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Posted by みやchan運営事務局 at

生きづらさを抱える人のために

2021年05月23日

Nacoaという国際組織があるようです。

参照引用サイトNacoa(UK)
https://nacoa.org.uk/

"The National Association for Children of Alcoholics"
親のアルコール依存症などの犠牲になっている子どもたちが必要としている手助けを提供する組織だそうです。

提供される手助けは、アルコール依存症に限らず、安全に安心して育っていける環境で育っていない子どもや大人になった子どもたちにも共通して役立つと思えます。

私もサイトを読んでとても助かりました。
心に残った点をいくつか記します。

年齢ごとに分けられたページの、
ヘルプとアドバイス(Help&advice)の各ページです。

アルコール依存症などの問題の影響を受けた人々が共有する感覚が記されています。
ページURL
https://nacoa.org.uk/support-advice/

・他の人と違う感じ

・親密な関係を築き、維持することの難しさ

・忠誠に値しないときでさえ忠誠であること

・楽しむのが難しいと感じる

・容赦なく自分自身を判定(ジャッジ)する

・自分が制御できない変化に過剰反応する

・「通常」が何であるかを推測する

・誰もあなたに何が起こったのか本当に気にしないと感じますか?

・罪悪感を感じ、理由がわかりませんか?

・あなたの家族の問題について秘密を守りますか?

・誰もあなたの気持ちを理解できないと思いますか?

私もこれらの感覚は、常に強く経験しています。

行く先々、出会う人出会う人に対してなんか違う感じを持っていました。

親密になること、親密でいることにとても疲れます。距離感が難しい。

責任感が強いといつも通知票に書いてありました。
職責・忠誠心と言ってもイイでしょう。ムダに忠誠なんです。
献身と言い換えてもいいかもしれません。
自己犠牲をいとわないでもいい。

そのために時間を取って遊ぶ感覚や趣味を楽しむ感覚が分かりません。
どうしていいのか分からない感じ。
自由にしてていいよ。と言われた時の感覚と似てます。

自己批判はとても強いです。判定は自分に厳しく一方で人には寛容です。
他の人が今の自分と同じことしたらどうする? の判定はまったく異なります。

状況をしっかり把握し、コントロールしたい気持ちを強く持っています。
じゃないと、気が変になるぐらい怖くてしようがない。
必死に状況を把握しコントロールしようとします。

いつも「フツー」を気にします。フツーどうしますかね?
が口癖だったりして。
多くのことがフツーとは違う家庭で育ったからです。
でも、
学校や職場や地域など私が生きていく世界はフツーの世界だから、そのフツーを知らないことはとてもとても困ります。

自分は誰からも気にかけてもらえないと思っています。
※私が誰かを気にかける役であることも一因です。

罪悪感や罪責感や恥じ入る感や屈辱感や無力感はよく感じます。

自己紹介を含め家族のことなど自分の私生活に関することはあまり口にしません。
公開するにしても厳選されたことのみを口にします。
厳しい検閲をへて言葉が発出されます。

分かってもらえない感覚は強く持っています。
きっとそもそもの前提が共有されていないからでしょう。
私、フツーと違う世界で生きてきたんです。

唯一、
自助グループでは前提が共有されていたので、理解し合う感覚を味わいました。

独りじゃないって思えました。

もし、
あなたがこれらの感覚を共有できるなら、Nacoaなどのアダルトチルドレンの知見が役立つかもしれません。

さしあたり、下の6つのフレーズは心を軽くし、希望への指南となるでしょう。

私はそれを引き起こしませんでした。
    ※原因ではありませんでした。

私はそれを制御することができません。
    ※ちょうどいいくらいに管理したり監督したりできません。

私はそれを治すことができません。
    ※病気や親の問題や家族の問題は治せません。直せません。

私は自分自身の世話をすることができます。
    ※その代わり、自分の面倒を見ることはできます。

私は自分の気持ちを伝えることができます。
    ※自分の心のケアもできます。

私は健康的な選択をすることができます。
    ※自分の健康管理もできます。

なにより、あなたはひとりではありません。

I didn’t cause it
I can’t control it
I can’t cure it
I can take care of myself
I can communicate my feelings
I can make healthy choices

You are not alone.

  


誰から見つけられるかでその人の人生が決まる話 2

2021年02月27日

続きの記事です。

犯罪少年の苦悩苦境は、司法領域で発見され、対応がとられたのでした。

この経験から私たちは、
苦境にいる子どもを発見するだけじゃなく、その子を救い出す行動が必要であったのだと発見したのでした。

さて、
児童福祉に関する強い力を持っている児童相談所で発見されたら、児童養護施設で適切な養育を受ける場合があります。

児童福祉の専門家から発見され、

被虐待児として認められ虐待環境から救出され、親の代理として社会から養護を受けることになります。

社会には、児童を守り育む責任があるからですね。

その子の親・保護者に代わって適切な養育をしよう!

と、大人たちが行動します。

ゆえに、
社会の責任で、専門のスタッフが適切な養育を行います。
社会的養護と呼ばれています。

国が子どもの最善のために養護するのです。
だからこれで、
万事解決。万事順調。

となりそうですが、実際はそうはいかないようです。

児童養護施設で育った3人が、児童養護施設の実情を伝え、入所児童に対するメンタルケアが必須になるように運動が展開されています。
当該サイト
「THREE FLAGS 希望の狼煙」です。
URLは
https://three-flags-kibou-noroshi.jimdosite.com/

保護されて、適切な養育を受けたにも関わらず、精神的心理的傷は癒えておらず、

そのために社会でやっていくに際して、いろいろな苦労をしていることから、運動しているとのことです。
※施設入所した被虐待児が心理的ケアを受ける。こんな当たり前のことも実施されていないんですね日本では。

当該書の主人公とは違い、
命の危険があるとして、発見保護され、その後は比較的まともな養育を受けた人たちですら、心の傷については十分に発見されていないようです。

私個人の胸のうちを記せば、
一時期とはいえ、保護されて、比較的まともな大人たちから養育を受けて、やっていいこととか悪いこととか基本的人権とか、世の中の常識をある程度知る、経験ができると言う点から、保護された人たちのことを恵まれていていいなぁというのが正直なところです。

寄る辺がないということを知ってもらっている。
職務上とはいえ、保護の措置が終わればこの先苦労するだろうと思いをいたしてくれる人もいる。
発見してもらって、保護してもらって、養育してもらっているからです。

虐待後遺症が予見されるにもかかわらず、
そのケアが必須でないなど国の施策としては不十分であり、
18歳になると支援が終わり、
世間に独り放り出される状況になってしまうという不完全な制度であったとしても。
寄る辺ない状況に戻ってしまうとしても。

一時的とはいえ
救い出してもらったから。
まともな扱いをしてもらったから。

この、社会的養護を受けた子どもの数はどれくらいかというと、
4万5000人だそうです。※報告書作成時点で。
(令和2年10月 「社会的養育の推進に向けて」 厚労省HP掲載)
URLは、
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/syakaiteki_yougo/index.html
(「社会的養護とは」の項のPDF資料)

一方で、児童相談所での児童虐待相談対応件数は、
19万4000件だそうです。※令和元年中の速報値
(「令和元年度児童虐待相談対応件数(速報値)」 厚労省HP掲載)
URLは、
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/index.html
(「児童虐待相談対応件数の動向」の項のPDF資料)

4万5000人は、報告書作成時点現在で養護している人数で、
※数年前に発見されて現在まで養護している人数も含む。

児童相談所の相談件数は1年間の件数なので、

お互いを比較して何分の一だとか何倍だとか言うことはきませんが、

苦境にいることが発見され公的支援機関に認知された子どものうちの、
だいぶ少人数が苦境から保護・養護されているみたいです。
※当該書主人公少年は、児童相談所が介入していました。

ということは、
実のところ、
当該書の主人公のように、
苦境にいることは発見はされ児童相談所にも認知されているけど、

苦境から脱するサポートが不十分で、
ゆえに、まともな養育を受けずに大人になったところの、

児童福祉の恩恵に十分に与っていない被虐待児童、逆境の中で成長して行っている子どもたちが、日本にはとても多くいるということです。

さらには、
人々から発見されていても、
児童相談所などの支援につながっていない子どもや、

発見すらされていない子どもも含めると、

日本では、
ものすごい数の子どもたちが苦境に中で暮らしていることが想像できます。


それは、
発見されていたとしても、十分なサポートが提供されなかった。
あるいは、
発見されなかった。

その状態で子ども時代を過ごし、
大人になった子どもたち、親になった子どもたちが多くいることを示唆しています。

そんな大人になった子どもたちが立ち上がった運動もあります。

大人の未来 ~虐待サバイバーが生きやすい社会へ~
当該サイトURL
https://otona-mirai-55.jimdosite.com/
「(仮)児童虐待被害者支援法」の制定を目指しています
~支援法に盛り込みたい支援~
①虐待の後遺症(複雑性PTSD等)のトラウマ治療の無償化もしく は保険対象化
②トラウマ治療ができる専門的治療者の育成
③経済的支援(就労支援や障害年金など)

とのことです。

私聞風坊は、こちらの属性なので、訴える内容がよくわかります。
ほんとに苦労してますもの。

治療者や理解者を探し出すのに一苦労ですし、それにはお金がかかるのだけどお金を稼ぐための就労で苦労するし、

そもそも、そこまでしてまで生きる意欲はないし、でも苦痛は24時間感じてるしで。

誰も救い出してくれない自分でやるしかない相変わらずの混沌の中で生きていますもの。

とはいえ、社会的に養護された人はこんな苦労をしないかというと、まったくそんなことはなくて、
この点、ほとんど同じ苦労をするみたいです。

寄る辺ないをキーワードにNHKが特集していますが、
両者同じく寄る辺がないんです。
社会でのやって生き方も教わってないんです。
だから、生きづらいんです。

虐待・逆境体験した子どもたち、大人になった子どもたちは一様に生きていくことに苦悩しています。
痛みを抱えています。

発見。

されるかされないかで大きな違いが生じる。
特に適切な力を持った人に発見されるかされないかで大きな違いが生まれる。

つらつらと記してきて、最後に一つ。

アリス・ミラーは、虐待は魂の殺人の旨指摘しています。
『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(アリス・ミラー著 山下公子訳 新曜社刊) 
出版元サイト
https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b455681.html

生命の危険に注目している支援者・支援機関から発見されると、比較的すぐ保護されるような気もします。

魂の危険に注目している支援者・支援機関がいてくれたらいいのに。
そう思うのでした。

この項終わり。
  


誰から見つけられるかでその人の人生が決まる話 1

2021年02月26日

なにかしらで困っているとき
や、
誰かの手助けがいるとき
に、

自ら誰かに助力を求めたり、
または、
誰かから助力の申し出があったりして、

困難が解消されることは一般的です。

ところがこの際、
(あなたが)助力を求めた相手、
または(あなたの力になろう)と助力の申し出をしてきた相手

の立場によって、

困難が解消されるかどうかが決まることは少なくありません。

解消するかどうか、
相手次第の面があると言うことです。

どういうことでしょう?

”誰に”発見されるかで結果が違ってくるように思えるからです。

例えば、
スポーツの才能、勉学の才能、アートの才能、職業上の才能・・・などなど。
発見されたからこそ、その才能が開花し、人生の往く道が決まることが多くあります。

才能を見出し、才能を開花させ、伸ばし、そして次のステップへつなげられる人に発見されれば、存分に自分の才能を発揮できる人生を送れるでしょう。

また例えば、
虐待や逆境体験から逃亡した未成年が、夜露をしのごうと他人の住居に侵入して警察に捕まると、

非行少年として発見されたことになるでしょう。

悪いことをした人として公認されその認識にもとづいて対応されるでしょう。

つまり、
虐待などの心の傷みのケアは後回しにされ、懲罰指導・再犯防止に重点を置かれると言うことです。

この未成年者がもし、
学校に通ってないときに、先生から発見されたとしたら、不登校児童生徒になるでしょうか。

そうなったら、
不登校児童生徒として公認され対応されるでしょう。

もし、
眠れてないようだし食欲もないようだし、全体的に具合が悪いようだから、なんかの病気かもしれないからと保護者が心配して、

精神科を受診したとしたら、精神疾患の患者として発見されることになるでしょう。

精神的な不調の未成年者とし認識され治療されるでしょう。

もし、
ひきこもりの支援機関だったらひきこもりとして。

またもし、
ワンストップ相談窓口に行って、就労支援が希望だとなったら、ニートとして発見されたことになるでしょうか。

そしてもし、
親が学校の先生だったり、弁護士だったり、宗教家だったり、医者だったり、里親だったりしたら・・・。
先生の子ども、弁護士の子ども、宗教家の子ども、医者の子ども、里親の子どもとして発見され、認知されるでしょう。

そして、
理想的な環境で養育されてる!
虐待があるなんてあり得ない!
と決めてかかられることが多いでしょう。

その環境でひどい目に遭っているなんてまさか!?
って感じで。

そのためもし、
不適切な養育を受けていたり虐待があったりしたとしても、
発見は相当遅れるかもしくは発見されないでしょう。

『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(山寺香著 ポプラ社刊 2017)
という本があります。
祖父母を殺めた被虐待児童のドキュメンタリーです。
この未成年者は、犯罪者として強く発見されます。

でも実は犯罪者として発見されるまでに、いろんな大人たちに発見されていました。

実父とも交流はあったし、親戚もいたし、数年間とはいえ学校にも通っていたし、生活保護も受けていたし、児童相談所も関わっていたし、仕事もしていたし・・・。

インフォーマル、フォーマル両方の大人たち、特に虐待に意識の高い教育や福祉の専門家すら関わっていたんです。

それは、
犯罪者として発見される前にいろいろ場面でたくさん発見されていたことを意味しています。

でも、これといって手助けしてもらえなかった。
虐待環境から救出してもらえなかった。
罪を犯して、やっとしっかり発見された。

そうしてやっと裁判を通して逆境体験に目が向けられた。
やっと一番の核心を発見してもらえたのでした。

それは、(社会が・大人たちが)何をすればいいいいのか? の発見でもあったようです。

社会や大人たちは、少年が罪を犯すことで犯罪少年を発見しました。
そして、法に従い犯罪者として収監しました。
収監したことが虐待環境から救い出すことになったことを発見しました。

裁判によって、少年の境遇がつぶさに明らかになってきました。
報道によって、社会の多くの人が少年を発見しました。
犯罪少年が虐待を受けた児童であったことを認識しました。

ジャンルでいうと、司法の力が発揮されたとなります。
司法の力で裁かれ、刑を受け、そして救われるきっかけが生まれた。

でもそれでは遅いので、
そうじゃない方法で、救い出す方法が必要なんだということを発見(気づき)しました。

いえ、思い知らされました。

発見だけじゃなく、救い出す行動が必要であったのだと発見しました。

この項続く  


ごほうびはいらない。依存の話

2020年10月16日

私たちは、
忙しい仕事、難しい勉強、緊張する人間関係、迫る〆切など、
頑張って嫌な状態を辛抱したごほうびとして、
自分になにかを与えることを一般的にやっています。

それで、
心のバランスを保つためためですね。
もしごほうびがなかったら、なんだか損した気分になります。

ごほうびとして自分に与えるものとしては、
アルコール、ゲーム、お菓子、ごちそう、スポーツ、パチンコ、読書、映画鑑賞、音楽堪能、気の置けない人とのおしゃべりなどなど多種多様です。

なんでも
自分の喜びになればごほうびになります。

ところがこの、ごほうびの取り方には、
注意が必要なんです。

特に、
とっても頑張っているとき、
嫌なことを辛抱強くやっているとき、
忍耐強く我慢しているとき。
のごほうびには。

とっても頑張っているときの心の状態はとってもハイテンション。
心は緊張で張り詰めています。

忍耐強く重圧の下で頑張っているときは、いつかくるその時に備えて動き出すためのエネルギーを密かにためている。
見た目では分からないけど、エネルギーは噴火を待つマグマのように身体の内側にうごめきながら溜まっている。
言わばハイボルテージ状態。

だから頑張れる。
無理してでも頑張れる。
疲れも感じず、ストレスに負けず。

こんなハイテンションやハイボルテージの状態で、ごほうびを取るとなるとどうなるでしょう?
皆さんご存じ、
たくさんたくさん、これでもかと取り過ぎてしまいます。
貪欲なまでに、ごほうびを取りまくる。
アルコールを飲みまくり、カラオケで歌いまくり、スイーツを食べまくり、ゲームをしまくり、おしゃべりしまくり・・・。

その結果、どうなるでしょう?
生活習慣病の肥満から始まる身体の病気や、依存症(アルコール・ゲーム・ギャンブルなど)の多くはストレス対処のごほうびが過ぎた結果でもあります。

ハイテンションやハイボルテージな状態でごほうびを取ろうとするとこうなります。
心に勢いがついているからでしょうね。

そもそも、ごほうびなんだから、たくさんあった方がイイ!
山のようなごほうびは正直なところ至福です。
でも・・・。
なんですね。

では、
害を与えないようにごほうびを手にするにはどうしたらいいでしょう?

まずは、ハイを下げるのが最優先のようです。
テンションやボルテージが高すぎるので、必要以上にごほうびを取り過ぎるからです。

心がハイテンションやハイボルテージで高ぶっているときは、
呼吸が浅く激しい。
身体のそこかしこの筋肉がこわばっている。
頭の中では思考が駆け巡って止まらない。
鼻の穴も広がっているかも。

これらのサインに気づき、
呼吸を深くゆっくり、
身体を動かしてこわばりをとり、
意識をそれらに集中することで思考が駆け巡るのを止める。

もはや、自分を苦しめる重圧はないことを。
抑圧から解放されたことを味わう。
ほっと一息。

そうして、穏やかな心と身体の状態を取り戻す。
その上で、必要なごほうびを手にする。

それは、
きっとちょうどいい分量でしょう。

なぜならもうすでに、
平穏という一番のごほうびを手にしているからです。

  


ピア活動者は専門職より低く扱われるような気がする話

2020年07月02日

ピア(サポート)活動というのがあります。

生徒・学生どうしでの支援活動や、
病気やケガなど困難を抱えて暮らす人同士が、お互いに同朋を支援する活動として知られています。

自助グループはピア活動の一つです。

ネット検索したら、いくつかのサイトが見つかりました。ご参考まで

日本ピアサポート学会
http://www.peer-s.jp/idea.html

一般社団法人日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構https://pssr.jimdo.com/%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B4%E5%BA%A6-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E5%B0%82%E9%96%80%E5%93%A1%E9%A4%8A%E6%88%90%E7%A0%94%E4%BF%AE/

認定NPO法人キャンサーネットジャパン
https://www.cancernet.jp/

アルコホリークスアノニマスジャパン ※アルコール依存本人
https://aajapan.org/

アラノン家族グループ ※アルコール依存本人の家族・友人
http://www.al-anon.or.jp/


このように、いろんな形で行われているピア活動ですが、
現在では、病院や福祉などの対人支援現場で活動することも増えてきていると聞いています。

当然ですが、
ピア活動を行うスタッフは、(支援されるのでなく)支援する立場として活動しています。
※なかには治療やリハビリの一環としてスタッフを名乗っている場合もありますが、それでもやっぱり自分は支援者であるというプロ意識をもってピア活動しています。

(先輩・同輩)当事者が、ピアという専門的な立場から、(後輩・同輩)当事者にサービス(支援)を提供する。

そういう意識です。

つまり専門支援。
専門サービス。

ところが、
そのサービスは、他の専門医療・福祉・対人支援スタッフが提供するサービスより軽んじられている。
そもそも、ピアスタッフはそれ以外の専門職よりも、一段低く見られている場合が少なくないようなんです。
ピア活動している人たちの話を見聞きすると、どうにもそんな印象を持ってしまいます。

当事者こそ専門家だ!
という声はよく見聞きするのですが、

実際に専門家、専門職として扱われるかというと、そんなことはありません。
医師・支援職・研究者などの専門職の方が重く扱われます。
私もそんな経験をして来ています。

当事者の声は参考程度に耳を傾ける感じ。
それを重用して、支援方針やサービスは組み立てられません。
ピア以外の専門職の考えを元に策定されます。※職務だから当然と言えば当然
それを補完する感じでピアが活用されています。
※なんならピアはなくても支援は成り立つけど。という感じ。

さて一方で、
医師・支援職・研究者などの専門職の人が、自分が当事者であることを表明している場合が散見されます。

書籍やドキュメンタリー番組などでわりとよく見かけます。

では、その人たちは、ピアの人たちと同様に軽く扱われるでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
むしろ、当事者の立場をよく分かる信頼できる専門職として、そうでない専門職より重きを置かれます。※ほぼ。

なぜなら、専門職だから。

痩せても枯れてもやっぱり専門職だから。
そんな感じなのかもしれませんね。

こう考えると、
ピアという立ち位置。
は、やはり社会的に、専門職より低く見られるのだろうと思うのです。
どれほど、勉学していようと。
そこらの専門職の誰よりも経験豊富だろうと。
どれほどピアノ心に触れていようと。

ピアでやる以上。
当事者として振る舞う以上。

評価に上限規制がかかる。
これは事実のようです。

ピア活動者は、そこのところをよく腹にすえて、
ピア活動する必要があるようです。
すねずに。

ピア・当事者活動する同朋よ。
くじけずひょうひょうとやりなされ。
其方がゆくは正しき道ゾ。

もはやロートルの域に達した当事者活動人聞風坊の静かなる激励でした。