2018年04月15日

仕事についての当事者本人の心境の短い記事

 例えば、3年間働いている当事者本人の、現在の心境は、およそこんな感じです。

 3年仕事してる。

 3年辞めていない。

 3年クビになっていない。

 まだ、仕事できてる。

 まだ、辞めていない。

 まだ、クビになっていない。

 まだ、無職でない。

 まだ、仕事がある。

 まだ、働けてる。

 でも・・・。

 どうせ・・・。
  
タグ :就労支援


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2018年03月05日

依存症と生活保護の話

依存症という病があります。

コントロールができない病とも言われています。

飲酒や、パチンコ競馬などのギャンブルやゲーム、薬などの依存症がよく知られています。

飲酒やパチンコなどする際に、自分の行動をコントロールしながら適度に行うということができないのです。

そこで、
依存症からの回復は、依存する行為以外のことをする。ことが重要とされています。
適度にというのが難しいから、その行動をそれ以外の望ましい行動で代替するのですね。

ストレス解消で
飲酒する、パチンコやゲームする、薬を飲む打つ。
のならば、

それ以外のストレス解消法を実践するのですね。

例えば
家族と話す。スポーツする。ストレスそのものの軽減に取り組む。
などです。

とはいえ、
長年慣れ親しんだ行動を新しくするのはとても難しいもの。

だから誰かの協力が必要です。
家族などが新しい行動に協力することが大事です。

一緒におしゃべりする。スポーツする。
依存行動ではなく、健康的な行動をした時に一緒に喜ぶ。
などです。

逆にやってはならないことは、依存行動を助長する行為。
お酒を買う金を与える。一緒にパチンコに行く。ギャンブルの景品・賞金を喜ぶ。薬やゲームを買ってくる。
などです。

さて、依存症はあらゆるものを破壊する病とも言われています。
家族関係、親戚・友人知人・職場の人間関係、
職場
家計
などなどあらゆるものを破壊します。

そうして、
働くことができなくなり、生活に困ることはまれではありません。

金銭的扶助で生活を支える生活保護という制度があります。

依存症状態で生活保護を受けるとすると、
扶助されたお金は依存症という病を支えるために消費されることがほとんどになるでしょう。

このお金は家賃のため、水道光熱費のため、食費のため、だからお酒やギャンブルやゲーム、薬には使わない。
そんなコントロールができないのが依存症です。

つい、扶助金を依存行動に使ってしまう。

では、扶助を止めたらいいのか?
依存症状態の人は生きていけません。
自分の生活・人生のコントロールができない状態だからです。

私たちの身近に、
こんな悩ましい状況があることを知っていることは重要です。
誰にでもこの状況になる可能性があるからです。
  


2018年02月23日

【告知】困難を抱える子ども・若者支援のイベントあります

NPO法人みやざき教育支援協議会(メスカ)さんが、恒例イベントを開催します。
今年は、発達障害や、困窮やその他いろいろな困難を抱える子ども・若者の
支援のあり方をいろいろ考えるシンポジウムです。

皆さん、どうぞのお運びを。

日時 平成30年3月3日(土) 13:30~16:30
場所 宮崎県福祉総合センター本館セミナールーム(宮崎市原町)

案内チラシ↓



  
タグ :メスカ


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(1)社会のこと

2018年01月15日

ニワトリより卵が先じゃないかという結論でした。

 正月早々していたかというと、

 長年の疑問に一応の答えを出したのでした。

 その疑問とは、

 ニワトリが先か卵が先か?

 です。

 先にニワトリが生まれて、それが卵を産んだのか?

 それとも先にニワトリの卵が現れて、そこからニワトリが生まれたのか?

 ですね。

 ダーウィンの進化論は、

 進化というのは、たまたま生まれたこれまでとはちょっと違った種が、

 環境に適応して生き残ったために、

 その種が主流となった。

 みたいな考えらしいのですが、
これにのっとると、

 ニワトリになるであろう卵が突然出現した。

 となるのだろうと思うのです。

 後にニワトリと呼ばれるところの、

 新しい種の卵が

 当時存在したニワトリ的な生物からたまたま生まれた。

 と考えると、

 その卵は、ニワトリ的な生物から生まれたのであって、

 決してニワトリから生まれたのではない。

 むしろ、卵から生まれたと考えるのが妥当。

 となったのです。

 つまり卵が先。

 という答えにたどり着いて、スッキリしたのでした。

 よっぽど暇だったのかしら。
  
タグ :ニワトリ


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年01月10日

色メガネをかけて人を見る際の心得の話

 およそ人は、

 自分のことや

 家族のことや

 芸能人のことや

 恋人のことや

 他者のことや

 縄文時代のことや

 アメリカのことや

 宇宙人のことや

 今の社会のことや

 未来のことや

 ロボットのことや
 
 今月の給料のことや

 運命のことや

 いろいろいろいろ思う時、

 色眼鏡をかけています。

 だから、いろいろいろいろ思いが湧くのですね。

 自分が持っている色メガネの数だけ。

 だから、
 誰かを支援する立場にある人は、自分の色メガネに敏感である必要があるでしょう。

 必ず相手を色メガネで見ているからです。

 相手のことを

 ひきこもりと見る時のメガネ。

 ニートと見る時のメガネ。

 ワガママな子と見る時のメガネ。

 虐待児と見る時のメガネ。

 虐待親と見る時のメガネ。

 病人患者と見る時のメガネ。

 家族関係の問題があると見る時のメガネ。

 金銭関係に問題があると見る時のメガネ。

 自分はどんなメガネをかけてその人と関わっているか?

 今かけているメガネは支援するにあたって適切か?

 常に確認する必要があるようです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年01月05日

半径1.5メートルの幸福を考えた話

 人は、自分を中心とした半径1.5メートルの幸福を考えれば、人類全体が幸福になるのではないか。

 と考えました。

 人には自分のテリトリーというのがあると言われています。
 パーソナルスペースなんて言われています。
 
 腕を伸ばした範囲が基準になりますが、

 人は、この範囲の中に他者に入られるのは嫌なのですね。

 そこに入っていいのは、許可された親密な人だけ。

 だから、親密じゃない関係の人、つまり他人同士は、この範囲に入らないよう、距離をとって関わります。
 入るとしても十分に配慮して関わります。

 バスや電車の隣に座るとかの場合のあの気配りですね。

 人と人、お互いの距離を足すと、1.5メートルぐらいになるでしょうか。
 これぐらいの距離を保って関わると、お互い緊張はだいぶ少なくてすみます。

 おじぎで挨拶を交わす距離がこれぐらいですね。
 名刺交換の距離もこれぐらいでしょうか。

 手を伸ばすせば届くとか、一歩踏み出すぐらいで届く範囲。
 これは、
 そんなに苦労せずにすむ物理的な自分の影響範囲ですね。

 相手にすぐは手が届かないけど、ちょっと踏み出せば触れる距離。

 この範囲は、自分の影響が届きやすい。

 そこでもし、人類76億人がこの自分が影響を与えられる範囲の幸福を大切にして暮らせば、

 人類全体として幸福になるのではないかと思い至ったのです。

 地球全体、

 全人類の幸福を考えると巨大なことになります。

 とっても手が出せるものではありません。

 でも、自分の影響下にあるせまい空間を幸福にすることに意識を向けるだけならば、

 それはとても身近なこと。

 
 すこし手を伸ばせば、

 すこし踏み出せばなにかできる。

 自分の影響範囲の幸福のために。

 それは世界の幸福につながっていることにもなります。きっと。

 身近に幸福を。

 自分にできることをする。

 今年も、身近にできることを中心に記事を書いて参ります。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年01月01日

新年のお慶びを申し上げます。



謹んで新年のお慶びを申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

       
   
平成30年(2018) 元旦


        ひきこもり当事者活動人
                聞風坊



 新しい記事は、5日からの発信予定です。

   
タグ :2018元旦


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2017年12月31日

1年のお礼申し上げます。

 皆さま

 本年もご訪問ありがとうございました。

 心よりお礼申し上げます。

      平成29年12月31日大晦日

              聞風坊  
タグ :大晦日


Posted by 聞風坊 at 18:00Comments(0)社会のこと

2017年12月09日

話し言葉と書き言葉のこと。

 『NHKアナウンサーとともに ことば力アップ 2017年10月~2018年3月』 (NHK)
というラジオ講座のテキストを読んで、思い至ったことの記事です。

 文章には、話し言葉で書かれたものと、書き言葉で書かれたものがあり、

 音声を使って相手に伝える場合、話し言葉で書いたものの方が、伝わりやすいとのことでした。

 書き言葉は例えばこんな感じ。
 
 昨夜、午前11時頃、宮崎市末広の○○さん48歳の自宅で、子猫が発見されました。

 昨夜、午前、自宅、発見など熟語が多く、言葉が途切れずに流れていきます。

 情報がどんどん渡されてくる感じ。

 文字にして読むと分かりやすいけど、聞くとなるとちょっと苦労する。

 話し言葉だと、

 昨日の晩の、11時ごろに、宮崎市の末広町に住んでいる○○さんのうちで、子猫が見つかりました。

 みたいに、砕けた言い方になるようです。

 そして、相手が聞き分けるには時間が必要なので、文章の区切りを多くして、間を置くのだそうです。

 なるほどと思いました。

 私聞風坊は、どうしているかと考えたら、

 皆さんにお話しさせて頂く時や、このブログを書く時は、なるべく砕けた物言いになるようにしています。

 なので、普段からなにか発信する時は、自分は話し言葉なんだなぁと気づいたのでした。

 さて、最近の若い人の言葉遣いに興味を持っています。

 接続。分節。装置。回路。なんて言うのです。

 これらは、工業系、電子機器系で物品に対してよく使う言葉です。

 それを、
 人の心や動きや、行いについて使うのです。

 例えば、

 ここ最近、頭が混乱していたので、自分の行動を分節してみると、
 他者と接続しようと試みてはいるけど、なにかしらの一般人とか異なる回路が作動して、
 期待された結果とは違う様相を呈していることに気づいたのでした。
 ある意味自分は、そういう装置化された人間なのだと改めて気づきました。

 みたいな感じ。※慣れてないので、うまくできませんが。

 新しい言葉遣いが大好きな私聞風坊なので、この使い方を面白く感じていますが、

 同時に分かりづらさも感じていました。

 なるほど、通常の会話において、もっぱら物に使うところの書き言葉を使っているからなんですね。

 もちっとかみ砕いて、人に対して使う言葉に言い換えてくれんね。

 と言いたくなるオジサン聞風坊でありました。

 若い皆さん、その節はよしなに。 
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2017年11月09日

相模原やまゆり園の事件についてのフォーラムを聞いて

 ↓フォーラム・私たちが生きる意味を聴講しての感想です。



 いわゆる相模原やまゆり園の事件を検証するフォーラムだったのですが、

精神疾患があると認定された加害者を簡単に退院させた医療制度の問題だ。

精神疾患者は、危険だ。という風潮が助長されてしまったことが問題だ。

障がい者を不幸しか生みださないと考える偏見があることが問題だ。

など、いろいろな面から問題提起がされている、とても複雑な出来事です。

加えて、このような社会問題としての側面の他に、
 障がい当事者だから感じる危機感があるようです。

 特に、誰かの介助がなければ身を守れない状態の人は、我が事のように身の危険を感じています。

 さて、この事件について、

 社会が無意識のうちに持っている差別意識が大元の原因だという考えを基調講演の大熊由紀子さんは披露されました。

 そもそも、障がい者だからという理由で、1つの大きな施設に集めて暮らさせることに違和感を持たない感覚が、自分とは違う者を排除する意識の現れで、それが今回の事件につながっているという指摘だと受け止めました。

 また、事件を長年取材している成田洋樹さんは生産性が高いものに価値があり低いもの無いものには価値を置かない社会意識が問題だと指摘されました。

 だからか、障がい者だってなにかを生産している・社会の役に立っているという考え方には疑問を呈しているような印象を持ちました。

 人は存在するだけで生きる価値があるということをなにより大事にされているようでした。

 私聞風坊は、障害のあるなし・程度の大小に関わらず、人は存在するだけで何かしら社会に影響を与えていて、つまり社会貢献していると考えています。

 差別・排除意識については、仕方のないことだと思っています。人間は同類を好む性分のようだからです。

 ただし、差別・排除意識はあったとしても、行動・施策として実行する際は熟考に熟考を重ねて考え抜いてやるべしと思っています。

 人を自分のコミュニティから排除するということは、それほどの重みがあると思っているからです。
 
 フォーラムを拝聴して考えたのはこのようなことでした。

 そして、フォーラム後に考えたのは、やはり加害者が加害者になるまでの心の動きです。
 それは、福祉職員が加害者になるまでの心の動きかもしれません。
 フツーの人が犯罪者になっていく心の動きかもしれません。

 そもそも加害する人は精神的にフツーではない。私たちとは違う。

 の一言で片付けていいようには思えません。

 それこそ、排除の論理です。

 加害者の心の動きの中にこそ、この問題の核心が隠されているように思えています。 

 そこには、万民が安全に暮らしていくためのとても大切ななにかが隠れているように思えています。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと


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