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Posted by みやchan運営事務局 at

アダルトチルドレンの本を再読したのでした

2021年05月07日

自分がアルコール依存症の子だと認識したのは、こもった頃、いまからおよそ20年以上前でした。

ひとり部屋の中で、何をすればいいのか? 自分に何が起きているのか? 自分の身に一体何があったのか?
自問する中で、ふと手にしたアルコール依存症の本が私に気づきを促し、

そこから、むさぼるように読みあさったアルコール依存症の影響を受けて大人になった子どもたち=アダルトチルドレンの本の中の1冊についての話です。

最近、
自分のオリジナルを確認したくなって、久しぶりに手に取ってみたら、とっても面白いことが書いてあったので、
少しばかり内容をご紹介します。

読んだ本は、
『リカバリー』(ハーバード・L・グラヴィッツ、ジュリー・D・ボーデン著 大越崇訳 星和書店刊 1994)
です。

副題にアダルトチルドレン・ガイドとあるように、アダルトチルドレンが呪縛から解放されるための指南書です。

Q&A式に事細かに指南があるので、とても助かりました。
※マーカーでいっぱいチェックはいってました。あの頃の私の気持ちが察せられます。

その中で、興味をひいたくだりをご紹介します。

どうやって治療者・療法家・支援者を探せばいいか? を指南するくだりです。

見込みのある療法家 に、なるべくは電話でインタビューしなさい。この方法はあなたに少しも負担をかけない。重要な ことは、療法家がアルコール依存症による問題と家族に与える影響について精通していることである。

簡単な質問内容としては、次のようなことを含めるとよい。
「アルコール依存症って、何ですか?」「それは家族に影響を与えますか?」「アルコール依存症者のいる家庭では、アルコール依存症がどのように子供に影響を与えますか?」「アラノンって何ですか? どのように役立ちます か?」「回復のためには、私は今すぐにも親を許さなければなりませんか?」などである。

注意深く聞き取り、必要な情報を手に入れなさい。

もしも答えが不明確であったり、不正確であったり、あ なたに罪の意識を感じさせたり、質問しただけなのに口をつぐむようであれば、その療法家に疑いを持ってもよいだろう。すべての療法家が役立つ訳ではない。
(p78-79)


これです!
こんな風に、ここまで助言してくれないとどうにもできないんです。

だから、
「(病院に)一度ご相談されていいと思いますよ」
というワンストップ窓口でありがちな提案では、実際の役に立たないんです。

これぐらい具体的に行動を指示して、そしてその結果の評価についてまで言及しないと「一度相談してみる」ができないんです。
相談に出向く意味がないんです。

そんなことも知らないワンストップ窓口の相談員は、自分の提案を実行しない相談者に対して、なんべん言っても自分からは何もしない人ってレッテル貼ってるかもしれません。

本での指南は続きます。
そうして探した結果、最終的に選定されるべき理想の療法家像についてです。こんな療法家なら間違いないとのことです。

私たちが特に勧めたいのは、「不愉快になるのをいとわず、率直に力強く話し、やさしい心を持っ た奴」 (SOB with a heart)と言えるような療法家を捜し出すことである。

その人は、私たちがいかなる治療関係においても基本的要素と見なす二つの特質を併せ持っている。

SOBは、療法家 が自ら進んであなたと向き合い、誠実に対応し、その上、あなたやアルコール依存症という病気にびくともしないことを意味する。

「やさしい心を持った」というのはその療法家が、あなたがどのように感じ、あなたがどのように出会いを体験するかについても心配りしてくれるということだ。

このような治療家は、あなたにこの両方の特質をもたらすことができるはずだ。

療法家がアルコール依存症の家族出身か否かより、療法家のアルコール依存症に対する知識や態度、およびあなたの質問に対する療法家の反応のほうがはるかに重要である。それは、療法家が精神分析家かユング派か、 ロジャーズ派かゲシュタルト派かより、もっと重要なことである。
(p79~80)


私は、アダルトチルドレン療法家には出会っていないのですが(一般的な心理療法家にはたくさんお世話いただいています)、アダルトチルドレングループのメンバーの姿勢、グループの姿勢がこんな感じでした。

慈愛が基盤にありつつも、
触れたくない話題にも平気で触れてくるし、厳しい指摘もあるし、アダルトチルドレン特有の不健康な習性については毅然として立ち向かうしって感じ。

そして、
これがよかったんです。

こんな感じだから、
困難を抱える人には、
困難の解消のための、指南書、手引き書、手順書、マニュアルと適切なガイド役がいるのです。

心にたまった鬱憤を晴らすガス抜き的な共感支持よりも、
どうしたら困難を解消していけるのかというガイドなんです。

そして、そのガイドは慈愛をベースにしているからこその、
辛辣辛口、厳しく率直で誠実な口調でしょう。

そういえば、
私のこのブログも、そんな感じじゃないかしら。

参考
著者が設立に関わったNACoA(National Association for Children of Addiction)
のサイトURLは、
https://nacoa.org/

イギリスのはこちら。
https://nacoa.org.uk/


※英語のサイトです。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)本の紹介

親業の本を読んだのでした

2021年04月26日

『理由ある反抗 親業-いまを解決する話す技術・聞く技術』(近藤千恵著 総合法令刊 1998)
を読んだのでした。

アメリカの心理学者のトマス・ゴードン博士が開発した親を対象としたコミュニケーション技法のトレーニングは、
Parent Effectiveness Traningが正式名称で、
ゴードンメソッドとも呼ばれ、日本語訳は親業です。

著者が翻訳する際に、
主婦業という言葉もあるのだから親業もあるだろうということで、こう名付けたとのことです。

親という役目を効果的に果たすには、コミュニケーションの技術が必須であるとの思いから、開発されたメソッドのようです。

私は、実のところ20年近く前から知っていて、
トレーニングを受けたり、トレーナーの人たちと活動を共にしていたこともあり、
私のコミュニケーション技術の多くは親業・ゴードンメソッドに依っています。

久しぶりに、ふと親業の本を読んでみたくなり、手にしたのがこの1冊でした。

感想。

面白い!
ためになる!
なるほど!
これはいい!
これだ!!
大絶賛です。

最近はやりの問題行動の矯正スキルではなく、一緒にどうしたらいいかを考えていくスキル。

親と子、私とあなたを共に大事にしつつ、問題を解決していくスキル。

人間肯定・人間信頼という人間観に裏打ちされた、その実践と技術が、
具体的でリアルな事例を豊富に余すとこなく挙げて、それでいて分かり易くテンポよく書かれていて、読んでいてとても楽しく喜び大きく勉強できました。

さて、心を打つ内容ばかりの本書ですが、その中から一つ、
問題の所有権という考え方についてお伝えします。

問題の所有権。

そうなんです。これなんです。

私がこだわっているのは。

「問題を持つ」というのは、親業独特の考え方と教わりましたが、
今風にいうならば、困難を抱える、スッキリしない感を抱くとなりましょうか。

親と子、スッキリしない感を持っているのはどっち?
にまず焦点を当てるんですね。
それによってコミュニケーションの仕方を変えるんです。

支援という視点だと、支援対象や支援ポイントを変えるってことになります。

例えば、
親が、我が子が不登校だからと支援者を頼ってきたとき、問題を抱えて困っているのは親なんです。
子どもというより。
親は問題を抱えてしまっていて自分ひとりではもうどうにもならなくなって、
人に相談をしようとアクションを起こすほどに困っているってことです。

一方の子どもは、不登校してやっと一息つけているかも知れません。
登校しているときの困り感からは解放されているかも知れませんもの。

つまり、
現状、問題は手放せた。ある意味スッキリしている。
少なくとも人に相談するほど切迫した問題は持っていないって考えられます。

ひきこもりだってそう。

なんだったら、アルコール依存症だってそう。

実は、
問題行動と定義される行動は、

周囲の人が困ったなぁ、やだなぁ、やめて欲しいなぁと思う行動なんです。

問題所有の視点からいうと、
周囲の人が問題を所有しているんです。
※ロジャーズ的に言えば、周囲の人が痛みを感じている。

一般的な言葉の使い方であるところの、
(あの子は)問題があるとか、問題児とか、トラブルメーカーという
周囲から受け入れられない行動をしている人を象徴する表現では、
このことは軽視されます。

都合、
本当に問題を抱えて、それを解決しようとアクションを起こしてきた人(※この場合親)の、
困り感や、痛みは軽んじられるんです。

こう考えてくると支援者は、
子どもよりも、相談してきた親のその痛みを取り除かねばならないとなります。

支援者は、
その人が所有している問題、抱えてしまった問題の解決の手助けをするのが役目です。

間違っても、問題を所有していないところの周囲から問題行動と呼ばれることをやっている人に働きかけてはなりません。
それは、誰の手助けにもならないでしょう。
逆に事態を悪化させることになりかねません。

誰が困っているのか?
今ここで問題を抱えて解決しようとアクション起こしているのは誰か?

支援者は、その人こそ手助けできるのです。
実のところそれぐらいの力しかありませんもの。

問題を抱えていない子どもに働きかけても力は発揮出来ません。
日本中の支援者がこれをやって支援対象である人たちに逆効果を与えているように感じています。

問題を抱えているのは誰か?
この見立てをしっかりしないとイケないと読後改めて思うのでした。
  


共感と注意とまなざしと

2021年03月22日

発達障害は、注意の向け所の問題だ。

と、最近思うになりました。

というのも、発達障害の特徴としてあげられるコミュニケーションの難しさについて、ひらめきがあったからです。

どんなひらめきだったかというと、

コミュニケーションや共感がうまくいかないのは、相手が伝えようとしているポイントに注意が向いていないから。

別のポイントに注意を向けているから、やりとりがズレる。誤解が生じる。

からじゃないかって。

※ある意味、これだけの問題じゃないかと思うことすらあります。個人的に。ほかは大して問題なしって感じで。

実のところ、人がコミュニケーションする際、ポイントのズレはほとんどの場面で起こっています。
このことは誰しもが経験的に知っていることでしょう。

では、
どうしてそれがおおごとにならないのでしょう?

または、
どうやって、おおごとにならないようにしているのでしょう?

単純明快!
ズレを修正しているからですね。

すると次の問いが立ちます。

どうやって?

これまでのコミュニケーションを振り返ると、
どうやら、
瞬間瞬間に相手の反応を見ながら自分のコミュニケーションの仕方を調整しているからのようです。

つまり、
相手の反応を見ながらコミュニケーションしている。

独りよがりにならないで。
自分の言いたいこと聞きたいことばかりに注意を向けないで、きちんと相手の様子も知覚しながらコミュニケーションする。
こんな風にしているから。

ズレが大きくなっておおごとになる前に、
ちょこちょこ軌道修正しているのですね。

では、
どんな風に修正しているかというと、

ズレが生じていると、相手の相づちが止まります。
眉をひそめます。
笑顔じゃなくなります。
唇がへの字になります。
黙ります。

その時こそ、修正チャーンス。

あれ、違った?
ん? ちょっと待って、整理させて。
と言ったり、

えぇーっとぉっ・・・と目線をずらして、
一呼吸置いて思考をを整えるなどして、

その場でズレを修正しながらコミュニケーションしている。

こうして、おおごとにならないように、
人と人がコミュニケーションすればどうしても生じるズレを(無意識に)修正しているのですね。

さてこの、
相手の反応を見る。

ということを学んだ最初の体験は、
かつて自分が親などの養育者からまなざされたことと思われます。

見ることができるようになるにはまず見られる体験をたっぷりすること。
ってこととです。

相手の顔がある。
相手が見ている。

相手が眉をひそめている。
なんかやな感じだなぁ。

目がおっきくなった。
口がぱっと大きくなった。
つられてこっちも。
なんか楽しいぞ。

お、なんか変な感じ。
なんだなんだ????
相手も変な顔だ。

また目と口がおっきくなった。
つられてこっちも。
うひょひょひょ。

相手から見られている。
まなざしを受けている。

無言のやりとり。
それでいて気持ちが通じ合う。
影響し合う。
まなざしの交流。

相手の変化と自分の気持ちの変化の両方に注意を向けながら交流する。
そんな体験です。

そしてこの感じ。この感覚。
カウンセリングの基本の共感と一緒な感じなんです。

話を聞いて、相手が感じた感情を、カウンセラーも同じように感じる。
共に感じる。
これが共感。

あぁ、私もそう感じる~分かる~の、
同感とは違うと言われています。

相手の感じを共に感じるのです。
それは、カウンセラーが独自に抱いた感情、感じではありません。
相手から伝わってきたそれらがカウンセラーの中で再現されているからです。

そんな体験をしているときのカウンセラーのまなざしは、
かつて、
自分を共感的にまなざした親などの養育者のそれときっと同じじゃないかと思います。

困難を抱えそれをまだ十分に言葉にできていないクライエント(相手)へのまなざし。

心の裡が整理できなくて、どこに、何にポイントを置いていいのか分からないクライエントへのまなざし。

穏やかに、共感的に、思いやりを持ったまなざし。

それは、
クライエント(相手)はどこをまなざしているのかなぁ?
と言うまなざし。

こういうことから、
発達特性から、注意の向けどころが相手とズレてしまっている人へのまなざし。

も、同じようであれば、穏やかにズレが修正されポイントが一致できるのではないかと思います。

つまり、
穏やかに、共感的なまなざしで。

これが、
通じ合うためのポイントじゃないかと思うのでした。

参考文献
『自閉症スペクトラムの精神病理 星をつぐ人たちのために』(内海健著 医学書院刊 2015)
  


『魂の殺人』を読んだのでした

2021年03月09日

『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(A・ミラー著 山下公子訳 新曜社刊 1983)
を読んだのでした。

ずいぶんと前に書かれた本で、だいぶ前から気になってはいたのですが、なかなか読む機会がなく、最近になって初めて読みました。

その感想です。

とにかく、
ビックリです!

これでもかこれでもかと。
子どもをモノとして扱う教育の実態が記載されているんです!
そんな本だったのか~!

著者は、
そうして事実を積み重ねて、
親による子の支配、子の魂の殺人について語っていき、
そこからの解放のすべを説くのですね。

著者によると、
世界中の人の不幸は、親が子に行う「しつけ」という名の闇教育(家庭内教育)が根源みたいです。

そして、
それを基盤とした学校や社会での闇教育(社会での教育)が決定づける。

つまりは、世の不幸は、
子どもの尊厳・立場・痛みに価値を置かない教育の問題。
みたいです。

原題「Am Anfang war Erziehung」はドイツ語で「最初に教育があった」という意味とか。
なるほどです。

とにもかくにも、
家庭内の教育で人は残虐な行為を学ぶのだそうです。

そうして育った大人たちが作った社会だから、残虐行為がまかり通る。

その教育を受けて大人になった子どもたちが同じ教育を次世代に施す。

そういう闇教育の連鎖があるのだそうです。

だから、
その闇教育の呪いから解放されることで、その人らしい生き方ができるようになるのだそうです。

本書では、
極端な例で論証していますが、実のところ、あらゆる教育という思想、構造が、同様の危険性をはらんでいることも示唆しています。

学校教育、地域での教育、風潮による教育、新人研修教育、専門家養成時の教育・・・・。

教育現場が、
暴力、ハラスメントの温床になりかねないのです。
実際、暴力やハラスメントはとても多い。

さて、
闇教育の根幹思想は何かというと、
大人による子の支配みたいです。

子どもは親に絶対服従で、親は子どもの上に君臨し、自分の好きなように思うがままに子どもを利用する。
それが子どもにとっての正しい教育だ!
という思想。
※家庭外だと児童生徒は教師に絶対服従で・・・。社員は上司に絶対服従で・・・。となります。

親・大人による支配と子どもの矯正。
親・大人が設定するところの望ましい子どもに仕上げること。

それが正しいこと、当たり前のこと、子どもにとってよいこと、ふさわしいこととして、子どもを教育する。

そんな教育法です。

そういう教育を受けた子どもは、非難否定された自分を嫌い、そんな自分を感情とともに自分の奥底に押し込めますが、

押し込められ抑圧された自分やその際に抱いた感情はゆがんだ形で放出されるそうです。

残虐行為、犯罪として。

他人の中に、嫌悪する自分の姿(親・大人から望まれない自分)を見て、それ(親・大人から望まれない自分)を排除・抹消するために、
他人を加害する。

親から学んだ残虐なやり方にのっとって。

そしてその残虐性には、親への復讐の意味もあるようです。
親に対してはできなかった反撃・攻撃。
を力弱き他人になす。

暴力的に。怒りを放出させて。

なぜなら、
反撃されないから。
その後が怖くないから。

うっぷんが晴れて少しすっきり。
でも、根幹の痛みはいやされない。
だから、またやる。
繰り返し繰り返し。

出版されたのは40年ほど前なので、21世紀・令和の現在ではこれほど悪くはないでしょうが、まだ親が自分のいいように子どもを利用することが受け継がれているように思えます。

虐待件数の多さが物語っています。

虐待を英語ではabuseといい、これは、ab-useで不適切な利用という意味です。

不適切な扱いをされた子どもたちが大人になって作った社会が今の社会です。

とはいえ現在では、
闇教育の問題に気づき、あらゆる人を尊重するという価値観に目覚めた人たちが少しずつ増えてきたことから、
適切な扱いをされた子どもたちも大人になっていることでしょう。
※まだまだ少数派かしら。

そして、
その大人たちの中には、
不適切な扱いを受けて、闇教育を受けて、大人になってからそれに気づき、自分を適切に再教育した大人たちもいるでしょう。

人権を守る。尊重する。感情を大切にする。相手を思いやる。自分をいたわる。
それがフツーにできる人たちが増えていく。

それに併せて、社会は少しずつよくなっていくでしょう。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)本の紹介トラウマ

誰もボクを見ていない 3

2021年03月05日

ノンフィクション書籍
『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(山寺香著 ポプラ社刊 2017)
の感想の続き最後の記事です。

以下、引用部分は17歳少年の思いです。

さて、ここまでつらつらと考えてきて、大問題が立ち上がります。
少年と共通する部分が多く、勝手な推測ではありますが共感理解する点がとても多いのです。

でも、
私は、犯罪を犯していないのです。
よく考えると、虐待を受けても逆境に遭っても犯罪を犯していない人は大勢います。

この違いは何なんだ?! と考えます。新たな大問題です。

私の両親は、世間の権威やルールを軽んじていました。
そして、我流でやっていくのが好きな人たちなんです。

私も、幼い頃はその流儀に従っていましたが、学校に行き出すと、それはまずいことに気づきます。
どちらかというと、うちの家がおかしい。親が常識知らずだ。ということに。

そのため、
中学に上がる頃には、親と距離を置きだしたのでした。
全幅の信頼を置かなくなったというか、自分と関わりのあるフツーの大人としてみるようになったというか。
その頃から、親には丁寧語で話しています。
親にですます調で話す私の様子に、びっくりした級友がいました。

親の言う通りにやってたらいかん!
との思いから、
物心ついたときには、
犯罪だけはやらない!
そう決心していました。

逆に言うと、
そう強く決心せねば暴力犯罪に手を染めそうだったからでしょうね。

少年の言葉を借りれば、
「流れに逆らわないと手遅れになりかねない」
と直観的に思ったのでしょう。

お陰で現在まで、
親を親とも思わないという心の痛みは残りつつも、なんとか手遅れにならずにすんでいます。

少年の言葉が胸に残ります。

でも誰も教えてくれない。危ないから、と。誰も見ていない。p192


誰も、
少年がそこまで追い込まれていることに気づけなかった。
まさに、
犯罪を行おうとしている姿を、
高層ビルから飛び降りねばならないような状況になって怯えている孤独な少年の姿を、
誰も見ていなかった。見ることができていなかった。

だから、
誰も教えてくれなかった。少年がマズい状況にいることを。
それはマズいよって。

そして、
どうやったらその状況から脱出できるかを。
誰をまたはどの機関を頼ればいいかを。

そうなんです。止めてくれないんです。親は。
ガイドなんかしてくれない。
期待ばかりして、要求ばかりして、結果の批判ばかりして、子どもをバカにするばかりで。

だから自分で自分を強く縛り付ける。
立派であることに命をかける。

だからでしょう。
自分が配慮のないこと人様に迷惑をかけるようなことをした記憶が自分を繰り返し繰り返し厳しく責めます。
今では大分軽減したとはいえ、心が疲れているときはフラッシュバックに悩まされます。

とはいえ、
この決心だけで、犯罪を犯さなかったというのは、言い過ぎのように思えます。
仮にもし、少年の母親が自分の母親であったらと想定したら、もはや自信はありません。

私の両親は、世間は軽蔑していましたが、悪いことはしない。という人並みの良識はありました。

法を守るとか。金を稼ぐには働くとか。も。

親特有の奇妙な寛容さのために相当ずれていたとはいえ、親の認識はぎりぎり常識の範疇であったと言えるでしょうか。

犯罪をそそのかすこともないし、犯罪しないことを責めることもしない。悪いことをしたら咎める。
こういう普通常識は持ち合わせていました。

それですら、ひどい虐待・逆境だったのです。
いわんや少年の環境をやです。

人は環境の影響を大きく受けます。
非力な子どもであればなおさらです。

私の親レベルの常識を持ち合わせていれば、
主人公は罪を犯さなかったかもしれません。

私の親が主人公の母親だったら私は罪を犯していたかもしれません。

結果が、環境次第の面は拭えません。

とはいえ、
結果を左右する要件としては、

やはり子どもの自力に頼る部分は相当大きいのが現状です。

非力な子どもにできることはとても限られているけど、
流れにまかせるだけじゃダメになってしまうから。

チャンスを逃さず流れに逆らう。
流れに上手に棹さして。
したたかに。
自分の望みをそれなりに叶えて。
そこは厚かましく。

隙あらば逃げ出す心構えで。
安全第一としながら少しでも自分の利益になるよう環境に働きかけて。

負ける戦いはせず。
今は負けを受け入れ。
隙あらば勝ち逃げする覚悟で。

自分の利益になる環境を探し出し。
信頼できる人に助けを発し。
時が来るのを待ち。
それまで備えておく。

自力を蓄えておく。
知識を蓄えておく。
体力をつけておく。
味方を確保しておく。

いろいろやりながらしのぐのです。

その時が来たときに、チャンスを逃さないように。

高層ビルから飛び降りることを強要されたときは、もう怖いものはないのだから吹っ切って逃げ出して助けを求めるように。

この項終わり
  
タグ :犯罪虐待