2018年03月05日

依存症と生活保護の話

依存症という病があります。

コントロールができない病とも言われています。

飲酒や、パチンコ競馬などのギャンブルやゲーム、薬などの依存症がよく知られています。

飲酒やパチンコなどする際に、自分の行動をコントロールしながら適度に行うということができないのです。

そこで、
依存症からの回復は、依存する行為以外のことをする。ことが重要とされています。
適度にというのが難しいから、その行動をそれ以外の望ましい行動で代替するのですね。

ストレス解消で
飲酒する、パチンコやゲームする、薬を飲む打つ。
のならば、

それ以外のストレス解消法を実践するのですね。

例えば
家族と話す。スポーツする。ストレスそのものの軽減に取り組む。
などです。

とはいえ、
長年慣れ親しんだ行動を新しくするのはとても難しいもの。

だから誰かの協力が必要です。
家族などが新しい行動に協力することが大事です。

一緒におしゃべりする。スポーツする。
依存行動ではなく、健康的な行動をした時に一緒に喜ぶ。
などです。

逆にやってはならないことは、依存行動を助長する行為。
お酒を買う金を与える。一緒にパチンコに行く。ギャンブルの景品・賞金を喜ぶ。薬やゲームを買ってくる。
などです。

さて、依存症はあらゆるものを破壊する病とも言われています。
家族関係、親戚・友人知人・職場の人間関係、
職場
家計
などなどあらゆるものを破壊します。

そうして、
働くことができなくなり、生活に困ることはまれではありません。

金銭的扶助で生活を支える生活保護という制度があります。

依存症状態で生活保護を受けるとすると、
扶助されたお金は依存症という病を支えるために消費されることがほとんどになるでしょう。

このお金は家賃のため、水道光熱費のため、食費のため、だからお酒やギャンブルやゲーム、薬には使わない。
そんなコントロールができないのが依存症です。

つい、扶助金を依存行動に使ってしまう。

では、扶助を止めたらいいのか?
依存症状態の人は生きていけません。
自分の生活・人生のコントロールができない状態だからです。

私たちの身近に、
こんな悩ましい状況があることを知っていることは重要です。
誰にでもこの状況になる可能性があるからです。
  


2018年02月15日

アルコール依存症と肝臓の話

 アルコール依存症は飲酒のコントロールができない病と呼ばれています。

 これから車の運転をするなど飲酒してはならない時にも飲んだり、

 飲酒しだしたら途中で止められなくなったり、

 飲酒による身体への害や、約束が守れなくなるなどの人間関係への害や、
 仕事に遅れる、仕事する能力が落ちる、このままだと仕事を失うなどの害があると分かっているのに、
 飲んでしまったりと

 飲酒の欲求と上手くつきあえない病なのです。

 なぜ飲酒がコントロールできなくなるのかといえば、おおよその仕組みが分かっています。

 自分の欲求を抑え込み、文句も言わず辛抱強く自分に課せられた役目を果たし、

 不満をためたまま吐き出さず、じっと独りで耐え忍ぶ。

 そうして、ひたすら誰かのために何かのために役目を務める日々を送る。

 そんなストレス過多な生活の中で唯一の慰めが飲酒なのです。

 アルコールには血管を広げるなどリラックス作用があります。

 脳機能を麻痺させる作用も。
 
 日々の重責から解放される唯一の道具がアルコールなのです。

 ある意味、自分をいやす薬として摂取しているのですね。

 薬として常用しているうちに、アルコール耐性がついて、飲んでも効いていない感じになってきます。

 そこで、量を飲むようになります。

 そして、
 いつの間にか、体内にアルコールがある状態が通常になっている。

 アルコールがない状態が異常な状態。
 だから、アルコールを欲する。

 たとい飲む気はないとしても。

 こんな風に、進行していきます。

 さて、アルコール依存症を患う人の生き様ととても似た臓器が私たちの腹の中にあります。

 沈黙の臓器・肝臓です。

 栄養分を作りだしたり、大量の薬物、毒物を分解したりして、その人が活動するために、健康であるために、

 昼夜を問わずひたすら働いている臓器です。

 胃腸のように頻繁に痛みをうったえることもせず、

 過重労働で炎症を起こしているにもかかわらず、

 その苦痛は健康診断で数字として現れるのみ。

 沈黙を貫いて仕事をする。

 臓器の主であるアルコール依存症者と同じような働きぶり。生き様です。

 人が気づかないこと。無視していることを。臓器が知らせているのかもしれません。

 病というのは、その人の生き方に符合する部位に発現するような気がしています。
  
タグ :生き様


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アルコール依存症

2018年02月05日

依存症・DV・貧困・ひきこもり・不登校などが平等な話

 アルコール依存症

 DV・家庭内暴力・デートDV・虐待

 貧困

 ひきこもり

 不登校

 などの出来事、状態、問題、困難は、

 差別なく、誰の身にも、どの家庭にも、どんな状況でも起きるということを

 前提とすることは重要だと思っています。

 宗教家の家庭でも、

 教師の家族でも、

 医師の家でも、

 弁護士の家族でも、

 公務員の家庭でも、

 良妻賢母と言われる人の家庭でも、

 里親を拝命している人たちであっても、

 差別なく、区別なく、平等に発生します。

 だから、
 社会的に地位があるからと言ってヒドいことをしない、起きない。

 という思い込みは捨てる必要があると思っています。

 社会的に信用があり、人助けを生業にしていて、多くの人から頼られていたとしても。

 その家庭で何が起きているか、その人たちが何をやらかしているかはまったく別のこと。

 見過ごしてはなりません。 
   
タグ :DV暴力虐待


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アルコール依存症

2018年01月25日

アルコール依存症は珍しくないのです。

 アルコールやアルコール依存症について、誤解がいくつかあります。
 実際のところを列記してみます。

 飲酒による困りごと、つまり酒害がしばしばなのは、酒癖が悪いと言うより、
 病気である可能性が高いこと。
 その状態は、アルコール依存症と呼ばれること。

 依存症なので、
 治療は精神科が担当していること。

 アルコール依存症は進行性の病であること。
 酒を減らす! と心がけていても、飲む回数やタイミングや量をコントロールしようとしても、どうにもならないこと。
 
 だから、
 説教したぐらいで
 そのうち改心してよくなるということはないこと。

 飲酒者1人の努力ではとうてい回復できないということ。

 他に、下記のようなものがあります。

 アルコール依存症になると手が震えるということ。
 手が震えるのは依存症がだいぶ進んでからです。
 震えないから依存症じゃない。ってことにはなりません。

 肝臓(だけ)がやられるということ。
 その前に、胃炎とかって胃がやられます。
 飲んで胃がやられることがしばしばであるならば、節酒した方がいいでしょうね。
 肝臓がやられていないので、健康だということではないのです。

 眠れるように寝酒を飲むこと。
 アルコールを飲んで眠くなるのは、脳がアルコールで麻痺するかららしいです。
 自然な眠気ではないので、アルコールがキレると麻痺が治まり目覚めますね。
 それからしばらく眠れない。
 自然な睡眠リズムが乱れます。
 眠りのためにアルコールを飲む。のは逆効果なんです。

 薄めて飲むから大丈夫ということ。
 薄めて飲んでも量を飲めば一緒です。
 1日に20グラム以上はアルコールの取り過ぎ=飲み過ぎらしいです。
 5%のビールだと、500cc(=500グラム)飲むと、25グラムなので、ちょっとオーバーしてますね。

 酒に強くなるということ。
 そうじゃないようです。酔わなくなってるだけらしいです。耐性と呼ばれています。
 アルコールの影響に忍耐強くなっているみたいです。
 適正量をしっかりたっぷり超過したアルコールが体内に入っています。
 強くなるというより、単にアルコールに鈍感になっているだけらしいです。
 
 依存症は病名ですので医師の診断によりますが、

 依存症と診断されるほどではないけれども、程度の差こそあれ酒の害が起きている場合、

 自分の飲酒によって自分の身に酒害が起きていることを認めることは大事です。
 
 それは、家族や友人や恋人や職場の人への害でもあります。

 ストレス社会の現代で、アルコールに頼ることはそれほど珍しいことではありません。

 だから、
 飲酒によるいいこと悪いこと。

 その2つをよくわきまえて適切に飲むことが重要なようです。

参考サイト
厚労省「みんなのメンタルヘルス」
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_alcohol.html

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アルコール依存症

2016年10月02日

消費される当事者 2

 少し前、子どもの貧困を取り上げたニュース番組に登場した当事者について、
実は貧困ではないのではないか? という議論があったことを受けての記事の続きです。

 人の存在を否定する言説。
 が横行している社会。

 こんな現状を再確認し、
 ふと思いついたのが

 消費される当事者

 という言葉でした。

 まるで、当事者というネタを多種多様な人たち=社会が、自分たちの好きなように利用し、気がすむまで使い倒す。

 気がすんだらゴミ箱に投げ捨てるように、日常の雑談の話題よろしく自分たちの暮らす社会の問題への関心すら一緒に捨ててしまう。

 社会が自分たちの話のネタが欲しいという気持ちを満たすための道具として扱われる当事者。

 そんな感覚を持ったからです。

 消費とは、自分の欲を満たすためにナニカを使って無くすことと言われています。

 人が、自分の欲を満たすために当事者という人の存在を使い果たす。

 当事者を材料(ネタ)にして、自分たちの言いたいことを言い放つ。

 言論は自由ですが、人を自分たちの消費財として扱わないよう、言論の仕方には思いやりが必要だと思うのでした。

この項終わり。
   


2016年09月30日

消費される当事者

 少し前、子どもの貧困を取り上げたニュース番組に登場した当事者について、
実は貧困ではないのではないか? という議論があったようです。

 「実は違うのではないか? だから当事者の意見ではないのではないか」
 という議論はひきこもり界でもよくありました。

 体験発表やメディアなどで発言するひきこもりは、こもっていないのだから、もはやひきこもりではない。
だからひきこもりの意見ではない。
 こういう論調です。

 さて、当事者が社会に対して声を挙げるのは、
 自分たちの存在を知らせ、困難を示し、そうして社会に議論を呼び起こすという意味合いがあります。

 そこに身を呈すほどの価値を見い出すから、当事者は社会に訴えるのですが、

 当事者の声なりありようを受けた社会の側の多種多様な意見には、
 好意的なものもあるし、否定的なものもあるし、個人攻撃も少なくありません。

 都合、当事者は、とにかく多種多様な方向から、分析され意見され、評価され、いじられるのです。
 卑近な言葉だと「さらされる」と言われます。

 そうして当事者は、大きなストレスにさらされます。
 これで心身を壊すことも珍しくありません。
 ※だから私聞風坊は体験発表に批判的なのです。

 特に冒頭の話にあるように、

 あの人は当事者かどうか? というその人のありようそのもの(属性)に対して批判が相次ぐことが多くなっています。

 曰く、あの人は貧困者じゃない。アイツはひきこもりじゃない。あの子は不登校じゃない。あの人は障害者じゃない。・・・。

 ありよう・属性の否定は存在自体を否定すること。

 人の存在を否定する言説。
 
 ところが、それらの意見を言った人たちは自分の行為の責任は誰もとりません。
 
 そうなることを予想して当事者は自己を公開したのだから、自分たちに責任はない。
 当事者の自己責任だ。と言わんばかりです。

この項続く。
  


2016年06月03日

家族が問題を長びかせていること

 ひきこもり・不登校関係で、家族特に親の関わり方についてよくお話をしますが、

気になるのは、親が問題を長びかせている場合が少なくないことです。

 例えば、
やんややんや年がら年中うるさい場合。
あれしたらこれしたらと次から次にアドバイスする場合。
あーだこーだと不満や不平ばかりこぼす場合。

 親としては、自分の気持ちが平穏ではないので、
ついついいろいろ関わってくるのでしょうが、
 
 子どもの立場に立つと、それら親の
やんややんやや
アドバイスや
不平不満に
 年がら年中対処することになります。

 これ、親の(心の)問題に巻き込まれているってことになります。

 都合、親に対処することが当面の取り組む課題になっているので、
自分の問題や、
将来について、
 考える余裕がなくなるのです。

 または、そんなストレスがかかることをしなくてすむので、
親に対処することを常にしている可能性も少なくありません。

 親とのややこしい関係に対処していれば、自分のややこしい問題に触れなくてすみますもの。

 だから、親は、自分の心を安らかにする必要があるのです。
不安でいっぱいな状態で子どもと関わると、解決には至らないことが多いのです。

 自分の問題を自分で取り組めるようになる。ときに他者の協力をあおぎながら。

そんな風な子どもになってほしいなら、親は自分のケアは自分で行う必要があります。ときに他者の協力をあおぎながら。

 家族向けのお話しには、こんなテーマを秘めています。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)家族教室アルコール依存症

2016年05月31日

【告知】依存症家族教室あります

宮崎県精神保健福祉センター主催で、

アルコール、薬物、ギャンブルなどの問題を抱える人を家族に持つ人やその支援者向けの教室が開催されます。

関心ある方は、どうぞご参加ください。

依存症家族教室
 ※依存症関連の問題を抱える人の家族やその支援者




薬物依存症者の家族のつどい
 ※薬物依存の問題を抱える人の家族のみ





ギャンブル依存症者の家族のつどい
 ※ギャンブル依存問題を抱える人の家族のみ





  


2016年01月11日

ひきこもりの方法論が重要なのでした。 2

 昔話の続きです。

 どうしたら、現在の苦悩を減らし、いまより楽に生活することができるのか?
 どうしたら、苦痛の少ない社会参画の仕方を修得できるようになるのか?

 その方法論がない議論、運動、施策、当事者グループには、
 大反対の私聞風坊でした。

 私が出会ったグループは、方法論があるのです。
 あれもダメ、これもダメ的な、ものすごく厳しいのが叫び

 そこでは、
 個人的なこだわりを横に置いて、
 先輩たちが体験的につかみ取った回復の方法論に愚直に従うことが、
 自分たちの一番の利益になるのでした。

 だから、厳しい決まり事があったのですね。

 私がひきこもり仲間と始めたのも、その流れを汲んだグループでした。
 そこでは、自助の先輩グループの経験知に従い、

 主体性を取り戻すために、
 ミーティングを繰り返し、
  自分の思いを発話し、
     他者の体験を聞き、
   それらを日常で活かした経験を共有し、
 やりたいことを誰かと一緒に実現していくという方法論を採りました。

 そしてひたすら、
 自分たちは、自分のために何ができるのか?
 自分たちは、自分に対してどうすればいいのか?
 を自学自習しました。

 それは、
 自分は、普段どうしているのか?
 どんな風にしたら心地よくなれたか?
 どんな風だといけなかったか?
 ということを率直に認めあう場でした。

 自分を素材にして研究し、実験し、よい方法を探り出す。
 こんなことができるのは、やはり当事者だからこそだと思います。
 当事者だから、自分に効果的な方法が発見できるのです。
 ※北海道べてるで有名な、当事者研究という分野もありますね。

 苦悩少なく生きる方法を手にするために、自分たちの日頃の体験を振り返る。

 棚卸しと呼ばれるこの方法論は効果があります。

この項終わり。
  


2016年01月09日

ひきこもりの方法論が重要なのでした。

 昔話です。

 若者支援を長年続けられている重鎮の、

 タメ塾・NPO法人青少年自立援助センターの工藤定次さんと、講演をご一緒したことがあります。

 その際、私聞風坊は当事者グループの代表として参加していましたが、工藤さんは少々複雑な表情で私と関わっておられました。

なぜだかなぁと思っていましたら、

 当事者グループというのを、仲良しグループだと思われていた様子。

 小さな世界で、つるんでそれが一番いい、学校や就職なんかしなくていい、
そのまま何もしなくて、あるがままでいいとしている集まり。
 というイメージだったのかもしれません。

 私が、自助グループは仲良しクラブではなく、自分をよくしていくための集まり。
 自分の変化と成長を常に目指す運動だということを講演しましたら、少々表情も変わられたようでした。

 さて、当時、氏は、方法論ということを盛んに口にされていました。

どうしたら、ひきこもり状態から脱することができるのか?
どうしたら、社会参画できるようになるのか?

 その方法論がない議論、運動、施策、当事者グループに対して問題意識を持たれていたのでしょう。

 方法論がないグループ。
私も大反対です。

この項続く。
  




【お知らせ】
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