自分って、いつも現場にいるなと思った話

2020年01月02日

 20年近く前から10年ほどは、当事者としてなんやかややってました。

 10年近く前からどちらかというと支援側になり、

 現在は、支援者として、なんやかややってる聞風坊です。

 この状況、
 一般的には、立場が逆になったと解釈されます。

 患者と医者。

 生徒と教師。

 でも、
 実のところ気持ちはそんなに変わってないんです。

 面と向かうときは、境界は感じています。

 支援者と当事者の境界です。

 でも、結局同じ土俵にいる感じなんです。

 当事者という立場か、支援者という立場科の違いはあれ、

 同じ土俵に立って、一緒に何かやっていく。

 課題を達成できるように。

 問題を解決するために。

 健康になるために。

 楽になるために。

 考えを整理するために。

 気持ちがすっきりするために。

 ・・・その他諸々。

 現場にいる。

 そんな思い出いつもやってます。

 きっと今年も。
  


子どもを利用する親とそんな親を利用する子どもの話

2019年12月25日

 親の子どもの利用法。

 跡取り。つまり自分たちの保全。

 自分たちの面倒をみる。

 手下。

 気持ちのはけ口。



 そのために子どもを作った。


 ならば、こちらも親を利用させてもらう。
 それでイーブン。

 子どもの親の利用法。
 唯一。

 自分を養う。
 ※生きさせる。


 そのための約束事。

 ヒドい仕打ちをしていい。


 この契約の終わり。

 どちらかが終わりを言い出したとき。


 愛情で結ばれていない親子。

 利害関係でのみの親子。

 利用価値があるならば親子。

 なくなったら契約解消。関係消滅。
 緊張感ある親子関係。
 安らぎのない親子関係。

 お互いに利用し合って数十年。

 子どもがこの契約の終わりを告げた。

 ひきこもることで。


 自分の原罪感の根源が親しい人を利用することだと知った。

  


家族が社会化しすぎるとまずいように思う話

2019年12月17日

 社会のことを考えて、自分の行動を律する。

 相手のことを思いやって、してはならないことをせず、すべきことをやる。

 自分の、欲求を少し抑えて。

 こんなのを社会化するとか、

 社会性があるとか言うようです。

 社会で受け入れられるような言動をする。ってことですね。

 望ましい行動なんて言われることもあります。

 さて、
 こもる人の家族は、世間体を気にする。

 とよく言われます。

 社会的に正しいことをしていない自分の子ども兄弟姉妹を

 恥ずかしいと思い、望ましくないと思うのです。

 社会を軸にした考え方。
 で、家族の有り様を決めています。

 社会を基準にした家族のあり方。
 ですね。

 社会が一番優先。

 社会のために生きる。

 そんな気持ちもあるかもしれません。

 それは大切な生き方です。

 同時に、自分たちのことを軽んじるリスクをはらんでいます。

 社会よりも家族のことを優先する。

 そんな場合は必ずあるでしょう。

 家族が痛みを抱えているときです。

 そのときにも、社会のことを優先するとしたら、

 社会を軸にした考え、言動だとしたら、

 家族の痛みはいやまし、

 家族の傷は深まるばかり。

 人様に顔向けができないという恥の感覚を持つから。
 または、
 社会のお役に立てれば幸いだから。

 社会を優先する暮らしをする。

 それによって、家族が後回しにならないように、

 いつも気をつけねばならないなと思ったのでした。
  


ひきこもり期間を一言で言うと

2019年12月13日

 ジェイソン・ボーンシリーズは私の好きな映画です。

 記憶をなくした主人公が、自分の出自を探っていく話です。

 ふと思いました。

 自分が、ひきこもっているときにやっていたのもこれだと。

 自分が、
 どんな風にして作られてきたかを確認する年月。

 ジェイソン・ボーンが
 CIAの秘密プログラムによって、どのように自分は作られてきたのか?

 何をされてきたのか?

 何をされずにきたのか?

 何をやってきたのか?

 何をやらかしてきたのか?

 何をやらずにきたのか?

 ぶつ切りの情報をひとつひとつつなぎ合わせて記憶を組み立てていく。

 それは新しい自分自身を手にしていく作業でもある。

 どんな風に自分は作られてきたか?

 親の希望に添って作られてきた。

 自分の希望に添って生きていくための年月。

 それが、
 ひきこもりから再度社会と関わりながら暮らすようになっていった期間。

 20年。

 ひきこもりの期間を自分のためにどのように使うか?

 私聞風坊は、
 自分再構築のために使ったのでした。

 こもる皆さん、お試しあれ。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

不登校解決を子どもにばかり押しつけるのは無責任

2019年12月09日

適応障害。と言う病名があります。

 学校や職場や友だち関係や
ときに家庭に適応できないことで起きるとされています。

 環境に適応できないことで、
心や身体にひどい苦痛が生じているのですね。

 そのため快復には、
環境を変えることと、環境に適応できるようになることの
どちらか、またはどちらもやることが一般的です。

 現在、
 不登校は、学校に適応できない子どもが悪いので、
適応するように子どもを変えるのが基本路線みたいです。

 登校支援、登校刺激として、とにかく学校に行かせよう、来させようとしますね。

適応を指導する教室に通うことも定番です。

 子どもが適応できるよう子どもに対して教育するのです。

 他人(社会)の中でもやっていけるように、
やっていき方を教えるという意味で適応指導するのはとても大事です。
やり方が分からないばかりに、やっていけない苦痛を味わう事がなくなるからです。

 ただし、その他人が悪でないこと。
または、社会通念上人間がやっていける環境であること。
 が大前提です。

 耳をつんざくほどの大轟音の環境に適応させようとするのはおかしい。
侮蔑と非難と怒号が渦巻く人の中に適応させようとするのも同様です。

 苦痛にあえぐ人、苦悩を抱える人にばかり変化を強要しても事態は変わらない。
と言うか悪化する。

 どちらにどんな風にどれほど変化を求めれば適応できるか?
先入観を捨てた、客観的な見立てがとても大事です。

※とはいえ、令和元年からは登校のみを目標としない。という方針になったようです。
 これが当たり前になるにはもう少し時間がかかりそうです。
文科省サイト
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422155.htm