子どもを利用する親とそんな親を利用する子どもの話

2019年12月25日

 親の子どもの利用法。

 跡取り。つまり自分たちの保全。

 自分たちの面倒をみる。

 手下。

 気持ちのはけ口。



 そのために子どもを作った。


 ならば、こちらも親を利用させてもらう。
 それでイーブン。

 子どもの親の利用法。
 唯一。

 自分を養う。
 ※生きさせる。


 そのための約束事。

 ヒドい仕打ちをしていい。


 この契約の終わり。

 どちらかが終わりを言い出したとき。


 愛情で結ばれていない親子。

 利害関係でのみの親子。

 利用価値があるならば親子。

 なくなったら契約解消。関係消滅。
 緊張感ある親子関係。
 安らぎのない親子関係。

 お互いに利用し合って数十年。

 子どもがこの契約の終わりを告げた。

 ひきこもることで。


 自分の原罪感の根源が親しい人を利用することだと知った。

  


つまらないものですが。の意味が分かった話

2019年12月21日

つまらないものですが。
社交辞令にあります。

あなたにとってはつまらないものですが、私は心を込めて贈ります。

きっとあなたは、けなすでしょうが、私はあなたに贈ります。

ひょっとしたらうち捨てるかもしれません。それでも私は贈ります。

私の気持ちに従って。

これは、

親があまりにも自分の今の気持ちに正直で、

おかげで子どもの気持ちに疎く、平気で傷つけることが1日中であり、

それは子どもが幼い頃から大人になっても変わらず続いている場合に、

子どもが親への贈り物をする際の気持ちです。


一般的な社交辞令として「つまらないものですが」と言う場合、

それは、相手が実は喜んでいる場合がほとんど。

相手は、もらったものをつまらないものだと思うことはまずありません。

たといもらって困るものでも、それを自分に贈ってくれたという行為自体は喜ばしいので、
相手の気持ちを忖度して、ありがとうと喜ぶ場合がほぼ100%。

なので、
なんで自分が心を込めて贈るものをつまらないなんて言うんだろう?
なんて疑問をもつことがあります。

ところが、
自分がつまらないと思ったので、
「あんたの贈り物はつまらない」と子どもに言ってのける親を持っている場合、
この疑問を持つ必要はありません。

つまらないからつまらないと言ってのける。
社交辞令なしのとても正直な親だから。

あぁ、本気でつまらないと思ってるんだ。
として親の本音がはっきり分かります。

そんな親であっても、何かを贈りたくなる子ども。


あなたにとっては本当に心底つまらないものでしょうが、
私は心を込めて贈ります。

受け取らなくてもかまいません。
私は私の気持ちに従います。

こんな風に、
悲しい気持ちを抱えながら、親に贈り物をする子どもは少なくないようです。
  


千尋の谷に落とそうと奮起する親に育てられた話

2019年11月15日

 最近気づいたのですが、私の(実の)親は、

 獅子は我が子を千尋の谷に落とす。

 の言い伝えに従って、

 子どもの邪魔をする、

 子どもが失敗するようにする、

 そうして、
 子どものやることなすことをめちゃくちゃに破壊するのが、

 親の役目だと思っていたようです。

 そこから自力で復活することでこそ、

 独りで生きる力が獲得できる。

 みたいなことを折りにつけ言われていました。

 親にとっては養育法のつもりなのでしょうが、
 私にとっては、ただの人生破壊行為なので、
 だんだん親とは関わらなくなりました。

 結局、
 自力はついたのですが、親との愛着関係は育まれませんでした。

 どうやら親は、
 親子関係を千尋の谷に落として壊してしまったようです。 

 そんなことから、
 子どもの力強い成長のために、
 子どもに強めの負荷をかける養育法の喩えならば、

 壁になる
 とか
 旅をさせる
 とかより適切な言い回しがあるので、

 そっちのイメージでやった方がいいんじゃないかと思ったのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析過去の出来事

自分のお気に入りのアニメ通りに人生を生きているかもしれない話

2019年11月11日

 TA・交流分析には、
 人は子どもの頃に自分がどう生きていくかのシナリオを書いて、その通りに生きる。
 ※セラピーを受けたり大きな出来事があってそれまでの生き方を変えるなどしない限り
 という考えがあります。

 さて、そのシナリオを知るのには、簡単な質問ですむようです。
(『エリック・バーン 人生脚本のすべて』(エリック・バーン著 江花昭一監訳 星和書店 2018)参照)

 子どもの頃、
 好きなおとぎ話は?

 または、

 好きなマンガは?

 アニメは?

 または、

 憧れのヒーロー・ヒロインは?
 

 答えてみます。

 私聞風坊の好きなおとぎ話はありません。

 楽しく読み聞かせしてもらった記憶がないからかもしれません。

 一方で、ヒーローはいます。

 タイガーマスク
 ガッチャマン
 仮面ライダー
 ウルトラマン

 中学生の頃は、
 あしたのジョー2
 リングにかけろ
 ジャッキー・チェン

 高校の頃は、
 北斗の拳の面々。ケンシロウはもちろん雲のジュウザ。
 ロッキーというかスタローン
 ランボーというかスタローン
 ダーティーハリーのハリー刑事
 ブルース・リー
 修羅の門の陸奥九十九
 スティーブン・セガール

 中年になると、
 座頭市の市
 子連れ狼の拝一刀
 御家人斬九郎の松平残九郎
 
 こうして列挙すると、自分がどんな人になろうとしたのか、なっているのか、一目瞭然な感じ。

 ヒーローは独りつるまず。
 戦いの場でこそ力を発揮する。
 感謝される。
 戦いが終われば去って行く。 
 ですね。

 さて、
 これを読んでいるあなたはどう?
  
タグ :人生脚本


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析過去の出来事

信仰が支えとなる話。

2019年08月25日

虐待環境だったり、
イジメにあったり、
何もかもうまくいかなかったりして、

誰のことも信用できなくなったり、
自分に自信がなくなったり、
未来に希望がなくなったり、
したとしても、

何か、
大きな存在とつながっている感覚があると、
けっこう辛抱がききます。

何かから見守られている。
そう思っているだけでも。
少し心が安らぎます。

およそ信仰は、
何か大きな存在。
自分より大きく抱いて力強く包容力ある存在。
とのつながりによって成り立ちます。

大きな存在と対話し、
癒され、あわれみを持たれ、励まされ、心をよせられている感じを持ち続けることで、

親からの心ない仕打ち、

友人からの冷遇、

理解のないオトナたちからの理不尽な扱い、

などから、

社会に居場所のない心許なさを感じていたとしても
なんとか忍耐できます。

自分には寄る辺がある。

いつでもどこでも何が起きていてもつながっている。

見守ってくれている。

そばにいる。

そういう実感があるからです。

目には見えないけど、
偉大な慈悲深い、力強く優しい存在、

サムシンググレート・Something-Great

を感じることは一人を生きる支えになります。
ひとりでないと感じられるから。

私聞風坊もそうして生きてきました。  
子どもの頃から。