子どもの頃、聞こえがおかしかったのでした。

2021年06月08日

子どもの頃、

ふいに、
相手との距離が遠のき、
相手の話し声や周囲の音がピッチを上げて聞こえてくることがよくありました。

古い言い方だとテープの早回しのように、
今風に言うと動画2倍速再生的に、
相手が早口になり、周囲の音、世界の音が高音になって聞こえてくる感じ。

あるいは、
相手との間に透明なゼリーの壁ができたように、
または、
水の中から、水上の音を聞いているような感じ。
声や音が遠く、そしてぼやっとしてて、響くんです。

子どもの頃、しょっちゅうありました。

その頃は、
いつも耳鳴りしてましたので(実は今でも)、ストレス性の難聴だったかもしれませんね。
※急性低音障害型感音難聴

他には、
離人症・離人感にも当てはまりそう。
世界から遠ざかる感じ。
世界がなんとなくくすんで見えたり、時間の感覚が早くなったり遅くなったり。
逆境のように強いストレスがかかると、感覚(知覚)が変わるんだそうです。

そういえば、今ここで起きていることを以前に一度経験した感じ=デジャビュ・既視感もしょっちゅう感じてました。
現実感がしばしば失われていたんでしょうね。

離人とは少し違うようですが、
子どもの頃、
ぼーっとすることがよくありました。
意識が飛んでいたのでしょう。

あるいは、
空想していたのかも。

他人からは判別しづらいでしょう
だって、本人ですら、
空想していたのか意識をなくしていたのかの境界は曖昧ですもの。

自覚していたこととしては、
空想しているときだけが唯一の楽しい時間だったこと。

道具も準備もいらない。
いつでもどこでも空想ならできる。
邪魔されない唯一の楽しみ。

きっと、
空想の世界に浸ることで、心の安定を保っていたのでしょう。
逆境のストレスに耐えようとしていたのでしょう。

そうやってしのいだんです。
生き延びたんです。
ある意味、別世界に生きることで。

でも、
子どもの最善を考えるところの支援者にかかっては、これはただの問題行動になっちゃうかしら。
くわばらくわばら。

とはいえ、問題も起きます。
なにごとも度が過ぎると、暮らしに悪い影響が出てきます。

よい空想だとしても、現実離れしていると、周囲と調和できない。話がかみ合わない。
いわゆる浮いてしまう。
バカと思われてしまう。
荒唐無稽な現実離れしたバカなことばかり考えてて、それが現実的に正しいことと思ってるから。
きっといずれ超能力が開花してとか、魔力を手に入れてとか・・・。

逆に悪い空想が過ぎて、悪いことが絶対起きそうな気持ちにもなってくることもあります。
必ず悪いことが起きる、絶対最悪の事態が起きる、どんどん悪くなっていく、
こんな感じ。

実はそうとは限らないのに。そんな気が強くしてくる。そんな世界にはまっていく感覚。
被害妄想です。
だまされる、つきまとわれる、病気になる、大けがする、大事故を起こす・・・。

こうなると、暮らしづらくなってしまいます。
空想の程度の調整が必要になってくるでしょう。

気持ちが穏やかでないときに空想・妄想することが多いので、
呼吸を整えて、心をリズムを整えて。

  


理想の家を描いてみよう! ができなかった話

2021年06月04日

高校の頃、製図の時間に、理想の家の間取りを描いてみよう。
という課題がありました。

まったくできませんでした。
周りは楽しそうに描いているのに。

宿題で持って帰ってもできませんでした。

ちなみに今でもできません。

頭がうまく働かないのです。

理想の

ってのが難題。

ちなみに、
今住んでる家の間取りを描くのならできます。

これ、
耳で聞いた言葉とイメージとして目に見える像の連携がうまくいかなかったからかもしれないなぁ。
とふと思い至りました。

言葉とイメージをつなげられないから。

それは、
言葉を教わっていないから。

将来の夢

理想の家族

やりたいこと

幸せ

自分がどうしたいか

就きたい仕事は

これらは全部、
自分が望むところの将来・未来のいい状態。
を著す言葉たち。

その状態をイメージする。
それを言葉にする。
そうして状態と言葉をつなげる。

A:将来の夢は何?
B:仮面ライダー!
A:そうかぁ、仮面ライダーかぁ、かっこいいね!
B:へんし~ん
ってなやりとりがあったら、

A:どんなうちに住みたいね?
B:仮面ライダーのうち!
A:えぇ、そこはどんなとこね?
B:マスターがおると
A:おぉ、喫茶店みたいなとこやね。
B:ジュースがでると。
A:じゃ~わ。※1号ライダーじゃな。
でもいいかも。

こんな風にイメージと言葉をつなげる練習ができてないからのようです。

Q:どんな家に住みたい?
A:明るくて、畳があって、板間からはベランダに出ることができて、

みたいにイメージを具体的な言葉にする。
そして、
それを理想の家という言葉でくくる。

これができると、逆順で
くくった言葉から具体的イメージを描けるのでしょう。

Q:理想の家、住みたい家と言えばどんなイメージですか?
A:理想の家と言えば、明るくてだから窓が大きくて、畳の間と板間があって、ベランダがあって・・・。

そしたら、
それを描いてみましょう。

きっと、
簡単にできるでしょう。

理想のって言葉(聴覚)とイメージ(視覚)がつながるようになったからです。

こんな感じで、
右手をまっすぐ上げる。
ねじらずに。肩は上げずに。そうそうそのままそのまま、ゆっくりゆっくり。

ご飯を食べたら歯磨きをするよ。
歯ブラシに歯磨き粉をつけて、歯ブラシは鉛筆のように持って細かく動かして。

言葉と動作のイメージがつながると、
右手を上げて。
歯磨きした?
の声かけにスムースに反応できるでしょう。

そして、
動作に限らず、気持ちを表す言葉とイメージがつながることも大事です。

あら転んだと。それは、痛かったね。
あらぁ、相手にされなかったのね。そらのさんかったねぇ。

(自分と同じような経験をしたイメージの)
あの人も、
痛かったろうねぇ。
のさんかったろうねぇ。

えぇ、君はそういう考えやっちゃ。
あの人は、どういう考えやろね。
※自分の中に考えがある。あの人の中にも考えがある。というイメージ。

それはやってはいけないことだよ。
そういうときはこうするとよ。

したら、やらんでいいがぁ。
あいもこいもはでけんがぁ。こういうときは無理せんでいっちゃがぁ。 

自分の感情と自分以外の誰かの感情があること

自分の考えと自分以外の誰かの考えがあること

いいこと悪いこと

やらなくていいことやったほうがいいこと

なんべん言っても分からない。
なんべん教えられても分からない。
それは、
イメージが描けないからかもしれません。

逆に、
イメージが描ければ、言葉は分かる。
言われたことが分かる。教わったことが分かる。

そしたら、
どうすればいいか? どうしてはいけないか?
期待される振る舞いも分かる。

こんなことを考えたのでした。

そして、
なぜ、言葉とイメージがつながらないのか?
思いを致します。

きっと、
今を生きることに、今をしのぐごとに精一杯だったからでしょう。
(明るい)未来が来るなんて思えなかったからでしょう。

養育者も私も。

その時まで生きている確信が持てなかったからでしょう。
今を生き延びるのに精一杯で。

養育者も私も。

そして、
言葉を教えてもらえなかったのでしょう。
イメージを言葉で表すことも。すると誰かとわかり合えることも。
気持ちを言葉で表すことも。すると誰かと思いやり合えることも。

私は。ひょっとしたら養育者も。

私は、
大人になって、必死に学んでいます。

聴覚と視覚の連携の話でした。

  


言葉のイメージを一致させたらコミュ障は減るんじゃないかと思うのだ。

2021年05月31日

会話が通じ合うのは、

耳から入った音声をもとにしたイメージ(画像・映像)が、相手と一致していたとき。

のように思えます。

聴覚・耳と視覚・目の連携の結果が、相手と一致したときです。

天ぷらのしっぽ食べる?

との質問を聞いて、

さつまあげをイメージしたときと、
エビ天をイメージしたときでは、

話は思わぬ方向に行くでしょう。

さつま揚げのしっぽ・・・?

ちょっと前まで、
コミュニケーション障害、コミュ障という言葉がよく見聞きされました。

いろいろ理由があるのでしょうが、
存外、お互いの言葉のイメージが一致してないだけ。
が最大の原因なのかもしれません。

じゃ、どうするか?

ズレたときに修正する。

の大原則に従うと、

言葉のイメージを合わせるために

追加説明する、
あぁ、天ぷらって言っても、エビの天ぷらね。

相手に尋ねる、
それはぁ、あんほら、おび天みたいなやつね? じゃったらしっぽはないけど?

で、簡単に修正できそうです。

聴覚と視覚の連携の話でした。
  


虐待・逆境体験が聞く力に悪い影響を与えていること

2021年05月27日

虐待などの逆境体験があると、脳の一部が小さくなったり大きくなったりするそうです。

記憶を司る部分や、
見ることを司る部分は小さくなり、
聞くことを司る部分は大きくなる(またはそのままの大きさでいる)。

いつもの通り経験に照らして、このこと、特に聞くことを司る部分について考えたことを記したいと思います。

目や耳などの感覚器官は、
危険を察知するセンサーとしても優秀です。

目は、危険なものをいち早く見つけ、
耳は、危険な音を聞き分け、
鼻や舌は、危険な匂いや味に敏感です。

目や耳や鼻は、危険なナニカを察知します。

ナニカの影だったり様子だったり、

ナニカの音だったり、匂いだったり。

このうち、
目は、暗闇では察知できません。遮蔽物があっても同様。

鼻は、暗闇でも遮蔽物があっても大丈夫ですが、ある程度近くないと、または自分が風下でないと察知できません。

耳は、暗闇でも、ある程度の遮蔽物があっても、風下でも、大丈夫。

危険な音は、
人の声、人がたてる音、機械や道具などの物(環境)ががたてる音、動物がたてる音と色々あります。
いわゆる不快な音です。

不快な音であってもさしあたり危険ではない音もあります。
逆に、通常の音の中に、危険が潜んでいることもあります。

どれが危険でどれが危険でないかの判別はとても難しい。
境界はあやふやです。

大爆笑と悲鳴の差は聞き分けづらい。

一般的には、聞くための神経系は、人の声をよく聞き取るように発達するのだそうです。
都合、
それ以外の音を聞き取る神経は発達しない(=刈り込まれる)ので、結果的に脳の容積は適度に減るのだそうです。
余分な物をそぎ落として動きがよくなる感じでしょうか。

虐待・逆境にある人は、
この刈り込みが少ないみたいです。
そのため、結果的に容積が減らない、肥大してる感じになるとか。

親など自分を養ってくれる人の声に敏感に反応することは生きる上で大事です。
同様に、危険な音について敏感に反応することも大事です。

虐待・逆境状態では、
相反する意味合いを持つ二つの音が混在しています。
だから、
良いこと(自分のためになる良い音)と悪いこと(自分に害のある悪い音)が分別しづらい。

そのため、
どの音をよく聞き取れるようにした方がいいのか判断しづらくなり、
どの神経回路を残して、どれを捨てればいいかが選択できなくなってしまいます。

この結果、神経回路の刈り込みが進まない。
わさ~っと雑木林のような神経網のままで成長する。
※みかけ肥大してる
って仕組みらしいです。

この仕組み、言葉の理解ができる年頃であれば、
暴言を聞こえづらくする効果があるかもしれませんね。
暴言の信号が脳に届きづらくなるのだもの。
※自己防衛。

でも、この都合から、
聞こえの問題というか困難が生じているかもしれません。

人の言うことがよく聞き取れないとか、よく理解できないとか、雑音が邪魔して気が散るとか、落ち着かないとか、緊張し続けるとか。

特に、
暴言、辱め、侮辱、屈辱の言葉を浴びたのならば、
それらの侮辱・攻撃・破壊を意味する言葉を聞き取らないように脳が変化するかもしれません。

ひょっとすると、
いっそのこと人が発する言葉または音声全般を敏感に聞き取らないようにしてしまうかも。

視覚野が縮小することで暴力を見ないように、

海馬が縮小し恐怖や嫌悪を記憶しないように、

前頭野の働きを制限して体罰暴力にとっさに反応(攻撃・逃避)できるように、

脳が変化するのと同様に。

さて、
言葉を使って、知識は伝わってきます。

言葉を聞かないようにしているために、
知識が伝わりづらくなって、しかも記憶の機能も落ちているとなれば、学力が高まりづらくなるでしょう。
都合、
勉強に苦労することになりがち。

人の話を聞かない、理解に手間取る、勉強ができない、集中力がない、落ち着かない、
などの問題行動と呼ばれる行動をよくやる人(子どもや大人になった子ども)は、このような問題を抱えているかもしれません。

私が子どもの頃そうであったように。・・・今でもね。
  
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親業の本を読んだのでした

2021年04月26日

『理由ある反抗 親業-いまを解決する話す技術・聞く技術』(近藤千恵著 総合法令刊 1998)
を読んだのでした。

アメリカの心理学者のトマス・ゴードン博士が開発した親を対象としたコミュニケーション技法のトレーニングは、
Parent Effectiveness Traningが正式名称で、
ゴードンメソッドとも呼ばれ、日本語訳は親業です。

著者が翻訳する際に、
主婦業という言葉もあるのだから親業もあるだろうということで、こう名付けたとのことです。

親という役目を効果的に果たすには、コミュニケーションの技術が必須であるとの思いから、開発されたメソッドのようです。

私は、実のところ20年近く前から知っていて、
トレーニングを受けたり、トレーナーの人たちと活動を共にしていたこともあり、
私のコミュニケーション技術の多くは親業・ゴードンメソッドに依っています。

久しぶりに、ふと親業の本を読んでみたくなり、手にしたのがこの1冊でした。

感想。

面白い!
ためになる!
なるほど!
これはいい!
これだ!!
大絶賛です。

最近はやりの問題行動の矯正スキルではなく、一緒にどうしたらいいかを考えていくスキル。

親と子、私とあなたを共に大事にしつつ、問題を解決していくスキル。

人間肯定・人間信頼という人間観に裏打ちされた、その実践と技術が、
具体的でリアルな事例を豊富に余すとこなく挙げて、それでいて分かり易くテンポよく書かれていて、読んでいてとても楽しく喜び大きく勉強できました。

さて、心を打つ内容ばかりの本書ですが、その中から一つ、
問題の所有権という考え方についてお伝えします。

問題の所有権。

そうなんです。これなんです。

私がこだわっているのは。

「問題を持つ」というのは、親業独特の考え方と教わりましたが、
今風にいうならば、困難を抱える、スッキリしない感を抱くとなりましょうか。

親と子、スッキリしない感を持っているのはどっち?
にまず焦点を当てるんですね。
それによってコミュニケーションの仕方を変えるんです。

支援という視点だと、支援対象や支援ポイントを変えるってことになります。

例えば、
親が、我が子が不登校だからと支援者を頼ってきたとき、問題を抱えて困っているのは親なんです。
子どもというより。
親は問題を抱えてしまっていて自分ひとりではもうどうにもならなくなって、
人に相談をしようとアクションを起こすほどに困っているってことです。

一方の子どもは、不登校してやっと一息つけているかも知れません。
登校しているときの困り感からは解放されているかも知れませんもの。

つまり、
現状、問題は手放せた。ある意味スッキリしている。
少なくとも人に相談するほど切迫した問題は持っていないって考えられます。

ひきこもりだってそう。

なんだったら、アルコール依存症だってそう。

実は、
問題行動と定義される行動は、

周囲の人が困ったなぁ、やだなぁ、やめて欲しいなぁと思う行動なんです。

問題所有の視点からいうと、
周囲の人が問題を所有しているんです。
※ロジャーズ的に言えば、周囲の人が痛みを感じている。

一般的な言葉の使い方であるところの、
(あの子は)問題があるとか、問題児とか、トラブルメーカーという
周囲から受け入れられない行動をしている人を象徴する表現では、
このことは軽視されます。

都合、
本当に問題を抱えて、それを解決しようとアクションを起こしてきた人(※この場合親)の、
困り感や、痛みは軽んじられるんです。

こう考えてくると支援者は、
子どもよりも、相談してきた親のその痛みを取り除かねばならないとなります。

支援者は、
その人が所有している問題、抱えてしまった問題の解決の手助けをするのが役目です。

間違っても、問題を所有していないところの周囲から問題行動と呼ばれることをやっている人に働きかけてはなりません。
それは、誰の手助けにもならないでしょう。
逆に事態を悪化させることになりかねません。

誰が困っているのか?
今ここで問題を抱えて解決しようとアクション起こしているのは誰か?

支援者は、その人こそ手助けできるのです。
実のところそれぐらいの力しかありませんもの。

問題を抱えていない子どもに働きかけても力は発揮出来ません。
日本中の支援者がこれをやって支援対象である人たちに逆効果を与えているように感じています。

問題を抱えているのは誰か?
この見立てをしっかりしないとイケないと読後改めて思うのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング