30歳でシナリオが終わった話

2019年12月01日

最近、人生設計という視点から、改めて自分の半生を振り返ったところ、

30歳になったら実家に戻ってケリをつけよう!

そう思ってたのでした。

ケリをつけるために30年間準備して、

あらゆる(やりたい)ことを先送りして、

親子関係にケリをつける準備に費やし、

生きてきたのでした。

そうして親と勝負!

見事惨敗!

こうして私の30歳で勝つか負けるかはっきりケリをつける人生は終わりを迎えました。

これ、TA・交流分析の根幹理論の脚本で言うと、

脚本を達成したとも考えられます。

脚本成就!
見事にその通り!

ところが、
その先のシナリオはありません。

死ぬまでのシナリオを書いていないからです。

結末のない・オープンエンドと呼ばれる脚本のパターンです。

だから、
その後の20年は、まさに生まれ変わりの日々でした。

ノーシナリオ。
アドリブの連続。

詳しくは拙著やこのブログに記してあります。

それは、新しい人生をどう生きるか?

その後をどう生きるか?

残された人生をどう生きるか?

脚本が終わった後どう生きるか?

と言うことです。

脚本が終わり、
どうしようもなくなってこもり始めてからの期間。

布団の中で小さく縮こまって泣いていたあの頃から、
自分の好きな仕事に就くまでの日々は、

確かに、
赤ちゃんから大人になっていく過程をたどった20年でした。
  


とにかく言われたことをやってみる人生の話

2019年11月27日

やるだけやってみる。

先のことは分からんけど、

とにかくやるだけやってみよう。

と、とりかかって、

なんか変だぞ、
このままじゃ無理じゃね?

と、直観が働き、途中で振り返ったとしても、

結局、
ま、とにかくやるだけやってみようと、

またやる。

同じことを。

結局、結末は見えない。
そして、
だから、
やり続けるだけ。

そんなことを繰り返し体験しているとしたら、

そんな人生設計なのかもしれません。

とにかくやる。取りかかる。
事の後先はその後で考える。
後は野となれ山となれ。
そうやって生きていく。

昔、親から何かしろと言われて、
よく分からんけど、とにかくまずやる。
考えずにやってみる。

の繰り返しの子ども時代を送っているかもしれません。

一度、立ち止まって、後先を考えてから取りかかってみたらオモシロイかもしれません。

事前にゴールが見えて、
それに向かってやってく充実感と、
ゴールに着いてからの達成感を味わえるでしょう。

そう、
自分でゴールを設定していいんです。
親が決めたヤツじゃなくて。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析

千尋の谷に落とそうと奮起する親に育てられた話

2019年11月15日

 最近気づいたのですが、私の(実の)親は、

 獅子は我が子を千尋の谷に落とす。

 の言い伝えに従って、

 子どもの邪魔をする、

 子どもが失敗するようにする、

 そうして、
 子どものやることなすことをめちゃくちゃに破壊するのが、

 親の役目だと思っていたようです。

 そこから自力で復活することでこそ、

 独りで生きる力が獲得できる。

 みたいなことを折りにつけ言われていました。

 親にとっては養育法のつもりなのでしょうが、
 私にとっては、ただの人生破壊行為なので、
 だんだん親とは関わらなくなりました。

 結局、
 自力はついたのですが、親との愛着関係は育まれませんでした。

 どうやら親は、
 親子関係を千尋の谷に落として壊してしまったようです。 

 そんなことから、
 子どもの力強い成長のために、
 子どもに強めの負荷をかける養育法の喩えならば、

 壁になる
 とか
 旅をさせる
 とかより適切な言い回しがあるので、

 そっちのイメージでやった方がいいんじゃないかと思ったのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析過去の出来事

自分のお気に入りのアニメ通りに人生を生きているかもしれない話

2019年11月11日

 TA・交流分析には、
 人は子どもの頃に自分がどう生きていくかのシナリオを書いて、その通りに生きる。
 ※セラピーを受けたり大きな出来事があってそれまでの生き方を変えるなどしない限り
 という考えがあります。

 さて、そのシナリオを知るのには、簡単な質問ですむようです。
(『エリック・バーン 人生脚本のすべて』(エリック・バーン著 江花昭一監訳 星和書店 2018)参照)

 子どもの頃、
 好きなおとぎ話は?

 または、

 好きなマンガは?

 アニメは?

 または、

 憧れのヒーロー・ヒロインは?
 

 答えてみます。

 私聞風坊の好きなおとぎ話はありません。

 楽しく読み聞かせしてもらった記憶がないからかもしれません。

 一方で、ヒーローはいます。

 タイガーマスク
 ガッチャマン
 仮面ライダー
 ウルトラマン

 中学生の頃は、
 あしたのジョー2
 リングにかけろ
 ジャッキー・チェン

 高校の頃は、
 北斗の拳の面々。ケンシロウはもちろん雲のジュウザ。
 ロッキーというかスタローン
 ランボーというかスタローン
 ダーティーハリーのハリー刑事
 ブルース・リー
 修羅の門の陸奥九十九
 スティーブン・セガール

 中年になると、
 座頭市の市
 子連れ狼の拝一刀
 御家人斬九郎の松平残九郎
 
 こうして列挙すると、自分がどんな人になろうとしたのか、なっているのか、一目瞭然な感じ。

 ヒーローは独りつるまず。
 戦いの場でこそ力を発揮する。
 感謝される。
 戦いが終われば去って行く。 
 ですね。

 さて、
 これを読んでいるあなたはどう?
  
タグ :人生脚本


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析過去の出来事

ここじゃないと思うのは「属するな」という命令に従っているからかも

2019年10月20日

 これまで何回か紹介してきましたが、

 TA・交流分析の根幹理論の一つに

 禁止令(最近は強制命令という場合もあります)と言うのがあります。

 生き残るために、自分を律するメッセージのうち、否定形のものです。

 その1つが「属するな」です。

 集団に属するな。

 という意味で、

 具体的には、

 うちの家族に属するな。

 地域に属するな。

 学級に属するな。

 国に属するな。

 友人関係に属するな。

 なんてなります。

 そんなことするのは子はうちの子じゃない。

 と言うメッセージをしばしば強く受けた子は、

 家族に属することを禁止するようになる。

 家族の一員であることを許可しないようになる。

 と考えます。

 こんな感じで、

 地域住民に属せず、

 学校や学級の一員となることを認めず、

 友人が集う場にあっても、
 ここに属しちゃいけないとして、

 とその一員であることを認めません。

 具体的には、

 ここは違う。

 自分の居るべき場所じゃない。

 なんか違う。

 という認識、感覚として感じられると思われます。

 この感覚、

 不登校やひきこもる人の多くが、

 または、

 死にたいより消えたい感じ。

 を持つ人の多くが抱くようです。

 ここじゃない。

 ここでもない。

 どこにも居場所がない。

 属する場所がない。

 そもそも属したら息苦しい。

 とはいえ、
 そこにいるのもなんかイイ感じ。

 と言うことで、自分なりに折り合いをつけます。

 属している感じがしなければ、いてもいい。

 だから、気配を消していればいい。

 消えた状態・見えないならいてもいいかな。
 ※かつて「見えるな」という禁止令がある! と議論になったこともあったとか。

 姿形は見えないから、属してることにはならないし。

 人が集まる場の辺縁にいて、機嫌がいい人。

 みんなとは距離を置いているけど、いつもいる人。
 
 属していることが目立つ感じじゃないけど、属している。

 そんな交流をしている人。

 「属するな」の命令に従っているかもしれません。

 とはいえ、実のところ集団の他のメンバーは、
 あなたが、そういう感じで自分たちの集団に所属していると当たり前に思っていることも少なくありません。

 客観的な結論として、
 つまりすでにもう属しているんです。

 となると、

 所属する集団の名前を自己紹介の時に使うなど、
 少し属してもイイかもしれません。

 自分の意見を言うなど、
 少しばかり姿形をはっきりさせてもイイかもしれません。