親も呪縛の中にいたこと

2020年09月14日

子どもを虐待する親は、その親自身が虐待を受けていた。
という視点はとても大事です。

私が家の呪いの中にいたように、
親自身も、私以上の年季で家業の呪いの中にいたようです。

TA・交流分析では、ホットポテトとして指摘されていますが、
ゆでたての熱いホットポテトは持っていられないので、そばにいる身近な誰かに投げ渡すことで、楽になろうとする心理です。

そのために、家業の跡取りが必要なんです。
じゃないと自分たちで全部背負わないとならないから。
自分たちじゃもう限界。
誰かに背負って欲しい。
そもそも、
エライ人(大人)から押しつけられた望まぬホットポテトだから。
自分たちが持っていなければならない理由はないのだから。

子どもはその期待を背負って生じます。
年端もいかない頃は、それが普通だから。
親を始め周りの大人全員からほめられるから。
それはきっと正しいことのようだから。

分別がつくようになってからは、
親が口にする家業への怨嗟から、ホットポテトを渡したいという親の魂胆にも薄々気づきながら。
それが社会的役目だと引き受けながら。
それで事がうまく運ぶなら、できるだけのことをしますわ。それ以上はできないけど。という思いで。

家業の呪いに気づいてからは、親も自分と同じ犠牲者だったのだと気づいて。
この呪いは、ホットポテトよろしく親から受け継いだものだと気づき、
自分が呪いから解放されることは、親の呪いの解除でもあることに気づき。

家族を悼みながら、しばらく日々を暮らしていくのでした。
  


トラウマの元に気づくまでの道のり

2020年09月10日

どうにも子どもの頃から、強く深く心に傷を負っていた私なのですが、

最近、その大きく深い傷の一つが分かって、セルフワークしたところなのです。

そのざっとした記録をここに残して、

なんかあるのは分かるけど今ひとつはっきりしていないトラウマで苦労している同朋のためになればと願います。

1.なにかしらの引っかかり
どれほどワーク・心理療法しても、なにかしら残っている感じがしていました。

2.実家に関することについてひどく動揺する
実家に関することやその地域の話題について見聞きしたり、心に思うだけで、胸のあたり、胃と心臓の間あたりがズーンと重くなるんです。

特に実家に関することについて考えると、あれも起きそうこれも起きそうと悪い空想が次から次にわき起こり、とても不安が強くなり、とっても興奮して、その後、激しく落ち込むんです。
挙げ句、背骨の力がふっと抜ける感じがして、身体を起こしていられなくなっていました。
実際以前は、しゃがみ込んだり、寝込んだりもしていました。

家業跡継ぎとしてこの世に生を受けた私です。
お前が継がないと私たちの人生が終わってしまうとして、もう物心ついた頃には私は両親からしっかり重責を負わされていました。
そうしてことあるごとに私をひどく迫害していたのでした。

これは両親からのひどい仕打ちなので、これまでこの心理的手当てをずっとしていました。
一言でいうと、両親からの呪縛の解除です。
このブログにももちょこちょこ記しているように、長年の取り組みでだいぶ成功してきていたんです。

とはいえ、それでもどうにも引っかかりがあるんです。
何かがひっかかっていて、スッキリ自由に楽になれていない。

謎でした。

最近また実家のことでひどく動揺することがあって、そのときふと気づいたんです。

あ、実家の建物そのものにトラウマがあるんだ。
って。

ふっと腑に落ちました。
直感的にすっきり納得しました。

そこでチェック!
実家建物のイメージを改めて感じ取ってみる。

そうしたら、
私が抱いていた実家建物のイメージは、逆光に照らされた瓦屋根の黒い巨大なシルエットでした。
いわば恐ろしい屋敷。お化け屋敷やホラー映画のあの重苦しく恐怖をあおるあのシルエットの感じです。

そうなんです。実家建物そのものが、私の脅威だったんです。


3.家へのワークをやる
黒く大きなシルエットの我が家が自分を圧倒して制圧している。
でも、それは事実ではない。実はもはや建物はこの世に存在していないから。
つまり、妄想が自分を追い込んでいる。
そう認知した私は、

黒く大きなシルエットが及ぼす呪いを解除するワークを試みました。

まずは、そのイメージをうかべ、そのときの左胸の重圧を感じながら、タッピングと目の運動を繰り返しました。
ほぼ脅威は感じなくなりました。
※「恐怖条件付けの消去」に当たるでしょうか。ちなみに最新のトラウマケアの最後の方でやるやり方です。

これで解決
・・・
していませんでした。
まだなにかひっかかるんです。
残りかすというか、こびりついている感じ。
はがしきれない黒いペンキが身体の内壁にペロンと残っている感じ。

まだまだ終わらない。

これをどうするか?

そのとき、 ふと手もとにあった本を開きました。
虐待者は患者の「中に生きて」いて、絶対に「逃れられない」という恐怖を生じる

『児童期虐待を生き延びた人々の治療 -中断された人生のための精神療法-』
(メリレーヌ・クロアトルら著 金吉晴監訳 星和書店2020 p297)
の記述に出会いました。

これです!
虐待した物が私の中にいるのです。
心の内、身の内壁にまだ張り付いて残っているんです。
実家建物の黒ペンキシルエットが。

タッピングや眼球運動という神経的なアプローチではきれいに除去できず、こびりついていたこのペロンをどう除去しようか?

考えていたその時、またありました。
息を吸うときに身体の内に光が入って、吐くときに黒い悪い影を吐き出すく呼吸法です。
『自傷行為治療ガイド(第2版)』(バレント・W・ウォルシュ著 松本俊彦監訳 2018 p307)

これがイイ!

もうすでに剥がれかけたペンキの膜となっていた実家のシルエットをイメージして、
息を吸うときに、影を消し去るまぶしい光が身体の中に入ってくるイメージをして、
息を吐くときに、身体の内壁から、悪い黒いペンキの膜が剥がれて外に出て消え去るイメージを繰り返したのでした。

だいぶ楽になりました。
なんだか、勝った気分にもなりました。
痛快と言えば痛快。

まるで、
黒い悪いものが私の身体の中に巣くっていたように。

アメリカのテレビドラマ「レギオン」では、
主人公が子どもの頃に頭の中に不気味で恐ろしいミュータントが住み着いたという設定でしたが、
私も同様な状態で大人になり、中年を迎え、やっと身の内に巣くう不気味なモンスターに気づいたのでした。

改めて思い返せば、
車の運転がとても嫌なのです。苦手と言うより心底嫌っている。
また、
高校1年の製図の時間に、理想の我が家を描く課題でまったく描けなかったことがありました。

家の修理も心底イヤなんです。もともと工作は得意なので、実際は上手に修理しているんですが。
失敗したらとんでもないことが起きそうな気がして、ほんとにものすごいストレス。

家がある地域の話題でも気が変になるくらいのストレスを抱えていたのです。

学齢期には、
学校からはまっすぐに速く帰宅しました。気がかりなんです。家が。

友だちと遊びに行くときもいつも家のことが気になっていました。

親にだけではなく、家になにかが起きていないかと怯えていました。
だからある意味一目散に帰宅していた。

旅行にも行かず、外出も控え。
気をつけていないと家がなくなる。そんな恐怖を抱きながら、大きくなった気がします。
思い返せば。

これまでは、
親が家を壊すという恐怖だと思っていましたが、それだけでなく、純粋に自分の家が壊れる、無くなるという恐怖感を持っていたようです。

それは、
家が壊れたら家族みんな生きていけないという恐怖につながっています。

きっと自分のせいで。
自分の至らなさのせいで。

だから、
家のことを一番に、最優先に、家に害を与えるようなことをしないように、最大限気配りすることを至上命題にしていたのでした。
そうして50年生きてきた。
鍵締めの確認を強迫的にするのもきっとこの信念の影響でしょう。


4.サヨナラをする
まだ終わりません。
まだやります。
ここまで来てまたまたふと気づきまいた。
未完の仕事があったんです。

家にサヨナラをしていなかったんです。
だから、私の中にまだ家が存在していた。
黒く大きく不気味なシルエットとして、私の人生に文字通り影を落としていた。
その重圧が私を不自由にしていた。

もはや実家建物に対する恐れは持っている必要はない。
実家に関する重責は終えていい。
そんな気がしました。

実家建物についての思い出を思い出す限り走馬灯のように思い出し、
それはもう終わり。
これは過去のこと。
と言いながら、小さく縮めてフェードアウトさせていきました。
※NLP的ですね。

まさに、繰り返し学校帰りで家に入るときに大きくて威圧感を持った家の記憶。
もう無い。

家族が怒鳴り合う居間の記憶。
もう昔。

飲んだくれる親の背中をよく見た台所。
朝一で酒を飲む親の背中を見た流し台。
もういない。

太陽熱給湯と薪で沸かした風呂。
もう昔。

青春の自室。
ひきこもった部屋。
親が何度となく怒鳴り込んできた部屋。
もうない。

胸が熱くなりました。
そう、別れを悲しんだのでした。
サヨナラ。
家の思い出。

こうして、過去のことが過去に置かれ、
私は今に生きるようになったのでした。

ワークおしまい。

後日談。効果チェックとフォロー。
自動車の運転も、家の修繕も、その他諸々も、不必要な緊張から解放されてやってます。
自分なりのやり方で(自由に)やっている感じ。
きっとフツーの人がやっているように、そして感じている緊張の質・程度なのでしょう。
うまくいっている感じ。
  


心理的虐待を親からのいじめの1つとして考えてみると。

2020年09月02日

児童虐待の形は、4つに分けて考えられるのが一般的です。
・暴力による身体的虐待。
・性に関する行為による性的虐待。
・食事や世話をしないことによる育児放棄・ネグレクト
・心に害を与える心理的虐待。

暴力は、物理的に身体に害を与える行為です。
関連で、暴力場面に接触させることも虐待に当たります。
面前DVと呼ばれていますが、人が暴力を受ける場にいる、暴力を目撃する、暴力を耳にする場合です。
これは心理的虐待とされています。

性被害も、身体的接触でなくても裸を見せることも問題となります。
ポルノ画像、動画を目にすることなども含みます。

育児放棄は、親の育児疲れが要因の一つと指摘されていますが、ご飯を食べさせたり健康管理したりなど子が必要とする世話を焼かないことです。
親への子育て支援、子への保護的支援が重要とされています。

心理的虐待は、(しばしば、当たり前に)ひどい言葉を子どもに言ったり、兄弟姉妹でえこひいきしたり、無視したりすることです。
言葉や態度で子どもを傷つける行為です。
親からのいじめと捉えてもいいかもしれません。

参考に、文部科学省のいじめのページからいじめの定義を引用します。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302904.htm
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」


言い換えてみます。
親から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、子が精神的な苦痛を感じている。
こんな場合は、子は親からいじめられていると定義できそうです。

例えば、
子どもの名前にケチをつける。子どもを別の名前で呼ぶ。
目が悪い、手足が短いと身体的特徴を馬鹿にする。
鼻をかめないと馬鹿にする。
侮辱。

なにかをやってもやらなくても文句を言われる。
不平や不満の種を探し出してあげつらう。
嫌がらせ。意地悪。
そのために、
子は親に見つからないように、目立たないように、言い訳が立つように、慎重に準備して一気にやる。急いでやり遂げる。

お前は○○(長男・実子・勉強の出来不出来などなど)だからなどと兄弟姉妹とえこひいきする理由を述べて、公然とひいきする。
差別。

昔自分がいじめられた嫌いな人と似ているからと言う理由でけなす、冷たく当たる。
言いがかり、いちゃもんをつける。
八つ当たり。不満のはけ口

日頃から、思いやりの声をかけることもなく、
子どもが話しかけても無視したり、後回しにしたり、
無視。無関心。
なのに、親である自分の用事にはいの一番に取り組まないと激怒する。
親の都合のいいときだけ利用する。

自分のやりたくない仕事を子どもに押しつける。
子どもをパシリとして使う。

自分が持てあまして困っている大人の仕事を子ども(児童)に押しつける。言い訳がましい嘘をまじえて。
強要。だまし。
都合、子どもは、自分の与り知らない仕事を押しつけられ、身に余るストレスに押しつぶされそうにもかかわら、その状況から逃れることはできない。
感じるのは無力感と、情けなさと、恥辱。
親からの依頼への苦痛。
親と関わることの嫌悪。

子どもだからと言う理由で、
家庭内のことについてすべてかやの外に置く。
家庭内で何が起こっているか、どうしようとしているのかすら教えない。
仲間はずれ。
※子は、自分の知らないところで何かの企みが進行していることを薄々感じながら家族と暮らしていくことになる。疑り深くなる。人の本音と建て前を見極める冷静な観察眼を持つようになる。

その上、誰かに相談したり、助けを求めることを禁止する。
自分の支配下に置いておく。手放さない。
仲間の内(自分の手の内)に入れておく。

これらを無意識に(時に意識して)やっていることが少なくないかもしれません。

でも、
親は自分自身がどれほど我が子にひどいことをしているかを意識していない。
子からひどい行為を指摘またはひどいことを止めるよう懇願されても、それぐらい(自分としては)どうってことないと思う。
むしろ、そんな面倒をかける我が子をより嫌う。
子の気持を忖度する気は毛頭無い。

子どもは、自分が親から嫌われていることは感覚的に分かっています。
それを引き受けて暮らしています。

嫌悪が激しくならないように、親の言う通りにして育ちます。
でも100%言う通りにはできません。というか親は子にまず満足しません。
だって、本音ではいじめたいのだもの。嫌いだから。いじめのネタを探し出します。

結局、親からのいじめは続きます。

泣きついたり、わめいたりしたら、
変な子として扱われます。
冷笑とともに病院に連れて行かれるだけかもしれません。
こんな弱い子を持ってしまった自分の人生を嘆くこともあるでしょう。
それも直接子どもに向かって。

結局、子は自分の気持ちを伝えても親の理解は得られません。
親の優しさは得られません。

そして、いじめは続きます。

自分にできることは耐えることだけ。
子どもは悟ります。

そして、
子どもは辛抱します。
生きるために。

親を好きだからではありません。親を愛しているからではありません。
自分の命を守るためです。
自分の無力をかみしめながら。
誰も助けてくれないのだから。

親からいじめられることが日常。
ある意味、それが人生になっている子どもは、

友だちからいじめられることも普通に思えるかもしれません。
どうせ自分は嫌われる。そういう信念を持っているからかもしれません。

学校でいじめられても耐えられるかもしれません。
親からいじめられる深刻さ際限のなさに比べれば、まだ軽傷と思えるから。
むしろ、これぐらいなら安全と思うかも。
いじめない友人もいるし親以外のフツーの大人もいるところの家よりは安全な学校という認識で。

  


24時間テレビがうらやましかったこと

2020年08月16日

子どもの頃、ユーの24時間テレビ観てて、

アフリカの恵まれない子どもに、女性アイドルが支援物資を届けているシーンがあった。
※80年代のアフリカ飢餓の頃だったと記憶しています。

正直、うらやましいと思った。

あそこまでひどいと助けられるんだと思った。

そうじゃないと見てくれないと思った。

自分のことを見てもらえない。

この頃にはもう、自分は助けを求めていたようだ。

あれから、40年ほど。

ひどいとひどくないの間の人へのケアはいまだに不十分。

だって、ひどい状態の人へのケアですら不十分なんだもの。

恵まれていない人と恵まれている人の間の人への思いやりも不足している。

だって、恵まれていない人への思いやりも不足しているのだもの。

恵まれていることに意識を向ける風土の影響かもしれない。

ご飯食べさせて貰ったじゃない。
ここまで大きくなったのは、親のおかげだよ。

その代償に思いは至らない。

以上、ふと昔のことを思いだし、考えたことでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)過去の出来事

トラウマと罪の意識と宗教と

2020年08月04日

子どもの頃から、自分がやらかしたことについての自責の念がとても強いのです。

打擲自傷するほどに。

やらかした記憶が、
フラッシュバックとしてふいに日常生活に侵入してきます。

トラウマ反応ですね。

子どもの頃からこうでした。

さて、
「恥」の概念は、
過度な自責の念も含むのだそうです。

到らない自分を恥じる。

そんな意味で。

自分を恥じる。

さて、
宗教には、罪意識というのがあります。
キリスト教では原罪が有名ですね。
また、神の意志に反することは罪になるようです。

仏教では人間界に生まれてきたのは罪滅ぼしのためだと考える場合があります。

これらのために、
人は、そもそも罪を犯しやすいのだから、いつも自分を厳しく戒めて、または戒められて生きねばならない。

今受けている苦痛は過去の罪滅ぼしなのだから、むしろ甘んじて受けるべきだ。
そうじゃないとと罪が消えるまでいつまでもついて回るよ。

という風に、人を罪人として扱いがち。

特に、
過去の罪滅ぼしのために、今受けている仕打ち、過酷な体験を受容するように促されることが多いようです。

本来は、現状をしっかり認識して、立ち向かう、逃げる、助けを求めるなど最適な行動をとるという教えのようですが、加害行為を正当化し被害を受忍する方向で解釈されることが珍しくありません。

宗教と罪は関係が深いのです。

私の家族は、宗教と縁が深かったのでした。
つらい目に遭うのは、過去世の自分の罪が重かったから。
それをいま償っている。
そういう考えになじんでいました。

そうして罪深い自分を恥じていたのでした。
子どもの頃から。

自分を誉れとすることなく生きてきたのでした。

恥の感覚。
虐待トラウマと密接に関係しているようです。

自責の念、自分をほめられない、価値を置けない源泉は、
親などの密接な関係にある大人から過去にうけた仕打ちにあるのかもしれませんね。