虐待を受けて大人になった人のためのケアの本を読んだのでした

2020年10月12日

『児童期虐待を生き延びた人々の治療 -中断された人生のための精神療法-』
(メリレーヌ・クロアトルら著 金吉晴監訳 星和書店2020)
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn1001.html

を読んだのでした。

子どもの虐待については、やっと取り沙汰されるようになってきた昨今ですが、
子どもの頃に虐待を受けて今は大人になった人については、まだあまり取り沙汰されていません。
特に、その治療・ケアとなると、とても資源が限られます。
現在の子どものことについても十分じゃないのだから、大人になった人のケアについてはより不十分というのは仕方が無いのかも。

トラウマケアについても、
事故や災害などのケアは進んできているのですが、長い期間をかけて未治療のままの虐待・逆境体験のトラウマケアについてはまだまだなんです。

本書は、そんな大人のためのケアの貴重な一冊です。
大人になって苦労することに焦点を当てて、ケアプログラムが開発されたようです。
だからとても助かる。

大人になって苦労すること。
それは、
感情調節と誰かと何かをやっていくこと。

つまり、
自分の気持ちの扱いと、他者との関わり方、ちょうどいい振る舞い方。
が分からずに、または上手にできずに苦労するんです。

そうなんです。
私聞風坊も、結局のところこの2つにとっても苦労したんです。
今でも。

気持ちの調整がつかないということでどんな風に困るかというと、
身体が言うことを聞かなくなるんです。

うれしいことに出会ったとき、
嫌なことに出くわしたとき、
過去のことをふいに思い出したとき。

身体が動かなくなったり、
あたふたしたり、
動きすぎたり。

なんだかとてもおかしな状態。
いわゆるパニック状態になってしまうんです。

これが、
感情で身体がいっぱいいっぱいになって、感情に身体が振り回された状態であること。
だから、
今感じている感情を知り、身体を落ち着かせることが先決であること。
を知ったのは最近と言えば最近です。

心と身体の調和を保つためには、マインドフルネス瞑想が推奨されています。
今ここの自分の気持ち、身体の状態に思いをやり。ただ受け入れる。

身体が落ち着き、心が鎮まってきたら、どうすればイイかを落ち着いて検討して実行する。
穏やかに穏やかに。それで大丈夫だから。怖いことは起きないから。起きても対処できるから。

実行にあたっては、社会的スキルが必要です。
子どもの頃に虐待を受けて育った大人はもっぱら虐待する相手にのみ関わってきたから、そうじゃない相手に対しての関わり方が十分に身に付いていないんです。
心構えというか、気の持ちようというか。
どうすればいいのか戸惑ってしまう。

身体や心への暴力がともなわない人間関係での関わり方を知らないから。
つい攻撃的になったり、身構えたり、すぐキレて立ち去ったりする。
それしか知らないから。

つまり、
人との交流のパターンがとても少ないんです。
だから、このパターンを増やす練習が必要なんです。

『こもってよし!』や『親を育てるひきこもり』に記した記録は、まさにこの練習の軌跡です。
親以外のフツーの人々、虐待環境でないフツーの社会環境で生きていく術を大人になって身につけていく過程の記録です。

さて、社会参加、人との関わりのポイントは、”パワーバランス”と指摘されています。

相手のパワーと自分のパワーのバランスを考えて、振る舞い方を変える。替える。
それが社会でやっていくコツなんだ。
そんなことを伝えているようです。

これを知らないんです。
教えてくれる大人がいなかったから。

だから、
振る舞い方を間違えて痛い目に遭ったり、白い目で見られたり、空気を読めずに浮いてしまったりするんです。

今どんな風に振る舞うべきか?

職場の上司の意見には基本的に従う感じて。
異見を言うときは慎重に。

友人同士ならそんなに構えず。正直な気持ちを伝え合うように。
とはいえ、ネガティブなことは慎重に。

相手と自分、その場の雰囲気を感じ取って、適切に振る舞う。
時には沈黙。時には雄弁。時には親しく。時には他人行儀に。
時には気持ち重視。時には理論重視。
時には優しく。時には厳しく。

たくさんの振る舞い方、豊かな交流の仕方があります。
これらを身につける必要があります。

自由に、ストレス少なく暮らすために。

そのあと、

そのあとなんです。

トラウマと向きあう。
いわゆるトラウマ処理をするのは。

リソースなんて言いますが、今ここでそこそこ安全で安心で自信をもった暮らしができるようになってから、
過去の苦痛な体験について語るのですね。
ナラティブと言われています。

以上ざっとした説明ですが、
当事者の困難にとことん寄り添って作り上げられたプログラム、手順が丁寧に紹介された本でした。
よろしかったらお手元にどうぞ。


  


逆境的小児期体験ACEについて知ったのでした 2

2020年10月08日

『小児期トラウマと闘うツール――進化・浸透するACE対策』(ナディン・バーク・ハリス著 片桐恵理子訳 パンローリング社 2019)
https://www.panrolling.com/books/ph/ph95.html
を読んだのでした。

その感想の2です。


子どもの頃に暴力や虐待などの逆境体験をした場合、それが人体に悪影響を与えて、心と身体の病気を大人になっても引き起こす。
それは、人類共通の反応であり、人類のほとんどが逆境体験を経験している。
だから、早期発見し、影響を見極め、必要なケアを行う。
それが社会で標準化される。

これが、
逆境的小児期体験・ACE(Adverse Childhood Experiences)研究を中核にすえた医療実践している著者の願いでした。

血液検査でガンマGTPが高かった。標準体重をだいぶ超過し、血圧も高かった。
だからまずはお酒を控え、食生活指導を受け食事を改善し、運動のプログラムに参加する。
それで効果がないなら降圧剤の服用も考える。
加えてACEスコアが4点以上だったから、逆境的体験の回復プログラムも取り入れる。
そんな感じでかなとイメージしました。

さて、私が注目したのは、
逆境的体験の一言でした。

これまで、子どもに対する悪い影響として取り沙汰されている事柄は、

虐待、
望ましくない養育であるマルトリートメント、
体罰、
いじめ、
が多いのですが、

これらは、
ぜんぶ加害行為に焦点が当たっています。
害を受けた子どもの側よりも。

害を与える行為はダメです。
という視点です。

そう言えば、
有害図書もそうですね。
害のある図書。焦点は図書です。子どもではない。

一方で、
逆境的体験となると、
体験した側に着目しています。

その子が、逆境に遭遇した。
逆境を体験した。
逆境を体験したのはその子。

害を受けた、害を受けている人にまなざしを送っている。
害を加える行為や、害を与える人ではなく。

この視点が、新鮮でありとても強く心を動かしたのでした。
そして、
すでにもう研究がだいぶ進み、支援に取り組まれ、成果を上げていることも、大きな喜びでした。

とはいえ当地でもまだまだの様子。
子ども時分に手当てされる人は多くなく、
大人になって、いわゆる成人病や大きな病を得てから、初めて子どもの頃の逆境的体験を思いやられる人は少なくないようです。

ましてや日本では?

そんなことを思ったのでした。


  
タグ :逆境的体験


逆境的小児期体験ACEについて知ったのでした

2020年10月04日

『小児期トラウマと闘うツール――進化・浸透するACE対策』(ナディン・バーク・ハリス著 片桐恵理子訳 パンローリング社 2019)
https://www.panrolling.com/books/ph/ph95.html
を読んだのでした。

虐待などのトラウマが与える悪い影響と言えば、
精神的な不調ばかりが注目されがちです。

ところが、
身体の不調もその影響が大きいようなのです。
※経験者は薄々気づいてます。

ACE研究はこれを明らかにします。
逆境的小児期体験・ACE(Adverse Childhood Experiences)研究。

これによると、
家庭内の虐待に限らず、犯罪が頻発する環境や、貧困によるストレスなどの環境面の影響が、
低体重や喘息など子どもの心と身体に悪い影響を与えていて、
その影響は、大人になっても、そう、一生つきまとうのだそうです。

大人になってから、
食習慣から糖尿病や肥満による高血圧や心臓や血管の障害などの病気になったり、
喫煙習慣から肺の病気になったり、
アルコール摂取習慣から依存症やいろいろな病気になったりすることも、
自己免疫疾患や甲状腺などの病気も、
子どもの頃の逆境的体験の影響があるようなんです。

逆境というストレスが、
人のストレス反応系(免疫系・ホルモン系・自律神経系など)に問題を引き起こし、それが長年にわたって、ときに一生、影響を与え続ける。

そういうことから上記の身体・人体の病気の治療や予防に、
ACE研究の知見を取り入れると、効果てきめんなんだそうです。

さて、
この逆境的体験ですが、ACE研究は、
逆境的体験は、人種性別国籍地域困窮富裕などに関係なく
ほとんどの人が経験していることを明らかにします。
そして、
体験の数が多いほど人体に与える影響も大きくなるとか。

逆境は人体に甚大な影響を与える。
のですね。

だから、
子どもの段階で逆境体験を発見し、早期ケアを始めることが重要と指摘します。

もちろん、
大人になってからでも、現病気の原因でもある逆境体験のケアを始めることが現病気の回復に役立つ!

そのために、
逆境体験のチェックリストを作り多くの医療福祉機関で活用しているのだそうです。
最初の段階(予診・問診)でチェックを実施するようです。

逆境は人体に甚大な影響を与える。

人類共通の仕組みゆえ。

実は、
私聞風坊のひきこもり研究も同じ視点・仮説に基づいていました。

人は誰でもこもる。

この仮説を実証したくてずっと研究してきたのでした。
成功すれば、老若男女人種国籍などの区別なく、こもるほどの苦痛体験の解消・軽減の道筋が見えるだろうと予測したからです。

その結果、
身体反応という結論に達しました。

人類共通の反応。
問題。
そして課題。

となれば、何が起きるか?
または何が起きないか?

その第1に挙げられるのはスティグマだと思っています。

実のところ、幼児期のトラウマ体験は、
その人を特殊な経験をした人にしてしまいます。
これが、
特殊な人という烙印・スティグマを押すことになるのです。
そうなるともうその人はフツーの人ではなくなります。
ひきこもり界では、
当事者論が盛んですが、これもこのスティグマとの葛藤から来るものと思っています。

障害者・(性)被害者・というスティグマと戦っている人たちも思いは同じでしょう。

トラウマ体験をすると、
逃げる努力が足りなかったから。
注意を怠っていたから。
無力だったから。
快復に力を入れてなかったから。
なんて、自分を責めがちなんでです。
他者からも非難を受けることも少なくありません。
支援者からですら。

そしてそれは、自分のことを
弱い、人と異なる、人に受け入れられない、
特殊な存在として認識することにつながります。
こうして、
自分でスティグマを押し、他者からも押されます。

逆境的体験に対処するように人体が反応して、
それが長期間にわたり心身に影響を与えている。

これは自然な人体の反応なんだ。
この反応は人としてフツーの反応なんだ。

自分の身体に何が起きているのかが分かれば、何をすればいいのか、何をしなくていいのかは明らかになります。

人類共通の反応であることが科学的根拠に基づいて解明されれば、

苦痛から解放される道が開かれるのです。
スティグマからの解放とともに。

そんなことを思った一冊でした。

  


どのように戦争を記憶しているかは国によって違う話

2020年08月12日

『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話』(キャロル・ブラック 講談社現代新書 2019)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000321621
を読んだのでした。

私たち日本では、先の戦争と言えば、太平洋戦争と答えることが多いかもしれません。
でも、平成を経て、令和の今では、アフガニスタンとかシリアという若者もいるかもしれません。

太平洋戦争については、
世界的には第二次世界大戦(Worl War Ⅱ)と呼ぶのが一般的らしいのですが、私の上の世代では大東亜戦争や日米戦争とも呼ばれていました。

太平洋を中心とした戦争と記憶されているか、
世界全体が戦争してその中の一つとして記憶されているか、
大東亜共栄圏確立のための戦争と記憶しているか、
アメリカと戦った戦争と記憶しているかの違いから、
呼び名に違いがあるのでしょう。

始まりと終わりについては、
12/8は、国力の差が歴然としている米国に国の存亡をかけた乾坤一擲の奇襲攻撃をかけた日として記憶されているでしょうか。
そして、終戦の8/15は、戦争が終わって平和な世界が到来した最初の日。
戦争被害から回復して新しい民主国家が興った記憶の始まりとして認識されているかもしれません。
戦争が終わったというか、新しい日本が始まったという記憶の方が強いかもしれません。

そして、
どちらの方が強く記憶されているかというと、取り上げられる多さから言って、終戦の方のようです。
私たち日本人は、終戦について強く記憶しているようです。

一方で、日本から占領された国々は、開戦日は占領という屈辱が始まった日として記憶されているでしょうか。
終戦日は、その屈辱からの解放の日であり、戦争は解放のための戦いの日々として記憶されているかもしれません。

アメリカの記憶は、12/7のパールハーバーでの初戦でしょうか。
戦争の記憶としては、理不尽な攻撃を受けて劣勢を強いられて、そこから一致団結して立ち上がり見事自由陣営の勝利をもたらしたとなっているでしょうか。
終戦は、アジアに新しい自由民主主義の国を自分たちが作りだした始まりとして記憶されているかもしれません。

または、年代によっては別の戦争の記憶が想起されるかもしれません。
ベトナムで戦った別の戦争を思い起こし、
それは敗戦の記憶として思い出されるかもしれません。

いくつもの戦いを経験しているアメリカでは、
どの戦争の記憶かで、世代が分かるかもしれません。

交戦した国同士で、その戦争に対する記憶が違うとき、
互いの国民の感情は、相容れないものになるでしょう。

さて、
ある出来事の記憶が、立場によって違うことが、引き起こす問題は多いようです。

あれはしつけだった。
という思いの親。

あれば純粋に暴力だった。
という思いの子ども。

あの出来事についての記憶が違うことは、わかり合えなさにつながります。

それは、言いようのない悲しみをもたらします。
記憶の仕方が違う。
それが要因で相互理解が進まない。
悲しみがもたらされる。

そんなことを思った一冊でした。
  
タグ :記憶戦争


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)本の紹介

トラウマを負うと恥を感じるとあるけれど

2020年07月30日

子どもの頃の虐待やトラウマのケアについて語られるとき、
よく取り沙汰されるのが「恥」の概念なんです。

虐待やトラウマを受けた子どもたちは、恥を感じているので、その点に特段の配慮が必要だよ。
という文脈です。

でも、虐待児童当事者を自認する私は、恥を感じていたかというとそうでもありません。
それで、長年、???な状態だったのです。

恥というのは、自分のことを恥ずかしい、情けない、世間に対して面目がない、なんて思う時の、あの身が縮む感覚、穴があったら入りたい感覚のことを言うのだと思っています。
時代劇などでお家の恥とか、カンフー映画で一門の恥なんてセリフがよく出てきますが、私にとって恥とは、名誉を傷つけた行為に対する感覚なんです。

もっと身近にすると、
道徳的にいかんでしょ! 的なことをやらかしたことを、
または、
大人気ないことをやらかしたことを
※怒りにまかせて子どもを怒鳴りつけて泣かせたとか。

あるいは
本来なら造作もなくやれることが気持ちがたるんでいたためにやれなかったことを、
※確認を怠ったばかりに洗濯機から水があふれ出してそこら中びしょびしょになったとか。

認識した際に感じる感覚でしょうか。

ところが、
ひどい目に遭っていた当時も、今になって思い返す際も、そんな感覚にはなりません。

どんな感覚かというと、
悔しい! 
これにつきます。

そしてなによりも、
自分が恥ずかしいという感覚はありません。
自分がなにか恥ずかしいことをやらかしたという感覚もありません。

なぜなら、
やらかしたのは親だからです。
恥ずべきことをしたのは親だからです。
そんな親の行動に怒りの感情はあります。
でも自分を恥とは思わないのです。

そんな親のことを愚かとは思いますが、恥とは思いません。
そう、私には恥の感覚がない。恥の感覚がない被虐待児だった。
どういうこっちゃ?
そんなこんなで、???だったのです。

そんなところに最近、
『児童期虐待を生き延びた人々の治療』という本に出会ったのでした。

これは、大人になった虐待児童のケアの本です。
大人の視点から説明があります。とても助かっています。
これまで子どもの視点の本は割とたくさんあったのですが、ケアを受けずに大人になった人向けの本はまずなかったからです。

一読して、
虐待やトラウマのケアでの「恥」のイメージが私のと少し違う感じを持ちました。
悔しいとか、情けないとか、自分の人生や過去の出来事に価値を置けない、未来を描けない感覚、
当時の無力感、自分のためになにもしなかったことなどを思い返す際の反省する感覚、
誇りに思えない過去、家族、自分、
など、だいたいのネガティブな自分にまつわる感覚を「恥」と捉えるようなんです。
ならば、よく分かります。
まったく腑に落ちます。

愚かな親を持った自分の人生を誇りに思えない≒恥じる。
そんな親に育てられた自分に不満がある≒恥じる。
誰かに自分の親を紹介するときに感じるあの不思議な感覚≒誇れない恥かしさ。
自分がこの人たちの子どもであると紹介するときの胸苦しさ≒自慢できない恥かしさ。
あの頃と同じようなことをしている自分を恥じる。
あの頃と変わらず親の顔色をうかがっている自分を恥じる。
いつまでも親に振り回される自分の人生を情けなく恥じる。
親に対して持っている怒りの感情をいつまでも抱いて暮らしている自分の生き方を評価できない。生き方を変えられない自分を恥じる。
標準的でない人生を送ってきた自分の一般社会での身の置き場に困る=恥じる。
なんて風に考えると、「恥」も納得がいくのです。

当時の感覚と言うより、
今現在、自分のことをどう認識しているかという意味で考えるようなんです。

究極、
自分は「恥」だ。
と思っているならば、これを虐待によってもたらされた負の影響として捉えるようなんです。

とはいえ、
ここまで理解がすすんでも、やっぱりどうにもしっくりこない感じが残ります。
それで考えたのです。
「恥」という漢字、または翻訳が合致しないんじゃないかと。

試行錯誤した結果、一つの結論に達しました。

「恥」というより

「辱」

の方がしっくりくる。自分的には。

屈辱

恥辱

侮辱

辱めを受けた歴史。
尊厳を奪われ、価値も置かれず、物扱いされた、
あの、無力ゆえにひたすら忍耐を貫いた頃を思い出したとき、

成長しては、
例えば、朝毎日幼稚園に行く。
またはランドセルを背負って小学校に行くなんて
世間の常識を教えてもらえなかったばかりに、
世間の常識を知らないばかりに、周囲から冷笑を浴びたとき、

思いやりを教えてもらえなかったばかりに、
友だちとの関わり方を知らないで、友だちを傷つけ友だちから傷つけられ、
周囲から嫌われたとき、
の感覚。

苦心惨憺屈辱を覚えながら社会常識を身につけ、いっちょまえの大人になった今、
ほめられないことをした自分、
到らない自分を思い返すとき、
の感覚。

それは、辱

侮辱、屈辱、陵辱、汚辱、忍辱、


栄辱とは、衣食足りて知ることらしいですが、
親からの屈辱的な関わりが少なくなってきて、
自力で衣食を充足できるようになった大人の現在、やっと栄誉と恥辱に思いをいたせるようになってきたのかもしれません。
今に到るまでに50年以上かかりました。

児童虐待は、これぐらい大きな影響を与えるのですね。


参考文献
『私は親のようにならない 改訂版 嗜癖問題とその子どもたちへの影響』
(クラウディア・ブラック著 斎藤学監訳 誠信書房 2004)

『児童期虐待を生き延びた人々の治療 中断された人生のための精神療法』
(メリレーヌ・クロアトル、リサ・R・コーエン、カレスタン・C・ケーネン著 金吉晴監訳 星和書店 2020)
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn1001.html