待つことはよくないんじゃないかという話。

2019年05月15日

 不登校・ひきこもり界では、

 不登校やひきこもりの人が、

 自ら動き出すまで、家族や支援者は

 「待つ」

 ことが大事だ。

 ということがよく言われています。

 でも、私聞風坊はそうは思いません。

 なぜなら、ひたすら辛抱強く待ったあげく、
 
 親も子も高齢化・孤立化してしまっている現状がたくさんあるからです。

 だいたい、
 何を待つのでしょうか?

 どうなるまで待っていればいいのでしょうか?

 そして、なぜ待つのでしょうか?

 きっと、
 待っていれば、私の望みが叶う。
 だから待つのでしょう。

 それは、相手が、
 私の望むような姿になる、
 望むような行動をするようになる、
 望むような考え方をするようになる

 ことを意味しているのでしょう。

 そして、
 そうなるまでひたすら待っているのでしょう?

 思いついた答えが1つあります。

 自分が望むように相手が変化することを期待し待つ。
 それまで待ち続ける。
 です。

 そういう意味が「待つ」にはあるからです。

 そこに「相手の望み」「希望」「人生設計」は頓着されていません。
 自分の望みのみに執着している。

 たとい、
 あの子が自力で動き出すのを待っているのだとしても、

 自分たち家族や支援者のそういう思いに寄り添って待っているのですから。

 実のところ、
 相手(子ども)は、手助けがほしいのかもしれません。
 どうやっていいのか分からずに、混乱の中にもがき苦しんでいるのかもしれません。

 それを言葉にできないだけ。していないだけ。
 親に迷惑かけるから。いい歳こいて親頼みは情けないから。あの親に頼むのは恥だから。
 そんないろいろな思いから。
 
 子は助けを求めているのかもしれない。

 にもかかわらず、待つ。
 ほっといて待つ。
 手助けもせず待つ。

 待つ。は、
 そういうことになってしまうのです。

 人が自立するには、
 誰かから、
 味方でいられること
 応援されること
 支えられること
 力添えしてもらうこと
 ねぎらわれること
 ともに悩み、悲しみ、不安を抱え、
 ともに喜ばれること

 など、
 ともに何かしてもらえることが必要なんです。

 それは、距離をとって待つことではありません。

 適切に関わることになります。

 一般的には、
 寄り添いとか、見守りとか言われています。

 待たずに関わる。

 これが大事だという話でした。
 

タグ :待つ関わる

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