その人は、その人たちの典型例ではないかもしれないこと

2020年04月01日

ある人が、自分のことについて世間に知らせる。

それにより、私たちは、そのある人について知るとともに、

そのある人の属性についても知ったような気になります。

例えば、不登校の人が自分のことについていろいろ話をしたとき、

私たちは、その人を通して不登校を理解した気になります。
不登校って、こんななんだぁ。ってな感じで。

それは、ある人が、
ゲイだとしても、ひきこもりだとしても、身体障害者だとしても、統合失調症だとしても、
サラリーマンだったとしても、厚生労働省の官僚だったとしても、ハリウッド映画に出てる俳優さんだったとしても。
同様です。

でも忘れてはなりません。
その人は、その人と同じカテゴリーに割り振られた他の人たちとは違うことを。
決して、そのカテゴリーの代表ではないことを。

共通する点、典型的な点はあるのでしょう。
でも、そのある人を典型例とするのは過ぎるかもしれません。

私たちは、
その意見が、ある当事者(たち)の意見を取り入れているからといって、
当事者全員がそう思っているわけではない可能性を心に留めておく必要があります。

情報をどのように受け止めるか?
情報リテラシーの話でした。



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その人は、その人たちの典型例ではないかもしれないこと
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