2017年09月21日

少林寺拳法で身体感覚に目覚めた話

 運動音痴だった私聞風坊が、カンフー映画好きが高じて、実際に格闘技を習い始めたら、

 たくさんの学びがあったのですが、

 そのうちの、身体感覚に敏感になった点についてのお話です。

 少林寺拳法は、両足で立つ姿勢が基本なんです。

 その時に、

 踵はハガキ一枚浮かせる。※どんだけ薄いんだ!

 足裏親指の付け根膨らんでいるところに重心を乗せる。
 ※なんてピンポイントなんだ!

 体重は足裏前面に6、踵の方に4の割合。
 ※細かい!

 膝は外に開くでもなく内にしぼり込むでもなく
 心持ち内股を絞り気味で膝頭が正面を向き軽く曲げるけど、爪先より前に出ない。
 ※注文が多い!

 腰は、尾てい骨から地面にまっすぐ杭を打つ感じで軽く沈める。
 ※尾てい骨で杭を打つなんて意味ワカラン!

 なんて習いました。

 あり得ないほど繊細でしょ。

 突き蹴りする際も、これを意識しながらやったんですよ。

 あれとこれをしながらそこかしこに意識を向けて動作するんです。

 今まで経験したことがないほど、自分の体感覚を繊細に意識しました。

 ホント大変。そして今にしてみるととっても意味あることでした。
 
 それは、自分といっぱい対話すること。

 結果、自分の身体の状態をよく察知できるようになりました。

 発達障害分野では感覚統合と言って、複数の動作を連動させる感覚を養うことが自己調和に役立つとされています。

 トラウマケアでは、体感覚と感情の関係を大切にします。

 首肩が堅くなったら、怒りを感じているとか、

 胃のあたりがキュッとなったら、緊張しだしたとか、テンションが高くなったとか、

 みぞおちあたりが落ちくぼんだら、元気がなくなってきたとか。

 少林寺拳法で体感覚に敏感になってたから、感情との関連付けもわりかしスムーズにできるようになりました。

 こもっていたときも、6畳一間で基本の型をやって、体力を維持していました。
 
 気が変になるかならないかのこもる生活の中で、
 ギリギリ平静な世界に踏みとどまれたのも、
 少林寺拳法の経験があったからと思っています。
 鳴謝。
                     結手
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)こもる生活の工夫

2017年09月09日

ひきこもらないようにしていたこと

 久しぶりにひきこもりの記事です。

 こもっている時、どんな風に暮らしていたかというと、

 どうやら、

 ずっと社会と関わり続けようとしていた。

 ようなんです。

 どんな風に?

 私は映画好き読書好きなんですが、不安に押しつぶされてそれができなくなりそうだったんで、
 無理やりにでも映画館で映画を観ていました。
 図書館に行っていました。
 買い物にもよく出かけました。

 自分の意見を人に伝えることができなくなりそうだったんで、
 Webで、アンケートに答えていました。

 人が怖くなりすぎそうだったんで、
 講演会やイベントにはよく出かけていました。もちろん無料のもの。
 公民館講座とかも頻繁に受講しました。
 
 認知行動療法的には、暴露法と呼ばれるやり方だったかもしれません。
 慣れることで、怖くなくなる。という理屈です。

 ポリヴェーガル理論で言うと、社会的関わりシステム(腹側迷走神経系)を作動させていたとなるでしょうか。
 脳の危機感知役の扁桃体はアラームを鳴らしているけど、

 人と関わる場に身を置く。
 人と関わる行動をとる。

 そういうことを心がけていました。

 実際、関わった人たちは優しい人ばかりでした。 
 今改めて考えると、社会常識的にフツーの配慮して関わってくれる人たちばかりだったのでしょうが、
 当時はそんな思いでした。

 そんなこんなおかげで、今はフツーに人と関われています。

 心と身体の状態がひどくならないようにする。
 という自分への思いやりは大事なようです。
  
タグ :健康不安


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)こもる生活の工夫

2017年09月06日

トラウマケアのこと 9 まとめ

 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

 を読んで、自分がこれまでやってきたことと照らし合わせてみるシリーズの一応の最後です。

 トラウマについて、科学的根拠を元に解説とケアの仕方が網羅されている本書は、
 これまで、自分の身に起きているなんとも言えないスッキリしない感じの理由がよく分かります。
 自分はどうにもフツーとは違う。という感覚の理由もふに落ちます。

 例えば、
 トラウマを負うと、アドレナリンの量が減りづらくなるのだそうです。

 一般的に、神経伝達物質とか脳内ホルモンとかは、必要な時に一気に分泌され、状況が終わったらすぐに無くなっているものだそうです。
 アブナイ! と感じた瞬間に自動的にアドレナリンが分泌され、アブナくなくなった。と感じたらアドレナリンは無くなっていきます。

 ところが、トラウマを負うと、アブナくなくなった。と感じづらくなるのだそうです。
 脳の危機感知部分(扁桃体とか)が日頃からものすごく活動的になってしまっているかららしいのです。
 常に、アブナイ! と感じているような状態にいるのがトラウマを負った人。
 
 興奮や、ストレスから解放されづらい脳の状態、身体の状態になっているのだそうです。
 だから、怒りがおさまりづらく、すぐドキドキするし、なかなか静まらないし、いつもイライラしてるんです。

 また、目を閉じると心が静まるのがフツーだとすると、トラウマを負うと気が高ぶるのだそうです。
 危機を感知するために、より耳をすましてしまうからでしょう。

 だから、
 眠りに入ることに困難があります。
 リラックスもできません。

 私は子どもの頃から不眠なんです。

 こんな感じで、トラウマを負った人が感じる
 なんかフツーの人と違う。
 点についても詳細に解説があります。

 全体的にトラウマを負った人への思いやりあふれる筆致です。
 特に、
 「どうせ誰も助けてくれないんだし、自分でやるしかないじゃん」的な、
 虐待によるトラウマを負った人の特徴の、現実的でありつつも多少皮肉交じりの世界観も愛情豊かに受け入れている印象です。
 
 トラウマを負うと、常識世界とは違う、あべこべな世界で生きている感じなんです。
 生きる場所が無い。
 居場所がない。
 ※フツーの世界では。トラウマを負うような世界ならあるけど。
 そんな思いを持っています。

 そんな私たちの思いを代弁してくれる一書なんです。

 さて、
 私は、この本を読んで、たくさんの気づきを得ました。

 特に、これまで自分が興味を持ってやってきたことは、実はトラウマケアだったんだと気づいたんです。

 それは、
 人は、自分をOKにするように、なにかやっている。

 どうすれば自分がOKな状態になるか知っている。本能的に。

 というTAの考えをなぞるものでもありました。

 今、悩みの中にある人。

 なにかやっている日常ささいなことが実は、自分のケアになっているかもしれませんよ。

 スゴイですよ私たちって。
  
タグ :トラウマ


2017年08月31日

トラウマケアのこと 7 タッピング

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 少林寺拳法。
 演劇。
 自助グループ。 
 TA・交流分析。
 筆記・ライティング。
 ときて、今回はタッピングです。

 私は、子どもの頃から自分の名前を呼ばれるのが嫌でした。
 親が私の名前を気に入っておらず、私の名前をとても悔やんでいるのでした。

 だから、親が私の名前を呼ぶ時は嫌悪感が混じっています。

 そして私は、その親の気持ちをいつもいつも直接聞かされていました。

 そんなことから私は、自分の名前を呼ばれることにとても嫌な思いを持っていたのでした。
 
 そんなある日、EFT(エモーショナル・フリーダム・テクニックス=感情解放テクニックス)というトラウマに効果のある技法の講習を受けました。

 嫌な感情を味わいつつ、自分に向けて独特の声かけをしながら、東洋医学のあのツボをタッピング(軽くトントンたたく)するというわりと簡単に取り組める技法だったのですが、

 効果てきめん!

 タッピングしている最中から、もう気が楽になり、あの嫌な胸が重くくぼむ感覚、気持ちが沈む感覚がなくなっていきました。

 ビックリです。

 声かけ用の言葉を編むことが少しコツがいったり、嫌な体験に意識を向け続ける努力がいりますが、

 情けない気持ちでいるにも関わらず私は景色を楽しんでいる。
 みたいに、言葉を編む練習をしていたり、

 私は今、悲しい。怖い。情けない。気持ちを感じている。
 みたいに、感情を味わう経験をすでに重ねていたので、それほど難しく感じませんでした。

 嫌な気持ちにひたることが多い時は今でもやっています。

 私にとってのタッピングは、トラウマケアに効果的でした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月28日

トラウマケアのこと 6 筆記

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々々々回は少林寺拳法体験。
 前々々回は、演劇体験です。
 前々回は、自助グループです。 
 前回は、TA・交流分析です。
 今回は、筆記・ライティングです。

 トラウマに限らず、困難状況に陥った場合、客観的に自分を見直すことは効果があると言われています。
 
 また、筆記・ライティングは心の整理をするのに昔から効果的と定評があります。

 そして、日々の出来事と思いを記す日記を書くことが勧められているのも上記のような理由からなのでしょう。

 私は、学校に上がる前から、何かを描くことが好きでした。

 想像力がとてもスゴく、※若干かい離的なのでアブナイのですが

 それを絵に描くのが好きでした。

 小学生の頃は、漫画クラブとかに入っていたり、小説もどきの作文を毎日のように書いていたりした記憶があります。

 絵は上手な方だったのですが、思春期になると、なんだかエグイ作風になりそうなので、絵をやめて、作文の方に移った記憶があります。

 なんとなく心が荒れているのが分かっていたのでしょうね。それを表出することをはばかったのでしょう。

 作文だと、表現はずいぶんと難しくなります。

 絵だと直接的に訴えられるところが、文だとそうはいきません。

 この手間が気に入ったのでしょう。生の心からだいぶ距離を置いた形で自己表出できるからですね。

 そんなこんなで、書くこと、自分の頭の中や身体の中のナニカを言葉にして記録すること。

 の魅力に取りつかれた私は、ずっと書いています。

 ひきこもってた頃は、日記を付けていました。

 PCが手に入ってからは、ホームページを。

 自助グループではニュースレターを。

 こもっていた時の記録と自助グループの記録として、『こもって、よし!』を。

 今でのこのブログを。

 書いています。

 そうして、自分の心と身体で感じたことや考えたことを言葉にして記録しています。

 自分を振り返って、なぜ案な気持ちになったのか?
 なぜあんな行動をしたのか?
 どうしてあんな考えをしたのか?
 その時の身体の具合はどうだったか?

 いつも気づきを得ています。
 そのたびに、一つ心が軽くなっています。

 さて、トラウマケアには書くことが効果的だとされています。
 自分に何が起きたか、自分は何をしたかったか、
 自分に何ができたか、自分には何ができなかったか
 相手に何をしてほしくなかったか、何をしてほしかったか、

 いろんな気づきが得られます。

 きっと、書くことが、落ち着いて、主導権を持って思考整理する作業だからでしょう。
 それは、トラウマ反応に拮抗します。

 トラウマに支配されない生活を送る。
 筆記・ライティングは、そのための効果的な手法なのでしょう。

 こう考えると、
 私にとっての筆記・ライティングは、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月25日

トラウマケアのこと 5 TA

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々々回は少林寺拳法体験。
 前々回は、演劇体験です。
 前回は、自助グループです。 
 今回は、TA・交流分析です。

 複雑性トラウマとか、発達トラウマ障害とか指摘のある、幼少期からのトラウマによって、
 何かと問題が起きている場合、

 自分の身に一体何が起きているのか?
 そも自分とはなんぞや?
 ということが実感できづらくなっています。

 それに応えてくれたのが、私の場合はTA・交流分析でした。

 何が何だか分からないけど、なんかイイ感じはしない。

 これといって悪い感じはないし、フツーだけどなんかビミョーに気が楽にならない。

 そんな生きづらさを抱いている人は、そのなんかビミョーな感じの理由が知りたいと思うもの。

 謎が解ければいいと願うもの。

 その手順を知らせてくれたのがTA・交流分析でした。

 私がたどり着いた結論は、「親の自分」が批判的なために、「素の自分」のやることなすことに対してケチをつけるので、ほとほと疲れ果てていたのでした。
 もう、生きていられない。というほどに。

 そこで、批判がましい「親の自分」を、肯定的な「親の自分に」変える作業をずっとやってきたというものでした。

 トラウマを負うと、自分から離れます。
 前頭葉とかの自己認知する脳の機能が低下するんだそうです。

 だから、自分のことがよく分かりません。

 格闘技など身体を使う動作はこの体感機能を活性化させます。

 理論派のTA・交流分析は、思考することでこの機能を活性化させます。

 知的好奇心旺盛な私聞風坊は、どっぷりハマり、
 ドパミンやらエンドルフィンやらなんやらイイ感じをもたらす脳内ホルモンがいっぱい出たようです。

 トラウマを負うと、思考する力が落ちます。
 じっくり思考するより、本能的に闘ったり、逃げたりする俊敏性に重きを置くように脳がシフトするからですね。

 これが習い性になると考えない癖がつきます。
 特に自分自身の今の状態について、感じたり考えたり、言葉にしたり、
 いい状態にもっていくことについて、関心がなくなります。

 または落ち着いて物事に取り組むことが難しくなります。
 いつも俊敏にしていたい。焦り、急ぐ、速く。
 ADHDと診断される場合も少なくないと言われています。

 TA・交流分析では、その癖を治します。
 いったん「OK」と口にすることで、取り組んでいた作業をストップして、思考と感情と行動を振り返ることを繰り返します。
 そうして、最良の方法を選択します。

 こう考えると、
 私にとってのTA・交流分析は、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月22日

トラウマケアのこと 4 自助グループ

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々回は少林寺拳法体験。
 前回は、演劇体験です。
 今回は、自助グループです。 

 人間関係でトラウマを負うと破壊されるのが人への信頼感です。

 だから、人に相談しない。治療を受けない。一人で生きていく。

 傷は癒えないまま、生きづらさが増していく展開です。

 30代になって、自分の生きづらさの根源が家族関係にあるとしぶしぶながら認めた私は、

 同じような思いをしている人たちの集まりである自助グループに参加するようになりました。

 そこは、ただ話して、聞いて、帰る。
 と言うシンプルな活動をしているグループでしたが、

 それが一番安心できて、いちばんちょうど良くて、だからありがたかったのを覚えています。

 役目を強く求められない。

 それでいて、その場にいることを歓迎されている。

 素直な自分の体験を口にするだけで、感謝され、みんなの役に立つ。
 
 そんな、とても珍しい場。人間関係でした。

 子どもであるために負わねばならなかった重責、

 屈辱、無力感、頑張り、まわりから期待される私らしさなどなど、

 周囲の大人からいろいろ求められて大きくなった私は、役目を担わされることにほとほと嫌気がさしていたのでした。

 人生を諦めるほどに。

 そんな役目感がない。

 あるとしたなら、自分を癒す役目ぐらい。

 まずはそれ。

 自己犠牲しない。
 まず自分のことをする。
 よく指摘された点です。

 自分を生きる。それが一番重視されていた場。人間関係。

 そんな関係によって育まれた仲間に対する信頼感、思いやり感。

 破壊された人間への信頼感を取り戻す作業は、仲間とともになされました。

 トラウマケアにあっては、他者とのつながりを再構築することがとても重要です。
 トラウマを負わない体験、心が癒される体験をたくさん経験できることがなにより重要なのです。
 リソースなんて言います。

 こう考えると、
 私にとっての自助グループは、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月19日

トラウマケアのこと 3 演劇

 トラウマケアについて自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前回は少林寺拳法体験。
 今回は、演劇体験です。

 中学生の頃、アニメ同好会を作ったり、同人誌を作ったりしたアニメマニアなので、

 声アテという演劇は日頃から慣れたものだった私聞風坊ですが、

 30代になって、演劇ワークショップに参加したのでした。

 舞台役者さんの指導のもと、寸劇に取り組んだのですが、これがすこぶるオモシロく、とってもいい経験になったのでした。

 トラウマを負うと、自分の気持ちや自分の考えなどを言葉にしづらくなります。

 言葉をつかさどる脳機能が働きづらくなることも影響しているでしょうし、

 自分を表出したくないという心理も影響しているでしょうね。

 ところが、誰かの立場に立って、その人の思いや考えを口にすることは割とやりやすいんです。

 もしその誰かが、自分と似ているとしたら?

 それは、自分を代弁することと言っていい。

 演劇は、その機会を提供します。

 私が体験したのは、自分で選んだ配役で、詩を朗読をするというもの。
 その役になりきって、情感を込めて朗読します。

 情感の込め方について、身体の感覚を大切にするようよく指導受けました。

 その役は、大きい人? 小さい人?
 背中を丸めている? 上を向いている? その時どんな気持ち? どんな体勢?

 声を出す前に、まずそんな身体の状態をチェックします。

 同時に気持ちも。

 つまり、心と身体の調和を意識するのですね。

 調和がとれた段階で初めて声を出す。朗読するのです。

 うつむいた姿勢では元気のいい声が出ないこと。

 喜び讃える気持ちのときは、胸を張り顔が上を向いていること。

 力一杯何かを訴える時は、両足を踏ん張ると気持ちがこもること。

 いろいろ学びました。

 演劇ワークショップは、トラウマケアに効果があるそうです。

 私は、自分の心と身体の連携を学び、自分の身体の感覚を、気持ちと関連付けて言葉にできるようになりました。

 それまでバラバラだった心と身体と言葉を、連動させて表現できるようになったのです。

 今の自分の状態を感じ、言葉にすることができるようになること。

 それは、トラウマを負った人が苦手にしているところの、
 自己理解と自己受容ができるようになったということ。
 
 私にとっての演劇ワークショップは、まちがいなくトラウマケアでした。

参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月16日

トラウマケアのこと 2 少林寺拳法

 運動音痴の私聞風坊は、10代の頃、一念発起して少林寺拳法を始めたのでした。

 覚えの悪い私に、
 先生や先輩や同輩が文字通り手取り足取り根気強く関わってくれたおかげで、少しずつ技を身につけていくことができました。

 特に一番指導されたのが体重移動でした。

 今どこに体重がかかっているか?

 これが肝心かなめ。

 足の裏? 右足? 左足? 爪先の方? 踵の方? 内側? 外側?
 細かくチェックする毎日が続きました。

 次が、
 こぶしをしっかり握っているか?
 足の指はしっかり反っているか?
 呼吸と動作が調和しているか?
 右手の動作と左手の動作が連動しているか?

 自分の体感覚を瞬時に感じ取りながら技を繰り出す練習です。

 そして究極、
 相手はどの方向に力を加えているか?
 という風に、相手の感覚も感じ取れるように練習しました。

 これらの練習を毎日毎日何時間も繰り返すことで、

 自分が何を感じているか?

 今の自分の身体の状態はどんなか?

 今の体勢はどんな状態か?

 以前より、敏感に分かるようになりました。

 さらに加えて、
 腹に力を込める練習もたっぷりやりました。

 どっしりと構えつつ人と対峙する。物事に取り組む。

 格闘という戦いの場、恐怖・脅威の場にいて、その中でやっていく。

 そんな経験を、重ねていきました。

 おかげで、対立場面で人と関わる自信がつきました。

 またさらに、関節技で降参する練習もするんです。
 これは、降参しても安全だと言うことを体験することになりました。

 それまで降参は安全の崩壊を意味していましたが、それだけではないのですね。
 降参すれば許してもらえる経験をたくさんしました。もちろん私もたくさん許しました。

 そんなこんなで逃げる感覚も覚えたんです。

 全体として闘い方を覚えた。そんな感じでしょうか。
 それは、裏を返すと闘わないことも覚えたことになります。

 ホント闘うって大変なんです。疲れるんです。リスク高いんです。
 だから闘わない解決方法を探る。そんな気持になりました。

 これらのことをトラウマケアの視点から考えると、

 闘争と逃走という自分の安全を確保するための能力を開発したとなるようです。

 さて、
 人間関係でトラウマを負うと人間と関わることが苦手になります。

 だからケアが受けられず、傷も癒えにくくなります。

 私にとって少林寺拳法は、身体との対話、調和、連動の仕方を学ぶとともに、
 その過程で人とのふれ合い、信頼・協調を学んだ貴重な経験でした。

 それは間違いなくトラウマケアなのでした。

参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月13日

トラウマケアのこと 1 身体

 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

 を読んで、自分がこれまでやってきたことと照らし合わせてみるシリーズです。

 心に傷(心的トラウマ)を負うと、様々な問題が起こります。

 身体との関係が悪くなります。

 幼少期から受傷した、受傷し続けたとすると、身体とのよい関係が築けなくなります。

 どういうことかというと、

 トラウマを負うと、

 ふとしたきっかけで、トラウマを負った体験のまっただ中に放り込まれます。

 過去の恐怖・驚愕・脅威を面前にした体験を、

 今ここで再体験しているその時、身体は当時の状況を再現します。

 自分の身に何が起きているのかまったく分かりません。

 身体は自分の思う通りに動きません。

 それは、いつ起きるか予測がつきません。

 日常ありがちないろいろな音や匂いや味や香りや景色や話題や人の表情や熱い寒い身体に触れる感じなどなどが、
 きっかけとなって、そんな状態に陥るからです。

 フラッシュバックとも言われるこの状態、

 トラウマを負った人は、この状態にいつなるか予測がつかない不安と緊張の中で暮らしています。

 だから、1日、日常を送ることだけでひどく心身を消耗してしまいます。

 そんな状態を改善するために効果的なことは、身体の状態を感じ取ることのようです。

 今自分が、どんな感覚でいるのか? 

 そこに意識を向けることで、フラッシュバックのパニック状態から少し距離が置けるようになるようです。

 脚の裏を床に着けて、床からの圧力を感じる。

 背筋を伸ばして椅子に坐り、座面の感覚や、お腹に力が入る感覚を感じる。

 身体の感覚に意識を向けることで、身体とよく対話できるようになるようです。

 そうしたら、身体が何をしたいかの予測がつく。

 肩周りがこわばっているのでぐるぐる回してほぐしたい。

 胸の辺りが重く凹んでいるので、胸を張って息を深く吸いたい。

 前に手を伸ばして、NO! と言いたい。

 とか。

 身体アプローチと言って、トラウマケアでは、身体感覚をとても大事にします。

 私聞風坊の身体アプローチの最初の出会いは、10代の頃に始めた少林寺拳法でした。

 運動音痴の私は覚えはものすごく悪かった。

 運動音痴。
 今にして思えば納得がいきます。
 身体の感覚にうとかったからです。
 感覚に圧倒されそうだったから、身体感覚を感じないようにしていたからかもしれません。
 身体に関心を持たない。身体を大切にしない。そういう言い方もできるかもしれません。

 そんな私に、
 先生や先輩や同輩は根気強く関わってくれて、年月をかけると私もそれなりにできるようになってきました。

 その話は次回。
  




【お知らせ】
これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。


過去記事
みやchan インフォ
みやchan ホームに戻る
みやchan facebookページみやchan twitter
QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 9人
オーナーへメッセージ
 お手数ですが、携帯・スマートホンなどからの送受信の際は、パソコンからの受信ができるよう設定をお願いします。
 当方からのお返事が送信できないことが時々あるのです。