自助グループのダークサイドの話。

2019年11月19日

 伝統的な自助グループで、気づきと成長を得た私聞風坊です。

 その伝統に則り、自分に役立つことを自分の生活に取り入れ、誰かの役に立つだろうことをお知らせしてきました。
 なので、基本ポジティブな内容ばかり。

 でも、世の出来事はすべて光と影があります。
 今回、影の部分もお知らせしようかと思います。

 自助グループは、問題を抱えた人たちの集まりです。
 人間関係やら、お金の問題やら、健康上の問題やら、なんやらかんやらうまくいってない人たちの集まりです。

 そして、
 こんなことが起きた、こんな気持ちになった、こんな風にした、いつものようにややこしいことになった、
 そこで今度はこうしてみた、少しよくなった、そこはこだわらなくていいんだと気づいた、
 それらについてはこういう工夫があるんだとメンバーの話を聞いて知ったなど、

 グループで自分の体験を共有し合うことで、自分をよくしていき、生活がうまくできるようにしていきます。
 おおよそこれが伝統的自助グループ。

 とはいえ、
 その過程、つまり変化・成長過程では、いろいろな問題が起こります。
 これまでの悪い癖が出るからです。
 特に、グループの運営面でよく起こります。

 私が経験した中で一番印象に残っている出来事があります。
 大枠だけを記します。

 地域の同系グループ全部が集まる席上のことです。
 私は、親の悪い影響を受けて大人になった子どもたちのグループのうちの、初心グループ代表として参加しました。

 数十年にわたり先輩諸氏の知見を記した書籍を熟読し、
 メンバーで話し合いながら、自分たちにとってのよりよい方法を探求するグループ活動で、
 自分が成長していく実感を強く持っていた私は、

 同じ道を歩んでいるであろう先輩諸氏との初会合が、とても楽しみだったのですが、
 それが見当違いであったことは会議開始後、程なく明らかになりました。

 並み居る先輩方は一様に他ののグループを非難してばかり、自分たちの言うとおりにしなさい愚か者! 
 という姿勢で会議をずっと進行していたからです。

 私たちは、実際に愚か者であることは自覚していますので、その点はおっしゃる通りでこれを指摘されることに驚きもしないのですが、
 
 だからどうする。愚かでない生き方をするにはどうすればいいかの体験を分かち合わないのには驚きました。

 後輩の私たちの成長のために役立つ話をしない先輩諸氏。

 そればかりか、
 ひたすら「あなたたちは愚かだから私たちの言うことを聞きなさい」
 の趣旨の発言を繰り返すばかりだったからです。

 実はこれ、かつて私たちが実家で親からされたことなのです。
 
 そのために、
 生きづらさを身につけてきた。
 自分を苦しめる生き方をしてきた。
 だから今、その呪縛を解き、新しい道を歩むために、仲間とともに喜びとともに切磋琢磨していたところでした。

 ところが、
 先輩諸氏が作った会合の場は、「昔のあの親」が君臨する場だったのでした。
 まさに、ダークサイド。暗黒自助グループ集会。

 その先輩諸氏の所属グループは、
 我が子などの自分の家族を力で押さえつけよう、コントロールしようという欲のために、
 家族を破壊する自分を反省し、コントロールを手放し、家族とともによくなっていこうというというグループです。

 そのグループの人たちが、この場で、自分たちに向かって、過去と同じことを繰り返している!

 これこそ愚かです。
 成長していない。

 こうなると、自分たちの成長のためにグループで実施されているプログラムにすら疑問を持つようになりました。
 
 そして、
 この系列のグループにいることは自分の役に立つのか?
 疑念を持ち始めました。

 先輩が成長してなかったからです。
 加害親のままだったからです。
 成長していない人が先輩となり支配する。
 そんなダークな一面を持つリスクが自助グル-プにはあります。

 次第に、
 こんな先輩しかいないグループとそれを指摘もできないグループに魅力は感じられなくなりました。

 そしてこの後、
 私がこの系列のグループを離れるのに、そう長い時間はかかりませんでした。
 
 実は、自助グループ内では諍いが頻繁です。
 先ゆく先輩ー後輩関係が強いので、権威主義が起きやすいのです。

 権威主義(を起こしやすい自分たち)。
 それを、
 自分たちの課題として取り扱うことができるか?
 自分たちの成長に役立てられるか? 
 ここが肝心なのです。

 これができるグループは成長します。
 メンバーが成長するからです。

 痛みから学ぶ。
 個人がそうであるように、グループもそうして成熟していく。

 その英知すらグループの伝統は持っています。
 先輩諸氏もかつてやらかしまくっているからなんです。グループ内で。
 そこから学んで成長して今がある。

 きれいごとだけじゃない自助グループ。
 すべてを糧とする自助グループ。

 だからこそ人生がどうにも行かなくなった人ですらまともな人生を送るようになれる成長の場を提供できるのです。

 自助グループのダークサイドの話でした。
  


助けを借りる力がいる話

2018年09月20日

 災害被災の場面では、受援力。

 心理系では、
 援助要請行動などの分野で研究されている

 誰かの助けを借りてやっていく力

 についての記事です。

 困難を抱える人のうち、

 長いこと困難が解消しない場合や、

 幼い頃から誰かの助けが十分に得られなかった場合など、

 誰かの助けを借りて、自分の困難を解消できた経験が乏しいと、

 誰かの助けを借りるという発想がなくなり、

 誰かの助けを借りるといいことがあるという希望もなくなり、

 自分の力頼みでやっていくしかない。

 誰もアテにならない。

 誰も信頼できない。

 自分の望みは自分で叶えるしかない。

 できることは限られているから小さな少しだけの望みを叶えよう。

 として、

 小さく小さく暮らしを縮めた生き方を選ぶ場合があります。

 長年こもっている場合。

 社会でどうにも上手くやっていけないと思った場合。

 そもそも誰かが自分のために役立つことをしてくれたことがこれといってなくて、

 どちらかというと自分ただれかのために役立つことばかりで、

 結局のところ、いつも自力でやっていくしかなくて、

 それを誰もが期待している場合。

 などです。

 この場合、
 他者への
 不信感
 不信頼感
 不審感
 がとても強く、

 これまでの人生で自分の能力の限界を痛切に感じることが多いために、
 自分への
 不信感・不信頼感
 もまた同様に強いことが多いようです。

 それは、
 自分の人生への
 不信感・不信頼感であり、

 自分の人生を
 肯定しない
 ことにもつながり、

 自分の未来に
 希望を持てない
 ことにもなります。

 だから、
 誰かの助けを借りる気も起きない。
 それで、問題は解消せず

 暮らしていく不満は募るばかり。
 という悪循環。

 自助グループで学んだことの一つに
 手放すというのがあります。

 都合これは、
 誰か、なにかに委ねる。
 ということを意味しています。

 何を?

 自分の手に負えない問題をです。
 
 そしてこれには、
 自分の処理能力以上の問題。
 と、
 自分の問題じゃなくて誰かの問題だから。

 の2種類があるようです。

 医師や福祉職、相談職などの専門職を頼り、
 自分の手に負えない部分を委ねる。

 少しでも問題解決に役立ちそうな誰かからの提案を
 試しにやってみる。
 少しだけ提案に委ねてみる。

 自分のこだわり、
 怯え、
 恐怖、
 意地、
 を手放し、

 暮らしが楽になりそうな手立てに委ねてみる。

 自助グループでのたとえ話では、

 箱の中のキャンディーつかみ取りの時、
 手一杯に物をつかんでいると箱の出口にひっかかって何も手にできないけど、
 少し手放すと、なかなかの数が手に入る。

 と学びました。

 不信というこだわりを手放すことで、
 楽が手に入ることはあります。

 助けを借りる力を手にする話でした。

  


依存症と生活保護の話

2018年03月05日

依存症という病があります。

コントロールができない病とも言われています。

飲酒や、パチンコ競馬などのギャンブルやゲーム、薬などの依存症がよく知られています。

飲酒やパチンコなどする際に、自分の行動をコントロールしながら適度に行うということができないのです。

そこで、
依存症からの回復は、依存する行為以外のことをする。ことが重要とされています。
適度にというのが難しいから、その行動をそれ以外の望ましい行動で代替するのですね。

ストレス解消で
飲酒する、パチンコやゲームする、薬を飲む打つ。
のならば、

それ以外のストレス解消法を実践するのですね。

例えば
家族と話す。スポーツする。ストレスそのものの軽減に取り組む。
などです。

とはいえ、
長年慣れ親しんだ行動を新しくするのはとても難しいもの。

だから誰かの協力が必要です。
家族などが新しい行動に協力することが大事です。

一緒におしゃべりする。スポーツする。
依存行動ではなく、健康的な行動をした時に一緒に喜ぶ。
などです。

逆にやってはならないことは、依存行動を助長する行為。
お酒を買う金を与える。一緒にパチンコに行く。ギャンブルの景品・賞金を喜ぶ。薬やゲームを買ってくる。
などです。

さて、依存症はあらゆるものを破壊する病とも言われています。
家族関係、親戚・友人知人・職場の人間関係、
職場
家計
などなどあらゆるものを破壊します。

そうして、
働くことができなくなり、生活に困ることはまれではありません。

金銭的扶助で生活を支える生活保護という制度があります。

依存症状態で生活保護を受けるとすると、
扶助されたお金は依存症という病を支えるために消費されることがほとんどになるでしょう。

このお金は家賃のため、水道光熱費のため、食費のため、だからお酒やギャンブルやゲーム、薬には使わない。
そんなコントロールができないのが依存症です。

つい、扶助金を依存行動に使ってしまう。

では、扶助を止めたらいいのか?
依存症状態の人は生きていけません。
自分の生活・人生のコントロールができない状態だからです。

私たちの身近に、
こんな悩ましい状況があることを知っていることは重要です。
誰にでもこの状況になる可能性があるからです。
  


アルコール依存症と肝臓の話

2018年02月15日

 アルコール依存症は飲酒のコントロールができない病と呼ばれています。

 これから車の運転をするなど飲酒してはならない時にも飲んだり、

 飲酒しだしたら途中で止められなくなったり、

 飲酒による身体への害や、約束が守れなくなるなどの人間関係への害や、
 仕事に遅れる、仕事する能力が落ちる、このままだと仕事を失うなどの害があると分かっているのに、
 飲んでしまったりと

 飲酒の欲求と上手くつきあえない病なのです。

 なぜ飲酒がコントロールできなくなるのかといえば、おおよその仕組みが分かっています。

 自分の欲求を抑え込み、文句も言わず辛抱強く自分に課せられた役目を果たし、

 不満をためたまま吐き出さず、じっと独りで耐え忍ぶ。

 そうして、ひたすら誰かのために何かのために役目を務める日々を送る。

 そんなストレス過多な生活の中で唯一の慰めが飲酒なのです。

 アルコールには血管を広げるなどリラックス作用があります。

 脳機能を麻痺させる作用も。
 
 日々の重責から解放される唯一の道具がアルコールなのです。

 ある意味、自分をいやす薬として摂取しているのですね。

 薬として常用しているうちに、アルコール耐性がついて、飲んでも効いていない感じになってきます。

 そこで、量を飲むようになります。

 そして、
 いつの間にか、体内にアルコールがある状態が通常になっている。

 アルコールがない状態が異常な状態。
 だから、アルコールを欲する。

 たとい飲む気はないとしても。

 こんな風に、進行していきます。

 さて、アルコール依存症を患う人の生き様ととても似た臓器が私たちの腹の中にあります。

 沈黙の臓器・肝臓です。

 栄養分を作りだしたり、大量の薬物、毒物を分解したりして、その人が活動するために、健康であるために、

 昼夜を問わずひたすら働いている臓器です。

 胃腸のように頻繁に痛みをうったえることもせず、

 過重労働で炎症を起こしているにもかかわらず、

 その苦痛は健康診断で数字として現れるのみ。

 沈黙を貫いて仕事をする。

 臓器の主であるアルコール依存症者と同じような働きぶり。生き様です。

 人が気づかないこと。無視していることを。臓器が知らせているのかもしれません。

 病というのは、その人の生き方に符合する部位に発現するような気がしています。
  
タグ :生き様


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アルコール依存症

依存症・DV・貧困・ひきこもり・不登校などが平等な話

2018年02月05日

 アルコール依存症

 DV・家庭内暴力・デートDV・虐待

 貧困

 ひきこもり

 不登校

 などの出来事、状態、問題、困難は、

 差別なく、誰の身にも、どの家庭にも、どんな状況でも起きるということを

 前提とすることは重要だと思っています。

 宗教家の家庭でも、

 教師の家族でも、

 医師の家でも、

 弁護士の家族でも、

 公務員の家庭でも、

 良妻賢母と言われる人の家庭でも、

 里親を拝命している人たちであっても、

 差別なく、区別なく、平等に発生します。

 だから、
 社会的に地位があるからと言ってヒドいことをしない、起きない。

 という思い込みは捨てる必要があると思っています。

 社会的に信用があり、人助けを生業にしていて、多くの人から頼られていたとしても。

 その家庭で何が起きているか、その人たちが何をやらかしているかはまったく別のこと。

 見過ごしてはなりません。 
   
タグ :DV暴力虐待


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アルコール依存症