人間不信のおおもとは養育者への不信かもしれない話

2018年04月25日

 この前、愛着障害の研修を受けたのですが、

 そこで、ふと思ったのが、人間不信の源泉は、

 親などの、

 自分を育てた大人

 への不信ではないかということです。

 生まれてすぐからの赤ちゃんの頃、
 
 世界とのつながりは、自分と接触するナニカを通して感じ取るもの。

 不快な気分の時に、ナニカが現れ、なんかよくなる。

 いつもだいたい。

 そんなことを繰り返すことで、いい状態でいられる感覚を身につける。

 この世に居てもいい感じ。

 時が経ち、そんなときにいつも同じ顔の人がいることを知る。

 その人がいると不快が快になることがなんとなく分かってくる。

 その人に愛着を持つ。

 そんな流れのようでした。

 さて、
 こもる人は、不信感が強いものです。

 社会への、人への。

 そこで、
 家族の内にこもることで、

 もう一度愛着関係を築き直そうとしているのかもな。
 社会への、人への。

 なかなか上手くいかないけど。

 だから何十年もかかってる。

 そんなことを思ったのでした。
 

タグ :愛着

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