パートナーという言い方が実は嫌いな話。
2020年05月19日
パートナー。
(異性の)夫婦や、夫妻、連れ合いや、伴侶や、嫁や、婿をパートナーと呼ぶこと(運動)についての話です。
※一言でいうと、配偶者の呼称について。
私、男女共同参画系の運動に親しくしていたので、少々詳しくなっていますので、記してみようと思いました。
しばらくおつきあい下さいませ。
なぜこの呼び名が台頭してきたかというと、どうやらそれまでの配偶者に対する呼び名が不評を買うようになってきたからみたいです。
嫁、婿は「家」に嫁いだというニュアンスなので、好まない人が多いのです。
私もその一人です。
結婚観が家同士から個人間の縁結びになってきたことの影響があるでしょう。
家同士の結びつきじゃなくて、結婚する者同士の気持ちの結びつきに重きを置くようになってきたこと。
それから、
家同士の結びつきによる個人の気持ちが軽んじられてきたことへの不同意が強くなってきたことなど。
夫妻が一番世間馴れしているようですが、相手を呼ぶときが難しい。
「夫さん」「妻さん」って呼ぶのはどうにも馴れない。
馴れていると言えば、長年の家制度での呼称「奥様」「旦那様」が正直しっくりきます。
他に、
奥方、山の神、大蔵大臣、主人、亭主、大黒柱なんて呼び方もありますが、やはりいずれも家制度での呼び名なので、個人を大事にする場合は抵抗が生じます。
関連で、「婦人」はあまり好まれなくなって来ました。
成人女性をさす言葉として使われてきましたが、
婦というのは掃き掃除を担う女性という漢字の成り立ちだそうで、誰それの婦人。家事に従属する人。誰それが所有する人。みたいなニュアンスを含んでいるからのようです。
他人の妻をさす「○○婦人」という呼称は控えられ、
成人女性をさす「婦人」は「女性」と呼ばれるようになってきました。
個人的には連れ合いが一番好みです。
連れ合って飛ぶ2羽の鳥みたいな表現が合っています。
でも、
お連れ合いは?
なんて言い方しても分かってもらえません。古風すぎる感じ。それが難題。
ご夫君、ご妻君も同様で、いかめしい。
さて、パートナー。
それぞれがパートを受け持つ人。みたいなニュアンスを感じます。
一緒の人生を歩むそれぞれのパート担当という感じでしょうか。
もはやあなたは私の人生の一部なんだ。みたいなニュアンスもあるのかしら。
いずれにしても、
別個のとか、部分とかを担う。
なんだか、分離したイメージが大前提にある感じ。
分離独立。という熟語がありますが、
パートナーは、
きっと独立した個人に重点を置いた考えから来ているのでしょう。
男尊女卑とか、嫁・婿は家の所有物とか、個人の人権を軽んじた思想に対して、
夫婦同権。平等、公平公正を求める人たちで使われ始めたように私は記憶しています。
でも気になるんです。
関係が続いている間中、パート意識でいることが。
それは、
自分たちは、分かれているんだという意識づけ、別れるニュアンスが続くこと。
それは私の受け持つパートじゃない。(だから、私には関係のないこと)みたいな意識をはらんでいる感じがするのです。
お付き合いのある間ずっと。
夫婦である間ずっと。
分れている。
そんな意識。
DV被害者など、別れた方がいい相手といつまでも関わり続けてしまう場合は、この意識はとても大事です。
自分さえ我慢すれば関係は続けられるから。
そうすれば、暮らしていけるから。そうじゃないと暮らしていけないから。
として、自分の人権を軽んじて相手を優先し、
あたかも相手の人生に飲み込まれて一体になっているのを当然と思っている人、思い込んでいる人には、
あなたと私は違う個人だよ、尊重しあうべき存在なんだよと言うパート意識は大事でしょう。
別れても大丈夫。別れる権利がある。そんな意味合いで、支援者が使うのは賛成です。
でも、そんな間柄ではない親密な関係の人たちもこの感覚でやっていけということになると、
どうにも賛成できかねるんです。
昔は、世話好きの人がいたそうです。
独り者の若者を鵜の目鷹の目で見つけてはくっつけたがる。半ば強引に。
あんた、贅沢ばかり言っててもしようがないよ。そんな贅沢が言えるほど上等じゃないんだから、いい相手がいるから、一緒になんなさい。
として、
今風に言うと個人の意見など尊重せずお仕着せな感じで結婚させていたのでしょう。
だからかどうかは特定できませんが、
結婚生活では問題が起きます。別れる別れないもありがちでしょう。
そんなとき、
世話好きな人は、その相談に乗って、なんとか結婚生活を続けるように持って行くようです。
夫と妻の間に入って、一緒にやっていくための折り合いをつけるように働きかけるのでしょう。
結婚している当事者も、なんだかその気になってまた結婚生活を頑張ってみようという気になっていたみたい。
※もちろん、どちらかが相手に心を配らずあまりにも身勝手な場合は、別れることを勧めたかもしれませんね。
世話を焼く人。
人と人をくっつける、くっつけ続ける人みたいな役目。
これ、
パートに分ける感覚とは真逆な感じ。
一緒にやっていくことを強く押し進める感じ。
孤独死、孤立、孤(子)育て、ワンオペ。
現在、
孤の問題が取り沙汰されています。
あまりに個を意識しすぎると、孤になって逆に生きづらくなるのかもしれません。
補完し合って生きる存在。
それが人間なのかもしれません。
他人とともに人生を歩む営み。
それが結婚なんでしょう。
そもそも他人同士なのだから、苦労の連続。
努力なしには結婚生活は営めません。
だから、
どうすれば、相手といい関係で暮らせるか?
その努めをお互いが負っているはずです。
※逆に言うと、努めを果たさない相手とは別れていいとなりますが。
嫌なら別れる。
だってそもそも分かれているのだから。
最初からあまりにも別れることに軸を置いた関係作りに何の意味があるでしょう。
別れる緊張をはらんだ関係。
その象徴の言葉がパートナー。
そんなこんなで、配偶者の呼称としてのパートナーって言い方が嫌いなんです。
(異性の)夫婦や、夫妻、連れ合いや、伴侶や、嫁や、婿をパートナーと呼ぶこと(運動)についての話です。
※一言でいうと、配偶者の呼称について。
私、男女共同参画系の運動に親しくしていたので、少々詳しくなっていますので、記してみようと思いました。
しばらくおつきあい下さいませ。
なぜこの呼び名が台頭してきたかというと、どうやらそれまでの配偶者に対する呼び名が不評を買うようになってきたからみたいです。
嫁、婿は「家」に嫁いだというニュアンスなので、好まない人が多いのです。
私もその一人です。
結婚観が家同士から個人間の縁結びになってきたことの影響があるでしょう。
家同士の結びつきじゃなくて、結婚する者同士の気持ちの結びつきに重きを置くようになってきたこと。
それから、
家同士の結びつきによる個人の気持ちが軽んじられてきたことへの不同意が強くなってきたことなど。
夫妻が一番世間馴れしているようですが、相手を呼ぶときが難しい。
「夫さん」「妻さん」って呼ぶのはどうにも馴れない。
馴れていると言えば、長年の家制度での呼称「奥様」「旦那様」が正直しっくりきます。
他に、
奥方、山の神、大蔵大臣、主人、亭主、大黒柱なんて呼び方もありますが、やはりいずれも家制度での呼び名なので、個人を大事にする場合は抵抗が生じます。
関連で、「婦人」はあまり好まれなくなって来ました。
成人女性をさす言葉として使われてきましたが、
婦というのは掃き掃除を担う女性という漢字の成り立ちだそうで、誰それの婦人。家事に従属する人。誰それが所有する人。みたいなニュアンスを含んでいるからのようです。
他人の妻をさす「○○婦人」という呼称は控えられ、
成人女性をさす「婦人」は「女性」と呼ばれるようになってきました。
個人的には連れ合いが一番好みです。
連れ合って飛ぶ2羽の鳥みたいな表現が合っています。
でも、
お連れ合いは?
なんて言い方しても分かってもらえません。古風すぎる感じ。それが難題。
ご夫君、ご妻君も同様で、いかめしい。
さて、パートナー。
それぞれがパートを受け持つ人。みたいなニュアンスを感じます。
一緒の人生を歩むそれぞれのパート担当という感じでしょうか。
もはやあなたは私の人生の一部なんだ。みたいなニュアンスもあるのかしら。
いずれにしても、
別個のとか、部分とかを担う。
なんだか、分離したイメージが大前提にある感じ。
分離独立。という熟語がありますが、
パートナーは、
きっと独立した個人に重点を置いた考えから来ているのでしょう。
男尊女卑とか、嫁・婿は家の所有物とか、個人の人権を軽んじた思想に対して、
夫婦同権。平等、公平公正を求める人たちで使われ始めたように私は記憶しています。
でも気になるんです。
関係が続いている間中、パート意識でいることが。
それは、
自分たちは、分かれているんだという意識づけ、別れるニュアンスが続くこと。
それは私の受け持つパートじゃない。(だから、私には関係のないこと)みたいな意識をはらんでいる感じがするのです。
お付き合いのある間ずっと。
夫婦である間ずっと。
分れている。
そんな意識。
DV被害者など、別れた方がいい相手といつまでも関わり続けてしまう場合は、この意識はとても大事です。
自分さえ我慢すれば関係は続けられるから。
そうすれば、暮らしていけるから。そうじゃないと暮らしていけないから。
として、自分の人権を軽んじて相手を優先し、
あたかも相手の人生に飲み込まれて一体になっているのを当然と思っている人、思い込んでいる人には、
あなたと私は違う個人だよ、尊重しあうべき存在なんだよと言うパート意識は大事でしょう。
別れても大丈夫。別れる権利がある。そんな意味合いで、支援者が使うのは賛成です。
でも、そんな間柄ではない親密な関係の人たちもこの感覚でやっていけということになると、
どうにも賛成できかねるんです。
昔は、世話好きの人がいたそうです。
独り者の若者を鵜の目鷹の目で見つけてはくっつけたがる。半ば強引に。
あんた、贅沢ばかり言っててもしようがないよ。そんな贅沢が言えるほど上等じゃないんだから、いい相手がいるから、一緒になんなさい。
として、
今風に言うと個人の意見など尊重せずお仕着せな感じで結婚させていたのでしょう。
だからかどうかは特定できませんが、
結婚生活では問題が起きます。別れる別れないもありがちでしょう。
そんなとき、
世話好きな人は、その相談に乗って、なんとか結婚生活を続けるように持って行くようです。
夫と妻の間に入って、一緒にやっていくための折り合いをつけるように働きかけるのでしょう。
結婚している当事者も、なんだかその気になってまた結婚生活を頑張ってみようという気になっていたみたい。
※もちろん、どちらかが相手に心を配らずあまりにも身勝手な場合は、別れることを勧めたかもしれませんね。
世話を焼く人。
人と人をくっつける、くっつけ続ける人みたいな役目。
これ、
パートに分ける感覚とは真逆な感じ。
一緒にやっていくことを強く押し進める感じ。
孤独死、孤立、孤(子)育て、ワンオペ。
現在、
孤の問題が取り沙汰されています。
あまりに個を意識しすぎると、孤になって逆に生きづらくなるのかもしれません。
補完し合って生きる存在。
それが人間なのかもしれません。
他人とともに人生を歩む営み。
それが結婚なんでしょう。
そもそも他人同士なのだから、苦労の連続。
努力なしには結婚生活は営めません。
だから、
どうすれば、相手といい関係で暮らせるか?
その努めをお互いが負っているはずです。
※逆に言うと、努めを果たさない相手とは別れていいとなりますが。
嫌なら別れる。
だってそもそも分かれているのだから。
最初からあまりにも別れることに軸を置いた関係作りに何の意味があるでしょう。
別れる緊張をはらんだ関係。
その象徴の言葉がパートナー。
そんなこんなで、配偶者の呼称としてのパートナーって言い方が嫌いなんです。
Posted by 聞風坊 at 06:00│Comments(0)
│社会のこと
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