2018年09月30日

お金を稼ぐことに嫌らしい感覚を持つことについて考えてみた話

 実は、ひきこもり支援は就労支援が目立っているのです。

 国の方針も、就労を目指した支援が基本です。

 自分で働いて金銭収入を得て自活していく。

 この状態を目指しているからですね。

 日本人の基本生活姿勢だからなのでしょう。

 ところが、こもる人は働くことについてとても否定的な感覚を持っています。

 自分が働けるのか?

 働けるほどの能力があるのか?

 収入が得られるほど働けるのか?

 心や体を壊すほど頑張らねばならないのではないか?

 そんな自信はない。

 というかそんな社会ではやっていけない。

 なんでそこまでして働かないとならないの?!

 いろいろな否定的な考えが次から次に襲来します。

 そして、やる気をなくして落ち込みます。

 特に、 お金を稼ぐことに気乗りがしない人は多いみたい。
 私聞風坊もその一人。

 そんなにしてまでお金を稼がないとならないのか?!

 なんて考えてしまう。

 別にお金を稼がなくても、少ない金額でなんとか暮らしていけるし。

 今より暮らしの質を落としてもいいし。

 なんて風にも。

 お金を稼ぐ意欲が低いみたい。
 気力がわかないというか。
 動機づけが弱いというか。

 一方で、お金をたくさん稼ぐ人たちもたくさんいます。
 特に昨今はやりのIT社長さん、起業家の皆さんたちとか。

 お金をたくさん稼いでたくさん使って楽しんで、社会貢献もやって。
 みたいな人たちは少なくありません。

 エネルギッシュ!

 何が違うんだろう?
 考えました。

 そしてある日ふと思いつきました。

 お金をたくさん稼ごうとする人たちは、
 お金を使うことをまず考える人たちなんじゃないかと。

 どんな風にお金を使いたいか?
 お金の使い途をまず考えついて、

 そのために、仕事してお金を稼ぐ。

 こんな順序でお金を稼ぐことを考えるのではないかと思ったのです。

 お金を稼ぐ目的がしっかりしている。
 それは自分の欲を満たすためであったり暮らしをよくするためであったり、家族のそれであったり、または社会のためであったりする。

 いいことをするためにお金を稼ぐ。

 お金の使い途が決まっている。

 一方で、私たちはそれが決まってない。

 お金を稼いでも、どう使っていいか分からない。

 これといって思いつかない。

 にもかかわらず、稼がねばならない。

 ジレンマ。

 お金って、流通することで価値が生まれるんだそうです。

 人から人に渡ってめぐっていくことがお金の役目。
 そうやって社会を活性化する。

 こう考えると、私たちの考えの中では、お金の流通が止まっているよう。

 使い途がないのに、お金を稼がなければならない。

 出口がイメージできないのに、収入を得なければならない。

 こう考えると、

 出ていく先がイメージできれば、稼ぐ気持ちがわいてくるかもしれません。

 さ~てと、
 お金を何に使おうか?
 
 自分のために、家族のために、好きな人のために、未来のために・・・。

 そのために、お金を稼ごうか。

 稼いだ一部は社会のために納めようか。

 そんな気持ちに。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のことニート

2018年09月25日

ありのままでいい。がズレる話

 ありのままでいい。

 よく言われます。

 子育て界。

 スピリチュアル界。

 心理支援界。

 自己啓発界。

 その他いろいろなところで。

 無理して暮らしているので、もっと力を抜いて、背伸びしたり虚勢を張ったりせず、
 今のままの自分でやってけばいいんですよ。
 
 という意味みたい。

 これ、「ありのまま」が

 誰の健康も害さず、

 協調的で、

 全体的にOK。

 という大前提に基づいています。

 ところが、この大前提が当てはまらない人がいるのです。

 結構、多そう。

 例えば、育った環境が、

 朝から晩までけんかや暴力が頻繁で、

 食事があったりなかったり、

 外から来る人はなんだか怖い人。

 手紙を読むと家族が不機嫌になる悪い知らせばかり。

 怒鳴り声がしょっちゅうで、

 夜眠っていると大声で目が覚めたり、

 家に帰ってみると、誰かがケガしていたり、
 寝込んでいたり、誰もいなかったり、

 家族が増えていたり、減っていたり、

 何かが増えていたり、無くなっていたり、

 何かが使えなくなっていたり、

 約束はフツーに破られていたり、

 嘘つかれたり、

 嘘ついたり、

 何が起きているのか? 家族の顔色を窺っていたり、
 
 何が起きるのか? 息をひそめてじっとしていたり、

 急に変化気分になって、自分の頭をたたいたり、

 体をかきむしったり、眉毛や髪の毛を抜いたり、

 したら少し気がまぎれたり、

 そんな日常で暮らしていたので、

 そんな状態がフツーで、

 だから、力を抜くと、自然でいると、そういう状態になる。

 それが「私のありのまま」。

 一般的には、それは、危機的状況に適応した状態。

 異常な状態。

 それは、
 「一般的なありのまま」
 ではありません。

 もし、ありのままでいい。
 とアドバイスしたとしたら、それは、

 異常な状態にいなさい。
 と言ってるも一緒です。

 ありのまま。
 がいい。

 この考え方は、
 フツー安全だ。

 という世間一般の常識を基準にしているのでしょう。
 
 でも、
 普通日常が危険だ。
 フツーに危険だ。
 
 という状況が基準になっている人には不向きです。
 害すら与えるでしょう。

 ここしばらく大ブームの、
 ありのままでいい。
 のアドバイスがズレる話でした。 
  
タグ :ありのまま


2018年09月20日

助けを借りる力がいる話

 災害被災の場面では、受援力。

 心理系では、
 援助要請行動などの分野で研究されている

 誰かの助けを借りてやっていく力

 についての記事です。

 困難を抱える人のうち、

 長いこと困難が解消しない場合や、

 幼い頃から誰かの助けが十分に得られなかった場合など、

 誰かの助けを借りて、自分の困難を解消できた経験が乏しいと、

 誰かの助けを借りるという発想がなくなり、

 誰かの助けを借りるといいことがあるという希望もなくなり、

 自分の力頼みでやっていくしかない。

 誰もアテにならない。

 誰も信頼できない。

 自分の望みは自分で叶えるしかない。

 できることは限られているから小さな少しだけの望みを叶えよう。

 として、

 小さく小さく暮らしを縮めた生き方を選ぶ場合があります。

 長年こもっている場合。

 社会でどうにも上手くやっていけないと思った場合。

 そもそも誰かが自分のために役立つことをしてくれたことがこれといってなくて、

 どちらかというと自分ただれかのために役立つことばかりで、

 結局のところ、いつも自力でやっていくしかなくて、

 それを誰もが期待している場合。

 などです。

 この場合、
 他者への
 不信感
 不信頼感
 不審感
 がとても強く、

 これまでの人生で自分の能力の限界を痛切に感じることが多いために、
 自分への
 不信感・不信頼感
 もまた同様に強いことが多いようです。

 それは、
 自分の人生への
 不信感・不信頼感であり、

 自分の人生を
 肯定しない
 ことにもつながり、

 自分の未来に
 希望を持てない
 ことにもなります。

 だから、
 誰かの助けを借りる気も起きない。
 それで、問題は解消せず

 暮らしていく不満は募るばかり。
 という悪循環。

 自助グループで学んだことの一つに
 手放すというのがあります。

 都合これは、
 誰か、なにかに委ねる。
 ということを意味しています。

 何を?

 自分の手に負えない問題をです。
 
 そしてこれには、
 自分の処理能力以上の問題。
 と、
 自分の問題じゃなくて誰かの問題だから。

 の2種類があるようです。

 医師や福祉職、相談職などの専門職を頼り、
 自分の手に負えない部分を委ねる。

 少しでも問題解決に役立ちそうな誰かからの提案を
 試しにやってみる。
 少しだけ提案に委ねてみる。

 自分のこだわり、
 怯え、
 恐怖、
 意地、
 を手放し、

 暮らしが楽になりそうな手立てに委ねてみる。

 自助グループでのたとえ話では、

 箱の中のキャンディーつかみ取りの時、
 手一杯に物をつかんでいると箱の出口にひっかかって何も手にできないけど、
 少し手放すと、なかなかの数が手に入る。

 と学びました。

 不信というこだわりを手放すことで、
 楽が手に入ることはあります。

 助けを借りる力を手にする話でした。

  


2018年09月10日

2つに1つの選択肢しかないと自分を追い詰める話

 不登校・ひきこもり界でよく見聞きする言説があります。

 是か非かです。

 学校は是か非か。

 不登校は是か非か。

 ひきこもりは是か非か。

 就労は是か非か。

 働かないことは是か非か。

 金儲けは是か非か。

 いずれもどちらかの立場に立って、相手を否定します。

 自分のほうが正しいと、強く主張します。

 そんなことが数10年続いています。

 先日、ひきこもりと就労について考えるイベントでもそうでした。

 是か非。

 自分の立場と一緒はOK

 反対の立場はNG

 議論は平行線。

 はるか昔から、きっとこの先も。

 是非。

 いいか悪いか。

 学校行くか行かないか。

 社会参加するかしないか。

 働くか働かないか。

 金儲けはいいか悪いか。

 どちらかがよくて、逆はダメ。

 どっちか一方しか認められない。
 評価されない。
 受容されない。
 肯定されない。
 同意されない。

 どっちか一方しか認めない。
 評価しない。
 受容しない。
 肯定しない。
 同意しない。

 どっちか一方だけ認める。
 評価する。
 受容する。
 肯定する。
 同意する。

 この極端性とお互いの立場の行き来がないこと。
 極の端と端に固着して相手を否定する。

 このことが
 問題解決の一番の障害、
 事態悪化の主因
 のように思えています。

 たとえばもし、
 学校に行かないことが正しいという立場を貫く(固着)としたら、
 行きたい学校に出会ったときに悩みます。
 すると、
 学びの機会が制限されます。

 もし、金を稼がないことこそ自分らしい生き方だと固執するならば、
 稼がなければならない事態に遭遇すると困惑します。
 自分の主張と違う・・・
 仲間を裏切ることになる・・・
 すると、
 金で解決できる問題や実現できることに取り組めなくなります。

 自分の考えとは違うけど、相手の意見も認める。
 それなりに評価する。
 そういう考えもあるなと受容する。
 相手の立場を肯定する。
 同意する部分もあることを知る。

 今のところ自分の立場は決まっているが、反対の立場に立つかもしれない。
 
 または、今現在で一部重なるかもしれない。

 固着しないで柔軟な発想を持っていれば、
 今の自分に最善の選択ができるように思えます。

 そのためには、
 なぜ自分が特定の考えや立場にこだわるのか?
 反対の立場の何が気に入らないのか?
 を知っておくことは役に立ちます。

 金を稼ぐということは、犠牲が大きくて、誰かが不幸になることだから稼ぎたくないんだ。
 労働者から搾取する形の稼ぎ方が嫌だ。
 稼いでしまうことで自分が堕落しそうで嫌だ。

 不幸にならない稼ぎ方、
 搾取とは言えない稼ぎ方、
 堕落しない財産の活用法、

 対策はありそうです。

 一方で、
 それほど稼がずともつましく暮らす方法も楽しそう。
 と反対の立場の人が考えたら、

 お互いの経験をシェアできそうですね。
  


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2018年09月05日

カウンターの歴史としてのひきこもり支援 3

 私聞風坊が語るひきこもりの歴史です。

 今回は、2015年(H27)頃から。

 この頃、
 新しい支援制度が動き出しました。
 生活困窮者自立支援制度です。

 2015年(H27)年から始まった生活困窮者自立支援制度のなかで、
 ひきこもり支援が明示されたことは、

 全国親の会等が中心となった、
 ひきこもりという新たなカテゴリーを作って支援する制度の制定を願っての社会運動の一つの成果です。
 
 生活困窮者自立支援制度は、
 生活保護状態になる前に、まだ頑張って自活している状態の時に手厚い支援があれば、
 保護を受けずとも困窮状態が解消されるということから始まりました。

 この中に、ひきこもりが含まれたのです。

 いきさつとしては、親の高齢化の問題があります。
 親も子も高齢だという8050問題です。

 長くは児童期不登校のころから、
 短くとも30代で離職してから10年以上、
 社会と距離を置いた生活をし中年を迎えた子ども、を抱えた親は高齢です。

 親は年齢的に就労での収入が望めなくなります。
 ところが、
 家族の内、他に働き手はいません。

 生活費がたりません。

 困窮となります。
 ※実はそのずっと前から困窮している気もしますが。

 そうならないように、
 または、
 そうなってからでも、
 なんとか、状況を改善していくための支援が始まっています。

 ひきこもりを病気でもなく働けないでもなく若者でもなく
 困窮でくくって制度支援しようという新機軸の支援です。

 これは、
 ひきこもりは若者の話じゃない!
 というカウンターと、

 お金に余裕があるわけじゃない!
 というカウンターの、

 2つのカウンターです。

さて、
 ひきこもり支援は現在、
 ひきこもり地域センターと困窮者支援の2つの窓口があります。

 ところが、
 困窮の専門家はひきこもりの専門家ではありません。
 就労支援としてひきこもりを支援する方向性だからです。

 一方で、
 医療に強いセンターは困窮・就労の専門家ではありません。

 支援機関には得意分野があります。
 それは不得意分野があるということです。

 だから、
 2つはもとより地域の支援関係者が連携することが重視されています。
 不得意分野を相互に補うのですね。

 こんな感じで現在のひきこもり支援がデザインされています。
 絵に描いた餅にならないように、実行が期待されています。
 
 ひきこもり支援は、模索の連続です。
 支援の歴史は模索の歴史です。

 それは、こもる人へのよりよい支援を模索しての
 それまでの支援法を批判する形、
 つまりカウンターとして進んできました。

 支援を受ける者としては、
 支援の方向性が大きく変動することで大混乱が生じているのですが、

 本質的には、
 思いやりの歴史なのです。

 終わり。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年08月30日

カウンターの歴史としてのひきこもり支援 2

 私聞風坊が語るひきこもりの歴史です。

 今回は、ニートブームが終わった2010年頃から。

 長年のたゆまぬ努力により社会問題として認知されるようになったひきこもり問題ですが、
 日本社会の問題であるひきこもりを担当する省庁はどこかというと、
 厚労省と内閣府だったんです。

 一つに絞れない!
 どっちが担当するんだ?
 どっちつかずと言えばどっちつかずだったんです。
 この頃特に。

 内閣府は子ども・若者支援の担当です。
 若者の定義は40歳未満で、16歳以上の若者の全国調査をするとひきこもりの人が数十万人いるということが分かりました。
 それにもとづいて、支援者読本を策定しています。2011年(H23)

 一方の厚労省は、医療・保健と労働が担当です。
 ひきこもりに関しては、2003年(H15)と2010年に精神保健センターなどが中心となって医療的サポートを核とする意図の支援のガイドラインを策定しています。

 特に、新版ガイドラインと呼ばれる2010年の厚労省ガイドラインでは、
 一貫して医療目線からの見立てと手立てと地域の関わり方が記してあります。
 
 病気じゃない! 働いていない人たちないんだ!

 に対抗するかのように、

 2作目は、
 より強く激しくなってアイツが帰ってきた!

 かのように、

 ひきこもりは病気だ!
 だから医療が最優先なんだ!

 と、
 前回のガイドラインより 
 より医療職を濃く、
 そして医療の必要性を強くうったえています。
 ※そんな感じがします。
 
 2回目のカウンターです。

 関連して、
 ひきこもり地域支援センターの設置が勧められています。

 これ以降、
 ひきこもり支援は、ひきこもり専門の(医療に強い)支援機関が行う方向性となっています。

 でも、医療、特に精神科医療には簡単につながりません。

 偏見があるからでしょう。

 薬漬けにされる。
 人間終わり。
 そこまで弱くない。
 そこまで堕ちてない。

 つながったとしても、
 「本人が来なければ」
 という医師の一言で、
 つながりが終わってしまうことはまだあるようです。

 こもる本人と医師が少なくとも一度は直接会わない限り、
 医療してはならない決まりだからです
 直接診てもいない人を診断・治療してはならない。
 当然といえば当然の決まりですね。

 そんなこんなで、受け入れ体制は徐々に整ってきているけれども、
 そこへつなぐことが難しい状況はいまだ変わらずなのです。

 就労先の確保を出口問題とするならば、
 支援先につなぐ難しさは入口問題と呼ばれています。

 就労支援が効果が発揮できなかった理由の一つがこれだと思われます。

 こもる人は支援につながらないのです。
 つながってもつながり続かない。

 これぐらい、
 社会につながることが困難なのです。
 こもる人は。

 こんな、
 困難続きのひきこもり関係の、
 現在については、

 次の記事で。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年08月25日

カウンターの歴史としてのひきこもり支援 1

 私聞風坊は、ひきこもり当事者として活動して、20年近くになるので、

 ひきこもりについて、ある程度の歴史を語れるようになっています。

 今回は、ひきこもりがどう扱われてきたかを、「カウンターという思いやり」の歴史として振り返る連続記事の最初です。

 まずは、その始まり。

 病気が原因とはいいきれないのに、24時間の内ほとんどを自室で過ごしている人のことを

 社会活動=他者と関わる活動を行っていない。

 社会=集団に参加していない。

 という意味で、「(社会的)ひきこもり」と名づけたのは、斎藤環医師です。

 1998年(H10)のことです。

 しばらくして全国組織の親の会が立ち上がります。
 2005年(H17)頃です。

 親の会は、当初から社会にうったえる活動を行っていました。

 我が子は、
 強迫性障害、被害妄想、人格障害を患っているのに、治療を受けずに家に引きこもっている。
 親だけの力では限界だ。
 社会が手厚く手助けしてくれないともうどうにもならない。

 として、
 社会からの制度的支援(法に基づく支援)を強く求める運動を続けます。

 ひきこもりと言えば当時は、痛々しいほどに病んだ若者。というイメージでした。

 (関係者の頑張りで)
 このイメージが一時日本を席巻しました。

 すると、
 イヤ、そんなことはない!
 とプロテストする意識が生まれるのは理なのでした。

 こもる人は病気じゃない。働いていないだけなんだ!
 です。

 あまりにも病気のひどさが強調されすぎた感を持ったのでしょう。
 ひきこもりの若者の尊厳を回復する意味合いで、
 老舗の若者支援民間団体が新しい運動を展開しはじめました。

 この時期、
 少子化が問題視されはじめたことや、バブル崩壊の影響もあり、労働人口の減少が問題となっていました。
 社会としては、労働力の確保=納税者の確保が急務となっていたのです。

 そんな社会情勢下、
 各種若者支援団体の働きかけが奏功し、
 働かない若者数十万人は、
 日本の将来的コストとなりうる社会問題だと社会が認識するようになりました。
 若者が納税者にならずに、生活保護等の社会保障費の消費者・タックスイーターとなる懸念です。

 年長者たちは自分たちの老後に不安を覚えました。
 納税している若者たちも同様の不安を覚えました。自分たちの稼ぎで多数の日本人を支えないといけない!

 加えてその頃、南蛮渡来のニートの概念が導入され、
 ほどなく、この概念に取り込まれる形で、
 「ひきこもりは働いていない若者」である。
 の認識が燎原の炎のごとく日本中に広がりました。

 ひきこもりは精神的に病んでいる子どもたちから、
 就労に困難を抱える若者たちであるニートに衣替えしました。

 (関係者の頑張りで)
 この時から、ひきこもり支援は就労支援が主軸となったのです。
 最初のカウンターです。

 (関係者の頑張りで)
 国も予算を組みました。

 お金が入る! というので、
 就労支援者が雨後の竹の子のごとく発生しました。
 
 こうして、
 ニート支援に象徴される
 10代~30代・若年者への就労支援は注力され、
 若年者への就労意識、就労教育の重要さも確立しました。
 学校にキャリアサポート部門ができたり、学校に企業が出向いて講話したり、
 卒業後(退学後)の進路保証に力が入れられはじめました。
 これらは今に続いています。

 でも、
 ひきこもり支援の効果は上がりませんでした。
 ※ひきこもり関係者は予想していたことだけど。

 支援効果のなさは、
 のちの8050問題と呼ばれる高齢化問題につながっていきます。

 2009年(H21年度)、合宿型の就労支援事業である若者自立塾は事業終了となりました。

 少なくともひきこもり支援としての若年者就労支援ニート支援は、
 この頃に終わりを迎えたと考えられます。

 ※とはいえ、サポステなどの若年者就労支援はもちろん現在でも継続しています。とても大事だもの。

 この項続く。

参考サイト
聞風坊の図書館 https://sites.google.com/site/monpubou/
 論考のページなど  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年08月21日

ひきこもり支援と言えば就労支援だったそうな2

 前記事の続きです。

 現在ひきこもり支援は、困窮者の枠でなされる割合が強くなっていますが、
 お金(と気力)がないことを大前提とした長年のひきこもり支援の知見は、困窮者支援にも活かすことができます。

 困窮の場合は、
 軽々しく、病院に行こうと言えません。
 不登校を受け入れている学校があります。
 専門校に行ってPCスキルを身につけましょう。
 とも軽々しく言えません。

 通院も通学も2つともお金がかかるからです。

 また2つとも途中でやめる可能性が低くないからです。
 せっかくお金を工面したのに・・・。となりがち。
 
 そんなこんなで、
 とにかくまず、今自分につながったのだから、自分にできる限りのことをする。
 そういう心構えが必要なのです。
 
 ホントは病院に行って治療した方がいいのだけど、
 ホントは学校に行ってやりたい勉強をやった方がいいのだけど、
 なかなか難しいから。

 今ここでできる限りの支援をする。
 そういう心構えです。

 心と身体の応急手当てをしたり、
 福祉制度を一緒に検索したり、
 自分の立場で何がどこまでできるかを模索しながら支援します。

 そんなこんな経験から、

 ひきこもり支援は、こもっている人や家族が、つながった人がやるしかない。
 さしあたりは。

 と思っています。

 なぜなら、
 その人しか信頼していないからです。世界広しといえど。

 さらに、
 困窮者支援の視点から言うと、
 交通費やサービス利用するお金が十分でないからです。
 ※よりよいところを紹介されてもなかなかつながらない。

 今その場でつながった人ができる支援をする。しかない。
 ※支援者目線で言うと、自分の目の前にいる人、電話の前、メール画面の先にいる人を、今その場で支援できるのは自分のみ。

 ということは、
 高齢・障害福祉も医療もピアも教育も心理も法律も司法も就労も雇用も近所づきあいもアイドルグループも定時ニュースで必ずきちんと挨拶してくれるNHKのアナウンサーも。支援者になると言うことです。
 ※もちろんニーズにマッチすれば。
 
 それは、専門家に限らず誰でも支援できるということです。
 逆に言うと、幅広く手助けが必要と言うことです。

 つまり、
 ひきこもり支援は、総合支援なのです。

 だから、
 支援者には、総合力が要るのです。

 もし、
 個人で力不足ならばネットワークを作ります。

 個が結集することで総合的な支援力が確保できるからです。
 ※組織が結集する必要性もあるでしょう。

 就労面の支援だけでなく、
 こもる人を多方面から支える、手助けする。

 こもる人への支援には、この総合態勢が必要です。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年08月20日

ひきこもり支援と言えば就労支援だったそうな

 少し前に個人的に判明したことです。
 個人的にリサーチして。
 
 かつて、
 ひきこもりの支援と言えば、就労支援だったそうです。
 ある意味、現在でも継続されているそうです。
 知りませんでした!!!

 これは、全国的な話なのでしょうか?
 少なくとも東京圏ではそうだったようですが。 

 私自身のことを思い返せば、
 ひきこもり自助グループを仲間と立ち上げてやっていた頃に、

 若者自立支援の名目で、宮崎の若者支援現場が動き出して、
 そこに自らアクセスして、NPOに所属して支援に関わることをやり始めたのが2005年。

 ひきこもりを対象の一つにしていましたが、その団体の意識としては無業の若者であるニート支援でした。
 
 当時はひきこもり=ニートと認識されていた時代だったからです。

 その環境下、

 ひきこもりとニートは違います! とNPO組織の内部で言い続け、

 働きたくなった、働く場面に意識が向いている人の(そういう人に限り)就労支援をするように意見し続けた記憶があります。

 働く気力がわかない人に就労支援をしてはならないという意味も含んでいます。

 この頃は、当事者活動ばかりやっていた時期なので、
 当事者の声を届ける役目に意欲満々! 
 な思いの強さが影響していたようです。

 そんななので、
 話せるニート当事者がいるということで、地元マスメディアの取材もたくさん受けました。
 地元ニュース番組にも出ました。コミュニケーション障害のニートという設定で。
 
 正直なところ、特段就労に意識は向いておらず、そんなこんなを事前の打ち合わせで細かく意見交換したにも関わらず、コミュニケーション障害の就労に悩む若者としての取材でした!
 ※社会が求める当事者イメージを引き受けた!

 私はすでにそれなりに社会の仕組みを知っていたので、
 メディアは自分たちの意図に合うようにインタビューを編集するだろうから、
 そうならないよう腹をくくり取材を受けました。

 若者は高度経済成長から始まる現代社会の犠牲になっている。

 学校教育で個性を尊重されなかったことが原因だ。

 みんな働きたいんだ。働く機会がないんだ。

 みんな自己肯定感が低いんだ。だから自己肯定感を上げる支援がイイんだ。

 みんなコミュニケーション障害だ。コミュニケーションの練習が最優先だ。

 メディアが用意したそういうありきたりの結論に持っていかれないように。
※さぞ、取材しづらかったでしょうね。かわいげのない当事者だもの。

 さて、
 ニート支援は別の言葉で言うと若年者就労支援となります。
 一言でいうと若者支援です。

 私が身を置いていた宮崎市の若者支援界では、
 サポステや、若者自立塾や、
 若者の支援をしている人たちのネットワークである支援者ネットなどが徐々に立ち上がっていきました。

 民間団体みんな連携しました。
 若者支援・若年者就労支援=ニート支援という意識で。
 
 最近では、
 若者ではなく、老若男女、当事者・家族区別せず困難を抱える人へ何か手助けをする「その人支援」という形になってきています。

 こんな感じで、
 2000年代初頭に始まった宮崎の若者支援ですが、
 この間ずっと、ひきこもり支援はなかったと私は認識しています。

 私のまわりの支援者は、
 こもる人も含む「若者を支援している」感覚だったからです。

 とはいえ、すでにもう高齢化が取り沙汰されていて、
 私自身も若者と呼ばれるにはちと心苦しい中年にさしかかっていたので、
 ほどなく高齢化の問題にも視点を向けるようになりました。

 でも、どこから手を付けていいのか分からない!
 高齢化と言っても介護問題とはちょっと違う。
 はてさてどうすると困っていたところ、ふとひらめきました。

 子が高齢となれば、親も高齢なので、親の福祉サービスをひきこもり支援の入口にしよう!
 逆転の発想です。

 すぐさま、
 当時市内2ヶ所しかない地域包括センターにアクセスしました。

 予想通り福祉現場の人は居宅しているサービス利用者の子どもと思われる誰かをどこにつなげればいいかで悩んでいました。

 これはもう、若者支援と言うより親子二代支援の様相です。

 支援のカテゴリーで言うと、
 介護支援、生活支援、医療支援・・・となるでしょうか。

 そんな暮らし向きだからお金がたくさんあるということを前提にできません。

 だから、
 お金のかからない支援法でやっていかねばならないのです。
 そして、今すぐ取りかかれる支援でなければなりません。

 社会と距離を置いている時間が長い分、支援する期間も長くなるでしょうし、
 親も子も高齢なので、不登校支援でありがちな「焦らずゆっくり」なんて悠長なことは言えないからです。
 
 そこから、
 今、使える制度を利用してやっていく。
 という発想が生まれました。
 新しい制度を組み上げる時間と労力がもったいない。
 それは誰かに任せて、現場の支援者は現場のことを考える。

 支援者のネットワークもこの発想をもとにしています。
 
 実のところ、
 現有制度を組み合わせれば、なかなか頼りになるのでした。

 この記事続く。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年07月25日

人の存在価値には差があると思った話

 あらゆる人に、この世に存在する価値があるというのは、誰しもが共有する価値観だと思います。
 ※実感のあるなしは別として、「まぁ、そう言われているからそうなんだろうな」と思う人も含めて。

 それを踏まえた上で、価値には大小の違いがあると思ったのです。

 単純な話、
 大統領と一般人では影響力の差があります。

 両者の言動によって、影響を受ける国の数、人の数がだいぶ違います。

 そういうことから、大統領の方に価値が大きいと思われます。

 ※ちなみに、一般人が大統領になると価値が増大しますね。
 これができるのが民主主義。

 身近な話、
 大事な人だからあの人にいてほしい。

 と思うとき、その理由はなんでしょう?

 私たちにいい影響を与えるからと言う理由は大きいと思います。

 どうも私たちの考え方では、

 社会的な影響度が人の価値の大小に直結しているようです。

 私たちが社会的な生き物で、社会をとっても大事にするからなのでしょう。

 都合、
 社会の役に立たない人の価値は小さくなります。

 こう考えると、
 人は社会の役に立ってない感覚を持っていると、自分の価値を小さく感じることになります。
 なかには、ほぼゼロと感じている人もいるでしょう。

 価値はあります。大小の差があるのです。実感として感じているのです。

 そのため、自分の価値を上げるには社会に役立つ存在になることが必要です。

 それは、社会の要望に応えると言うことです。
 自分の思いを横に置いて。

 親、教師、友人、会社、地域住民、みんなの役に立てば立つほど自分の価値は上がります。

 必死に頑張ります。
 自分のことを差し置いて。
 
 もし、
 限界が来て、頑張れなくなったとき、自分の価値は小さいままで社会から取り残される。

 そんな思いでいる人は少なくないでしょう。

 そこから自分の価値を大きくするには、
 なにかしら社会的な役目を果たすとなるでしょうか。

 役立ち感は価値がある感に直結しているようです。

 役立ち感。それは、

 路上掃除でもいい。
 家事をやるでもいい。
 健康になるでもいい。健康な姿を周囲に見せるでもいい。健康法を伝えるでもいい。

 
 社会的な価値と人(自分)の価値の大小についての話でした。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと


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