その人は、その人たちの典型例ではないかもしれないこと

2020年04月01日

ある人が、自分のことについて世間に知らせる。

それにより、私たちは、そのある人について知るとともに、

そのある人の属性についても知ったような気になります。

例えば、不登校の人が自分のことについていろいろ話をしたとき、

私たちは、その人を通して不登校を理解した気になります。
不登校って、こんななんだぁ。ってな感じで。

それは、ある人が、
ゲイだとしても、ひきこもりだとしても、身体障害者だとしても、統合失調症だとしても、
サラリーマンだったとしても、厚生労働省の官僚だったとしても、ハリウッド映画に出てる俳優さんだったとしても。
同様です。

でも忘れてはなりません。
その人は、その人と同じカテゴリーに割り振られた他の人たちとは違うことを。
決して、そのカテゴリーの代表ではないことを。

共通する点、典型的な点はあるのでしょう。
でも、そのある人を典型例とするのは過ぎるかもしれません。

私たちは、
その意見が、ある当事者(たち)の意見を取り入れているからといって、
当事者全員がそう思っているわけではない可能性を心に留めておく必要があります。

情報をどのように受け止めるか?
情報リテラシーの話でした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

予防という発想がおぞましい話

2020年03月01日

介護状態予防。インフルエンザ予防。メタボ予防。ガン予防。
新型コロナ感染予防。

不登校予防。ひきこもり予防。ニート予防。

非行予防。退学予防。

困窮予防。虐待予防。

世の中は予防が盛んです。

私たちは、なぜこんなにもいろいろなことについて予防するのでしょうか?

それは、
予防したい状態がとっても苦痛だからみたいです。

介護や看護が必要な状態は、心と身体の苦痛を伴います。

困窮や虐待もそう。

ありていに言えば、
それらは悪い状態です。
悪い状態にならないように予防する。
そういう発想でしょう。
おおむね納得いきます。

一方で、不登校やひきこもりの場合はどうでしょう?

そのほとんどが、
学校にいる状態、社会にいる状態が苦痛だから、
自宅などの学校や社会以外の場にいることを選んだ状態です。

つまり、苦痛は軽減している。
だから、苦痛ばかりの学校や社会にいるよりは健康なんです。

ありていに言うなら、
不登校状態やひきこもり状態は、よい状態なんです。
健康的な状態と言ってもいいくらい。

すると、
不登校やひきこもり状態になるのを予防するいうことは、
よい状態になるのを予防するということになります。

なんだかよく分からない話です。

※非行の場合は、
非行することで痛みが軽くなる、痛みから(一時的に)逃れられる、学校や社会か家庭にはないけど非行グループの中に居場所がある。
だから非行していると解釈されます。

また、
不登校してる人やこもる人の中には、不登校やひきこもりが自分たちらしさと重なる人たちがいます。
学校や社会に行かない今の状態が、まさに自分らしい生き様だという風に。
不登校やひきこもりじゃなくなったらそれはもう自分じゃない! というぐらいに。

そんな人たちは、
不登校やひきこもりの状態だからこそ、かろうじて自分はこの世に存在できている。
そう思っているかと思います。

ところが、
不登校・ひきこもり予防となると、そういう生き様、自分らしさは、イケナイことになります。
ありていに言えば、
悪い。
そんな存在の仕方は。

だから、予防せねばと発想するのですものね。

不登校、ひきこもり予防。
これを、
不登校やひきこもりが自分たちの生き様、存在形態になっている不登校の人やこもる人はどう受け止めるでしょう?

自分たちはイケナイことをしているイケナイ存在なんだ。
社会からは認められていないんだ。

学校や社会や家族や支援者や大人たち・・・は、
自分たちをウィルスみたいに駆逐しようとしているんだ。
との想いを抱きそうだということは想像に難くありません。

実際問題として、
不登校やひきこもりは社会の悪い見本として認識されているようですから、無意識に駆逐撲滅の対象とされているようです。

不登校やひきこもりしない社会の実現を目指すとき、撲滅の無意識が働いているように思えます。

だって、
不登校のまま暮らせる社会、ひきこもっていてもやっていける社会の実現。じゃないですもの。

不登校、ひきこもりの予防。
この発想には、こんなおぞましさが潜んでいるんです。

気をつけましょう。
とりわけ、予防に熱を上げる研究者の人たち。
予防じゃなくて、学校や社会でやっていける方法を開発することが、結果的に予防になるように思いますよ。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと発達障害ニート不登校

不登校児童生徒は学校に行かなくてもよくなったらしい話

2020年02月13日

文部科学省が令和元(2019)年10月25日に出した不登校対応についての通知によると、

1 不登校児童生徒への支援に対する基本的な考え方
(1)支援の視点
不登校児童生徒への支援は,「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要があること。また,児童生徒によっては,不登校の時期が休養や自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つことがある一方で,学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在することに留意すること。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422155.htm

として、登校第1からその子の自立第1へと基本方針に変更があったようです。

内容的には、当たり前といえば当たり前のことを、
いまさらながら通知している感じもしますが、

だからといって、

あぁ、文科省がやっと不登校児童生徒に理解を公式に示した!
寄りそってくれた!
これでもう、ムリして学校に行かなくてもよくなった! 

と諸手を挙げて喜ぶわけにはいきません。

一言で言うと、
世話焼く人がいなくなるリスクがとっても心配なんです。

だって、ムリして学校来なくてもいいんだもん。

不登校児童生徒をなんとか学校に来させようとすると、
先生たちは相当ムリします。
同時に、本人にはすんごくムリを求めることになります。
保護者・親にも当然無理強いすることになります。

それが、ムリに学校に来させなくてよくなったら、

・・・
そのままムリせずゆっくり過ごしてください。
・・・。

ってことで、最終的にそのままムリせず卒業してしまいそう。
小学校から中学校に進学し、
ときには、そのまま高校に進むこともあるでしょう。
不登校状態のまま。

だからなんです。

学校という社会では、勉学以外のこともたくさん体験します。
どちらかというとそっちの方が将来の役に立つような気すらしています。個人的には。

また、
勉学というのはある程度歳を重ねないと重要性を感じないもののようです。
※社会人ほど勉学(知識)の重要さを知っている人たちはいないでしょう。

大人社会では、勉学というかいろいろな知識はとっても必要です。
知らないことが仕事とか社会的信用を失うことにつながることは少なくありません。

そして、なにより学ぶ力が必要です。
仕事や大人のやり方を学ぶ力がないとやっていけません。
大人気ない言動ばかりしていると、社会人としての信頼は得られません。

それゆえ、上記通知文の最後の行

学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在すること

が、とても気になるのです。

大人になって自力で他人の中でやっていくために、
勉強や友人関係や(納得いかない)社会のルールと折り合いつけるスキルなど、
子どもの頃に体験しておいた方がいいことを体験できないリスク。

または、
その子の抱える問題や、課題を周囲の大人が知り、適切な支援につながらなくなってしまうリスク。

このリスクへの対処、
つまり学校の代替機会が確保できていない状況で、学校が関わらなくなることになってしまうではないかと懸念を持つからです。
※教育機会確保法はできたばかりですが、実際に十分に確保されているかしら?

人が育つには、
その育ちを支える人たちの存在が欠かせません。

学校(とその関係先)には、(十分に役目を果たしているかどうかは別として)その役目を担う人たちがたくさんいます。
学校に来ない。
と、その人たちとの関わりがなくなります。

代わりに、その子の育ちを支えるのは誰でしょう?

発達特性や虐待や困窮などから、
特別な支援が必要な子の育ちを支えることについてはどうでしょう?

その子の育ちを気にかけてくれる人は充分に確保できるているでしょうか?

学校に行っているからこそ、少なくとも学校と関わっているからこそ、
その子に必要なサポートが分かる場合は少なくありません。

学校に行かなくてもいい。
学校に来なくてもいい。
ちゃんと関わる人は確保してあるから。

そんな風になりますように。





  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと不登校

人に迷惑をかけちゃダメよ! の受け取り方が2種ある話。

2020年02月09日

ひきこもりフォーラム2019夏で話題に上ったのが、

日本の親は子どもに、

人に迷惑をかけないように! 

と教えることを最重要としている。
外国ではそんなことない。

ということでした。

これを聞いて、私はどうかと振り返れば、
親からはあまり聞いたことはありませんでしたが、社会の雰囲気はこれでした。
人様に迷惑をかけるな!
禁止令です。

そして、私にとってのこの言葉には裏のメッセージがありました。
迷惑をかけないなら何でもやっていい!
許可です。
 
改めて考えると、
私というか私と私の周囲の人間たちは、
こういうメッセージを受けて、やりたいこととやってはならないことの境界を肌で感じながら生きてきたようです。

誰にも迷惑かけるわけじゃねっちゃかい、いいわぁ!
そこかしこで見聞きした名ゼリフ!

誰も困るこっちゃないかい、学校休んでん、いいわぁ!
的な言い草も割と聞いた感じ。
※ちなみに、この場合↑
誰も困らんじゃろけど、あんたが将来困るがね!
と続くのが定番です。

昭和ですね。

一方で、最近、平成でしょうか、
は、ちょっと違う感じ。
ひたすら、底抜けに、際限なく、

人に迷惑をかけないように!

を突き詰める感じ。

究極、
生きていてごめんなさい。

だって、生きる上では他人様に迷惑かけるものですもの。
まったく迷惑をかけずに生きるなんてムリ。

こんな極端な話、あり得ません。

生きること、暮らすことは、
誰かの迷惑になることもあります。
それは、誰かの世話になる、誰かの好意に甘えることも含みます。
そしてこれはお互い様。

そんな、
時代というかコモンセンスというか常識的感覚の違いを痛感したのでした。

さて、令和はどうなる?


補遺
後日の気づきです。
迷惑をかけちゃいけないは、相手のことを思いやろうという意味なのかもしれない。

相手のことも思いやって、自分の言動を調整しよう。
こういう総合的な意味なのかもしれないなぁ。


  
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Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

【告知】ケアニン上映会とトークイベントのご案内

2020年01月04日

障害者というのは、社会の障害となる人ではなくて、
社会参加する際に障害が生じてしまう人という考え方があります。

私はこの考え方に依っています。

病気やケガや環境の悪さなどから苦労を負っている人が、
地域社会で参加の障害を感じずに暮らすにはどうすればいいか?

意思疎通の問題、感覚過敏による問題、姿勢保持の問題などなど社会参加の場で生じる障害はどう解決するか?

社会参加の場に行くまでの、移動の際に生じる障害はどう解決するか?

そもそもの病気やケガや生きづらさなどの問題から生じる参加の障害はどう解決するか?

いろいろ考えるところです。


NPO法人 宮崎もやいの会さんが下記チラシの通り、
映画ケアニン上映会とモデルとなった加藤氏のトークイベントを開催します。
皆さま、どうぞのお運びを。

チラシ↓


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)告知社会のこと