心理的虐待を親からのいじめの1つとして考えてみると。

2020年09月02日

児童虐待の形は、4つに分けて考えられるのが一般的です。
・暴力による身体的虐待。
・性に関する行為による性的虐待。
・食事や世話をしないことによる育児放棄・ネグレクト
・心に害を与える心理的虐待。

暴力は、物理的に身体に害を与える行為です。
関連で、暴力場面に接触させることも虐待に当たります。
面前DVと呼ばれていますが、人が暴力を受ける場にいる、暴力を目撃する、暴力を耳にする場合です。
これは心理的虐待とされています。

性被害も、身体的接触でなくても裸を見せることも問題となります。
ポルノ画像、動画を目にすることなども含みます。

育児放棄は、親の育児疲れが要因の一つと指摘されていますが、ご飯を食べさせたり健康管理したりなど子が必要とする世話を焼かないことです。
親への子育て支援、子への保護的支援が重要とされています。

心理的虐待は、(しばしば、当たり前に)ひどい言葉を子どもに言ったり、兄弟姉妹でえこひいきしたり、無視したりすることです。
言葉や態度で子どもを傷つける行為です。
親からのいじめと捉えてもいいかもしれません。

参考に、文部科学省のいじめのページからいじめの定義を引用します。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302904.htm
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」


言い換えてみます。
親から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、子が精神的な苦痛を感じている。
こんな場合は、子は親からいじめられていると定義できそうです。

例えば、
子どもの名前にケチをつける。子どもを別の名前で呼ぶ。
目が悪い、手足が短いと身体的特徴を馬鹿にする。
鼻をかめないと馬鹿にする。
侮辱。

なにかをやってもやらなくても文句を言われる。
不平や不満の種を探し出してあげつらう。
嫌がらせ。意地悪。
そのために、
子は親に見つからないように、目立たないように、言い訳が立つように、慎重に準備して一気にやる。急いでやり遂げる。

お前は○○(長男・実子・勉強の出来不出来などなど)だからなどと兄弟姉妹とえこひいきする理由を述べて、公然とひいきする。
差別。

昔自分がいじめられた嫌いな人と似ているからと言う理由でけなす、冷たく当たる。
言いがかり、いちゃもんをつける。
八つ当たり。不満のはけ口

日頃から、思いやりの声をかけることもなく、
子どもが話しかけても無視したり、後回しにしたり、
無視。無関心。
なのに、親である自分の用事にはいの一番に取り組まないと激怒する。
親の都合のいいときだけ利用する。

自分のやりたくない仕事を子どもに押しつける。
子どもをパシリとして使う。

自分が持てあまして困っている大人の仕事を子ども(児童)に押しつける。言い訳がましい嘘をまじえて。
強要。だまし。
都合、子どもは、自分の与り知らない仕事を押しつけられ、身に余るストレスに押しつぶされそうにもかかわら、その状況から逃れることはできない。
感じるのは無力感と、情けなさと、恥辱。
親からの依頼への苦痛。
親と関わることの嫌悪。

子どもだからと言う理由で、
家庭内のことについてすべてかやの外に置く。
家庭内で何が起こっているか、どうしようとしているのかすら教えない。
仲間はずれ。
※子は、自分の知らないところで何かの企みが進行していることを薄々感じながら家族と暮らしていくことになる。疑り深くなる。人の本音と建て前を見極める冷静な観察眼を持つようになる。

その上、誰かに相談したり、助けを求めることを禁止する。
自分の支配下に置いておく。手放さない。
仲間の内(自分の手の内)に入れておく。

これらを無意識に(時に意識して)やっていることが少なくないかもしれません。

でも、
親は自分自身がどれほど我が子にひどいことをしているかを意識していない。
子からひどい行為を指摘またはひどいことを止めるよう懇願されても、それぐらい(自分としては)どうってことないと思う。
むしろ、そんな面倒をかける我が子をより嫌う。
子の気持を忖度する気は毛頭無い。

子どもは、自分が親から嫌われていることは感覚的に分かっています。
それを引き受けて暮らしています。

嫌悪が激しくならないように、親の言う通りにして育ちます。
でも100%言う通りにはできません。というか親は子にまず満足しません。
だって、本音ではいじめたいのだもの。嫌いだから。いじめのネタを探し出します。

結局、親からのいじめは続きます。

泣きついたり、わめいたりしたら、
変な子として扱われます。
冷笑とともに病院に連れて行かれるだけかもしれません。
こんな弱い子を持ってしまった自分の人生を嘆くこともあるでしょう。
それも直接子どもに向かって。

結局、子は自分の気持ちを伝えても親の理解は得られません。
親の優しさは得られません。

そして、いじめは続きます。

自分にできることは耐えることだけ。
子どもは悟ります。

そして、
子どもは辛抱します。
生きるために。

親を好きだからではありません。親を愛しているからではありません。
自分の命を守るためです。
自分の無力をかみしめながら。
誰も助けてくれないのだから。

親からいじめられることが日常。
ある意味、それが人生になっている子どもは、

友だちからいじめられることも普通に思えるかもしれません。
どうせ自分は嫌われる。そういう信念を持っているからかもしれません。

学校でいじめられても耐えられるかもしれません。
親からいじめられる深刻さ際限のなさに比べれば、まだ軽傷と思えるから。
むしろ、これぐらいなら安全と思うかも。
いじめない友人もいるし親以外のフツーの大人もいるところの家よりは安全な学校という認識で。

  


親から奪われたものを悼むことは、親の呪いを解くことの始まり。

2020年08月28日

幼小期に虐待や体罰を受けたりと逆境を経験した人は、与えられなかったものと同様に、奪われたものも少なくありません。

自分の時間
親の都合にいつも振り回されていたり、
親が急にそして強引に用事を言いつけてきたりするので、
落ち着いた自分の時間が持てません。

その状況下で、
少しでも自分の時間がありそうなときは、やりたいことを急いでやり遂げる癖が付くことは自然でしょう。
大人の今でも、なにをやるにしても焦ったように手早くすましているかもしれません。
自分の時間があるうちにと。

自分の時間が奪われる。
自分の時間は奪われる。
これが一生にわたると、人生が奪われたことになります。

尊厳
自分のことしか頭になく、子どもを自分の道具と思っている親は、いかに子どもを利用するかしか考えません。
虐待の英語表記は、Child abuseですが、これはChildのab-use。子どもの不適切な利用の意味だそうです。

だから、
子どもは自分が親から大事にされている、価値を置かれている、大切な存在だという意識を持つことが難しい。
いてもいなくてもいい。親の都合によって、いた方がいいときは喜ばれ、いない方がいいときは嫌がられる。邪魔者扱いされる。
親が必要とするときにのみ、かつ親の利益に叶うときだけ、自分の価値が生じる。
それ以外はないも一緒。
道具のように物扱いされる子どもは、人としての尊厳を自分に感じることはできません。

自分の考え
親の考えに沿った考えしか許されない。
自分なりに考える暇すら許されない。
自分の考えは親に否定され奪われる。

そのうち、
親から育てて貰うことと引き換えに自分の考えを親に差し出す。
自分を提供する。
それが無力な自分が持っている唯一の生き延びる手段だから。

感情
感情も同様。親が望む感情しか感じてはならない。自分の感情は奪われる。
または、命と引き換えに自分の感情を親に提供する。

育てられることを条件に親と契約する。
時間や尊厳や考えや感情を質にして自分の命を守る。
幼小児の決断。

これらのことを大人になって振り返り、

結果として、生き延びた自分をほめ、
ねぎらい、
過去に失ったもの、与えられなかったものを悼み、悲しみ、

区切りをつけることは重要です。

人知れず苦心惨憺頑張ってきたおかげで、
今、相当な困難にも対処できる力を手にしているのだから。

あの頃、生きるなら自分を差し出せと呪いをかけられ縛られていたように、
今も過去のあの頃と同様に呪いに縛られて身動きが取れないだけなのだから。

過去のことを過去に置くことさえできれば、
自然と今と未来に目が向くのだから。

生き延びた自力の強さを感じながら。
やっていけるのだから。

そうやって、
自力で呪いは解けるのだから。

呪いを解く自力があるのだから。


  
タグ :自力呪い


幼いころに与えられなかったものがもたらしたトラウマの話

2020年08月24日

事故や事件、病気、ケガ、喪失体験、ショック体験などにより、

今までの安心、

安全、

日常、

人間関係、

財産、

など、すでに手にしていたものを失うことにより、

トラウマが生じることがあります。

一方で、
トラウマを負うと言われている幼い頃の虐待などの逆境的小児期体験(ACE)では、

そもそも安全や安心や良い人間関係などが与えられていない場合が少なくないようです。

そもそも、人とつながりを持つことを知らない。
そもそも、食事の歓びを知らない。
そもそも、傷み・痛みをいやしてもらうことを知らない。

この場合は、失うというより、

欠如、欠乏と言った方がいいようです。

親から労われる体験が欠けている。
親と心を通ずる体験が欠けている。
親から育まれる体験が乏しい。

欠如体験。
欠乏体験。

与えられなかったんだ。

恵まれていなかったんだ。

ということを後になって知るとき、

心の痛み、身体の痛みを感じるかと思います。

悲しみの感情も。

それは、失っていた感情の1つです。

悲しい、

痛い、

と感じる体験すら与えられなかった。

与えるという言い方をするならば、
これらは、
幼児期虐待・逆境体験が与えるものとなるでしょう。

なんか不足している感じ

なんとなく(自分自身に)しっくりこない感じ

自分には何かしらフツーと違って欠陥があるような、欠落があるような感じ、
ふとさびしくなったり、悲しくなったり、身体の中に空白があるような感じ、
を持つとき、

その感覚は、
自己不全感、空虚感などと言われますが、

与えられるべきものが与えられなかったのだから、
自分には何か不足している何かがあると直感的に感じるのは自然です。

大人の今の自己不全感、空虚感は、
幼児期虐待、逆境的小児期体験が与えるものの一つのようです。