ひきこもりと不登校の違いの話 その1

2020年02月16日

ここしばらく、

不登校とひきこもりは根本的に違う。

という思いを強くしています。

不登校は元気。
ひきこもりは元気じゃない。

そんな本能的感覚から生まれたものです。

不登校というのは、学校を30日以上欠席している状態です。

だから、どんな風に普段を暮らしているかは不登校状態と呼べるかどうかには関係ありません。

その人たちは、学校には行ってないけど、
 誰かと楽しくゲームしてたり、
 学校以外の学びの場に通っていたり、
 友人と外で遊びほうけていたり、
 布団の中にずっとくぐもっていたり、
して暮らしているかもしれません。

一方、
ひきこもりは半年以上、家族以外とかかわりを持たない状態です。

となると、
上記不登校状態の前3者は、ひきこもりには当てはまらないでしょう。
最後の状態だけがひきこもり状態かと思われます。

さて、
そもそも人は、人と関わる生物だそうです。
そうして、脅威に対処して生き抜いてきたからだそうです。

ところが、
ひきこもりの人(の多く)は、人と関わることを好みません。

またもう一つ、
人には誰かから承認されたい欲求があると言います。

でも、
結構な数のひきこもりが承認を求めていないように思えます。
そんなことよりほっといてほしい。

必要なときはこちらから必要な分だけ関わるから。
そのときだけ相手(承認)してね。
そんな思い。

私聞風坊も基本これです。

それから人は、基本的にやりたいこと、欲求があるらしいんです。
それが夢や希望となって、科学技術が発展し、世の中は便利になり、地球全土を踏破した人類は今や火星にまで進出しようとしています。

それほど強い欲求があるのですね。

でも、ひきこもりにはないかもしれません。
あるとすれば、
世の中の片隅で穏やかに静かに小さく生きたい。
それだけ。

だから、
うらやむ気持ちもあまりないかも知れません。

一般的には、
裕福な暮らしや、友達がたくさんいること・慕われること、笑顔あふれる楽しいことがたくさんある暮らし
は、憧れとなります。
これらを実現している人を見れば、うらやましいという思いもわくでしょう。

不登校の人は、いい学校に行けてる人、いい友達がたくさん人、夢を叶えている人、恋人がいる人、
などをうらやましく思う人が少なくありません。
これも、ひきこもりとちょっと違う点のように感じています。

また、不登校の人からは、
友達がほしいという声をよく聞きます。
そして、
ほめられると素直に喜びます。自信も付きます。
次への一歩のエネルギーになります。
※ひねてない感じ。

また、
この学校は違う!
あの先生じゃない!

もっと自分に合う学校があるはずだ!
もっといい先生から学びたい!
って欲求が、裏を返せば将来への希望がありそう。
それは、
将来の自分の活躍をぼんやりと意識してるってことかも。

これと違って、
こもっている人の多くは将来に期待してない感じがしています。
将来を悲観してる。
この点も、不登校とひきこもりの違いと感じてます。

とはいえ、
不登校している人の中に、こもっている人はいます。
人と関わることを諦め、将来に期待せず、ただじっと時が過ぎるがままに暮らしている。

こうなると、
不登校児童生徒と言うより、

ひきこもり状態の少年少女。
という感じ。

こんな風に次から次に疑問が湧いてきて、
ひきこもりと不登校の関係について、
はてさてどう思案したものか?
わりと長い間悩んでいたんです私。

そして、
ひょっとしたら、不登校からひきこもりにはならないのかも。
と思い至ったのです。

ひきこもりは、
学齢期では不登校と呼ばれていたところの、元々ひきこもり状態だった人が、
学校に通う年齢が過ぎて、呼び名としてひきこもりと呼ばれるようになった。

つまり、
幼い頃からもともとひきこもり状態だった。
言うならば、幼年・少年ひきこもりだった。
学校を30日欠席している不登校と言うより。
そんな仮説が湧いてきたのでうす。
※語弊を承知で言うなら、不登校という呼び名が誤解を生んだ。

似たような場合を考えてみましょう。

おおむね働いていない若者はニートと呼ばれます。
ハロワに通っていたり、サポステを利用していたりするそんなニート。
でもそれは、若年ひきこもりではないかもしれません。

親の介護のために離職して、介護職の人とよい関係を築いたり、
地域活動などしている人は、無職の中年であって、
8050で話題の、
中年ひきこもりではないのかもしれません。

こう考えると、
社会というか人との関わりからひきこもっている人。
少年少女であれ、若者であれ、中年、老年であれ。

社会と関わることを進んでは望まない人たち。

その人たちは皆ひきこもり。

社会でやっていく気がない。
自信がない。
期待していない。
人たち。

だから病院に行って病気やけがを治し健康になる努力をしない。
意味がないから。今のままでやっていけてるから。

人と関わることを求めない。※相手が来るなら最低限関わってもいいけど。

人と関わることを求めず、
欲は少なく、
人をうらやまず、
ひたすら一人小さく生きることを望む。

そんな人たちがひきこもり。

だから、ひきこもりは、
不登校とは基本的に違う。
そう思えてきたのでした。




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この記事へのコメント
(;^_^AAさん ありがとうございます。
 確かに、斎藤医師が最初に提起した「社会的ひきこもり」に収まりきらなくなっている感じはしています。20年かけて、変でやっかいな人たちというイメージも固まったようですし。

 人は誰しもひきこもるので、その度合い・スペクトラム的な考え方でやっていくのが妥当に思えています。
 ※よく引き合いに出されるのがアマテラス神話ですね。

 学校恐怖症と呼ばれていた人が、登校拒否と呼ばれるようになり、それが不登校となって、最新では学校だけが居場所じゃないよと国が認めるようになって、私たちは不登校する権利を手にしたように思えます。

 ひきこもりも同様に、生まれ持ってのひきこもり心性・こもる権利を認めることが大事に思えています。

 その上で、どう他者と折り合いをつけてやっていくか? を考え出さねばならないでしょう。
 それは、こもる人と関わる他者との話し合いで決まるのでしょう。

 お互いを認め合う中で何をどこまで譲って一緒にやっていくか? 達成した先には喜びが待っているでしょうが、なかなかの難儀な課題ですね。
Posted by 聞風坊聞風坊 at 2020年02月20日 08:00
> そんなことよりほっといてほしい。
> ・・・
> 私聞風坊も基本これです。

余計カキコ失礼いたします。。。(;^_^AA
もしあれなら ほっといても・・・です。


私感恐縮
語弊を承知で言うなら、
ひきこもり という呼び名が誤解を生んだ?
おさまりきらなくなった?

幼い頃からひきこもり気質はあった?
いわゆる「人見知り」「引っ込み思案」?
学童期に潜在的に抱えながらも登校はしていた?
ある日、精神的に現状が保てずオーバーフローした?
社会的認知属性からの離脱?
安心して「ひきこもり」できる居場所はなかった?
なのに
いつの間にか「ひきこもり」というレッテルが登場し
本人たちの心を置き去りに、レッテルだけが広まった?
時が立ち 処理?活用?など経済対策としても進められるようになった?
成功者と脱落者に分かれていった?
成功例を発信する修飾語としての「ひきこもり」?
踏み台の下で難民はもがいている?
すでに「ひきこもり」は現状のそぐわない死語?

「ひきこもり」という言葉自体のマイナスイメージ

では
「ひきこもり」の対義語って?
「ひきこもり」は普通じゃない?から、
対義語は「普通」?

私感、「ひきこもり」という言葉に違和感
一方的 格差レッテル感
自分から使うときの自虐感
「ひきこもり」に代わるよい表現は?
どこかで
「在宅ネイティブ」、「パラレルピープル」など聞いたことがあります。

在宅介護は無職?
主婦は?
どちらも無報酬
報酬となる仕組みがないだけ?

日々の食事も、病院受診も直接的 間接的 に社会とかかわらないと生きられない?


希望を求めているから生きている?
仕方がないから生きている?
こういう社会の片隅に
生きることに 命に 大きさがある?

広がる命の格差?
Posted by (;^_^AA at 2020年02月16日 09:50
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