2019年03月25日

健康と病気の間の人がとっても多いんじゃないかと思う話

落ち込むことはあるけれど、
うれしいことがあってテンションが高くなることもあるけれど、

だからといって身動きが取れなくなったり、
衝動買いして暮らしが成り立たなくなったりせず、

ケガしたり、体調が悪いときもあったりするけれど、
それなりに学校行ったり働いたり、誰かと関わったりして生活できている。

そんな状態を健康だとして、
その逆の状態、つまり心や身体の不調で暮らすことが難しくなった状態を
病気だとするならば、

健康ではないけど、
だからといってなんとか暮らしているから病気ってほどでもない。

病院に行っても、様子見ましょう。
なにかあったら来て下さいと言われるような状態。

健康でもないけど病気でもない状態。

漢方では未病というのかしら。

発達障害関係では、グレーゾーンという言い方がよくされるけど。

とにかく、
不健康なんだけど、医学的な病気の条件には当てはまらない状態。

そんな人、
たくさんいるように思えるのです。

ホントにたくさん。

経済の世界では、
富裕層、貧困層、中間層。
と富の多さで人を3種類に分けるようです。

そして、経済動向の鍵を握るのが中間層。

同じように健康にも中間層がいるように思えます。

世界の健康の鍵を握るのが中間層。

中間層がより心と身体が楽な状態で暮らせるようになれば、
世界の健康度は上がるんじゃないか。
と思ったのでした。

病気には当てはまらないけど健康とも言えない
健康的中間層の話でした。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2019年02月07日

【告知】ひきこもりフォーラム2019のお知らせ 再掲

 宮崎ひきこもりネット恒例イベント

 ひきこもりフォーラム2019が開催されます。

 今年は、ひきこもり研究実践の第1人者の境泉洋先生を招いての講演と、

 現在、ひきこもり支援の重点となっている生活困窮者支援制度でのひきこもり支援についての話があります。

 宮崎ひきこもり地域支援センターの紹介もあります。

 2/11(月・祝) 午後1~5時
 宮崎市民プラザ4F中会議室 定員40名

 皆さまどうぞ、ゆるゆると足をお運び下さいませ。

 チラシ↓

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2019年02月02日

【告知】インクルーシブ教育のイエナプランの講演会あります!

子どもが自ら学ぶことをサポートしつつ、※マッチ

社会人としてうまくやっていけるようにもサポートする ※ストレッチ

ことが特徴の1つの、

イエナプラン教育についての講演会があります。

日時:2019年2月7日(木) 18:30~
場所:宮崎市民プラザ4F 大会議室

事前申込みが必要です。


生きていく中で、出会った出来事=問題に対し、

何が問題か?

どうすればいいか? 

と自分で問いを立て、考えて、実践できる大人が

日本でも求められるようになってきました。

オランダの公教育で実践されている教育についての講演は、
きっといろいろ役立つことでしょう。


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと不登校

2019年01月20日

世の中は、標準と比べて成り立っている話。

 しばらく前、不登校のイベントでお話しさせて頂きました。

 その発表を考えるときに、思い至ったのが、

 世の中には、ありとあらゆる標準があり、

 私たちの社会は、その標準と照らし合わせながら動いているんだと言うことです。

 そこで、今回は標準についてのお話しです。

 以下、今の日本の標準を列挙すると、

 6歳になッたら学校に行く。

 20歳になったら成人になる。

 食事は日に3度。

 健康診断は、最低年に1回。

 睡眠は6~8時間、まとめて。

 日中活動して夜間は休息。

 服を着る。

 日本語を話す。

 男女の別がある。

 世帯を考える際は、夫婦2人と子ども二人のサラリーマン家庭。

 などなどなど。

 自分がこれらの標準からズレた場合、

 なにがしかの違和を感じるようです。

 時に疎外感だったり、

 ひとりぼっち感だったりも。

 また、人がこの標準からとても外れ、その期間が割と長くなったら、

 それは、異常とみなされます。

 病気とかケガとかとみなされ、治療することが標準となります。

 そうして健康を目指すのが標準的な考え、日本人のありよう。

 同様に、学校に行かないことは異常とみなされ、学校に行くよう働きかけがなされます。

 また、
 人は生まれてから死ぬまでどんな形であれ社会参加することが標準となっているので、

 そうでないひきこもり状態の人、独居老人、働いていない人、孤立している人には、

 社会・他者と関わるよう働きかけがなされます。

 ところが、
 
 働きかけられる当の本人たちは、これを嫌がることがままあります。

 標準的な暮らし、生き方で苦痛を味わい続けたからです。
 ※この段階ですでに標準的ではありませんね。

 こんな状態の人たちは、ただ標準を示されるだけで圧力を感じることは珍しくありません。

 学校に行くという標準の提示から、学校行かねばならない。

 学業を終えたら働くという標準の提示から、働かねばならない。

 人は誰かと関わるという標準の提示から、誰かと関わらねばならない。

 と、圧力を感じ、息苦しさを感じる。

 そうして、社会から遠ざかる。


 標準的になるよう働きかける側の人たちは、つまり社会は、

 自分たちがこのような圧力をかけてしまっている可能性が高いことを、

 また、本人たちは、ただの標準の提示かもしれないこと、

 同調を求めているとは限らないこと、

 そして、
 標準の範囲は思っている以上に幅があること、

 などを意識することは大事だと思っています。

 上下のイメージの強い水準とは違う、ただの基準としての標準の話でした。
  


2018年11月25日

ひきこもりは平成をどう受け止めていたか?

 平成最後の年と言うことで、そこかしこで「平成」を振り返る企画が行われています。

 ご多分に漏れず、ひきこもりについてもこの企画があり、チョビッと関わったのでその作業を通して感じたことを記します。

 平成とは、西暦1989年の1月に始まりました。

 直前に自粛ブームがあり、当時学生だった私は学祭が催されないのじゃないかと学校側に問い合わせたものでした。

 まだバブル景気は続いており、竹藪から1億円が出てきたり、24時間戦えるか? という風に長時間労働がもてはやされたり、バイトの方が正社員より収入がよかったためにフリーターという働き方がはやったり、消費税が導入されたり、ベイブリッジが開通したり、ジュリアナ東京が盛り上がったり、東京新都庁が開庁したり、元気で活動的な話がいっぱいでした。

 一方で、少年少女が関係する残虐な事件が次々にニュースに出て来るようになりました。

 海外では、民主化運動を戦車で押しとどめたシーンで有名な天安門事件が起き、中東で起きた湾岸戦争に自衛隊が派遣されました。

 やがて、バブル景気が崩壊し、不良債権が重くのしかかった日本経済は下降の一途をたどります。

 失われた20年の始まりです。※30年という人もいるとか

 それは就職氷河期の始まりを意味します。
 バブルの頃は、新卒予定の学生が会社説明会に応募した会社から毎月接待してもらってたほど売り手市場だったので、本当に雲泥の差です。

 ロイヤルウェディングのような明るい話題もありました。

 女性の社会進出にともない政界も激変し、日本の政治が大きく変わり出したころ、

 冷夏・飢饉で米がなくなり、外国から米を輸入する事態も起こりました。
 私もタイ米の炊き方に苦労した覚えがあります。

 サッカー日本代表がドーハの悲劇を経験した頃、
 イジメで命を落とす少年少女が連日ニュースで取り上げられました。

 この頃宮崎はシーガイアが営業を始めました。

 阪神淡路大震災が起こり、オウムはテロを起こし、PCはWindows95が発売され、ちびTやポケベルがブーになった頃、
 女子高生ブームが起こり、その裏には、子どもで金を稼ぐ大人がいました。

 そのうち、
 薬害エイズ問題が明らかになり、O-157が広まり、
 金融破綻、金融業界再編となり、自分の財産を安心して預けるところがなくなる不安が日本全土を覆いました。

 日本がサッカーワールドカップに初出場したり、長野で冬季オリンピックがあったりと、にぎやかな反面、
 
 ストーカー犯罪が目立つようになり、
 食品事故や事件、医療ミスが連日報道され、
 コンピューターが使えなくなるというY2K問題が世界中をざわめかせ、
 少年が関わる残虐犯罪のニュースは増え続けるばかりでした。
 自殺者が年間3万人を超えだしたのもこの頃です。

 2001年には、アメリカの潜水艦が日本の高校の船に衝突する事故が起きました。
 同じ年、アルカイダによるアメリカでの航空機テロが起きました。

 日本では、犯罪により弱い立場の人が被害に遭う事件が多発しました。

 また、
 重症呼吸器症やノロウィルスや人や鳥のインフルエンザなどの感染症が流行し、パニックとなりました。

 この時、こもっているのならば感染リスクが低いので、外に出ないようにしようと思ったのを覚えています。

 サッカーワールドカップ日韓共催、北朝鮮拉致被害者帰国など喜ばしい出来事もある反面、

 この頃から、雇用・就労の問題が重大事項となりました。
 若者が引き起こした重大事件も雇用の問題の影響が大きくありました。
 派遣社員は、一方的にくびきりに遭い、住む場所すら失う事態となりました。
 宮崎では、バブルの負の遺産であるシーガイアが倒産しました。
 台風により浄水場が被害を受け、断水生活が続いたこともあります。

 しばらくすると、
 東日本全域を大地震が襲います。

 宮崎では、直前に口蹄疫が起こり多くの人が悲嘆に暮れましたが、続けて鳥インフルエンザと新燃岳の噴火が起きました。
 立て続けに災難が降りかかってきたのでした。
 その後も、緊張は続いています。

 最近では、熊本や大分で大地震が起き、その影響を受けました。

 さて、こうして、
 社会で何が話題になっていたかという視点で、ほんとに大ざっぱに平成の30年を振り返ってみましたら、

 おおよそどんな気持ちで過ごしてきたかが分かってきました。

 不信と不安です。

 偽装や虚偽記載、不祥事など、嘘がまかり通っていた社会が明らかになりました。
 誰も(会社も国も医師も銀行も教師も)何も信用できない思いです。

 感染症や自然災害の頻発は、誰しもがいつ何時受傷するか分からない時代であることを痛感しました。
 逃げ場がない気持ちです。

 感染は逃れたとしても、健康不安をあおるネタばかりのテレビや雑誌などのマスメディア。
 関節はすり減り、生活習慣病が忍びより、がんになる率も上がっている。
 そのままの生活をしているだけでもじょじょに健康が蝕まれている感じになってきます。

 国内国外では、犯罪や戦争ばかり。
 世の中全体が常に危険であると思えます。

 全般的に安全が脅かされた30年のようでした。

 地平らに天成る。
 が由来の平成ですが、元号に込められたその願いは残念ながら叶わなかったようです。

 こもる世界の住人は、
 こんな物騒な世界で暮らしていく自信はありません。

 こう考えると、
 平成というのは、こもらない理由が見つかりづらい時代だったようです。

 ところがそれは平成では、
 全部自己責任として片付けられます。

 社会でやっていく理由を見つけることができなかったり、
 社会でやっていく力がないのは自分の努力不足。

 社会でやっていかないと決めた責任はその人にある。
 だから社会には責任がない。

 何かやる気になったらサポートはする。
 やる気がないならなにもサポートしない。

 それが社会の基本姿勢であった平成の30年。

 ざっと振り返ってみても、
 これほどまでに多くの困難が起きた平成は、個人に思いを向ける余裕が不足していたようです。
 国や世間は自分たちが生き残ることだけで手一杯。
 国や世間の活動から距離を置いて生きている人たちまで思いをやる余裕はない。

 個人や、個人の集合である社会全体が、
 不信で不安で、
 心と身の安全が脅かされていた。

 そんな時代だったのかもしれません。

 来年2019年の春。平成は終わりを迎えます。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年09月30日

お金を稼ぐことに嫌らしい感覚を持つことについて考えてみた話

 実は、ひきこもり支援は就労支援が目立っているのです。

 国の方針も、就労を目指した支援が基本です。

 自分で働いて金銭収入を得て自活していく。

 この状態を目指しているからですね。

 日本人の基本生活姿勢だからなのでしょう。

 ところが、こもる人は働くことについてとても否定的な感覚を持っています。

 自分が働けるのか?

 働けるほどの能力があるのか?

 収入が得られるほど働けるのか?

 心や体を壊すほど頑張らねばならないのではないか?

 そんな自信はない。

 というかそんな社会ではやっていけない。

 なんでそこまでして働かないとならないの?!

 いろいろな否定的な考えが次から次に襲来します。

 そして、やる気をなくして落ち込みます。

 特に、 お金を稼ぐことに気乗りがしない人は多いみたい。
 私聞風坊もその一人。

 そんなにしてまでお金を稼がないとならないのか?!

 なんて考えてしまう。

 別にお金を稼がなくても、少ない金額でなんとか暮らしていけるし。

 今より暮らしの質を落としてもいいし。

 なんて風にも。

 お金を稼ぐ意欲が低いみたい。
 気力がわかないというか。
 動機づけが弱いというか。

 一方で、お金をたくさん稼ぐ人たちもたくさんいます。
 特に昨今はやりのIT社長さん、起業家の皆さんたちとか。

 お金をたくさん稼いでたくさん使って楽しんで、社会貢献もやって。
 みたいな人たちは少なくありません。

 エネルギッシュ!

 何が違うんだろう?
 考えました。

 そしてある日ふと思いつきました。

 お金をたくさん稼ごうとする人たちは、
 お金を使うことをまず考える人たちなんじゃないかと。

 どんな風にお金を使いたいか?
 お金の使い途をまず考えついて、

 そのために、仕事してお金を稼ぐ。

 こんな順序でお金を稼ぐことを考えるのではないかと思ったのです。

 お金を稼ぐ目的がしっかりしている。
 それは自分の欲を満たすためであったり暮らしをよくするためであったり、家族のそれであったり、または社会のためであったりする。

 いいことをするためにお金を稼ぐ。

 お金の使い途が決まっている。

 一方で、私たちはそれが決まってない。

 お金を稼いでも、どう使っていいか分からない。

 これといって思いつかない。

 にもかかわらず、稼がねばならない。

 ジレンマ。

 お金って、流通することで価値が生まれるんだそうです。

 人から人に渡ってめぐっていくことがお金の役目。
 そうやって社会を活性化する。

 こう考えると、私たちの考えの中では、お金の流通が止まっているよう。

 使い途がないのに、お金を稼がなければならない。

 出口がイメージできないのに、収入を得なければならない。

 こう考えると、

 出ていく先がイメージできれば、稼ぐ気持ちがわいてくるかもしれません。

 さ~てと、
 お金を何に使おうか?
 
 自分のために、家族のために、好きな人のために、未来のために・・・。

 そのために、お金を稼ごうか。

 稼いだ一部は社会のために納めようか。

 そんな気持ちに。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のことニート

2018年09月25日

ありのままでいい。がズレる話

 ありのままでいい。

 よく言われます。

 子育て界。

 スピリチュアル界。

 心理支援界。

 自己啓発界。

 その他いろいろなところで。

 無理して暮らしているので、もっと力を抜いて、背伸びしたり虚勢を張ったりせず、
 今のままの自分でやってけばいいんですよ。
 
 という意味みたい。

 これ、「ありのまま」が

 誰の健康も害さず、

 協調的で、

 全体的にOK。

 という大前提に基づいています。

 ところが、この大前提が当てはまらない人がいるのです。

 結構、多そう。

 例えば、育った環境が、

 朝から晩までけんかや暴力が頻繁で、

 食事があったりなかったり、

 外から来る人はなんだか怖い人。

 手紙を読むと家族が不機嫌になる悪い知らせばかり。

 怒鳴り声がしょっちゅうで、

 夜眠っていると大声で目が覚めたり、

 家に帰ってみると、誰かがケガしていたり、
 寝込んでいたり、誰もいなかったり、

 家族が増えていたり、減っていたり、

 何かが増えていたり、無くなっていたり、

 何かが使えなくなっていたり、

 約束はフツーに破られていたり、

 嘘つかれたり、

 嘘ついたり、

 何が起きているのか? 家族の顔色を窺っていたり、
 
 何が起きるのか? 息をひそめてじっとしていたり、

 急に変化気分になって、自分の頭をたたいたり、

 体をかきむしったり、眉毛や髪の毛を抜いたり、

 したら少し気がまぎれたり、

 そんな日常で暮らしていたので、

 そんな状態がフツーで、

 だから、力を抜くと、自然でいると、そういう状態になる。

 それが「私のありのまま」。

 一般的には、それは、危機的状況に適応した状態。

 異常な状態。

 それは、
 「一般的なありのまま」
 ではありません。

 もし、ありのままでいい。
 とアドバイスしたとしたら、それは、

 異常な状態にいなさい。
 と言ってるも一緒です。

 ありのまま。
 がいい。

 この考え方は、
 フツー安全だ。

 という世間一般の常識を基準にしているのでしょう。
 
 でも、
 普通日常が危険だ。
 フツーに危険だ。
 
 という状況が基準になっている人には不向きです。
 害すら与えるでしょう。

 ここしばらく大ブームの、
 ありのままでいい。
 のアドバイスがズレる話でした。 
  
タグ :ありのまま


2018年09月20日

助けを借りる力がいる話

 災害被災の場面では、受援力。

 心理系では、
 援助要請行動などの分野で研究されている

 誰かの助けを借りてやっていく力

 についての記事です。

 困難を抱える人のうち、

 長いこと困難が解消しない場合や、

 幼い頃から誰かの助けが十分に得られなかった場合など、

 誰かの助けを借りて、自分の困難を解消できた経験が乏しいと、

 誰かの助けを借りるという発想がなくなり、

 誰かの助けを借りるといいことがあるという希望もなくなり、

 自分の力頼みでやっていくしかない。

 誰もアテにならない。

 誰も信頼できない。

 自分の望みは自分で叶えるしかない。

 できることは限られているから小さな少しだけの望みを叶えよう。

 として、

 小さく小さく暮らしを縮めた生き方を選ぶ場合があります。

 長年こもっている場合。

 社会でどうにも上手くやっていけないと思った場合。

 そもそも誰かが自分のために役立つことをしてくれたことがこれといってなくて、

 どちらかというと自分ただれかのために役立つことばかりで、

 結局のところ、いつも自力でやっていくしかなくて、

 それを誰もが期待している場合。

 などです。

 この場合、
 他者への
 不信感
 不信頼感
 不審感
 がとても強く、

 これまでの人生で自分の能力の限界を痛切に感じることが多いために、
 自分への
 不信感・不信頼感
 もまた同様に強いことが多いようです。

 それは、
 自分の人生への
 不信感・不信頼感であり、

 自分の人生を
 肯定しない
 ことにもつながり、

 自分の未来に
 希望を持てない
 ことにもなります。

 だから、
 誰かの助けを借りる気も起きない。
 それで、問題は解消せず

 暮らしていく不満は募るばかり。
 という悪循環。

 自助グループで学んだことの一つに
 手放すというのがあります。

 都合これは、
 誰か、なにかに委ねる。
 ということを意味しています。

 何を?

 自分の手に負えない問題をです。
 
 そしてこれには、
 自分の処理能力以上の問題。
 と、
 自分の問題じゃなくて誰かの問題だから。

 の2種類があるようです。

 医師や福祉職、相談職などの専門職を頼り、
 自分の手に負えない部分を委ねる。

 少しでも問題解決に役立ちそうな誰かからの提案を
 試しにやってみる。
 少しだけ提案に委ねてみる。

 自分のこだわり、
 怯え、
 恐怖、
 意地、
 を手放し、

 暮らしが楽になりそうな手立てに委ねてみる。

 自助グループでのたとえ話では、

 箱の中のキャンディーつかみ取りの時、
 手一杯に物をつかんでいると箱の出口にひっかかって何も手にできないけど、
 少し手放すと、なかなかの数が手に入る。

 と学びました。

 不信というこだわりを手放すことで、
 楽が手に入ることはあります。

 助けを借りる力を手にする話でした。

  


2018年09月10日

2つに1つの選択肢しかないと自分を追い詰める話

 不登校・ひきこもり界でよく見聞きする言説があります。

 是か非かです。

 学校は是か非か。

 不登校は是か非か。

 ひきこもりは是か非か。

 就労は是か非か。

 働かないことは是か非か。

 金儲けは是か非か。

 いずれもどちらかの立場に立って、相手を否定します。

 自分のほうが正しいと、強く主張します。

 そんなことが数10年続いています。

 先日、ひきこもりと就労について考えるイベントでもそうでした。

 是か非。

 自分の立場と一緒はOK

 反対の立場はNG

 議論は平行線。

 はるか昔から、きっとこの先も。

 是非。

 いいか悪いか。

 学校行くか行かないか。

 社会参加するかしないか。

 働くか働かないか。

 金儲けはいいか悪いか。

 どちらかがよくて、逆はダメ。

 どっちか一方しか認められない。
 評価されない。
 受容されない。
 肯定されない。
 同意されない。

 どっちか一方しか認めない。
 評価しない。
 受容しない。
 肯定しない。
 同意しない。

 どっちか一方だけ認める。
 評価する。
 受容する。
 肯定する。
 同意する。

 この極端性とお互いの立場の行き来がないこと。
 極の端と端に固着して相手を否定する。

 このことが
 問題解決の一番の障害、
 事態悪化の主因
 のように思えています。

 たとえばもし、
 学校に行かないことが正しいという立場を貫く(固着)としたら、
 行きたい学校に出会ったときに悩みます。
 すると、
 学びの機会が制限されます。

 もし、金を稼がないことこそ自分らしい生き方だと固執するならば、
 稼がなければならない事態に遭遇すると困惑します。
 自分の主張と違う・・・
 仲間を裏切ることになる・・・
 すると、
 金で解決できる問題や実現できることに取り組めなくなります。

 自分の考えとは違うけど、相手の意見も認める。
 それなりに評価する。
 そういう考えもあるなと受容する。
 相手の立場を肯定する。
 同意する部分もあることを知る。

 今のところ自分の立場は決まっているが、反対の立場に立つかもしれない。
 
 または、今現在で一部重なるかもしれない。

 固着しないで柔軟な発想を持っていれば、
 今の自分に最善の選択ができるように思えます。

 そのためには、
 なぜ自分が特定の考えや立場にこだわるのか?
 反対の立場の何が気に入らないのか?
 を知っておくことは役に立ちます。

 金を稼ぐということは、犠牲が大きくて、誰かが不幸になることだから稼ぎたくないんだ。
 労働者から搾取する形の稼ぎ方が嫌だ。
 稼いでしまうことで自分が堕落しそうで嫌だ。

 不幸にならない稼ぎ方、
 搾取とは言えない稼ぎ方、
 堕落しない財産の活用法、

 対策はありそうです。

 一方で、
 それほど稼がずともつましく暮らす方法も楽しそう。
 と反対の立場の人が考えたら、

 お互いの経験をシェアできそうですね。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年09月05日

カウンターの歴史としてのひきこもり支援 3

 私聞風坊が語るひきこもりの歴史です。

 今回は、2015年(H27)頃から。

 この頃、
 新しい支援制度が動き出しました。
 生活困窮者自立支援制度です。

 2015年(H27)年から始まった生活困窮者自立支援制度のなかで、
 ひきこもり支援が明示されたことは、

 全国親の会等が中心となった、
 ひきこもりという新たなカテゴリーを作って支援する制度の制定を願っての社会運動の一つの成果です。
 
 生活困窮者自立支援制度は、
 生活保護状態になる前に、まだ頑張って自活している状態の時に手厚い支援があれば、
 保護を受けずとも困窮状態が解消されるということから始まりました。

 この中に、ひきこもりが含まれたのです。

 いきさつとしては、親の高齢化の問題があります。
 親も子も高齢だという8050問題です。

 長くは児童期不登校のころから、
 短くとも30代で離職してから10年以上、
 社会と距離を置いた生活をし中年を迎えた子ども、を抱えた親は高齢です。

 親は年齢的に就労での収入が望めなくなります。
 ところが、
 家族の内、他に働き手はいません。

 生活費がたりません。

 困窮となります。
 ※実はそのずっと前から困窮している気もしますが。

 そうならないように、
 または、
 そうなってからでも、
 なんとか、状況を改善していくための支援が始まっています。

 ひきこもりを病気でもなく働けないでもなく若者でもなく
 困窮でくくって制度支援しようという新機軸の支援です。

 これは、
 ひきこもりは若者の話じゃない!
 というカウンターと、

 お金に余裕があるわけじゃない!
 というカウンターの、

 2つのカウンターです。

さて、
 ひきこもり支援は現在、
 ひきこもり地域センターと困窮者支援の2つの窓口があります。

 ところが、
 困窮の専門家はひきこもりの専門家ではありません。
 就労支援としてひきこもりを支援する方向性だからです。

 一方で、
 医療に強いセンターは困窮・就労の専門家ではありません。

 支援機関には得意分野があります。
 それは不得意分野があるということです。

 だから、
 2つはもとより地域の支援関係者が連携することが重視されています。
 不得意分野を相互に補うのですね。

 こんな感じで現在のひきこもり支援がデザインされています。
 絵に描いた餅にならないように、実行が期待されています。
 
 ひきこもり支援は、模索の連続です。
 支援の歴史は模索の歴史です。

 それは、こもる人へのよりよい支援を模索しての
 それまでの支援法を批判する形、
 つまりカウンターとして進んできました。

 支援を受ける者としては、
 支援の方向性が大きく変動することで大混乱が生じているのですが、

 本質的には、
 思いやりの歴史なのです。

 終わり。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと


【お知らせ】
これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。


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