頑張りたい人は頑張りを感じるために邪魔する何かを頑張って調達する話

2019年12月05日

 世の中、

 頑張ることはいいことだ!

 として、何でもかんでも頑張ろうとする人がいます。

 頑張らないとやった気がしない。

 充実感がない。

 何かを成し遂げたとしても、達成感がない。

 時に、楽しちゃ悪い気がするから頑張る。
 みたいな場合も。

 とにかく頑張る。

 目的は頑張ること。

 さて、頑張るためには、困難が必要です。

 困難を乗り越えて、達成する。

 または、達成しなくてもいい。

 このどちらでも、頑張りが感じられる。

 だから、頑張るためには困難が必要なんです。

 だから、頑張りを感じるために、頑張るためには、事態を困難にする必要があります。

 いたずらに、厳しい道を歩む。

 うまくいきそうな展開の邪魔となりそうなことをあえて考える。

 あえて設定する。

 決して楽に、

 楽観的に物事を考えない。

 じゃないと頑張ることにならないから。

 頑張りを感じられないから。

 邪魔、困難が、必要なんです。
 頑張りたい人には。

 こうして、
 やりがいを持って暮らしていければいいのですが、
 問題は、こういう風に考えてしまって、身動きがとれなくなってしまった場合です。

 何かしようとすると、いろいろ邪魔になることを考えてしまい何もできなくなってしまう。

 例えば、病院に行けば楽になれると分かっているのに、病院が休みだったらとか、先生が怖かったらとか、通院するバスの中で嫌なめに会いそうだとか、いろいろ邪魔することを考えてしまい、結局望んだ通院ができなくなってしまう場合です。

 そんなときは、頑張らずに、なにも考えずに、ただ行動する。

 物足りないかもしれないけど。

 ただやる。

 そうして目的を達する。

 そんな心がけが大事に思えます。 

 頑張りたい人は、意地でも困難を設定するという話でした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(3)心理・カウンセリング

被害者に「100%あなたは悪くない」と言うことについての気づき

2019年11月08日

 DVやイジメや犯罪などの被害に遭った人のケアやサポート場面でよくいわれる言葉であり、支援者研修などで推進されることとして、

 「あなたは100%悪くない」

 があります。

 害を受けた人が、自分が悪いから被害に遭ったんだと、暴力を受けた自分が悪いとして、
自分を責めることをしないように勧める意図があります。

 誰しも、ミスや注意不足はあります。

 だからといって、暴力を受けていい、犯罪に遭っていいということはありません。

 暴力を受けなくていいのですし、犯罪に遭わなくていいのです。

 悪いのは、ミスや注意不足に付け入ったり、端からその人の尊厳を無視して暴力や犯罪をする加害者の方だからなんです。

 とはいえ、100%悪くないという言い方には、少し抵抗がありました。

 なんだか、ミスや不注意をしてもいいという風に聞こえてしまうのです。
 とにかく悪いのは相手なんだから。という風に。

 暗い夜道を無防備に歩いたり、危険地域に出入りしたり、暴力犯罪リスクの高い場面に居続けることをしないことはまずもって大事なことです。

 決して安全が保証されているわけではない日常を生きる私たちは、
 うかつにもリスクの高いことをしてしまわないよう、暴力や犯罪を受けないよう、注意を怠らないようにせねばなりません。

 こんな思いでいたせいか「100%悪くない」の言葉に対して、
 なんだかそういう注意責任がないような、自分の安全のための注意配慮をすることを軽んじるような感覚を持つのでした。
 だから「100%悪くない」という言葉は使いませんでした。

 もちろん、
 暴力する方が悪いのです。あなたが悪いわけではありません。とはっきり言ってはいましたが。

 さて先日、
 この長年の懸案事について、少し気づきがありました。

 被害を受けると、
 もしあの時、自分がこうしていれば相手は暴力をふるわず、自分の身の安全は保てたのではないか?

 そういう思いになりがちなんです。

 自分がどうにかすれば、自分の身の安全、安心は確保できるのではないか?

 自分の心と身体を守るために、自分になにかできたのではないか?

 そう思うものです。

 私は経験的に知っています。

 この思い、
 自分の力を再確認したいためでもあるようです。

 自分に対する影響力を再び取り戻したい。 ※自己効力感

 自分の力がまったく及ばず、
 あまりにも無力で、
 自尊心など粉みじんで、
 屈辱でしかないあのとき、

 なんとか自分にできたことはないか?
 そうならないためにできたことはないか?

 そういう思いからです。

 でも、それはかなわぬこと。
 圧倒的な力は存在します。

 その力の前には、
 屈するしかありません。

 100%なにもできないことはあります。

 相手の尊厳を踏みにじる
 そんな力の使い方は100%間違っています。

 100%悪いのは相手です。

 そして、

 100%相手が悪いのはわかっていても、

 自分の力が100%まったく及ばなかったことを認めることはとてもつらいこと。

 悲しいこと。

 この、いいようのない怒りや悲しみをしっかり感じること。

 それは、きっと回復に役立つのだろう。

 あなたは悪くはない。
 あなたに被害の責任はない。
 の奥に、
 そのときあなたは100%無力だったから。
 という事実があるのかもしれない。

 そんな気づきでした。
  
タグ :加害被害


やらねばならないけどやれないから苦しんでいるのは親も子もの話

2019年11月05日

 ひきこもり、不登校、ニートに代表されるように、社会参加に苦労している人たちは、

 社会参加せねばならない!

 学校行かねばならない!

 働かねばならない!

 という自らの声の強力な圧力と、

 社会参加できない!

 学校、行けない!

 働けない!

 という悲鳴的本音の、

 両方の力が働き、

 身動きが取れなくなっているようです。

 自分で自分を身動き取れなくしていることから、

 自縄自縛状態になっている。

 とも言えるでしょう。

 一方で、
 そんな人たちの親も、

 子を社会参加させねばならない!

 学校に行かせねばならない!

 一人前に働かせねばならない!

 でなければ、親として失格だ。

 社会から叱責される。

 などとして、自分を追い込んでいるようです。

 やはり自縄自縛状態。

 つまり、
 親子ともに自縄自縛状態で苦悶してるみたいなんです。

 ならばと考えます。

 人生の先輩である親が、自縄自縛の解き方を子に教えてやれば、

 苦悶は解消するんじゃないかと。

 自分の縄を解く術を覚えた親

 が、

 それを子に伝授する。

 なんだかステキ!

 ひょっとしたら子どもは、親にこれを望んでいるのかもしれません。

 苦痛から解き放たれて、
 自由になる方法を教えて!

 お父さん、お母さん。

 でも、残念ながら、その望みが叶うことはまれです。

 なぜなら、
 親こそが、子に、その解き方を期待しているからです。

 子どもに自縄自縛の罠を渡し、自分はそれから逃れる。
 そうして子育てしてきた。

 そのツケが、
 まわってきているようにも思えます。

 子がひきこもり、不登校、ニートになって。

 運良く、
 セラピーなどに通った子どもが解き方を教えてくれればよし。

 でも、
 そんなことは奇跡に近いほど少ない可能性。

 でなければ、8050問題なんて起きません。

 だから、
 親がやらねばならぬことは、

 次世代に自分の罠を送ることではなく、

 自分の代でケリをつけること。

 それは、
 先祖伝来受け継がれてきた自縄自縛の罠を
 自ら解き、自由になること。

 それは、
 社会に期待するより自分に期待すると言うこと。

 そんな親を子が尊敬しない理由がありましょうや。
  


人様の言うことに応えようと頑張り続けると人生の途中で立ちゆかなくなってしまう話

2019年09月30日


 TA・交流分析では、自分の人生の予定をどのように達成していくか?

 について、そのプロセスを種類分けして名付けています。

 例えば、

 親や親以外の誰かを

 喜ばせようと躍起になったり、

 要望に完璧に応えようと奮闘したり、

 する人は、

 自分のやりたいことややりたくないことよりも、

 まずは、親や誰かの望みを叶えることを優先します。

 それを達成したら、

 親や誰かの次の要望に応えます。

 それに応えるやいなや、またはそれに応えつつ、

 親や誰かの望みを叶えます。

 相手が喜ぶように、完璧に。

 そうして生きていくうちに、

 あるときふと、

 親や誰かからの要望がなくなることがあります。
 
 すると、
 その人は、

 今から何をしていいか分からなくなるでしょう。

 親や親以外の誰かの期待に応えるために、
 
 まずはその人たちの望みを優先して生きてきた人だからです。
 
 この先どうやって生きていけばいいのだろう。

 なんのためにやってきたんだっけ?

 どこを目指していたんだっけ?

 どうなったらOKだったり、ミッション終了だったっけ?

 自問しても答えはありません。

 もともとゴールはないからです。

 その場その場で誰かの気持ちがすむことをただひたすら繰り返してきただけの人生だからです。

 自分の人生の目標、到達地点、ゴール、終点。

 なんてものは後回しにして、

 まずは相手のこと。

 そんな風に生きてきたからです。

 とはいえ、そんな人にとって、
 人生のある時点で立ちゆかなくなったとき、

 それは、好機となります。

 これから、自分の望みを叶えるために生きていけるのですから。

 自分のやりたいこと、やりたかったことを思い出し、気づき、

 自分の人生を生きていくチャンス到来だからです。

 自分で到達点を決めて、生きていく始まりだからです。

 オープンエンドの脚本プロセスの話でした。 
  


優しくするとバカにするは紙一重かもしれない話

2019年09月20日

 私たちは、

 困っている人をみて、心が動いて、

 優しく声をかけるとき、

 相手を小さな傷ついた子どものような存在と見ているかもしれません。

 だから、大人である、力強い、困っていない、正しい、余裕のある

 自分が、

 助けてあげよう。

 という親のような思いに駆られるのからかもしれません。

 そしてそれは、

 相手を自分より下の能力の人として認識していると言うこと。

 知識や経験がない存在として扱うと言うこと。

 一言でいうと、
 バカしにしていると言うこと。

 困難を抱える人の支援の世界ではよく感じます。
※ひきこもりや困窮者支援でのステップアップ思想など、ひきこもりや困窮者を、社会のステップの下段にあるという認識で段を上げる(ステップアップ)ために支援する。

 優しさとバカにするは紙一重のようです。

 表裏一体かもしれません。

 このことを常に意識している必要があるようです。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング