常識世界とは違う、あべこべな世界で生きている感じなんです。
 生きる場所が無い。
 居場所がない。
 ※フツーの世界では。トラウマを負うような世界ならあるけど。
 そんな思いを持っています。

 そんな私たちの思いを代弁してくれる一書なんです。

 さて、
 私は、この本を読んで、たくさんの気づきを得ました。

 特に、これまで自分が興味を持ってやってきたことは、実はトラウマケアだったんだと気づいたんです。

 それは、
 人は、自分をOKにするように、なにかやっている。

 どうすれば自分がOKな状態になるか知っている。本能的に。

 というTAの考えをなぞるものでもありました。

 今、悩みの中にある人。

 なにかやっている日常ささいなことが実は、自分のケアになっているかもしれませんよ。

 スゴイですよ私たちって。
  
タグ :トラウマ


2017年09月03日

トラウマケアのこと 8 シナリオ

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズも今回を入れてあと2回です。

 少林寺拳法。
 演劇。
 自助グループ。 
 TA・交流分析。
 筆記・ライティング。
 タッピング。
 の次は、シナリオです。

 シナリオは、役者さんがどのようなお芝居をしたらいいかを指示する文章なのです。

 つまり指示書。

 だから、自分の悦に入る表現で書いたり、

 分かる人だけ分かればいいという姿勢で書いたりしてはいけません。

 役者さんがどう演じていいか分かるように、具体的に具体的に書きます。

 と、教わりました。通信で。

 そのため、抽象的な表現をなるべく避けます。

 そして、具体的な行動を記します。

 そういう形で相手に思いを伝えるいわば行動指示書。

 なんです。

 具体的に書くと、

 いらいついた様子で立っているタカシ。

 ではなく、

 右足に重心を乗せて、左足でこつこつリズムをとりながら、周囲をキョロキョロ見回して立っているタカシ。

 のように書くのです。※極端に書きました。

 さて、この練習をたっぷりとやり、

 怖いシナリオ作家の講師陣からの厳しい指導を受けたことから、

 気持と行動、しぐさの関係がよく分かるようになりました。

 そして逆に、

 自分のしぐさや動作から、自分の気持ちが分かるようになりました。

 しぐさや行動は身体からのメッセージです。

 シナリオの勉強によって、身体からのメッセージを、自分の気持ちとして受け取ることが容易になったのでした。

 言葉にできない気持ちは、しぐさや動作として表されます。

 しぐさや動作に敏感になると、自分の気持ちを鋭敏に感じ取れるようになります。

 トラウマケアでは、身体からのメッセージを受け取ることがとても重要です。

 言葉にならない気持ちを、身体・しぐさ・姿勢・動作で表現しているからです。

 言葉にするとヤバイ感情を、身体で表現していた昔。

 身体で表現している感情を受け取れるようになった今。

 自分の心が望むことが少しずつ分かるようになってきました。

 休みたい、泣きたい、悲しみたい、怒りたい、遊びたい・・・。

 トラウマを負った時、できなかったことを今やることで、トラウマから解放される。

 トラウマケアの基本です。

 私は、シナリオの勉強でトラウマケアをしていたのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)トラウマ

2017年08月31日

トラウマケアのこと 7 タッピング

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 少林寺拳法。
 演劇。
 自助グループ。 
 TA・交流分析。
 筆記・ライティング。
 ときて、今回はタッピングです。

 私は、子どもの頃から自分の名前を呼ばれるのが嫌でした。
 親が私の名前を気に入っておらず、私の名前をとても悔やんでいるのでした。

 だから、親が私の名前を呼ぶ時は嫌悪感が混じっています。

 そして私は、その親の気持ちをいつもいつも直接聞かされていました。

 そんなことから私は、自分の名前を呼ばれることにとても嫌な思いを持っていたのでした。
 
 そんなある日、EFT(エモーショナル・フリーダム・テクニックス=感情解放テクニックス)というトラウマに効果のある技法の講習を受けました。

 嫌な感情を味わいつつ、自分に向けて独特の声かけをしながら、東洋医学のあのツボをタッピング(軽くトントンたたく)するというわりと簡単に取り組める技法だったのですが、

 効果てきめん!

 タッピングしている最中から、もう気が楽になり、あの嫌な胸が重くくぼむ感覚、気持ちが沈む感覚がなくなっていきました。

 ビックリです。

 声かけ用の言葉を編むことが少しコツがいったり、嫌な体験に意識を向け続ける努力がいりますが、

 情けない気持ちでいるにも関わらず私は景色を楽しんでいる。
 みたいに、言葉を編む練習をしていたり、

 私は今、悲しい。怖い。情けない。気持ちを感じている。
 みたいに、感情を味わう経験をすでに重ねていたので、それほど難しく感じませんでした。

 嫌な気持ちにひたることが多い時は今でもやっています。

 私にとってのタッピングは、トラウマケアに効果的でした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月28日

トラウマケアのこと 6 筆記

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々々々回は少林寺拳法体験。
 前々々回は、演劇体験です。
 前々回は、自助グループです。 
 前回は、TA・交流分析です。
 今回は、筆記・ライティングです。

 トラウマに限らず、困難状況に陥った場合、客観的に自分を見直すことは効果があると言われています。
 
 また、筆記・ライティングは心の整理をするのに昔から効果的と定評があります。

 そして、日々の出来事と思いを記す日記を書くことが勧められているのも上記のような理由からなのでしょう。

 私は、学校に上がる前から、何かを描くことが好きでした。

 想像力がとてもスゴく、※若干かい離的なのでアブナイのですが

 それを絵に描くのが好きでした。

 小学生の頃は、漫画クラブとかに入っていたり、小説もどきの作文を毎日のように書いていたりした記憶があります。

 絵は上手な方だったのですが、思春期になると、なんだかエグイ作風になりそうなので、絵をやめて、作文の方に移った記憶があります。

 なんとなく心が荒れているのが分かっていたのでしょうね。それを表出することをはばかったのでしょう。

 作文だと、表現はずいぶんと難しくなります。

 絵だと直接的に訴えられるところが、文だとそうはいきません。

 この手間が気に入ったのでしょう。生の心からだいぶ距離を置いた形で自己表出できるからですね。

 そんなこんなで、書くこと、自分の頭の中や身体の中のナニカを言葉にして記録すること。

 の魅力に取りつかれた私は、ずっと書いています。

 ひきこもってた頃は、日記を付けていました。

 PCが手に入ってからは、ホームページを。

 自助グループではニュースレターを。

 こもっていた時の記録と自助グループの記録として、『こもって、よし!』を。

 今でのこのブログを。

 書いています。

 そうして、自分の心と身体で感じたことや考えたことを言葉にして記録しています。

 自分を振り返って、なぜ案な気持ちになったのか?
 なぜあんな行動をしたのか?
 どうしてあんな考えをしたのか?
 その時の身体の具合はどうだったか?

 いつも気づきを得ています。
 そのたびに、一つ心が軽くなっています。

 さて、トラウマケアには書くことが効果的だとされています。
 自分に何が起きたか、自分は何をしたかったか、
 自分に何ができたか、自分には何ができなかったか
 相手に何をしてほしくなかったか、何をしてほしかったか、

 いろんな気づきが得られます。

 きっと、書くことが、落ち着いて、主導権を持って思考整理する作業だからでしょう。
 それは、トラウマ反応に拮抗します。

 トラウマに支配されない生活を送る。
 筆記・ライティングは、そのための効果的な手法なのでしょう。

 こう考えると、
 私にとっての筆記・ライティングは、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月25日

トラウマケアのこと 5 TA

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々々回は少林寺拳法体験。
 前々回は、演劇体験です。
 前回は、自助グループです。 
 今回は、TA・交流分析です。

 複雑性トラウマとか、発達トラウマ障害とか指摘のある、幼少期からのトラウマによって、
 何かと問題が起きている場合、

 自分の身に一体何が起きているのか?
 そも自分とはなんぞや?
 ということが実感できづらくなっています。

 それに応えてくれたのが、私の場合はTA・交流分析でした。

 何が何だか分からないけど、なんかイイ感じはしない。

 これといって悪い感じはないし、フツーだけどなんかビミョーに気が楽にならない。

 そんな生きづらさを抱いている人は、そのなんかビミョーな感じの理由が知りたいと思うもの。

 謎が解ければいいと願うもの。

 その手順を知らせてくれたのがTA・交流分析でした。

 私がたどり着いた結論は、「親の自分」が批判的なために、「素の自分」のやることなすことに対してケチをつけるので、ほとほと疲れ果てていたのでした。
 もう、生きていられない。というほどに。

 そこで、批判がましい「親の自分」を、肯定的な「親の自分に」変える作業をずっとやってきたというものでした。

 トラウマを負うと、自分から離れます。
 前頭葉とかの自己認知する脳の機能が低下するんだそうです。

 だから、自分のことがよく分かりません。

 格闘技など身体を使う動作はこの体感機能を活性化させます。

 理論派のTA・交流分析は、思考することでこの機能を活性化させます。

 知的好奇心旺盛な私聞風坊は、どっぷりハマり、
 ドパミンやらエンドルフィンやらなんやらイイ感じをもたらす脳内ホルモンがいっぱい出たようです。

 トラウマを負うと、思考する力が落ちます。
 じっくり思考するより、本能的に闘ったり、逃げたりする俊敏性に重きを置くように脳がシフトするからですね。

 これが習い性になると考えない癖がつきます。
 特に自分自身の今の状態について、感じたり考えたり、言葉にしたり、
 いい状態にもっていくことについて、関心がなくなります。

 または落ち着いて物事に取り組むことが難しくなります。
 いつも俊敏にしていたい。焦り、急ぐ、速く。
 ADHDと診断される場合も少なくないと言われています。

 TA・交流分析では、その癖を治します。
 いったん「OK」と口にすることで、取り組んでいた作業をストップして、思考と感情と行動を振り返ることを繰り返します。
 そうして、最良の方法を選択します。

 こう考えると、
 私にとってのTA・交流分析は、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月22日

トラウマケアのこと 4 自助グループ

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々回は少林寺拳法体験。
 前回は、演劇体験です。
 今回は、自助グループです。 

 人間関係でトラウマを負うと破壊されるのが人への信頼感です。

 だから、人に相談しない。治療を受けない。一人で生きていく。

 傷は癒えないまま、生きづらさが増していく展開です。

 30代になって、自分の生きづらさの根源が家族関係にあるとしぶしぶながら認めた私は、

 同じような思いをしている人たちの集まりである自助グループに参加するようになりました。

 そこは、ただ話して、聞いて、帰る。
 と言うシンプルな活動をしているグループでしたが、

 それが一番安心できて、いちばんちょうど良くて、だからありがたかったのを覚えています。

 役目を強く求められない。

 それでいて、その場にいることを歓迎されている。

 素直な自分の体験を口にするだけで、感謝され、みんなの役に立つ。
 
 そんな、とても珍しい場。人間関係でした。

 子どもであるために負わねばならなかった重責、

 屈辱、無力感、頑張り、まわりから期待される私らしさなどなど、

 周囲の大人からいろいろ求められて大きくなった私は、役目を担わされることにほとほと嫌気がさしていたのでした。

 人生を諦めるほどに。

 そんな役目感がない。

 あるとしたなら、自分を癒す役目ぐらい。

 まずはそれ。

 自己犠牲しない。
 まず自分のことをする。
 よく指摘された点です。

 自分を生きる。それが一番重視されていた場。人間関係。

 そんな関係によって育まれた仲間に対する信頼感、思いやり感。

 破壊された人間への信頼感を取り戻す作業は、仲間とともになされました。

 トラウマケアにあっては、他者とのつながりを再構築することがとても重要です。
 トラウマを負わない体験、心が癒される体験をたくさん経験できることがなにより重要なのです。
 リソースなんて言います。

 こう考えると、
 私にとっての自助グループは、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  




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