2019年03月20日

ほめてもムダな人の話

 自己肯定感や自尊心などを高めるために、

 最近大ブームの「ほめる!」ですが、

 こもっている人の中には、

 ほめてもほめても自己肯定感や自尊心が高まらない人がいます。

 この時、
 自己肯定感が低いからこもっているんだ! と判断した支援者は、

 肯定的な面を強調し、いい評価を与え、
 つまり、ほめます!

 支援者の意地にかけて。

 でも、
 何年も辛抱強く、諦め悪く、ほめ続けても、
 徒労に終わることが少なくありません。

 なぜなら、ほめられる本人が望んでいないからです。

 ほめられることを。

 肯定的な評価を。

 プラスのストロークを。

 自己肯定感が強いと言うより、自己否定感が強いからかもしれません。

 だから、肯定的なメッセージを受け付けないのでしょう。

 試みに、否定的なコメントを言うとたいがい受け付けます。

 そうね、それもできなかったね。あぁ、あれ嫌だったね。それ、嫌いでしょ。

 否定的なコメントについては肯定することは少なくありません。

 ひょっとしたら、否定形の評価ならいいのかもしれません。

 短気ではない。サボらない。ケガをしない。

 逆に、
 辛抱強い。責任感が強い。健康だ。

 という風に肯定的な表現は好まないかもしれません。

 事実の否定的な面にのみ注目する。

 できないことについてだけ意識を向ける。

 嫌な気持ちだけ感じ取る。

 そんな、心の状態でいる人は、

 客観的な評価、社会からの評価がいくら肯定的であっても、

 意味をなしません。

 心に響かないのでしょう。

 一方で、否定的な評価ならば受け容れます。

 自己評価と一致するからでしょう。

 否定的な自己評価に囚われている状態。

 だと、ほめるのはムダ。

 と言うより、

 ほめられるとその反動で、
 いっそう否定的な自己評価が高まる気がします。

 いいや、そんなもんじゃない。もっと自分は悪いんだ!

 って感じで。

 そう、逆効果!

 なんでもほめれば丸く収まる。

 支援がうまくいく。

 なんて安直な思い込みは捨てた方がいいように思っています。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2019年03月15日

寄りそっちゃダメな話

 一般的に、
 誰かを支援する際には、相手に寄りそうことが大事とされています。

 だから、
 支援職は、まず寄りそいます。

 そして、寄りそいます。

 なにがあっても、寄りそいます。

 やっぱり、寄りそいます。

 いつでも、寄りそいます。

 どうしても、寄りそいます。

 それしかやっちゃいけないかのように、

 寄りそいます。

 寄りそわねばならない!

 という呪いをかけられているように。

 否定もせず、肯定して、受容して、傷つけないように、厳しいこと言わないように、

 ほんとは病気なんだけど、その事を言わないように。
 
 ほんとは学力が足りないのだけど、それを言わないように。

 ほんとはそっちの方向だとうまくいかないんだけど、それは言わないように。

 相手の気持ちに寄りそいます。

 そして、状況に変化が起きない。ずっと、今のまま。何年も一緒。

 なんてことは割とありがち。

 こんな風になること、
 特に、ひきこもりや不登校系の支援場面では多い感じがしています。

 それゆえ、
 今ここで、相手の気持ちや行動に共感し、支持し、応援することが、

 人から助力が受けられる可能性を閉ざすことに、
 協力することにならないか?

 結果的に、
 支援者である自分の寄りそいが、
 心や身体の健康を害することに協力することにならないか?

 と、
 寄りそい・共感を批判的に考え直してみることは重要に思えます。

 例えば、
 ひきこもることで、安全を確保し、自分の心や身体を守っている場合、
 数十年これをやっているとデメリットの方が上回るようになります。

 動かないと身体は働きが悪くなります。
 また、
 社会と関わらなないと孤立により他者からの手助けも得られなくなるからです。
 ※自分がここにいる事を知っている人がとても少なくなる。

 それは、心と身体の健康を害することにつながります。

 だから、
 こんな状態になっている時、そうなりそうな予測ができるとき、
 ありきたりに共感、受容しちゃダメなんです。

 もし、ありきたりに共感受容すると、
 相手は、今のままでイイんだ、今のやり方しかないんだと思っちゃうことになりがちだからです。

 だから、
 支援する人の責任として、

 今後のリスクなり、予想されるデメリットなり、

 今のやり方以外の方法なり、

 を伝える必要はあると思っています。
 ※説明責任なんていわれてます。

 それは、
 相手が自分を否定されたと思うリスクをはらんでいます。

 それでも、伝えねばならないと思っています。

 それが、責務だからです。 
 ※支援職としておまんまくってる人は特にそうですね。

 傷つけないように、傷つかないように、当たらず障らずで、

 相手の自己回復をひたすら待つ。

 という関わり方は、この責務を果たしてないかもしれません。

 回復する力が弱っている相手には、
 こちら(支援する人)の助力が強く要されるというのは事の道理。

 だからとりわけ、
 支援職は、腰の抜けた寄りそいじゃなくて、

 腰のすわった、リスクを引き受けた寄りそい方が求められているように思えます。

 相手の困難の度合いが強ければ強いほど。

 支援する人には、心の強さ・タフネスが必要なようです。

   


2019年03月10日

眠れないのは、眠ることが恐怖だからかもしれない話

 寝入りが難しい。床に入って数時間眠りにつけないこともある。

 寝ても1~2時間で起きてしまう。

 朝、とんでもなく早く起きてしまう。

 いつも眠たい。なんだかすぐ眠くなる。ときにたまらなく眠くなる。

 と言う状態がフツーの状態になっている人は少なくないようです。

 ひきこもりで有名な昼夜逆転生活も、ある意味眠りの問題です。

 さて、この眠りの問題、

 人間は、起きたら数時間後に眠くなると言うリズムを持っています。

 このリズムが乱れることで眠りの問題が起きることがあります。

 この場合は生活リズムを整えることで対処します。

 同じ時間に起きて、同じ時間に食事して、同じ時間に仕事して、運動して、入浴して、同じ時間に眠くなってみたいに。 

 一方で、
 気持ちの問題から眠りの問題を抱える場合もあります。

 緊張が続いているとよい眠りが取れません。

 悩みごとが多く、深く、気になってしょうがないと、おちおち寝ていられないからです。

 考え事をして寝入りが悪くなり、

 気が安らいだ状態で寝入ってないので、ほどなく起きる。

 ときに悪夢を見て起きる。

 そんなこんなで朝早く起きてしまう。

 または、
 眠ることがとっても怖いから眠れない、眠りたくないという場合もあるようです。

 眠った状態は一番無防備な状態です。

 意識を無くすので、周囲を警戒することができません。

 少しでも警戒しておくために、気を高ぶらせた状態で眠りにつかねばなりません。

 いざというときにすぐ行動できるように、緊張を保ったまま眠らねばなりません。

 自分の安全のために。

 眠ることに抵抗がある。

 リラックス、心を安らげることに恐怖を感じる。

 そんな眠りの問題を抱えた人も少なくないようです。

 きっと薬は効きづらいでしょう。

 薬で眠ったら怖いことが起きそうなんだもの。

 自分の眠りの問題のパターンを知ることは大切です。



  
タグ :不眠恐怖


2019年02月15日

牙をむく行為は、暴力を防ぐためかもしれない話。

 示威行為とか、威嚇とか、牙をむくとか、にらむとか、

 と言う行為は一般的には控えた方がいい行動です。

 なぜなら、暴力的だから。

 そうなんです。

 暴力的。

 ということは、
 実際に暴言や暴力をふるってはいないのです。

 その前、

 直前なんです。

 ここから紙一重で暴力に及びやすい状態ではありますが、

 まだ暴力していないぎりぎりの状態。

 さて、
 暴力直前のこの状態の意味と言うか効果について考えます。

 私は怒ってる!

 暴力するぐらいだ!

 と言う表明です。

 それを受けた相手は、ちょっとビビります。

 その瞬間、激突しそうなやりとりに一瞬の空白が生まれます。

 ここが大事!

 牙をむく行為である威嚇は、一瞬立ち止まり、行動に移ることを躊躇させる効果があるようです。

 それは、緊張がエスカレートした次の段階である暴力から少し距離を置くこととなります。

 本当にやるの!?

 本当にやるぞ! いいのか?!

 と言う問いを相手と自分に投げます。

 そうして考え直す機会を作ります。

 この段階で、緊張をほぐし、融和への道を進むことは懸命です。

 平和を目指す。
 これが威嚇の真の目的かもしれません。

 だから、動物にはこの能力がデフォルトとして備わっているのでしょう。
 テレビや日常で牙をむきあう動物たちを見かけることは、そう珍しくはありません。

 一方で、威嚇から暴力・闘争に発展することは少なくありません。

 だからら、
 威嚇が暴力の合図、

 牙をむいたらやってイイ証拠。

 なんて風に思っている場合も少なくないかもしれません。

 でも、
 私たちにそなわっている威嚇、牙をむく能力の本来の目的・意図は違うようです。

 どうやらそれは、
 衝突を防ぎ、暴力をしないため。

 つまり、
 平和のためのようです。

 とはいえ、牙をむかなくてすむ、より緊張が低い自己主張の仕方はあります。

 私は少し怒っています。

 と怒りの感情を言葉で落ち着いて伝えるやり方です。

 実はこれで十分。
 相手は一瞬躊躇します。威嚇と同じ効果。でも、暴力的ではない。

 そして、
 お互いに衝突を避け、緊張を緩める方法を考える機会を提供します。

 暴力しないやり方はいくつもあるという話でした。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2019年02月10日

親の望ましい行動を強化する話

 子育てやひきこもり支援などで話題の「行動の機能分析」についての記事です。

 一般的には、子どもの普段の行動を親が観察して、

 どんな状況で、どんな風に考え・感じて、どんな行動をして、どんないいことがあって。

 ということを分析し、

 行動のうち、望ましい行動についてはほめると言うことを繰り返すことで、

 望ましい行動=学校に行く、会話する、運動するなど

 を増やすために行います。

 これを、
 子どもの立場から、親に対してやってみたらおもしろいと思ったのでした。

 うまくいけば、
 親は、なぜ自分にいつもいつも嫌がることをしてくるのだろう?

 の疑問の答えが見つかるかもしれません。

 例えば、朝起きていったら、親からため息交じりに
 「今日ぐらいバイト探しに行ったら?」
 と言われたので、ムカついて椅子を蹴っ飛ばして部屋に戻ったとき、

 親は、朝、自分が起きてきたのを見て、
 これは今しか言う機会がない!
 と思って、
 「バイト探しに行ったら?」
 と言ったところ、
 ずっと言えなかったことが言えて気持ちがスッキリした。

 となるでしょうか。
 こんな気持ちの動きがあっての発言だったのだろうと想像します。

 この時、
 今しか言う機会がない! と思ったのだろうと想像することがポイントなんです。

 この切羽詰まった感じ。追い込まれている感じに。
 
 一言でいうと、心に余裕がない状態。

 だから、
 子どもの事情を重視せずに、自分の思いを口から発した。
 そうして胸のつっかえが少しとれた。
 短期的に利益を得た。

 でも、そのことで、子どもは遠ざかっていった。
 少し長い目で見ると子どもとの関係が悪くなってしまうという損害を被る行動だった。

 決して悪気はないのに、望んでもいないのに、
 悪い結末を招く行動をとった親。

 子どもの側にしても、
 親との関係がこれ以上悪くならないことを望む人は多いはず。※きっと
 
 そこで、
 この親の切羽詰まった気持ち、
 心に余裕のない状態を思いやりつつ、

 子である自分の思いを伝え、要望する形で解決策を伝えるために、
 言葉を編んでみます。

 今しかないと思って言ったんだろうけど、今はその話は止めてほしいんだ。
 別の時にその話をしようと思ってるから、
 今は、気分よく一緒に朝を過ごさない?

 こんな風に応じるのはどうでしょう?
 こんな応答ができたら、親子関係が変わってくるように思えます。

 今の状況と、相手の気持ちと、自分の気持ちと、要望を伝えるのですね。

 こんなオトナな返し方。身につけといたらいいんじゃなかろうか。

 親に求めず、自分ができるようになってもいいんじゃなかろうか。
 
 と思ったのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2019年01月30日

心底嫌いなことの理由が腑に落ちた話

 記事で何度か書いていますが、

 車の運転が大っ嫌いだったのですが、

 その理由がようやく分かったのでした。

 至極単純。

 私が車の運転をしないと親がゆるさなかったからでした。

 無理やり免許を取り、

 無理やり運転し、

 無理やり好きになろうと数十年頑張ってきたのですが、

 親がうるさいからと、

 自分の気持ちを押し殺したせいで、

 嫌いだったのでした。

 今は、それが分かってだいぶスッキリ。

 自分の気持ちで運転できるので、とっても楽ちん。

 みんなこんな感じで運転してるんでしょうね。

 30年の謎の苦痛から少し解放されました。

 親の影響ってホントにスゴい。

 ってことを実感したのでした。

   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2019年01月25日

不登校やひきこもりの原因を探る際のポイントの話

 不登校やひきこもり理解、支援に当たって、

 原因探しはよくない。

 と言われることがあります。

 気がつくと犯人捜しになっているからかと思います。

 あぁ、うちの子が弱かったからじゃ。

 やっぱり、親の関わりが悪かったからじゃ。

 先生が、いかんこつばっかいスッでよ~。

 とはいえ、原因が分かるとどうすればいいのかがなんとなく分かってくるのも事実。

 そんなこんなを考えていたら、ふと思いつきました。

 不登校やひきこる原因ではなくて、

 今、学校に行こうとしていけない原因または理由、

 今、まさに外に出ようとして、

 今、誰かと関わろうとしてそれができない原因または理由、

 を考えることはとても役立つのではないかと。

 昔の苦労の原因じゃなくて、

 今ここでの苦労の原因探しです。

 身体が固まってドアを開けられないのなら、一息ついてリラックスする。

 部屋の中には入る瞬間にドアノブを見つめて立ちすくむのなら、部屋の中から信頼できる人が手招きして迎え入れる。

 そんな風にできるのではないかと思ったのでした。
   
タグ :原因今ここ


2019年01月20日

世の中は、標準と比べて成り立っている話。

 しばらく前、不登校のイベントでお話しさせて頂きました。

 その発表を考えるときに、思い至ったのが、

 世の中には、ありとあらゆる標準があり、

 私たちの社会は、その標準と照らし合わせながら動いているんだと言うことです。

 そこで、今回は標準についてのお話しです。

 以下、今の日本の標準を列挙すると、

 6歳になッたら学校に行く。

 20歳になったら成人になる。

 食事は日に3度。

 健康診断は、最低年に1回。

 睡眠は6~8時間、まとめて。

 日中活動して夜間は休息。

 服を着る。

 日本語を話す。

 男女の別がある。

 世帯を考える際は、夫婦2人と子ども二人のサラリーマン家庭。

 などなどなど。

 自分がこれらの標準からズレた場合、

 なにがしかの違和を感じるようです。

 時に疎外感だったり、

 ひとりぼっち感だったりも。

 また、人がこの標準からとても外れ、その期間が割と長くなったら、

 それは、異常とみなされます。

 病気とかケガとかとみなされ、治療することが標準となります。

 そうして健康を目指すのが標準的な考え、日本人のありよう。

 同様に、学校に行かないことは異常とみなされ、学校に行くよう働きかけがなされます。

 また、
 人は生まれてから死ぬまでどんな形であれ社会参加することが標準となっているので、

 そうでないひきこもり状態の人、独居老人、働いていない人、孤立している人には、

 社会・他者と関わるよう働きかけがなされます。

 ところが、
 
 働きかけられる当の本人たちは、これを嫌がることがままあります。

 標準的な暮らし、生き方で苦痛を味わい続けたからです。
 ※この段階ですでに標準的ではありませんね。

 こんな状態の人たちは、ただ標準を示されるだけで圧力を感じることは珍しくありません。

 学校に行くという標準の提示から、学校行かねばならない。

 学業を終えたら働くという標準の提示から、働かねばならない。

 人は誰かと関わるという標準の提示から、誰かと関わらねばならない。

 と、圧力を感じ、息苦しさを感じる。

 そうして、社会から遠ざかる。


 標準的になるよう働きかける側の人たちは、つまり社会は、

 自分たちがこのような圧力をかけてしまっている可能性が高いことを、

 また、本人たちは、ただの標準の提示かもしれないこと、

 同調を求めているとは限らないこと、

 そして、
 標準の範囲は思っている以上に幅があること、

 などを意識することは大事だと思っています。

 上下のイメージの強い水準とは違う、ただの基準としての標準の話でした。
  


2019年01月10日

期待をするかしないかが人間関係理解のかなめのような気がする話

 不登校やひきこもりをはじめ、人と人との関わりについての悩みは、とても多いようです。

 なので、ちょくちょく人間関係について考えるのですが、

 ある時ふと思いついたのです。

 期待

 がポイントではないかと。

 期待する。

 期待しない。

 期待されない。

 期待を裏切る。

 期待に応える。

 期待に応えられない。

 期待に応えようと頑張る。

 けれども期待通りの評価がされない。

 などなど。

 不登校やこもる人たちのテーマは、
 親や社会の期待に応えるか?
 応えられるか?
 応えたくないか?

 だったりします。

 一方で、親や社会は、
 不登校やこもる人たちに期待するので、不登校やこもる人たちへプレッシャーを与えることになってしまいます。

 じゃあだからといって、
 相手に期待しなければ問題解決かというと?

 親や社会から期待されない自分。
 って、どうなの?

 って疑問を持ちそう。

 なんだか、
 自分の存在価値に響いてい来る感じ。

 世の中、
 孤立が問題となっています。

 孤立って、
 社会から期待されない状態でもあります。

 期待に押しつぶされることもあるけど、
 期待が励みになることもある。

 人間関係を読み解くポイント、キーワードに「期待」があるような気がしています。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2019年01月05日

痛みにも意味があると思っている話

 病を得て、

 ケガをして、

 大切な何かを永遠に失って、

 心と身体が痛みを覚えるとき、

 その痛みは過去の大切な思い出につながっている。

 だから、

 その痛みを手放すことは、

 過去の大切な思い出、思いを手放すこと。

 それは、もう本当に耐えられない喪失感。

 耐えがたい痛みをともなう。

 と無意識に予想しているからかもしれません。

 あえて、

 治療せず、

 回復の道と呼ばれるものを歩まず、

 ただただ痛みを味わいながら暮らしていくのは。

 痛みを感じるたびに、

 昔の出来事に触れてもいるのでしょう。

 ひょっとしたら、

 昔感じられなかった痛み、

 その時は感じることすらゆるされなかった痛みを、

 今、感じているのかもしれません。

 悼んでいるのかもしれません。

 あの頃の自分にやっとあわれみを感じることができる今。

 つらかったね。

 痛かったね。

 よく頑張ったね。

 大変だったね。

 よく辛抱したね。

 えらいぞ自分。

 そう言えるようになるために、

 今しばらく痛みを感じ続けているのかもしれません。

 ふと、そんなことを思いました。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング


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