居場所という福祉的サービスについて考えてみた話

2020年10月20日

居場所(いばしょ)。

不登校・ひきこもり界で最も有名なそして効果があるとされている支援方法=サービスです。

家に居場所のないこもる人たちが、居てもいいんだと思える場所。
です。

支援者・研究者はその効果を認め、居場所が増えることを目指して設置を勧め、こもる人の家族にはこもる人の参加を促します。

家族は、それを真に受け、開設に躍起になり、開設されたと聞けば子どもに案内し、参加をしつこく勧めることが定番になっています。

子どもが行きそうな学校の開設を必死に求めたり、
今の学校に行かない子どもに、別のイイ学校があるからと尻を叩いたりすることと同じように。

でも、
家に居場所のない人が、本当に心の底から自分はここに居てもいいと思えるのでしょうか?

人間関係がうまくいかなくてひきこもっている人が、人間関係が求められる場で居心地よく過ごせるのでしょうか?

誰かと一緒に居るだけで緊張する人が、ここに居てもいいんだと思えるでしょうか?

やったことややらなかったこと、またはやられそうなことに気をもんだり、知らぬ間になにかやらかしたんじゃないかと不安になって寝込んでしまうような人たちが、進んで、喜んで居場所に行くでしょうか?

居場所に行くこと自体が新たなストレスになり不調の原因になりはしないでしょうか?

利用者同士のケンカもいさかいもなく、常時穏やかに万事順調にいく居場所は、これまであったでしょうか?

居場所をすすめる人は、居場所のイイとこばかり喧伝してはいないでしょうか?

私聞風坊は、たくさんの疑問を抱きます。

実のところ、
本人たちの多くは、居場所への参加を見合わせます。
それは、
私が抱く素朴な疑念が払拭できないからかもしれませんし、
そのために、
はなから参加する気がまったくないからかもしれませんし、
様子をみるために、うやむやな返事を繰り返しているからかもしれません。

それらは、
これまでの人生で、友人関係で、学校で、
つまり、
他者と関わる場での痛みを伴う経験にもとづく予測に基づいています。

そうなんです。
居場所に行くことを拒むのは、根拠のある回避行動なんです。

そんな本人の気持ちと乖離したサービスは利用されないでしょう。

さて、
近年話題のこども食堂ですが、子どもに食事を提供する場だけにとどまりません。
居場所であり、子ども(と取り巻く大人)が抱える問題解決のきっかけとなる場であることが求められているんです。

このとき大事なことは、
子ども(と取り巻く大人)が、居場所と思えるかどうかです。
子ども(と取り巻く大人)が、本音を相談できる場であるかどうかです。

美味しく安全な食事が安心して食べられるだけでは不十分なんです。
不登校・ひきこもりの居場所と同様に。
利用対象者の気持から解離していないこと。
ニーズに応えられること。
が大事なんです。

来ている人たちだけが食事がおいしかったと喜んでいるだけでは
一部の問題の解決しかならないでしょう。

確かに、誰かと一緒においしい食事が安心して食べられることは生きる基盤でしょうからとっても重要なことですが、
それを達成しただけで終わってはならないでしょう。

食堂の開設数が多いことは大事です。
同時に、どんなサービスをやっているか? 中身も重要なんです。
だから、
とりあえず開設することに躍起になるのは芳しくありません。
数と中身。両方充実せねばなりません。

なんてことを自助グループというある意味居場所をやっていた私聞風坊は考えるのでした。

そして、
家に居場所がない(食べる機会がない)という点がそもそもの問題なんじゃないのだろうか。

こもる人の親が、家の外に我が子の居場所を作ろうと躍起になったり、
子ども食堂をたくさん作ろうと頑張ったりするのはそれはそれでいいのだけども。
とも。

宮崎市のこども食堂関連ホームページは下記。↓
https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/education/support/syokudou/223832.html

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと不登校

黙ってしまうのは心を閉ざすだけじゃなく頭を閉ざすからもあるような話

2020年08月08日

不意に黙り込む。

背中を向けて黙っている。

ふいっと立ち去る。

ということを相手がすると、

私たちは、

無視された、

馬鹿にされた、

嫌われた、

見捨てられた

と思うかもしれません。

言いたいことがあるなら言えよ!

何で黙り込むの!

無視しないで!

なめてんのか!

なんて大声出すかもしれません。

人がこんな行為をするとき、
言いたいことがあっても言わないのかもしれません。
心を閉ざして。

または、
言いたいことが思い浮かばないこともあるようです。
まるで、頭がシャットダウンした感じ。
頭を閉ざしてしまったよう。

人が不意に会話を止めるとき、
心を閉ざして交流を断つ場合と、
思考が停止して交流できなくなってしまった場合と、
の違いは簡単には判別できません。

さて、
トラウマを負った人は、身体が反応して、身動きがとれなくなることがあります。
そのときはもちろん、思考も止まります。

心を閉ざしているわけではないのに、
本当は声をかけたいのに、
優しく話しかけたいのに、
笑顔で会話したいのに。

言葉が出ない。
声が出ない。
黙ってしまう。
背中を向けてしまう。
立ち去ってしまう。

気持ちの底では、
関係をこれ以上悪化させないために、
相手をこれ以上嫌いにならないために、
好きでいるために!

黙っているのかもしれません。
背中を向けているのかもしれません。
立ち去ってしまうのかもしれません。

でも、そのことは思考が停止しているから本人にも分からない。
自分がなぜそうしているのかが分からない。
だから、
相手に理由を尋ねられても答えようがない。
いくら相手から優しく寄り添われても、同じ反応しかできない。

その結果、相手は誤解する。
自分のことを嫌いだと。
自分には心を開かないのだと。

一般的に、
心を開かない。
心を閉ざす。
そんなときは、
もうこの人になにを話しても意味がないと判断したから。
だから、もう心を閉ざしていまおうと意思が働いたから。

でも、
頭が閉ざされた場合はそうではありません。
何をしよう、こうしようなんて意思は働きません。
そんな余裕はありません。

考える間もなく、考えることもできずに身体がそう動いた。
言うなれば身体反射です。
自分の意思で自分の行動がコントロールできない状態。

心を閉ざしているという解釈は誤解かもしれません。
頭が閉じてしまったのかもしれません。

大脳辺縁系が優勢になって、大脳がうまく働かなくなった状態の解説でした。

  


ひきこもり予防としての不登校支援はやめた方がいいんじゃないかと思う話

2020年07月14日

フレイルという状態があります。
健康な状態と介護が必要な状態の間の、
記憶や思考力や運動力・活動量が落ちて、あまり活発ではない=あまり健康的ではない状態のことだそうです。

介護状態になるのを予防するためには、このフレイル状態でのケアが重要とされています。
※フレイル状態にならない予防がまず大事ですが。

また、
ロコモティブシンドロームという状態もあります。
移動する際に使う足腰の運動機能が落ちている状態だそうです。

この状態になると、
生活習慣病などの病気、転倒でのケガリスクが高くなります。

そのため、
生活習慣病や転倒ケガなどを予防するために、運動するようにするのだそうです。

さて、
不登校状態というのがあります。
学校に行かず、社会とあまり接さない状態です。

このままでは、ひきこもりになるリスクがあるとされています。

そのため、
ひきこもり予防の一環として不登校状態の改善を図ることがよく行われています。
あの「ひきこもり」になるとマジでヤバイ! ってな感じで、焦りまくって躍起になって。

でも、ここで問題なんです。

今がそこそこ健康な人は、より健康になるために頑張れます。

今が苦しい人は、未来のために頑張ることがしづらくなっています。

今がとても健康でない人は、今をよくするためにも頑張りがききません。

未来の悪いことを予防するために、今何かする。

これは、元気のある人ができること。

そもそも、
不登校は、家庭や学校や病気や障害やいろいろな問題が関係して起きていることが多いのです。

たくさんの問題、その子1人で抱えきれない困難、大人ですら対処できないどうしようもない状況などなど。

こんな状況、状態では、人は明るい未来を予想できません。
予想できたとしても、そこに向かって頑張る力はとても弱くなっています。
未来に向かって頑張ることができづらい状態です。

今の状況の延長上に未来はあるのです。
明日という未来がくるかどうかすら自信のない人もいるでしょう。
今日を生きながらえるだけで精一杯で。

そうなんです。
だから、

不登校というただそれだけで、
今現在の困難を軽くし、
今現在の痛みを癒すことのみに焦点を当てて支援されてしかるべきなんです。

何かの予防のためでなく。

そう思うのでした。
  


ピア活動者は専門職より低く扱われるような気がする話

2020年07月02日

ピア(サポート)活動というのがあります。

生徒・学生どうしでの支援活動や、
病気やケガなど困難を抱えて暮らす人同士が、お互いに同朋を支援する活動として知られています。

自助グループはピア活動の一つです。

ネット検索したら、いくつかのサイトが見つかりました。ご参考まで

日本ピアサポート学会
http://www.peer-s.jp/idea.html

一般社団法人日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構https://pssr.jimdo.com/%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B4%E5%BA%A6-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E5%B0%82%E9%96%80%E5%93%A1%E9%A4%8A%E6%88%90%E7%A0%94%E4%BF%AE/

認定NPO法人キャンサーネットジャパン
https://www.cancernet.jp/

アルコホリークスアノニマスジャパン ※アルコール依存本人
https://aajapan.org/

アラノン家族グループ ※アルコール依存本人の家族・友人
http://www.al-anon.or.jp/


このように、いろんな形で行われているピア活動ですが、
現在では、病院や福祉などの対人支援現場で活動することも増えてきていると聞いています。

当然ですが、
ピア活動を行うスタッフは、(支援されるのでなく)支援する立場として活動しています。
※なかには治療やリハビリの一環としてスタッフを名乗っている場合もありますが、それでもやっぱり自分は支援者であるというプロ意識をもってピア活動しています。

(先輩・同輩)当事者が、ピアという専門的な立場から、(後輩・同輩)当事者にサービス(支援)を提供する。

そういう意識です。

つまり専門支援。
専門サービス。

ところが、
そのサービスは、他の専門医療・福祉・対人支援スタッフが提供するサービスより軽んじられている。
そもそも、ピアスタッフはそれ以外の専門職よりも、一段低く見られている場合が少なくないようなんです。
ピア活動している人たちの話を見聞きすると、どうにもそんな印象を持ってしまいます。

当事者こそ専門家だ!
という声はよく見聞きするのですが、

実際に専門家、専門職として扱われるかというと、そんなことはありません。
医師・支援職・研究者などの専門職の方が重く扱われます。
私もそんな経験をして来ています。

当事者の声は参考程度に耳を傾ける感じ。
それを重用して、支援方針やサービスは組み立てられません。
ピア以外の専門職の考えを元に策定されます。※職務だから当然と言えば当然
それを補完する感じでピアが活用されています。
※なんならピアはなくても支援は成り立つけど。という感じ。

さて一方で、
医師・支援職・研究者などの専門職の人が、自分が当事者であることを表明している場合が散見されます。

書籍やドキュメンタリー番組などでわりとよく見かけます。

では、その人たちは、ピアの人たちと同様に軽く扱われるでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
むしろ、当事者の立場をよく分かる信頼できる専門職として、そうでない専門職より重きを置かれます。※ほぼ。

なぜなら、専門職だから。

痩せても枯れてもやっぱり専門職だから。
そんな感じなのかもしれませんね。

こう考えると、
ピアという立ち位置。
は、やはり社会的に、専門職より低く見られるのだろうと思うのです。
どれほど、勉学していようと。
そこらの専門職の誰よりも経験豊富だろうと。
どれほどピアノ心に触れていようと。

ピアでやる以上。
当事者として振る舞う以上。

評価に上限規制がかかる。
これは事実のようです。

ピア活動者は、そこのところをよく腹にすえて、
ピア活動する必要があるようです。
すねずに。

ピア・当事者活動する同朋よ。
くじけずひょうひょうとやりなされ。
其方がゆくは正しき道ゾ。

もはやロートルの域に達した当事者活動人聞風坊の静かなる激励でした。
  


ひきこもり当事者本のご紹介

2020年05月30日

ひきこもり当事者16名がそれぞれの体験を言葉にした本が今月刊行されました。

こころの科学 メンタル系サバイバルシリーズ
『いまこそ語ろう、それぞれのひきこもり』
(林恭子 斎藤環編 斎藤環、松本俊彦、井原裕監修 日本評論社 2020)
出版社のサイト
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8293.html
です。

私も書いております。

よろしければどうぞお手元に。


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる拙著本の紹介不登校