2018年04月20日

強みを活かすスタイルの話

 ストレングルモデルとして知られる、その人の強みにアプローチする支援法があります。

 できないことをできるようになるよりも、できること、できていることを伸ばすことに軸足を置くスタイルです。

 できることが増えていくと、できていないことにチャレンジする気持ちができてくるので、

 結果的にできないことが減り、できることが増えるようです。

 きっと、チャレンジする力=ストレングス、を発揮することになるのでしょうね。

 さてこのストレングスモデルアプローチ。

 いくつかのスタイルがあるようです。

 PCが強い、性格が明るい、手先が器用、細かいことによく気がつく、体力がある・・・。

 社会に役立ちそうなストレングスに注目して、それを伸ばしていくスタイルと、

 その人そのものの力強さに注目して、それを活かすようにしていくスタイルと、

 さしあたり2つ。

 そして、結構対照的な2つ。

 前者は、特定のスキルひょっとしたらテクニックをもっぱら伸ばす感じ。

 後者は、根源的な人の力を増進する感じ。

 さて今、
 自立とは、自分の力で自分以外の人たちとよろしくやっていくこと。
 ※参照:『"育つ"こと"育てる"こと -子どもの心に寄りそって』
  (田中哲著 いのちのことば社フォレストブックス刊 2016)


 だとするならば、

 自分自身の力強さをアテにやっていくことになります。

 自分の気持ちが分かる力、

 自分の状況が分かる力、

 人と関わる力、

 人を信頼する力、

 自分と他者と調和する力・・・

 そして、

 それらの力を強くする力も。

 そしてこの時、
 支援者ができること、やらねばならないことはなんでしょう?

 きっと、
 その人が力(ストレングス)を発揮しやすい環境を調えることでしょう。

 そうしたら、

 自分の力で自分を成長させていきます。

 社会でやっていくためのスキルも身につけていきます。

 自分で。

 それは、自立に必要なこと。  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年02月25日

フツーになりたいというよりフツーを知りたい話

 カウンセリングなどの支援現場で、

 フツーになろうと頑張る必要はない。

 ありのままでいい。

 というアプローチがあります。

 自分以外のナニモノかになろうと精一杯努力しても、結果が出ず、

 むしろ心と身体を傷めることからです。

 だから、
 フツーになるより、自分になっていくことが勧められますね。

 さて、
 これとは別に、単純にフツーを知りたい欲求があることもあります。

 フツー、どうするの?

 一般的にはどうなの?

 ただ知りたい。

 常識を。

 一般的なやり方を。

 共通の考え方を。

 虐待など、フツーとは違う環境で育った人たちは、この感覚を持っているかもしれません。

 節分って、フツーどうするの?

 ひな祭りって、フツーどんな感じ?

 ただ知りたい。

 なぜなら知らないから。

 フツーに意識を向ける理由は、フツーになりたいだけじゃなくて、

 フツーを知りたいだけのこともあるようです。

 一概に、
 他人のことは気にしなくて、自分の花を咲かせなさい。

 とはいかないことを知っておくことは、支援する時に大事だと思っています。
  
タグ :フツー


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年02月20日

邪悪がまとわりついている感覚の話

 子どもの頃、オーメンやエクソシストなどのオカルト映画では、

 邪悪に取りつかれた主人公が、周囲の人に害悪をもたらしました。

 その主人公は、悪ではないにも関わらず、行くさきざきで自分と関わる人が不幸になるのです。

 まるで自分が邪悪な存在であるかのように。

 虐待や犯罪被害を受けた人は、自分に関係することで恐ろしいことがしばしば起きるために、

 自分が邪悪だ。

 悪に穢されている。

 悪がまとわりついている。

 と考えている人は少なくないようです。

 だから、
 誰かと関わるのをやめる。

 そう決断している人も。

 私聞風坊もその1人ですが、

 自分の身の回りに、ホントにいろいろな災難がいつもいつも起きるので、人と親密になることを基本控えているのです。

 なんだか邪悪が住み着いている感じ。

 常に邪悪に触れていて、邪悪を常に身近に感じていて、邪悪とともに生活していて、だから自分が忌避される存在であるような感覚を持っていて、

 社会のために。誰かのために。

 近づいてはならない。

 そんな思いを持っていて。

 ひっそり暮らしている被害者は少なくないようです。

 私自身、

 自分の身の回りで怒ったやっかいごとやおぞましいことは、

 親などの周りの大人が引き起こしたことだったことに気づいたのは最近です。
 
 どうしようもないやっかいな人たちにまとわりつかれていたこと。

 に気づいて、少しばかり誰かと近づくことのわだかまりが取れた思いです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年02月10日

欲にまみれた支援をしてはなりませんの話

 カウンセラー

 相談員

 教師

 医師

 看護師

 セラピスト

 コンサルタント

 弁護士

 柔道整復師

 鍼灸師

 心理士

 サポーター

 支援員

 などなど、

 誰かの手助けをする人たちがいます。

 生業にしていたり、金銭的に無償であったりして。

 その時に肝に銘じていなければならないことがあると思っています。

 それは、自分の欲をよくわきまえていること。

 人助けをしたい。

 この子の笑顔が見たい。

 この子にもっと喜んでもらいたい。
 
 病に打ち勝ってもらいたい。

 権利を大事にしてもらいたい。

 もっと儲けてもらいたい。

 感情を介抱してもらいたい。

 認知のゆがみを直してもらいたい。

 などなどの思いは、すべて、

 支援者側の欲です。

 相手の思いからまったく独立した支援者の勝手な願いです。

 支援の動機がその人にこうあってほしいという願いであったとしても、

 それを相手に押しつけることをしてはなりません。

 相手を自分の欲を叶える道具にすることになるからです。

 この思いはときに、

 私が誰かにご飯を食べさせたいから、ご飯を食べていない子どもを探す。

 そんなことにもなりがち。

 支援者は自分の欲にまみれた支援をしてはなりません。

 自分の欲とよく折り合いをつけて、相手と向きあう必要があるでしょう。

 
  
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2017年12月27日

自分を責めるフラッシュバックのこと

 もっとやれたよね!

 なにやってんの!

 やっちゃいけなかったよね!

 みたいに、過去に自分がやったことを瞬間的に思い出し、

 自分を責める形のフラッシュバックがあります。

 ふとしたきっかけで、自分の日常生活の中にその映像が侵入してきて、

 一気に自分をさいなみます。

 このスタイルのフラッシュバックに長年苦しんできました。

 子どもの頃からです。

 最近ふと気づきました。

 やれて当然ではなかったんだ。

 まだ、到らなかったんだ。

 未熟だったんだ。

 小さかったんだ。

 それが実態。

 ありのまま。

 しようがない。

 それでOK.

 自分が設定したOKライン。
 それは完璧な言動。

 でも完璧にはほど遠かったのです。
 現実の私は。

 そしてそれは普通。

 高すぎる達成目標を後から設定する癖のある私聞風坊は、いつも未達状態。

 私NGなのでした。

 後からハードルを上げて不合格にするのだから、頑張りようもありませんね。

 このフラッシュバックの目的としてはただ一つ。

 自分にダメ出しすること。

 この意図に対抗するために、あるがまま、完璧でない自分を認めてみました。

 そしたら、フラッシュが昔ほどはなくなりました。

 降参する。

 大事な戦略かもしれません。

 TA・交流分析的な視点だと、子どもであるな、するな、やるならば完璧に! の命令に縛られていたとなるかもしれませんね。 

   


2017年11月30日

人と仲良くなる方法

 きっかけは、

 どうやって友だちを作るんだっけ?

 という問いでした。

 そこでこの問いに答えるため、
 
 以前、どうやって友だちを作ったか?

 どんな風に友だちになったか?

 を振り返ってみました。

 一番幼い頃の記憶です。

 なんか楽しそうなことがあったから、

 そこにその人がいたから、

 そばに行った。

 おもちゃを渡したり、

 一緒に遊んだり。

 した。

 のでした。

 これでした。この一事。

 遊ぶ。楽しむ。

 一緒に喜ぶために、

 一緒に喜びを分かち合うために、

 そばによって、なんかする。

 そうしてだんだんと仲良くなっていく。

 気がつくと友だち。

 いろんなことを話したり、相談したり、誘ったり、ケンカもしたり。

 一緒に遊ぶ。
 そこから人間関係を築くのでした。

 もう一つあります。
 一緒に仕事する。
 目標や目的を持った活動を一緒にすることで、
 信頼関係を築き、
 一仕事の後に呑みにいったり、休日に遊びに行ったり、相談したり、恋愛したり。

 そうして仲間を作る。
 仲間となる。

 2つとも動機は同じ。
 一緒に喜びを分かち合いたい。
 というもの。

 それが、
 遊びを通してか、仕事を通してかの違いだけ。

 こうして、
 どうやら、
 人は人と喜びを分かち合うために関わる生物らしいということに気づいたのでした。

 ちなみに私聞風坊は、仕事を通してのパターンが多いようです。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2017年11月27日

なぜ、他人のことばかり気になるのか?

 自分以外の誰かのこと。

 を、

 いつもいつも気にしている時があります。

 どういう時かというと、

 政治の悪口ばかり言っている時、

 我が子の成績ばかり気にしている時、

 プロ野球観戦している時、

 身近な人の世話ばかり気になる時、

 会社の上司の反応が気になる時、

 親の考えをまず聞きたい時、

 クラスメイトの反応が気になる時、

 ・・・。

 形としては、文句を言ったり、批判したり、非難したりかもしれません。

 自分が正しい。自分の方がよく知っている。上位にいる。力強い。

 でもひょっとしたら、本音は怖さを感じているからかもしれません。

 哺乳類である人間は、自分を守るために、身の回りの危険を察知する本能が発達しています。

 まず安全。

 これを確認してから行動します。

 それができるまでは、相手に意識を集中して、ひたすら危険度判定、脅威評価を行います。

 戦うか、逃げるか、じっと身を潜めるか?

 こう考えると、

 他人のことばかり気にしている時は、

 他人を脅威を思っているのかもしれません。

 他人が引き起こす危険に自分の安全が脅かされていると感じているかもしれません。

 ひいきの野球チームが負けると、自分の幸せ感がどこかへ飛んでいってしまう。
 そんな恐怖を予感しているから、自分が監督のようにテレビに向かって指図しているのかもしれません。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2017年11月24日

寄り添う支援のこと

 誰かを手助けするやり方について、

 問題の解決法をアドバイスし、問題の答えを出し、
 代わりにやってあげたり、尻をたたいたり、背中を押したり、手を引いたりするやり方と、

 相手の気持ちを汲み、相手が物事に取り組むペースに合わせ、
 相手の優先順序を尊重し、アドバイスも控え、相手が答えを見つける手伝いをし、
 基本的にそっと見守るやり方があります。

 前者は指導型、後者は寄り添い型の支援と呼ばれている手助け法になるでしょう。

 さてこの寄り添い型を実践するにあたって必須の心構えがあります。

 それは、

 相手の能力を信頼すること。

 前者の指導をしたくなる時は、

 なんらかの相手の能力を低くみていることが多いもの。

 裏を返せば、自分の能力が相手より勝っていると無意識に思っている。

 支援する立場にある皆々様、

 ご注意をば。


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2017年11月03日

子どもの望ましい行動を伸ばすためにほめられるなんてイヤだ! の話

 行動理論にもとづいた子育て支援、不登校支援、ひきこもり支援の思想に、

 子どもの望まし行動と、望ましくない行動をよく見極めて、

 望ましい行動をした時は、究極的には相手にしないなどの最低限の関わりに留め、

 望ましい行動をした時は、しっかりほめる。

 というのがあります。

 すると、子どもは望ましい行動を繰り返すようになるからですね。

 極端な例を挙げると、
 食べ終わった茶碗を流し台に持っていくとほめる。

 学校に行くとほめる。

 外に出るとほめる。

 そんな感じです。

 さて、このやり方、子どもの立場になると、ちょっとムカつきます。

 動物の調教よろしく、芸をするとえさをあげて、芸をしないとえさを与えない。
 原理はこれと一緒だからです。

 どの芸をするか、どんな風に芸するか?

 それを決めるのは調教師。

 どの学校に行くか、どんな風に学校に行くか?

 どんな風な行動をすればいいのか? 悪いのか?

 決めるのは、親や教師や支援者です。

 子どもが望む行動ではなく、親や教師や支援者が望む行動をするとほめられ、そうじゃないと軽く無視される。

 なんだか、バカにされている感じ。

 だからか、自分がやったことを「望ましくない行動」なんて言われると、
 逆にやりたくなってしまいます。

 どうせ望まれないんだから、勝手にやらせてもらうわ! なんて風に。

 もっとゲキしてくると、

 テメーが勝手に決めてんじゃネーよ!

 とジョジョ的な物言いになってしまいます。

 これ、両価性の原則と言ったりします。

 一方に肩入れすると、もう一方の気持ちが強くなるんです。

 では、
 どんな風にすればイイのでしょうか?

 我が子を含め他人様の行動を、望ましい行動、望ましくない行動と判断したのは、ほかならぬ私。

 実は私の主観。

 一方の主観はOK、一方の主観はダメ。

 こんな風に、主観と主観がぶつかり合うから上手くいかないようなんです。

 ならば、主観を合一させればいいように思えます。

 それは、
 「私が思う望ましくない行動」
 「私が思う望ましい行動」
 から
 「私たちが思う望ましくない行動」
 「私たちが思う望ましい行動」

 を話し合い、合意するとなる作業でしょう。

 そうなると、
 私たちが思う望ましい行動をとるためなら、

 少しばかりの損害も引き受けられることでしょう。

 なぜなら、
 望ましい行動をとった結果得られる喜びは、一人自分だけでなく

 私たちで共有できるのですから。

 一緒に喜び合えるのですから。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2017年10月27日

イジメとからかいの境目の話

 その行為は、
 イジメているのか、からかっているだけなのか?

 境目はあいまいです。

 そもそも、多少のからかいはOKという認識だからですね。

 ちょっとしたいたずらは許されるのが人間、人類としてのデフォルトだからなんでしょう。

 でも、やりすぎてはなりません。

 やり過ぎると、イジメになったり、暴力になったりします。
 だから、その境目はとても大事。
 そしてそれはとてもあいまい。

 さて、
 その境目の基準となるのは何か?

 それは、からかわれた人の気持ち、思いとなるようです。

 そのため、
 相手が嫌がったらなんでもイジメになる。

 みたいな風潮があります。

 かつて、セクハラが知られ出したころ、女性に「髪切った?」と訊くことがセクハラだと物議をかもしたことがあったように記憶しています。
 「髪切った?」
 と聞かれた女性が少しでも嫌な気持ちを持ったら、即セクハラになってしまう。大問題だ! みたいに。

 そのため、女性のことに対して何も口にできない雰囲気も一時期ありました。

 イジメについても、相手が嫌だったらイジメになるという理屈で言うと、
 嫌だと思えばなんでもイジメになるし、

 もし、
 嫌だと思いません。
 と返答すれば、どんなひどいことでもイジメではなくなりそう。
 
 そんなこんなで、嫌だと思えばハラスメント・イジメになるという説には私聞風坊は慎重なのです。

 そんな折、やめてほしいと思えばイジメになると言う判断があると知りました。

 LITALICO発達ナビさんの記事です。

 これによると、
 「悲しい」や「やめてほしい」と思うかどうかも判断の基準になるとのことです。

 嫌だけど、我慢できるからいい。と言う理由で嫌とは思わない・言わない場合でも、

 悲しい。とは感じるかもしれません。
 なんか涙が出る。うつむく。言葉にならない元気がなくなり感から。

 そして、

 やめてほしい。

 そうじゃないやり方ならなおいい。もう少し軽くなら大丈夫。
 だから、今のはやめてほしい。今までのはやめてほしい。

 こんな感じだと、どんな風にしたら、よい関係が築けるかの提案ができそうです。

 髪切った? と言う時は、さらりと言ってほしい。失恋しただろうなんてうがった思いはナシで。
 みたく。

 今回は、相手に害を加え続けることを主な目的とする悪意を持ったイジメとは別の、からかいがイジメになってしまう場合について考えました。
 前者は純粋な暴力です。
   
タグ :イジメ境界




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