いじめられる側が悪い、悪くないのこと

2017年05月19日

 いじめ問題について語るときに、必ず言われることが、

 いじめられる側に非がないということを強調すること。

 いじめられる側が悪くないことを繰り返し伝えること。

 非があり、悪いのはいじめた側。

ということです。

 いじめ行為は相手に害を与えるのだから加害行為です。法に触れる場合も少なくないでしょう。

 だから、

 いじめた側は加害者。

 いじめられた側は被害者です。

 被害者に非はありません。非があるのは加害者です。

 いじめという犯罪同等の行為に対する見解はこれにつきます。世界的に。

 それでいて、気になる点があります。

 今後に目を向けたときです。

 被害者という立場を強調しすぎると、自分は被害者なんだという意識になりがちなんです。
 それは今後もずっという意味を含んでいます。

 被害者というのは受身なんです。つまり受動的。
 それは、自ら環境に働きかける力が強くないということになります。
  
 逆に、いじめの構図から言うと、能動的なのは加害者なんです。不愉快ですが。

 加害者は、自分の勝手で相手を選び自分のしたいように害を加え、飽きたらいじめをやめて次に移るんです。
 一貫してずっと能動的。自分本位。
 力の使い方は明らかに間違っていますが、環境・相手に主体に働きかける力強さをもっています。

 また、
 悪いのは相手だという意識づけは、相手に目が向いています。
 自分には目が向いていません。

 しかも目線の先の相手はものすごく強い感じ。
 ということは自分はとても弱い感じ。

 相手の都合で加害されたときに反応することしかできない。
 なんだかいつも怯えていないといけない感じ。

 スティグマというのですが、
 被害者であることを強調しすぎると「被害者」という刻印(スティグマ)を押すことになり、
 未来に対して悪影響が出るようになるのです。

 自分は「被害者」としてしか生きていけないような思いになってしまう。
 過去の暴力の影響の下でのみ生きていくことが習い性になってしまう。

 ではどうするか?

 しっかりと相手の非を認め、自分は悪くなかったと思えるようになったあとは、

 自ら環境に働きかける術を手にするようにした方がいいように思えます。

 いじめの徴候が感じられた段階でなにか対処する。
 例えば、誰かに相談するとか、その場で自己主張するとか、とりあえずイジメの場から去るとか、
 
 安全で効果的な方法を自ら選んで。

 または、普段から思いやりの心をもって自分や他者に自ら関わる。

 そんなことをやれるようになるのが、本質的ないじめ克服なのかもしれないなと思うのでした。

 支援者は、被害者が主体的な生き方を手にするその道筋をサポートするのでしょうね。
 



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