2018年02月10日

欲にまみれた支援をしてはなりませんの話

 カウンセラー

 相談員

 教師

 医師

 看護師

 セラピスト

 コンサルタント

 弁護士

 柔道整復師

 鍼灸師

 心理士

 サポーター

 支援員

 などなど、

 誰かの手助けをする人たちがいます。

 生業にしていたり、金銭的に無償であったりして。

 その時に肝に銘じていなければならないことがあると思っています。

 それは、自分の欲をよくわきまえていること。

 人助けをしたい。

 この子の笑顔が見たい。

 この子にもっと喜んでもらいたい。
 
 病に打ち勝ってもらいたい。

 権利を大事にしてもらいたい。

 もっと儲けてもらいたい。

 感情を介抱してもらいたい。

 認知のゆがみを直してもらいたい。

 などなどの思いは、すべて、

 支援者側の欲です。

 相手の思いからまったく独立した支援者の勝手な願いです。

 支援の動機がその人にこうあってほしいという願いであったとしても、

 それを相手に押しつけることをしてはなりません。

 相手を自分の欲を叶える道具にすることになるからです。

 この思いはときに、

 私が誰かにご飯を食べさせたいから、ご飯を食べていない子どもを探す。

 そんなことにもなりがち。

 支援者は自分の欲にまみれた支援をしてはなりません。

 自分の欲とよく折り合いをつけて、相手と向きあう必要があるでしょう。

 
  
タグ :


2017年11月15日

専門職と当事者・家族が折り合えない話

 専門職というのは、専門の範囲で仕事をする人のことです。

 ということは、範囲の外の仕事はしないし、してはならない面も強い。となります。

 ケータイ電話を販売することを専門に仕事している場合、
ケータイ電話に関する範囲は専門的な知識と技能があります。当然です。
 むしろ、持っていなければなりません。

 逆に、それ以外の専門性、例えば飛行機の操縦については知識も技能も要りません。
 別に、なくても構いません。

 医療や教育や福祉やカウンセラーなどの相談の専門職も同様です。

 自分の仕事の範囲については、
 しっかり専門的な知識と技能を習得し、責任を持って仕事します。

 ですが、その範囲の外は、さほど詳しくなくてもいいし、責任はもちろんありません。

 医療は、内科なら内科、精神科なら精神科の範囲で責任を持って専門的に関わります。

 教育なら、小中高の各学校を卒業するまで、教育的な面について責任を持って専門的に関わります。

 福祉も相談職も同様です。

 自分の仕事の範囲に集中します。

 都合、範囲外には意識はあまり向けません。
 それするぐらいなら(人の仕事の心配するぐらいなら)自分の仕事をもっとちゃんとしろ!
 みたいな気持ちもあるからでしょう。

 つまり、専門職は、自分の専門的技量を発揮して相手の利益を向上させる視線の送り先が、

 自分の仕事の範囲までなのです。

 医療なら病気やケガが治るまで。その先の仕事については関わらない。

 学校なら卒業するまで。その先の進学先や仕事についてはその先の専門職に委ねる。

 福祉も相談職も同様です。

 一方で、そういう支援を受ける側はそうではありません。

 病気やケガが治った後、

 卒業した後、進学した後、就職した後、

 福祉サービスを使い始めた後、

 相談した後、相談が終了した後、

 がある意味本番なのです。

 支援が終わったのだから、
 その後は、自分の力でやっていかねばならないからです。

 だから、支援を受ける人、つまり当事者や家族は、

 常のその後を気にしています。

 病気やケガが治った後。
 学校が終わった後。
 福祉の利用が始まった後、回復したりして利用できなくなった後。
 カウンセリングやセラピーが終わった後。

 言うなれば、当事者や家族は一生目線なんです。

 対して専門職は一時的目線と言えるでしょうか。

 専門職は自分たちのことを考えてくれていない。

 そんな思いを持つ当事者や家族は少なくありません。

 ひょっとしたら、自分たちと専門職の目線の送り先の限界が異なっているからかもしれません。

 教育場面では進路保障と言うようですが、

 この人の一生涯を少しばかり見すえて、支援の終結の形を考える支援。

 はとても大事なことのように思えています。

   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)発達障害ニート

2017年11月08日

【告知】発達障害の教育・支援セミナーあります

LITALICOワークス宮崎さん主催で、
発達障害の教育・支援セミナーが開催されます。
皆さんどうぞのお運びを。

日時 2017年12月9日(土) 13:00~16:30
場所 南九州大学 宮崎キャンパス
参加無料
要事前予約 〆12/8

申込み問い合わせ先
主催 LITALICOワークス宮崎
電話 0985-61-0064
 
案内チラシ↓



  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)発達障害

2017年11月06日

障害とか納得がいけばあきらめもつくかもの話

 久しぶりに当事者としての発言です。

 当事者は、

 なぜ?

 という思いを多く持っています。

 日常の中でとてもたくさんの

 なぜ?

 と思う場面に出くわすからです。

 フツー学校行くよね。

 フツー結婚するよね。

 気持ちよい朝です。皆さんいかがお過ごしですか?

 止まない雨はありません。元気を出して。

 盆には帰省して、おふくろの味を味わってくるっちゃね。

 帰省の混雑で、渋滞40㎞です。

 挙げればきりがありませんが、こんな場面でいろいろです。

 これに加えて、自分の身に起きる不調も。
 
 急な出来事にとてもあたふたする。そして消えたくなる。

 外に出ることがとてもしんどい。気が散ってしようがない。

 人の言っていることが分からない。しゃべりが速すぎたり、2~3人一緒だと誰が言っているのか分からなくなる。 

 どうしても感情の起伏が収まらない。

 みぞおちあたりが不快で、そわそわして落ち着けない。

 なんでなんだろう? ま、そんなもんやし。みんな違うの?

 こんな思いで子どもの頃から大人の今まで暮らしてます。

 そして、それが、かつて経験した過酷な経験のためだったとか。
それにより、脳の機能のバランスが悪くなったからだとか。

 説明があると、

 あぁ、なるほど。それならば、フツーと違う今の自分も納得だわ。

 という風に、落ち着きのなさが減り、気持ちが少し安らぎます。

 フツーにはなれないこと。フツーではないこと。フツーになるには努力がいること。

 などの理由に納得ができるからでしょう。

 あきらめるにしても、あきらめねばならない理由に納得できれば、

 落ち着いて自分自身を引き受けることができるようです。

 フツーと違う理由の解明。
 当事者にとってはとても重要なことです。

参考図書
『いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳』 新版 (友田 明美  2011 診断と治療社)

  
タグ :障害受容


2017年06月15日

自分でレッテルを選べるかどうかが重要かも

 いわゆる支援機関がサービスを提供するにあたっては、

 対象者

 を設定します。

 医療だと、病気やケガの人。
 ※最近は健康な人の健康指導も予防医療としてやってますね。

 サポステや子ども若者総合相談センターなどの若者支援機関は、15歳以上40歳未満の若年層が対象。

 困窮者支援事業は、今困窮しているか、将来高い確率で困窮するであろう人。

 障害者支援は、障害者手帳を持っている人、または疾患やケガなどの診断を受けた人も多くの機関が対象にしています。

 これは、対象に当てはまる人にのみサービスを提供するということです。
 それ以外は対象外なので十分なサービスが提供できないとなります。

 これを、逆の立場から考えます。

 自分の利益のためにサービスを利用しようとするとき、

 だから私たちは、自分が対象であるかどうかということを無意識に考えます。

 そして、
 自分がサービスの対象であると判断したとき、

 それはまた、
 自分が困難を抱える者であるということを引き受けたとき、

 つまり自分は、

 病気である。

 ケガしている。
 
 困窮している。

 働くことの困難を抱えている。

 障害者である。

 疾患を持っている。

 などということを、受け入れたとき、初めて、サービスを利用しようと思い立ちます。

 もし、これらのことを受け入れなかったら、サービスを利用しようとは思いません。

 オレは病気じゃない。

 こんなケガ病院行くほどじゃない。

 困ってるけど困窮者じゃない。自分でなんとかできるもん。

 障害者じゃない。

 疾患はない。

 こんな認識だと利用しません。

 それは、自分が、そういうジャンルに割り振られたくない。
 そういうカテゴリーの人として扱われたくない。
 という思いを含んでいるでしょう。

 私たちがサービスを利用する際は、常にその対象の名前で扱われます。

 お客様。ユーザー。市民。県民。日本人。として。

 患者。障害者。病者。当事者。利用者。として。

 ひきこもり。不登校。ニート。困窮者。子ども。若者。として。

 これら私たちをジャンル分けする名前。

 カテゴリーごとのレッテル。

 で扱われることを引き受けられるか?

 支援機関利用の肝心のようです。

 自分はひきこもりである。

 そう思える人はひきこもり支援制度の恩恵にあずかれるでしょう。

 自分は、精神の病を抱えている。も然り。

 自分は、就労困難者である。も然り。

 自分が自分の利益のために、
 どのレッテルなら引き受けられるか?
 どのレッテルは引き受けたくないか?

 それを知ることは大事なようです。
   


2017年04月10日

コミュニケーションのズレの原因は前提かも

 言いたいことが相手に伝わらない。

 相手の言っていることがよく理解できない。

 同じテーマに沿って会話してるはずだけど、なんか微妙に違ってる感じがする。

 そんなコミュニケーションのズレは、日常茶飯事です。

 さて、このズレの原因について、最近ふと思い当たったことがあるのです。

 それは、

 会話する者同士それぞれの前提が違っているからではないか? ということに。

 例えば、

 「あのさ、この前、車買ったんだよ」

 と、相手が話しかけてきたとき、私たちは、どんな前提で相手の話を聞きそうでしょうか?

 もし、相手が

 小学生だったら?

 女性だったら?

 中年のオジサンだったら?

 自動車販売店の人だったら?


 もし、小学生だったら、

 自費(おこづかい)では買えないだろうと予測して、

 親が購入したという前提で話を聞くかもしれません。

 または、ミニカーを自費で買ったとか。

 もし、女性だったら、

 かわいい小型車を前提にするかも。※ちなみにこれ、ジェンダーです。

 もし、中年オジサンだったら、

 セダンか、ワンボックスか? ファミリータイプを前提にするかもしれません。
 ミニカーを買ったと前提する人はいないかなぁ。

 もし、自動車販売店の人だったら、お店で取り扱っているメーカーの車種だろうと前提するでしょうか。

 この時、消防車とか戦車とかトランスフォーマーとかを前提する人は珍しいでしょう。


 私たちは、無意識に、ナニカを前提します。

 それをもとに相手の言うことを理解します。

 これは、自分の前提に合うように相手の言うことを解釈するということです。

 これが、誤解のもと。

 相互理解を邪魔する原因の一つになります。

 こう考えると、
 早とちりは、相手(話し手)の前提を聞き手がとっさに決めつける行為と解釈できるかもしれませんね。

 逆に、ナニカを前提とした上で、相手に話をすることも一般的です。

 やっぱりこれが誤解されるもとになります。

 「ゴメン、なんの話をしてるのか分からない」
 なんて言われるときはこれでしょうね。
 前提がうまく共有できなかった。

 自分が勝手にor任意に前提を設定していることを知っておくことは大事でしょう。

 特に、思い込みや決めつけが激しい場合は大事ですね。
 自分が独自に設定した前提を、世界全体がフツーそうしていると思い込まないためにも。

 コミュニケーションで「?」が生じたとき、

 それは、お互いの前提が違っているからかもしれません。

 ということは、
 相手の前提と自分の前提を照合する作業をすれば、問題解決ですね。
  


2017年04月01日

自分のことを好きになるのが課題かも

 ひきこもり、不登校の親御さんの相談を受けてわりかし頻繁に感じることがあります。

 子どもを受け入れていない。
 ということです。

 子どもへの批判や、子どもができないこと、子どもが何か足りないこと。

 を嘆く言葉ばかりを口にする親御さんと話すときに感じます。

 そんな親御さんは、

 そんな自分のことを指摘されると、とても嫌がります。

 そして、自分を批判し、自分ができないこと、自分が足りないことを嘆きます。

 または
 嫌な気持になるから、自分のことはほっといて。

 子どものことだけに集中して!

 と言わんばかりに、自分のことを話題にしません。

 まるで、自分のことに触れたくないよう。

 触れたくなるような自分じゃないかのよう。

 そう、きっと、

 自分のことが嫌いなのでしょう。

 こう考えると、
 生物学的に自分の分身でもある我が子を嫌いなのもうなずけます。

 自分が嫌いな人は、そんな自分の子も嫌い。
 なのかもしれません。

 となると、
 親に必要なことは、自分を好きになること。

 自分を受け容れること。

 なのかもしれませんよ。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)発達障害ニート

2017年01月25日

だますことに平気な支援者っていません?

 実は現実の支援現場のそこかしこでよく行われていることだけど、ちょっと考えるととてもひどいことについての批判記事です。

 支援対象者が子どもでも、成人でも、その人の心が動くナニカを特定することは、支援の鉄則と言っても過言ではありません。

 例えば、ゲームが好き、アニメが好き、アイドルが好き、サバゲーが好き、憲法議論が好き、社会情勢が好き・・・。

 これをトークンなんて言います。

 もしその子、その人のトークンが、お金だとしたら、

 ひきこもる行動を社会と関わる行動に変えるために、

 「ちょっと買い物にに行ってきてよ。500円上げるから」

 とお使いを頼むのは、トークンを使ったアプローチです。

 さてこの時、買い物に行った先のスーパーに、

 偶然を装って、

 支援者と出会うように仕組んでいる場合があります。

 支援者と示し合わせて。

 理由は、支援者とツナゲルために。
 
 これは、
 親・家族からのたっての希望だったり、

 支援者が親・家族をそそのかしたりして実現します。

 でもこれ、当事者本人はかやの外。

 当事者の気持ちや意思は一顧だにされていません。

 強いて言うなら、あの子はお金で心が動く。それぐらい。

 当事者に関する大事なことを当事者以外の人が勝手に決める。
 そしてその決定を当事者に押しつける。

 この状況を、当事者不在と言います。
 
 特にこの場合は、当事者をだます構図です。

 当事者をだます行為を平然と行う支援者。
 提案する支援者。
 ケース会議などでこのだましたやり方を成功例として自慢する支援者。

 少なからずいます。そこかしこに。

 人をだます行為は問題行動です。

 支援者は、自分がなすことの倫理的な問題に敏感であらねばならないと思っています。
  


2016年10月18日

親が発達障害であること 2

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 について考えてみる記事の続きです。
 
 特に、

 どれだけ努力しても、親から共感されない、
 相談に乗ってくれない、
 社会のルールなど社会で生きていくために必要なスキルを教えてくれない、
 いつも親からの一方的な要求ばかり。
 自分の気に入らないことがあるといつまでも激しく感情的に接してくる。

 つまり、
 こちらの立場を思いやってもらえない。

 そんな子ども時代を過ごし、
 大人になっても変わらずずっと不快な気持ちを味わっている人。

 にとって、
 自分の親が特性に応じたサポートを受けてこなかった発達障害である可能性
 を考えることはとても大事なことだと思っています。

 もしかすると、
 子どもの頃から味わうあの不快感。恥の感覚。忸怩たる思い。
 は、自分の努力不足ではないかもしれないからです。

 今ここでの他者の気持ちに寄り添う。
 そういうことがとても苦手な親なのかもしれません。
 だから、こちらの思いはいつもいつも聞き届けられない。

 その結果、
 私は大事にされない。
 私には価値がない。
 そんな想いを抱くのも不思議ではありません。

 発達障害の分野では、寄り添うことが基本です。

 そう考えると、

 子どもに寄り添えない。
 子どもが寄り添うしかない親。

 なのかもしれません。

 大人になった今、
 寄り添い方というか、期待の仕方というか、あきらめ加減というか、距離の取り方というか、
 そういう親との付き合い方は、自分で決められます。

 もう、親の気まぐれに振り回されずに生きていいんです。

 親に期待することをあきらめていいんです。

この項終わり。
   


2016年10月16日

親が発達障害であること

 相手の立場に立った言動が難しい。

 暗黙の了解など、空気を読むのが苦手。

 じっとしていない。

 こだわりが強い。

 コミュニケーションが苦手。

 誤解が多い。会話の要点がズレている。

 食べ物の好き嫌いが多い。

 自分なりのルールに従う。

 融通が利かない。

 予定などの急な変更にひどく動揺する。

 感情に振り回されやすい。

 興味のあることには熱心だが、興味がないことには極めて素っ気ない。

 具体的に、ひとつひとつ説明されると分かるが、ざっぱな説明だと混乱する。

 なんて印象を持たれたり、観察されたりした子どもは、

 発達障害ではないかと懸念を持たれることが多いもの。

 でもこれ、子どもに限ったことではありません。

 お前の頭はゼッペキでかわいそう。
 なんて、子どもの立場に配慮のない一言を平気でちょくちょく口にしたり、

 子どもから相談されても、ポイントがずれた返答をいつもいつも繰り返したり、
 または、子どもがなんでそんなに悩んでいるか共感できなかったり、

 そもそも、自分の関心のあることに熱心で、子どもと関わることに興味がないことが日常しばしばだったり、

 自分なりのルール・手順を重視するあまり、社会のルール(特に暗黙の取り決め)を子どもに教えることが苦手だったり、
 または、厳しくルールを守らせすぎたり、

 子どもにいつもいつも、大声出したりやイライラして感情的に関わったり、

 基本的に自分の都合優先で、子どもにも都合があることが分からない。子どもの都合を想像しない。

 そうして、
 親がそんな関わりをしていると、子どもがどんな風に苦しんでいるかなんて、思いを寄せることをしなかったり、
 ※自分がどれほど苦労しているかには強い関心があるけれど、

 する親の場合、

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 を考えてみることは大事だと思っています。

 特に、
 親との関わりに子どもの頃からとても苦労している人の場合は。

この項続く。  
タグ :発達障害




【お知らせ】
これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。


過去記事
みやchan インフォ
みやchan ホームに戻る
みやchan facebookページみやchan twitter
QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 10人
オーナーへメッセージ
 お手数ですが、携帯・スマートホンなどからの送受信の際は、パソコンからの受信ができるよう設定をお願いします。
 当方からのお返事が送信できないことが時々あるのです。