虐待の連鎖についての心理的解釈

2021年03月13日

専門的な記事です。

虐待の連鎖と言われることがあります。

虐待した親が子どものころに親から虐待を受けていた。
ときです。

『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(アリス・ミラー著 山下公子訳 新曜社刊 1983)
という本に詳しくあります。

教育・しつけという名の下に行われた数々の加害行為の数々。

子どもは、その環境の中で生き延びていくために、そのルールに自分を従わせねばなりません。

そのためには、ルールを自分の中に取り込まねばなりません。

一例を挙げれば、
大人から教育を受けて知るところとなった赤信号では止まる。
と言うルールを自分の中に取り込んでいるから、赤信号に出会えば誰の指図も受けずに自主的に止まるのです。

同様に、
よくないことをしたら打たれる。罰を受ける。と言うルールで教育を受けたら、育てられたら。
自分を律するために、このルールを取り入れます。

よくないことをしら打たれて当然。
悪いことをしたら(親の代わりに自分で)自分を打つ。

よくないことばかりするのだから、悪い子だから、打たれて当然。

こうして自分を律して生きていきます。

親の悪意、いじめ行為、加害、暴力性も含めて。
取り込んで。

TA・交流分析では、P1に取り込んだと言われます。

さて、
この取り込んだルール、社会規範は、
自分だけでなく、
他者にも向けられます。

他者が許せないときは、たいがいこれです。

他者への自己投影なんて言われています。
他者の中に、よくない自分を見て取っているのですね。

職場などで生理的に気に入らない人がいるときはこの心理が働いているのかもしれません。

親子でも当てはまります。

親は、自分の子どもに、かつての自分を見ているのでしょう。
そしたらどうするか?
反射的に、衝動的に、そうするものだから、加害します。

自分がされたように。
子どもらしさを力づくで破壊し、親に従うように仕立て上げられたように。

親の中の加害性は、その親から受け渡されたものだったのです。

私の中の加害性は、私の親から受け渡されたものだったのです。

私の親もそうであるように。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析トラウマ

想像力だけが救いのツールだった話

2020年09月30日

TA・交流分析には、人格適応論という理論があって、
その中で、創造的夢想家が指摘されています。

人格適応論をものすごく大ざっぱに説明すると、
人は、周囲とうまくやっていくために子どもの頃からいろいろ工夫をしていて、
それは、6つのスタイルに分けられる。
と言うものです。

6つのスタイルのうちの一つが、
基本的に、周囲から心と身体の距離を置いて1人を好み、空想の世界にひたる。
とはいえ、人と関わるときは想像力豊かに思いやりを持ち、ある意味創造的に周囲に適応するスタイルの、
創造的夢想家です。
自分の気持ちに蓋をして、周囲にイメージ豊かに意識を向けることから、相手のニーズが予想できるのでしょうね。
だから結果的に他者に優しい。

もともと、親がアテにならなかったことから、1人自力でなんとかするようになったことが始まりのようです。
欲しいものは自力で手に入れる。ムリなら想像の世界で欲求を満たす。

私聞風坊もこのスタイルを採用しています。
思い返せば、子どもの頃は空想の世界にひたりまくっていました。
※今もそんなに変わりませんが。

空想の世界こそが居場所だったのでしょう。
※今もそうなのか?

だからか、
空想のネタを仕入れることもまた楽しみでした。

SF小説や、特撮、アニメ、マンガなどなど、空想をかき立てる娯楽が大好きでした。
すぐ空想の世界に行ってしまうので、遅読でたくさんは読めなかったのですが、読書は好きな方でした。
なによりテレビと映画が好き。いわゆるテレビっ子でした。
おかげで周囲とはちょっとうまく噛み合いませんでしたが。

その流れで、世の中のいろいろなことに興味がありました。
歴史も、地理も、科学も、宗教も、なんでもかんでも。
だから、勉強が大好きだったんです。
知識を仕入れることがとっても大好き。
だって、
知らないことの知識を仕入れる作業自体が実はとても空想的だもの。
それは、
現実から離れられる時間を提供します。

実のところ、
テストの点数がいいとか、大人にほめられるとかはそんなにうれしくありませんでした。
なによりも、新しいこと、知らないことを知ることが一番の喜びでした。
今でもです。

逆境的小児期体験ケアの専門家・医師のナディン・バーク・ハリスは著書『小児期トラウマと戦うツール』(パンローロング 2019)で、
自身のお母さんからの教えとして
「勉強しなさい。身に付いた教養は誰にも奪えないから!」
を紹介しています。

自身が逆境体験の中で子ども時代を過ごしたハリスには、強く実感を伴う教えだったでしょう。

私の思いも同様です。
頭の中の物は、いつでもどこでも自分の自由にできる。
誰にも邪魔されない。
奪えない。
形がないから。見えないから。

そんな気持ちを抱えながら、知識を増やしていたように思えます。
ある意味、渇望的に。
やっぱり今でも。

そして、
潤沢な知識やそれにもとづく夢想が、私を支え救ってくれていたのでした。
だから、
知識が増えることは至上の喜び。
これも今でも。
  


人格適応論とポリヴェーガルと関連付けてみた話

2020年06月28日

TA・交流分析の有名な理論に、人格適応論というのがあります。
他者との交流の中で、自分なりの適応の仕方を身につけ、
それは人格=パーソナリティ=性格としてパターン分けできるという理論です。

そのうち、
幼い頃、生き延びるのに適応した人格として3つ示されています。
1つは、魅力的操作者。自分の欲求を満たすために人と関わることを好みます。
2つは、創造的夢想家。人と関わるより1人でいることを好みます。ひきこもり型と呼ぶ人もいます。
3つは、才気ある懐疑者。明晰な思考にもとづく言動を好みます。都合、批判的になることも少なくありません。人との関わりは1つ目と2つ目を行き来する感じ。

一方、
ポリヴェーガル理論は、命を守る自律神経系の働きを解明した理論です。
大きく3つの場合があるとされています。
(ア)人と関わる働きをする神経が優位な場合と、
(イ)人と関わらない働きをする神経が優位な場合と、
(ウ)人と闘争・逃走する働きをする神経が優位な場合があるとされています。

2つの理論を試みに関連付けてみたら、
1の魅力的操作者は、(ア)の状態になりやすい。
2の創造的夢想家は、(イ)の状態になりやすい。
3の才気ある懐疑者は、(ウ)の状態になりやすい。

のではないかと思ったのでした。

自律神経は、命を守り生き残るために反射的に自分の振る舞いを決定します。
幼い頃の生き延びるための(社会)適応パターンが、それと関連していても不思議ではないように思えたのでした。

参考文献
『交流分析による人格適応論 人間理解のための実践的ガイドブック』
(V・ジョインズ、I・スチュワート 白井幸子・繁田千恵監訳 誠信書房 2007)

『ポリヴェーガル理論入門 心身に変革をおこす「安全」と「絆」』
(S・W・ポージェス 花丘 ちぐさ訳 春秋社 2018)



  


トラウマのフラッシュバックの仕組みの話

2020年04月05日

TA・交流分析では、自我状態図を使っていろいろ考えるのですが、

トラウマのフラッシュバックについて、この図を使って考えてみます。


私聞風坊のフラッシュバックの様相は、

自分が過去にやらかしたことが急に頭のスクリーンにわき起こり、

全身が緊張に包まれ、

いたたまれなくなってしまうものです。

罪悪感とか、罪責感とかがとても強く、
自分を罰する気持でいっぱいになります。

幼い頃の至らなさからだった。
そのときは、ストレス抱えていてしょうがなかった。
もう繰り返してないんだから、自分をゆるそう。

と対処してきましたが、今ひとつ効果がないんです。

どうしたものかと思案の日々でしたが、

最近、ふと思いつきました。

あぁ、自分にはやらかす性質があるんだ。
加害性があるんだと。

聖人君子クラスの穏やかな清い人間ではなく、どちらかというとヤンチャ系。チョイ悪。

それが自分なんだとミョーにふに落ちました。

すると、なにかしらつっかえが取れた感じ。

だからこそ、今とこれからをまっとうに生きよう。
そう思うことで、楽になりました。

とはいえ、やはりフラッシュは続きます。

そのため、またしばらく思案の日々だったのですが、
あるときふとひらめきました。

人権無視、暴力、暴言、心ない仕打ちは自分がさんざんやられたことです。

それを反面教師として、自分はそんなことをしない人間になろうと決めたのでした。
遠い昔に。

そんな私にとって、悪いことはゼッタイに許されないこと。
もし許してしまったら、自分を傷つけたあの人たちと同類になるからです。

だから、ゼッタイに許せない。
やってしまったことはものすごい懲罰で償い続ける。

何度も何度も思い出し思い出し、自責自罰続ける。

そうして、自分を律するのです。

お前やったよね! 許されないことやったよね!
もう二度としないように、懲らしめないとね!
それ、分かってるよね!

TA・交流分析では、
こんな風に、
幼い子が怖い魔法使いから脅されて言うことを聞くような感じで、
自分を脅して社会に適応するように仕向けるのは、

魔法の親(P1)の仕事と言われています。

魔法の親は、
やるな! の
禁止令を発して、ついやらかしてしまった私(C1)を怯えさせていたのでした。

この状態が、
今ここの意識(A2)に侵入してきて、フラッシュバックを起こしていたようなんです。

さて、
このフラッシュバックのメカニズムが分かった途端、
ふっと解放された感じがしました。
過去の自責体験として、あるべき場所(C2)に収まった感じ。
だから、今ここの生活(A2)に侵入しなくなった。

これからは、
フラッシュバックも、きっとそんなに強烈な自責の念は感じないようになるでしょう。

強烈な体験型の記憶ではなくて、
昔の、やらかした記憶として穏やかな謝罪の気持ちをともないながら思い出すようになるのかもしれません。

とはいえ、別のメカニズムでの自責の念は起きるかもしれません。そのときはまた新しいワークを考えましょう。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析トラウマ

30歳でシナリオが終わった話

2019年12月01日

最近、人生設計という視点から、改めて自分の半生を振り返ったところ、

30歳になったら実家に戻ってケリをつけよう!

そう思ってたのでした。

ケリをつけるために30年間準備して、

あらゆる(やりたい)ことを先送りして、

親子関係にケリをつける準備に費やし、

生きてきたのでした。

そうして親と勝負!

見事惨敗!

こうして私の30歳で勝つか負けるかはっきりケリをつける人生は終わりを迎えました。

これ、TA・交流分析の根幹理論の脚本で言うと、

脚本を達成したとも考えられます。

脚本成就!
見事にその通り!

ところが、
その先のシナリオはありません。

死ぬまでのシナリオを書いていないからです。

結末のない・オープンエンドと呼ばれる脚本のパターンです。

だから、
その後の20年は、まさに生まれ変わりの日々でした。

ノーシナリオ。
アドリブの連続。

詳しくは拙著やこのブログに記してあります。

それは、新しい人生をどう生きるか?

その後をどう生きるか?

残された人生をどう生きるか?

脚本が終わった後どう生きるか?

と言うことです。

脚本が終わり、
どうしようもなくなってこもり始めてからの期間。

布団の中で小さく縮こまって泣いていたあの頃から、
自分の好きな仕事に就くまでの日々は、

確かに、
赤ちゃんから大人になっていく過程をたどった20年でした。