少林寺拳法で身体感覚に目覚めた話

2017年09月21日

 運動音痴だった私聞風坊が、カンフー映画好きが高じて、実際に格闘技を習い始めたら、

 たくさんの学びがあったのですが、

 そのうちの、身体感覚に敏感になった点についてのお話です。

 少林寺拳法は、両足で立つ姿勢が基本なんです。

 その時に、

 踵はハガキ一枚浮かせる。※どんだけ薄いんだ!

 足裏親指の付け根膨らんでいるところに重心を乗せる。
 ※なんてピンポイントなんだ!

 体重は足裏前面に6、踵の方に4の割合。
 ※細かい!

 膝は外に開くでもなく内にしぼり込むでもなく
 心持ち内股を絞り気味で膝頭が正面を向き軽く曲げるけど、爪先より前に出ない。
 ※注文が多い!

 腰は、尾てい骨から地面にまっすぐ杭を打つ感じで軽く沈める。
 ※尾てい骨で杭を打つなんて意味ワカラン!

 なんて習いました。

 あり得ないほど繊細でしょ。

 突き蹴りする際も、これを意識しながらやったんですよ。

 あれとこれをしながらそこかしこに意識を向けて動作するんです。

 今まで経験したことがないほど、自分の体感覚を繊細に意識しました。

 ホント大変。そして今にしてみるととっても意味あることでした。
 
 それは、自分といっぱい対話すること。

 結果、自分の身体の状態をよく察知できるようになりました。

 発達障害分野では感覚統合と言って、複数の動作を連動させる感覚を養うことが自己調和に役立つとされています。

 トラウマケアでは、体感覚と感情の関係を大切にします。

 首肩が堅くなったら、怒りを感じているとか、

 胃のあたりがキュッとなったら、緊張しだしたとか、テンションが高くなったとか、

 みぞおちあたりが落ちくぼんだら、元気がなくなってきたとか。

 少林寺拳法で体感覚に敏感になってたから、感情との関連付けもわりかしスムーズにできるようになりました。

 こもっていたときも、6畳一間で基本の型をやって、体力を維持していました。
 
 気が変になるかならないかのこもる生活の中で、
 ギリギリ平静な世界に踏みとどまれたのも、
 少林寺拳法の経験があったからと思っています。
 鳴謝。
                     結手
  


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ひきこもらないようにしていたこと

2017年09月09日

 久しぶりにひきこもりの記事です。

 こもっている時、どんな風に暮らしていたかというと、

 どうやら、

 ずっと社会と関わり続けようとしていた。

 ようなんです。

 どんな風に?

 私は映画好き読書好きなんですが、不安に押しつぶされてそれができなくなりそうだったんで、
 無理やりにでも映画館で映画を観ていました。
 図書館に行っていました。
 買い物にもよく出かけました。

 自分の意見を人に伝えることができなくなりそうだったんで、
 Webで、アンケートに答えていました。

 人が怖くなりすぎそうだったんで、
 講演会やイベントにはよく出かけていました。もちろん無料のもの。
 公民館講座とかも頻繁に受講しました。
 
 認知行動療法的には、暴露法と呼ばれるやり方だったかもしれません。
 慣れることで、怖くなくなる。という理屈です。

 ポリヴェーガル理論で言うと、社会的関わりシステム(腹側迷走神経系)を作動させていたとなるでしょうか。
 脳の危機感知役の扁桃体はアラームを鳴らしているけど、

 人と関わる場に身を置く。
 人と関わる行動をとる。

 そういうことを心がけていました。

 実際、関わった人たちは優しい人ばかりでした。 
 今改めて考えると、社会常識的にフツーの配慮して関わってくれる人たちばかりだったのでしょうが、
 当時はそんな思いでした。

 そんなこんなおかげで、今はフツーに人と関われています。

 心と身体の状態がひどくならないようにする。
 という自分への思いやりは大事なようです。
  
タグ :健康不安


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トラウマケアのこと 9 まとめ

2017年09月06日

 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

 を読んで、自分がこれまでやってきたことと照らし合わせてみるシリーズの一応の最後です。

 トラウマについて、科学的根拠を元に解説とケアの仕方が網羅されている本書は、
 これまで、自分の身に起きているなんとも言えないスッキリしない感じの理由がよく分かります。
 自分はどうにもフツーとは違う。という感覚の理由もふに落ちます。

 例えば、
 トラウマを負うと、アドレナリンの量が減りづらくなるのだそうです。

 一般的に、神経伝達物質とか脳内ホルモンとかは、必要な時に一気に分泌され、状況が終わったらすぐに無くなっているものだそうです。
 アブナイ! と感じた瞬間に自動的にアドレナリンが分泌され、アブナくなくなった。と感じたらアドレナリンは無くなっていきます。

 ところが、トラウマを負うと、アブナくなくなった。と感じづらくなるのだそうです。
 脳の危機感知部分(扁桃体とか)が日頃からものすごく活動的になってしまっているかららしいのです。
 常に、アブナイ! と感じているような状態にいるのがトラウマを負った人。
 
 興奮や、ストレスから解放されづらい脳の状態、身体の状態になっているのだそうです。
 だから、怒りがおさまりづらく、すぐドキドキするし、なかなか静まらないし、いつもイライラしてるんです。

 また、目を閉じると心が静まるのがフツーだとすると、トラウマを負うと気が高ぶるのだそうです。
 危機を感知するために、より耳をすましてしまうからでしょう。

 だから、
 眠りに入ることに困難があります。
 リラックスもできません。

 私は子どもの頃から不眠なんです。

 こんな感じで、トラウマを負った人が感じる
 なんかフツーの人と違う。
 点についても詳細に解説があります。

 全体的にトラウマを負った人への思いやりあふれる筆致です。
 特に、
 「どうせ誰も助けてくれないんだし、自分でやるしかないじゃん」的な、
 虐待によるトラウマを負った人の特徴の、現実的でありつつも多少皮肉交じりの世界観も愛情豊かに受け入れている印象です。
 
 トラウマを負うと、常識世界とは違う、あべこべな世界で生きている感じなんです。
 生きる場所が無い。
 居場所がない。
 ※フツーの世界では。トラウマを負うような世界ならあるけど。
 そんな思いを持っています。

 そんな私たちの思いを代弁してくれる一書なんです。

 さて、
 私は、この本を読んで、たくさんの気づきを得ました。

 特に、これまで自分が興味を持ってやってきたことは、実はトラウマケアだったんだと気づいたんです。

 それは、
 人は、自分をOKにするように、なにかやっている。

 どうすれば自分がOKな状態になるか知っている。本能的に。

 というTAの考えをなぞるものでもありました。

 今、悩みの中にある人。

 なにかやっている日常ささいなことが実は、自分のケアになっているかもしれませんよ。

 スゴイですよ私たちって。
  
タグ :トラウマ


トラウマケアのこと 7 タッピング

2017年08月31日

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 少林寺拳法。
 演劇。
 自助グループ。 
 TA・交流分析。
 筆記・ライティング。
 ときて、今回はタッピングです。

 私は、子どもの頃から自分の名前を呼ばれるのが嫌でした。
 親が私の名前を気に入っておらず、私の名前をとても悔やんでいるのでした。

 だから、親が私の名前を呼ぶ時は嫌悪感が混じっています。

 そして私は、その親の気持ちをいつもいつも直接聞かされていました。

 そんなことから私は、自分の名前を呼ばれることにとても嫌な思いを持っていたのでした。
 
 そんなある日、EFT(エモーショナル・フリーダム・テクニックス=感情解放テクニックス)というトラウマに効果のある技法の講習を受けました。

 嫌な感情を味わいつつ、自分に向けて独特の声かけをしながら、東洋医学のあのツボをタッピング(軽くトントンたたく)するというわりと簡単に取り組める技法だったのですが、

 効果てきめん!

 タッピングしている最中から、もう気が楽になり、あの嫌な胸が重くくぼむ感覚、気持ちが沈む感覚がなくなっていきました。

 ビックリです。

 声かけ用の言葉を編むことが少しコツがいったり、嫌な体験に意識を向け続ける努力がいりますが、

 情けない気持ちでいるにも関わらず私は景色を楽しんでいる。
 みたいに、言葉を編む練習をしていたり、

 私は今、悲しい。怖い。情けない。気持ちを感じている。
 みたいに、感情を味わう経験をすでに重ねていたので、それほど難しく感じませんでした。

 嫌な気持ちにひたることが多い時は今でもやっています。

 私にとってのタッピングは、トラウマケアに効果的でした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


トラウマケアのこと 6 筆記

2017年08月28日

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々々々回は少林寺拳法体験。
 前々々回は、演劇体験です。
 前々回は、自助グループです。 
 前回は、TA・交流分析です。
 今回は、筆記・ライティングです。

 トラウマに限らず、困難状況に陥った場合、客観的に自分を見直すことは効果があると言われています。
 
 また、筆記・ライティングは心の整理をするのに昔から効果的と定評があります。

 そして、日々の出来事と思いを記す日記を書くことが勧められているのも上記のような理由からなのでしょう。

 私は、学校に上がる前から、何かを描くことが好きでした。

 想像力がとてもスゴく、※若干かい離的なのでアブナイのですが

 それを絵に描くのが好きでした。

 小学生の頃は、漫画クラブとかに入っていたり、小説もどきの作文を毎日のように書いていたりした記憶があります。

 絵は上手な方だったのですが、思春期になると、なんだかエグイ作風になりそうなので、絵をやめて、作文の方に移った記憶があります。

 なんとなく心が荒れているのが分かっていたのでしょうね。それを表出することをはばかったのでしょう。

 作文だと、表現はずいぶんと難しくなります。

 絵だと直接的に訴えられるところが、文だとそうはいきません。

 この手間が気に入ったのでしょう。生の心からだいぶ距離を置いた形で自己表出できるからですね。

 そんなこんなで、書くこと、自分の頭の中や身体の中のナニカを言葉にして記録すること。

 の魅力に取りつかれた私は、ずっと書いています。

 ひきこもってた頃は、日記を付けていました。

 PCが手に入ってからは、ホームページを。

 自助グループではニュースレターを。

 こもっていた時の記録と自助グループの記録として、『こもって、よし!』を。

 今でのこのブログを。

 書いています。

 そうして、自分の心と身体で感じたことや考えたことを言葉にして記録しています。

 自分を振り返って、なぜ案な気持ちになったのか?
 なぜあんな行動をしたのか?
 どうしてあんな考えをしたのか?
 その時の身体の具合はどうだったか?

 いつも気づきを得ています。
 そのたびに、一つ心が軽くなっています。

 さて、トラウマケアには書くことが効果的だとされています。
 自分に何が起きたか、自分は何をしたかったか、
 自分に何ができたか、自分には何ができなかったか
 相手に何をしてほしくなかったか、何をしてほしかったか、

 いろんな気づきが得られます。

 きっと、書くことが、落ち着いて、主導権を持って思考整理する作業だからでしょう。
 それは、トラウマ反応に拮抗します。

 トラウマに支配されない生活を送る。
 筆記・ライティングは、そのための効果的な手法なのでしょう。

 こう考えると、
 私にとっての筆記・ライティングは、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)