黙ってしまうのは心を閉ざすだけじゃなく頭を閉ざすからもあるような話

2020年08月08日

不意に黙り込む。

背中を向けて黙っている。

ふいっと立ち去る。

ということを相手がすると、

私たちは、

無視された、

馬鹿にされた、

嫌われた、

見捨てられた

と思うかもしれません。

言いたいことがあるなら言えよ!

何で黙り込むの!

無視しないで!

なめてんのか!

なんて大声出すかもしれません。

人がこんな行為をするとき、
言いたいことがあっても言わないのかもしれません。
心を閉ざして。

または、
言いたいことが思い浮かばないこともあるようです。
まるで、頭がシャットダウンした感じ。
頭を閉ざしてしまったよう。

人が不意に会話を止めるとき、
心を閉ざして交流を断つ場合と、
思考が停止して交流できなくなってしまった場合と、
の違いは簡単には判別できません。

さて、
トラウマを負った人は、身体が反応して、身動きがとれなくなることがあります。
そのときはもちろん、思考も止まります。

心を閉ざしているわけではないのに、
本当は声をかけたいのに、
優しく話しかけたいのに、
笑顔で会話したいのに。

言葉が出ない。
声が出ない。
黙ってしまう。
背中を向けてしまう。
立ち去ってしまう。

気持ちの底では、
関係をこれ以上悪化させないために、
相手をこれ以上嫌いにならないために、
好きでいるために!

黙っているのかもしれません。
背中を向けているのかもしれません。
立ち去ってしまうのかもしれません。

でも、そのことは思考が停止しているから本人にも分からない。
自分がなぜそうしているのかが分からない。
だから、
相手に理由を尋ねられても答えようがない。
いくら相手から優しく寄り添われても、同じ反応しかできない。

その結果、相手は誤解する。
自分のことを嫌いだと。
自分には心を開かないのだと。

一般的に、
心を開かない。
心を閉ざす。
そんなときは、
もうこの人になにを話しても意味がないと判断したから。
だから、もう心を閉ざしていまおうと意思が働いたから。

でも、
頭が閉ざされた場合はそうではありません。
何をしよう、こうしようなんて意思は働きません。
そんな余裕はありません。

考える間もなく、考えることもできずに身体がそう動いた。
言うなれば身体反射です。
自分の意思で自分の行動がコントロールできない状態。

心を閉ざしているという解釈は誤解かもしれません。
頭が閉じてしまったのかもしれません。

大脳辺縁系が優勢になって、大脳がうまく働かなくなった状態の解説でした。

  


ひきこもり予防としての不登校支援はやめた方がいいんじゃないかと思う話

2020年07月14日

フレイルという状態があります。
健康な状態と介護が必要な状態の間の、
記憶や思考力や運動力・活動量が落ちて、あまり活発ではない=あまり健康的ではない状態のことだそうです。

介護状態になるのを予防するためには、このフレイル状態でのケアが重要とされています。
※フレイル状態にならない予防がまず大事ですが。

また、
ロコモティブシンドロームという状態もあります。
移動する際に使う足腰の運動機能が落ちている状態だそうです。

この状態になると、
生活習慣病などの病気、転倒でのケガリスクが高くなります。

そのため、
生活習慣病や転倒ケガなどを予防するために、運動するようにするのだそうです。

さて、
不登校状態というのがあります。
学校に行かず、社会とあまり接さない状態です。

このままでは、ひきこもりになるリスクがあるとされています。

そのため、
ひきこもり予防の一環として不登校状態の改善を図ることがよく行われています。
あの「ひきこもり」になるとマジでヤバイ! ってな感じで、焦りまくって躍起になって。

でも、ここで問題なんです。

今がそこそこ健康な人は、より健康になるために頑張れます。

今が苦しい人は、未来のために頑張ることがしづらくなっています。

今がとても健康でない人は、今をよくするためにも頑張りがききません。

未来の悪いことを予防するために、今何かする。

これは、元気のある人ができること。

そもそも、
不登校は、家庭や学校や病気や障害やいろいろな問題が関係して起きていることが多いのです。

たくさんの問題、その子1人で抱えきれない困難、大人ですら対処できないどうしようもない状況などなど。

こんな状況、状態では、人は明るい未来を予想できません。
予想できたとしても、そこに向かって頑張る力はとても弱くなっています。
未来に向かって頑張ることができづらい状態です。

今の状況の延長上に未来はあるのです。
明日という未来がくるかどうかすら自信のない人もいるでしょう。
今日を生きながらえるだけで精一杯で。

そうなんです。
だから、

不登校というただそれだけで、
今現在の困難を軽くし、
今現在の痛みを癒すことのみに焦点を当てて支援されてしかるべきなんです。

何かの予防のためでなく。

そう思うのでした。
  


ピア活動者は専門職より低く扱われるような気がする話

2020年07月02日

ピア(サポート)活動というのがあります。

生徒・学生どうしでの支援活動や、
病気やケガなど困難を抱えて暮らす人同士が、お互いに同朋を支援する活動として知られています。

自助グループはピア活動の一つです。

ネット検索したら、いくつかのサイトが見つかりました。ご参考まで

日本ピアサポート学会
http://www.peer-s.jp/idea.html

一般社団法人日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構https://pssr.jimdo.com/%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B4%E5%BA%A6-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E5%B0%82%E9%96%80%E5%93%A1%E9%A4%8A%E6%88%90%E7%A0%94%E4%BF%AE/

認定NPO法人キャンサーネットジャパン
https://www.cancernet.jp/

アルコホリークスアノニマスジャパン ※アルコール依存本人
https://aajapan.org/

アラノン家族グループ ※アルコール依存本人の家族・友人
http://www.al-anon.or.jp/


このように、いろんな形で行われているピア活動ですが、
現在では、病院や福祉などの対人支援現場で活動することも増えてきていると聞いています。

当然ですが、
ピア活動を行うスタッフは、(支援されるのでなく)支援する立場として活動しています。
※なかには治療やリハビリの一環としてスタッフを名乗っている場合もありますが、それでもやっぱり自分は支援者であるというプロ意識をもってピア活動しています。

(先輩・同輩)当事者が、ピアという専門的な立場から、(後輩・同輩)当事者にサービス(支援)を提供する。

そういう意識です。

つまり専門支援。
専門サービス。

ところが、
そのサービスは、他の専門医療・福祉・対人支援スタッフが提供するサービスより軽んじられている。
そもそも、ピアスタッフはそれ以外の専門職よりも、一段低く見られている場合が少なくないようなんです。
ピア活動している人たちの話を見聞きすると、どうにもそんな印象を持ってしまいます。

当事者こそ専門家だ!
という声はよく見聞きするのですが、

実際に専門家、専門職として扱われるかというと、そんなことはありません。
医師・支援職・研究者などの専門職の方が重く扱われます。
私もそんな経験をして来ています。

当事者の声は参考程度に耳を傾ける感じ。
それを重用して、支援方針やサービスは組み立てられません。
ピア以外の専門職の考えを元に策定されます。※職務だから当然と言えば当然
それを補完する感じでピアが活用されています。
※なんならピアはなくても支援は成り立つけど。という感じ。

さて一方で、
医師・支援職・研究者などの専門職の人が、自分が当事者であることを表明している場合が散見されます。

書籍やドキュメンタリー番組などでわりとよく見かけます。

では、その人たちは、ピアの人たちと同様に軽く扱われるでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
むしろ、当事者の立場をよく分かる信頼できる専門職として、そうでない専門職より重きを置かれます。※ほぼ。

なぜなら、専門職だから。

痩せても枯れてもやっぱり専門職だから。
そんな感じなのかもしれませんね。

こう考えると、
ピアという立ち位置。
は、やはり社会的に、専門職より低く見られるのだろうと思うのです。
どれほど、勉学していようと。
そこらの専門職の誰よりも経験豊富だろうと。
どれほどピアノ心に触れていようと。

ピアでやる以上。
当事者として振る舞う以上。

評価に上限規制がかかる。
これは事実のようです。

ピア活動者は、そこのところをよく腹にすえて、
ピア活動する必要があるようです。
すねずに。

ピア・当事者活動する同朋よ。
くじけずひょうひょうとやりなされ。
其方がゆくは正しき道ゾ。

もはやロートルの域に達した当事者活動人聞風坊の静かなる激励でした。
  


ひきこもり当事者本のご紹介

2020年05月30日

ひきこもり当事者16名がそれぞれの体験を言葉にした本が今月刊行されました。

こころの科学 メンタル系サバイバルシリーズ
『いまこそ語ろう、それぞれのひきこもり』
(林恭子 斎藤環編 斎藤環、松本俊彦、井原裕監修 日本評論社 2020)
出版社のサイト
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8293.html
です。

私も書いております。

よろしければどうぞお手元に。


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる拙著本の紹介不登校

ひきこもりの始まりは「失敗」だった話。

2020年04月09日

私はおよそ20年前にひきこもったのですが、
それ以来、
後悔やら、落ち込みやら、自信のなさやら、やらかした思いが強烈な自分を責めるフラッシュバックやら、自分に罰を与えたくなるやら、罪の意識やら、いろいろなマイナス感情を感じながら生きてきました。

将来にも悲嘆し、ただひたすら日々を生きる暮らし。

心理状態から言うと、うつに当たると思われます。

こんな状態でセルフセラピーやらなにやらかにやら工夫と努力を重ね、だいぶ楽に暮らせるようになってきたのでした。
そして、去年の終わり頃にふと気づいたんです。

あぁ、自分失敗したんだと。

そうなんです。

家族とうまくやっていけると自信をもって実家に帰ったら、自分の力ではどうにもできないことばかりに遭遇して、
にっちもさっちもいかなくなって、
ほんとにもうどうもしようもなくなって、
そう、人生に行き詰まってしまったのです。

一言でいうと、
失敗したんです。

ミスったんです。

失敗すれば落ち込みます。
人生の失敗であればことさらひどく落ち込みます。

ミスは、悪いことになります。
だから、
悪いことをした自分を責めます。
人生のミスなので、バカな自分を責めまくります。

懲罰の感覚も持ちます。

ゴメンナサイの謝罪の気持ちも強くなります。
自分は罪人だという感覚も持ちます。

自分の読みの甘さ、現実検討力のなさ、愚かさ、未熟さ、
やらかしてしまった自分に恥じ入ります。

どうやっていけばいいのか分からないのだから、将来への希望も持てません。
自分への自信も持てません。

やらかしはしないかと、不安でいっぱいで、
間違いがないか、自分がしたことにミスがないか、確認しまくってやっと少しばかり行動できます。

振り返ると、そんな日々でした。

人生を失敗した。
やらかした自分。

そんな気持ちでいたようです。
この20年。

自責、自罰、罪悪感、謝罪感、無価値感、
うつの感情の理由が少し分かった気がしています。

少しばかり謎が解けた感じで。

そして、
それについて失敗しただけで、人生全体について失敗したわけではない。
あの失敗は教訓にできる。
という思いも少し芽生えてきて。