2018年06月10日

身体の病気は、気持ちの現れかもしれない話

本の紹介です。

『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』
(ガボール・マテ著 伊藤はるみ訳 日本教文社刊 2017)

です。

 医療現場で治療に当たっている著者は、

 ガンや難病などの深刻な身体の病気を患う人たちには共通する点があることに気づいたのだそうです。

 それは、
 人に対して「ノー」と言えない人が多いこと。
 そして、
 怒りなどの感情を抑え込む人が多いこと。

 なんだそうです。

 本音では、
 断りたいけど、人間関係に配慮して「ノー」と言わない。
 そのために、怒りやなどのネガティブな感情を抑え込む。

 心は、
 気持ちは、
 精神的には、

 そうして平気でいる。

 でも、身体は「ノー」と言い、
 怒りを現す。

 病気で身動きが取れなくなるという形で。
 相手を攻撃できない代わりに自分を攻撃する病気を患うという形で。

 こんな風に考えると、

 長患いを抱えているとき、

 心、

 自分の本音

 に、視線を送るのは役立つかもしれません。

 病気という形で気持ちを表現するのではなく、

 健康を害さない形で表出する方法を見つけるのに。
  
タグ :難病感情


2018年06月05日

怒りの裏の悲しみの話

 今回は、
 割と有名な、人の感情の仕組みについての話です。

 怒っている人。
 がいます。

 なぜ怒っているのかというと?

 予想と違ったり、

 約束を破られたり、

 裏切られたり、

 いろいろいろいろ。

 だいたいが、
 自分の思い通りにいかなかったことがあったので、

 それで
 怒ってます。

 私聞風坊もそうです。

 ところが、このあまりにもありがちな展開をよく見直してみると、

 ちょっとおもしろいことを発見します。

 怒りの感情の前に、ほかの感情を感じているようなんです。

 例えば、自販機でアイスの缶コーヒーを買おうとボタンを押したら、ホットが出て来た時、

 ガックリ落胆、
 なにごと? と困惑、
 自販機から裏切られたような悲しみ、

 などを感じていることに気づきます。

 そううしてやがて、
 ムカッとしてくる。

 そして、
 ありえね~! もう暑いのに!
 もっと分かりやすくボタン表示しちょかないかん!

 こうして怒った感覚が前面に出る。
 こんな感じ。

 ということから、
 怒りの感情は、
 気に入らない何かが起きた直後の感情の次、
 に湧いてくるとされています。

 
 ここで大事なことは、
 激しく力強い怒りの感情に隠れて、最初の感情に意識が向かないこと。

 最初に感じた、落胆、困り感、悲しみなどの私の大切な気持ちを無視してしまうこと。
 なんです。

 私の大切な気持ちをちゃんと感じることはとっても大事。

 怒りにまかせて
 私の感情を置き去りにしない。

 ちゃんと感じる。

 これが大事。

 ちなみにTA・交流分析では、この時の怒りの感情をラケット感情と、
 最初に感じた感情をオーセンティック・フィーリング=本物の感情と呼んでます。

  


2018年05月30日

精神科の薬は飲みたくない! の話

 精神科・心療内科に行って、薬を飲み出したら、一生飲まないと行けないから、

 薬は飲みたくない!

 だから、精神科に行きたくない!

 自力で治す!

 という気概によく出会います。

 この気持ち、よく分かります。

 人間一般的に
 だいたいからして、病院には行きたくありませんね。

 だって、
 とりあえず、なんか怖い。
 悪いとこがいろいろ見つかりそうだし、先生からなんか怒られそうだもの。

 とはいえ、
 風邪ぐらいなら気が楽というのもまた事実ですね。
 風邪薬なら、医者の薬でも平気。
 わりと平気に医者にかかれる。

 でも、精神科の薬は嫌!
 というのもまた事実。

 実は、一生飲み続ける薬は珍しいんです。

 そこで今回は、薬の利用についてのお話しです。

 人は誰しも自力で健康に戻す力があるんですが、
    ※リジリエンシーとかリジリエンス力とか言います。

 ところが、
 ストレスが次々にかかると、戻りきれなくなるんです。
 ※当たり前ですかね。

 人は、
 つらいことショックなことプレッシャーがあると、それに対処します。
 健康であり続けるように、活動し続けられるように。

 具体的には、休息や栄養補給などを欲します。
 つまり、疲れを感じるので小休憩をとったり、長めの睡眠をとったりして十分な休息をとるようにしたり、
 食事をしてエネルギーを補給したりします。

 そうして回復するのですね。

 ところが、
 回復が不十分な状態で、新たなストレスがやって来ると、状態は悪くなります。
 損傷からの回復不十分で、疲れが溜まった状態です。

 そんな状態なのに、またまた新たなストレスがかかる。
 回復する間もなく損傷を受け、ストレスにより睡眠不足で休息も不十分。

 この状態が長く続いていると、持ち前の回復力が追いつかなくなります。

 この時なんです!
 薬の力で、回復をサポートするんです。

 薬の手助けで、
 眠れるようになる。リラックスできるようになる。
 すると、休息が増えてくるので、回復しやすくなる。

 すると、
 働き過ぎで疲れ果てていた自前の回復力が勢いを取り戻し、
 自力で十分に回復し、いい状態を維持しやすくなります。

 薬のサポートがいらなくなってきます。

 そうしたら、薬を減らします。そのうち止めます。
 だって、必要ないんだもの。

 そうして、
 薬なしの生活に戻ります。

 これが基本です。

 悪い状態の時にしばらく薬を飲んでいい状態になったら薬を止める。

 胃薬にしてもそう、目薬にしてもそう、下痢止めであってもそう、ケガした時の消毒薬でもそう。
 薬の基本の使い方は共通しています。

 薬は、
 治す手助け。回復力のサポートなんです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年05月15日

他人の中でやっていく話

 『"育つ"こと"育てる"こと -子どもの心に寄りそって』
  (田中哲著 いのちのことば社フォレストブックス刊 2016)

 を読んで心打たれての記事です。

 とりわけ
 「社会的に自立をするとは、知らない人の中でひとりでやっていくことです」(p25-26)
 の一文が印象に残りました。

 不登校・ひきこもりでも生活困窮でもよく目標とされるのが自立です。

 たいがいは、自分で働いて収入を得て暮らしていく経済的自立のことを言いいます。

 厳密に言うとそれは自活なのでしょうが、なぜか自立と呼ばれています。

 そしてそこを目指すのが一般的な支援目標となっています。

 さてこの自立、
 当事者本人の側から言わせると、自立って何?
 となります。

 というのも、
 当事者本人の多くは、経済的な自立以前のナニカで苦労しているからです。

 そのナニカが解決できなくて、またはそのナニカに取り組めなくて苦労しているんです。

 その謎のナニカ。
 この一文でなんとなく説明ができました。

 それは、

 知らない人の中でひとりでやっていく方法

 です。

 私聞風坊を含む当事者本人の多くは、
 これを知らないので、その先の自立がとても困難なのです。
 というか、自立って何? どうやってやるの? 状態なのです。

 私たちは、
 ふと足を踏み入れた
 見知らぬその場で、どう気持ちを落ち着かせ、

 見知らぬ人たちと、どう関わればいいのか?

 が分かりません。
 どう振る舞えば、どう自分を調整すればいいのかが分からず、戸惑うばかりなのです。

 もし、
 自分の気持ちの落ち着かせ方

 自分の気持ちとの折り合いの付け方

 自分の気持ちの奮い方

 を身につけていれば、さほどのストレスなくやっていけるでしょう。
 ※↑本では自己統制と指摘されていました。

 よく考えたら、知っている人の数より知らない人の数の方が圧倒的に多いんです。

 街に出れば簡単に分かります。
 知っている人は時々会うけど、
 知らない人はそこかしこにいっぱい。

 そんな人に、
 どう声かけすればいいか?
  こんにちは。いい天気ですね。

 声をかけられたらどう応じればいいか?
  え? あぁ。郵便局ならこの道まっすぐですよ。えぇ、えぇ、ですが~。いえいえどういたしまして。

 どう協力を求めればイイか?
  すいません、青島方面はどの時刻表を見ればいいですかね? あ、休日だからこれですね。ありがとうございます。助かりました。

 電話の仕方、
 扇風機の買い方、
 ゴミの出し方、

 授業中の質問の仕方、

 なんかよく分からない状態になった時に人に相談する方法、

 暮らしの中でちょっと立ち止まってしまったときにどうすればいいか?

 その方法を知っていると心強いのです。

 自分を頼みにやっていけます。

 その方法を知らないと、とっても不安。
 自信はありません。
 自分を信頼できないからです。
 
 昔は、親やコミュニティーの中で自然と身に付いてきたようです。

 不登校・ひきこもりや困窮などで、他者と触れあう機会が限られていると、

 暮らしていく方法を身につける機会に恵まれません。

 暮らしていく方法を身につける。
 当事者本人たちの自立を考える上で、とても大事なことのように思えます。
 
 ちなみに現在、私聞風坊は、この力だいぶ身に付いてきました。
  


2018年05月10日

人は存在するだけで価値がある。説を考えてみました。

 不登校・ひきこもりをはじめ、生きづらさを抱える人について語る時に、

 ほぼ毎回話題に上るのが、

 人は、

 ありのままでいい。

 そのままでOK。

 存在しててイイ。

 何もしなくてもそのままで価値がある。

 などの、存在すること自体を肯定する考えです。

 オリンピックでメダルを取ったからみたいに、
 なにかをしたから、

 清潔な格好で、TPOをわきまえて人に不快感を与えないように、
 そこにいるから、

 君、スバラシイよ!

 あなたは価値がある。

 という風に、
 周囲が設定した条件をクリアしたから価値を認めるというのではなく。

 何もしなくても、
 どんなありようでも、

 あなたは価値がある。

 というのも、
 もともと無条件に価値があるのだから。

 あなたが存在すること自体に価値を置かれているのだから。

 という考えです。

 で、長年この理由というか、納得のいく根拠にたどり着いていませんでした。

 私はあなたに価値を置いているよ。
 理由なんかないもん。あなたは大事な人だから。
 みたいに、信念や個人の思いはたくさん聞くのですが、客観的な根拠には巡り会っていません。

 なんについても
 客観的な根拠を見つけたがる性分の私聞風坊です。
 そこで、この根拠を考えてみました。

 人が存在する。
 または、そこに人がいる。

 となると、他者はその人を知覚します。

 姿を見たり、臭いを嗅いだり、その人が立てる音を聞いたいり、気配を感じたり、 ※味は・・・ないかな

 つまり、
 いるだけで、誰かの関心をひくのです。

 私たちはみんな。
 人が心を動かすほどの。

 この仕組み、
 モナリザの絵に目がとまる。
 ロダンの彫刻に心打たれる。
 
 これらと同じでしょう。

 人は何もしなくても、存在するだけで、人から関心を持たれる。
 
 逆の立場から言うと、
 関心を払うほどの価値を瞬時に感じるのですね。

 人は存在するだけで、
 モナリザのようについ関心を向けられる、
 人の心を動かすほどの魅力・価値をすでに持っている。

 という人の存在価値についての根拠の話でした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年04月25日

人間不信のおおもとは養育者への不信かもしれない話

 この前、愛着障害の研修を受けたのですが、

 そこで、ふと思ったのが、人間不信の源泉は、

 親などの、

 自分を育てた大人

 への不信ではないかということです。

 生まれてすぐからの赤ちゃんの頃、
 
 世界とのつながりは、自分と接触するナニカを通して感じ取るもの。

 不快な気分の時に、ナニカが現れ、なんかよくなる。

 いつもだいたい。

 そんなことを繰り返すことで、いい状態でいられる感覚を身につける。

 この世に居てもいい感じ。

 時が経ち、そんなときにいつも同じ顔の人がいることを知る。

 その人がいると不快が快になることがなんとなく分かってくる。

 その人に愛着を持つ。

 そんな流れのようでした。

 さて、
 こもる人は、不信感が強いものです。

 社会への、人への。

 そこで、
 家族の内にこもることで、

 もう一度愛着関係を築き直そうとしているのかもな。
 社会への、人への。

 なかなか上手くいかないけど。

 だから何十年もかかってる。

 そんなことを思ったのでした。
   
タグ :愛着


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年04月20日

強みを活かすスタイルの話

 ストレングルモデルとして知られる、その人の強みにアプローチする支援法があります。

 できないことをできるようになるよりも、できること、できていることを伸ばすことに軸足を置くスタイルです。

 できることが増えていくと、できていないことにチャレンジする気持ちができてくるので、

 結果的にできないことが減り、できることが増えるようです。

 きっと、チャレンジする力=ストレングス、を発揮することになるのでしょうね。

 さてこのストレングスモデルアプローチ。

 いくつかのスタイルがあるようです。

 PCが強い、性格が明るい、手先が器用、細かいことによく気がつく、体力がある・・・。

 社会に役立ちそうなストレングスに注目して、それを伸ばしていくスタイルと、

 その人そのものの力強さに注目して、それを活かすようにしていくスタイルと、

 さしあたり2つ。

 そして、結構対照的な2つ。

 前者は、特定のスキルひょっとしたらテクニックをもっぱら伸ばす感じ。

 後者は、根源的な人の力を増進する感じ。

 さて今、
 自立とは、自分の力で自分以外の人たちとよろしくやっていくこと。
 ※参照:『"育つ"こと"育てる"こと -子どもの心に寄りそって』
  (田中哲著 いのちのことば社フォレストブックス刊 2016)


 だとするならば、

 自分自身の力強さをアテにやっていくことになります。

 自分の気持ちが分かる力、

 自分の状況が分かる力、

 人と関わる力、

 人を信頼する力、

 自分と他者と調和する力・・・

 そして、

 それらの力を強くする力も。

 そしてこの時、
 支援者ができること、やらねばならないことはなんでしょう?

 きっと、
 その人が力(ストレングス)を発揮しやすい環境を調えることでしょう。

 そうしたら、

 自分の力で自分を成長させていきます。

 社会でやっていくためのスキルも身につけていきます。

 自分で。

 それは、自立に必要なこと。  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年02月25日

フツーになりたいというよりフツーを知りたい話

 カウンセリングなどの支援現場で、

 フツーになろうと頑張る必要はない。

 ありのままでいい。

 というアプローチがあります。

 自分以外のナニモノかになろうと精一杯努力しても、結果が出ず、

 むしろ心と身体を傷めることからです。

 だから、
 フツーになるより、自分になっていくことが勧められますね。

 さて、
 これとは別に、単純にフツーを知りたい欲求があることもあります。

 フツー、どうするの?

 一般的にはどうなの?

 ただ知りたい。

 常識を。

 一般的なやり方を。

 共通の考え方を。

 虐待など、フツーとは違う環境で育った人たちは、この感覚を持っているかもしれません。

 節分って、フツーどうするの?

 ひな祭りって、フツーどんな感じ?

 ただ知りたい。

 なぜなら知らないから。

 フツーに意識を向ける理由は、フツーになりたいだけじゃなくて、

 フツーを知りたいだけのこともあるようです。

 一概に、
 他人のことは気にしなくて、自分の花を咲かせなさい。

 とはいかないことを知っておくことは、支援する時に大事だと思っています。
  
タグ :フツー


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年02月20日

邪悪がまとわりついている感覚の話

 子どもの頃、オーメンやエクソシストなどのオカルト映画では、

 邪悪に取りつかれた主人公が、周囲の人に害悪をもたらしました。

 その主人公は、悪ではないにも関わらず、行くさきざきで自分と関わる人が不幸になるのです。

 まるで自分が邪悪な存在であるかのように。

 虐待や犯罪被害を受けた人は、自分に関係することで恐ろしいことがしばしば起きるために、

 自分が邪悪だ。

 悪に穢されている。

 悪がまとわりついている。

 と考えている人は少なくないようです。

 だから、
 誰かと関わるのをやめる。

 そう決断している人も。

 私聞風坊もその1人ですが、

 自分の身の回りに、ホントにいろいろな災難がいつもいつも起きるので、人と親密になることを基本控えているのです。

 なんだか邪悪が住み着いている感じ。

 常に邪悪に触れていて、邪悪を常に身近に感じていて、邪悪とともに生活していて、だから自分が忌避される存在であるような感覚を持っていて、

 社会のために。誰かのために。

 近づいてはならない。

 そんな思いを持っていて。

 ひっそり暮らしている被害者は少なくないようです。

 私自身、

 自分の身の回りで怒ったやっかいごとやおぞましいことは、

 親などの周りの大人が引き起こしたことだったことに気づいたのは最近です。
 
 どうしようもないやっかいな人たちにまとわりつかれていたこと。

 に気づいて、少しばかり誰かと近づくことのわだかまりが取れた思いです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年02月10日

欲にまみれた支援をしてはなりませんの話

 カウンセラー

 相談員

 教師

 医師

 看護師

 セラピスト

 コンサルタント

 弁護士

 柔道整復師

 鍼灸師

 心理士

 サポーター

 支援員

 などなど、

 誰かの手助けをする人たちがいます。

 生業にしていたり、金銭的に無償であったりして。

 その時に肝に銘じていなければならないことがあると思っています。

 それは、自分の欲をよくわきまえていること。

 人助けをしたい。

 この子の笑顔が見たい。

 この子にもっと喜んでもらいたい。
 
 病に打ち勝ってもらいたい。

 権利を大事にしてもらいたい。

 もっと儲けてもらいたい。

 感情を介抱してもらいたい。

 認知のゆがみを直してもらいたい。

 などなどの思いは、すべて、

 支援者側の欲です。

 相手の思いからまったく独立した支援者の勝手な願いです。

 支援の動機がその人にこうあってほしいという願いであったとしても、

 それを相手に押しつけることをしてはなりません。

 相手を自分の欲を叶える道具にすることになるからです。

 この思いはときに、

 私が誰かにご飯を食べさせたいから、ご飯を食べていない子どもを探す。

 そんなことにもなりがち。

 支援者は自分の欲にまみれた支援をしてはなりません。

 自分の欲とよく折り合いをつけて、相手と向きあう必要があるでしょう。

 
  
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【お知らせ】
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