精神疾患を抱える親の子なんだと腑に落ちた話

2021年06月16日

自分が精神疾患を抱える親の子だと気づいたのは、わりかし最近です。

子の名前を気に入らない。ってことを子に言う。
ひどいことばかり言う。
なにごとも必ずけなす。 
子の立場を思いやらない。
いつも一方的。
子に共感しない。

子と関わることをめんどくさそうにしてる。
食事作りや洗濯や弁当作りや風呂の準備やなにやかにや、
子に関する世話が自分を困らせていることを子にはっきり伝える。

子がどれほど親に迷惑をかけたか、
子がどれほど親に配慮していないかを繰り返し責め立てる、

これやられると、子どもはとても混乱します。
世話してくれて有り難いうれしい気持ちを持ちそうなのに、
気がつくと責められてごめんなさいな気持ちも生じる。
これ、メンタル的にとてもマズいんです。
いわゆる、頭が変になる感覚を持ちます。

そういえば私は、
混乱の中に生きてきた感じがします。

頭が混乱してる。あれやこれや思考がまとまらない。行動が落ち着かない。混乱してる。
気持ちも整理できない。混乱してる。

いつもあたふた。
だから、いつもその場しのぎ。目先のことだけ片付ける。それなら混乱しててもできる。

親は、
私が子どもだからと言うだけで、まったく我が家で起きていることを説明しませんでした。
同様に私の気持ちや考えを聞かない。※私からの説明を聞く気がない。
親は指図し、子はそれに従う。
そういうシンプルな構図で親子関係を認識していたようです。

だから、
私が自我を持って、No! と言い出したとき、親はとても困っていました。
同時に怒っていました。
(あいつのように)言うこと聞かない甘やかされたわがままおぼっちゃま息子だと。

つまり、
説明もなし、相談もなし、意見を聞くこともなし。
だからといって、高圧的に命令するでもなし。
指示だけ出す。
そこに意図のやりとり、感情の受け渡し、心の交流はなし。

説明しない、意見を聞かない、相談しない、
それは、
相手に価値を置いていないから。
馬鹿にしている、軽んじているから。

それは、私を家族の一員として扱わないってこと。
いつも部外者にしていたってこと。
蚊帳の外。

それでいて、
都合のいいようには利用する。
例)家族だから助けてくれ。子どもだから言うこと聞きなさい。
(親に)都合の良い子。

道具として扱う。
必要なときだけ利用する。
人として扱わない。モノ扱い。
メシを食わしてやってるのだから言うこと聞くのが当然という感じ。
今風に言えば、奴隷とか、よくて住み込みの従業員って感じでしょうか。
つまりは、
丁稚奉公の子の扱い。
または、
ケア提供者 care-giver

こんな風なので、

私の親はいわゆる毒親に当てはまるんですが、

それらは、
親の性格の問題とか、子育て方針の問題とか、しつけとかの問題とか、愛情のあるなしの問題とかではなくて。
精神疾患や精神機能障害とか精神科領域で診断がつくような状態から来るものだと、専門職となった今では分かります。
思いを言葉にすることがとても苦手だったり、自分の感情の起伏に振り回されたり。

特に、
ストレス脆弱性と呼ばれていますが、
ストレスの対処が不得手だと、状況の変化にひどく動揺するために、
自分の気持ちのやり場に困って、他者や自分を傷つける言動をすることがあるのですが、

親は、
それを小さな子どもの私に対して遠慮もなく繰り返しやってたのです。

ストレスでいっぱいいっぱいになっているので、
子がどう感じるか、どう思うか、
子にどんな影響があるかなんて気にしません。

子への配慮なんてありません。
親の心に子を思う余裕がないからです。

配慮がないと言えば、
私からしてほしくない言動をやめてほしいと頼んだ際に、
親は、

ただ、自分がそうしたかったからやった(言った)だけ。

と、悪ぶれる様子もなく笑顔でよく言ってました。
あきれる一言です。

これはストレスと言うより衝動性の問題でしょうね。
きっと自力で止められないんです。

さらに配慮がないと言えば、
我が家には、
私の他に、預かっていた子どもがいて、そっちの方が大事だとそのこと私の目の前ではっきり言っていました。わりかし何度も。

確かに、
預かっていた子は、自分の進路は親と相談しながら決めていたようです。
私は相談できませんでした。
※兄弟差別と言います。

預かっている子だから、よそ様の子だから大事にすることについて、
なぜか納得した私は、実の親にわがままを言わないようになりました。
親は預かっていた子の世話を優先する。
実子の自分は我慢する。
※とはいえ、こんな親なので、預かっていた子どもも相当苦労してました。

自分は親を頼らずに。
やりたいことは自分でかなえる。できないことは端からあきらめる。

どうせ大事にはされないのだもの。それならそれでいい。私は私。そんな気持ちでした。

親がかける愛情は、その子への方が強かったかもしれません。
激しい親子げんかしてました。エスカレートして親の折檻となりました。
※面前DV。

ちなみに、
私は激しい親子げんかはしたことありません。私が心を開いてなかったのでしょう。
早い段階で親に期待しなくなっていたのでしょう。

他者をけなすことは両親そろって盛んにやっていました。

そしてそれは、
誰とも関わらないことを推奨しているということ。

そんな両親は、
自分たちだけが正しいと思っていたようでした。
私の親は、自ら孤立を選んだ人たちでした。

親同士のけんかは毎日数時間続くことがざらでした。
目の前で罵り合うことも、遠くでケンカしていて、こちらに移動してまたケンカして、また別の所に行ってケンカしてと。
※これも面前DV。

その中で、私はテレビを観、ご飯を食べ、眠っていました。宿題もやってたかしら。
何が起こるか分からない、どんな悪いことになってもおかしくない。
だから、
早く、速く、早く、自分のやるべきことをやって、いつも何があってもいいように待機していました。
早く大人になって。力をつけて。強くなって。焦りにも似た願いを胸に。

子にまったく配慮しない、配慮ができない親の都合に合わせるために、
辛抱強く待機しておくのです。

夫婦ゲンカの動静に、聞き耳を立てながら。
おかげで変に聴力と思考力が発達したようでした。
そして、
断片的な情報から状況を把握するために、空想力、妄想力も。

親の私への関わり方は、
虐待分類で言うと、心理的虐待に当たるでしょう。
※ちなみに身体的虐待の折檻は時代背景的に普通にありましたヨ。

虐待は許されないことですが、
それは、相手(子)の立場に立てないことから来るようです。今なら分かります。

親は私に対する愛情がないわけではない。気遣いもしてくれてる。
でも、子が愛情を必要としている大事なときには・・・。
親の心に余裕のないときには・・・。
※日常ほとんどですが

きっと、
今、子のために自分が何をすればいいかが分からないのでしょう。

片親は実家から捨てられて厳格で冷酷な他人の中で大人になったようでした。
人権という言葉を心底毛嫌いしていたのですが、自分が人権を踏みにじられてきた思いが強かったからでしょう。

片親は、いわゆる合理的な配慮を受けていない。

両親とも配慮ある扱いを受けて育たなかった。
だから、自分の子への配慮が分からない。
当然です。

このことは、私は、
虐待の連鎖の中にいたということを示します。
間違いないようです。

そして・・・、

言葉は救いにもなるし呪いにもなります。
虐待の連鎖。
私がこの言葉に怯えて人生を送るようになるのは程なくでした。


タグ :虐待連鎖

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