虐待・逆境体験によって身も心も混乱する話

2021年06月20日

養育者などの親密な人からのひどい仕打ちや、
戦争や犯罪などのひどい環境の影響を受けて育った人は、

いろいろ混乱してるなぁと、ふと思ったのでした。

1つは、
感情の混乱です。

優しくしてくれる人がひどいことをするのです。喜びうれしさの感情と怖い嫌だ怒りの感情がない交ぜになってしまいます。

だから、
自分の今の感情が嵐のようになる。

感情が混乱している。
興奮しているのか喜んでいるのか悲しんでいるのか怒っているのか混乱している。

子どもの頃からそうであり、大人になってもそう。
情緒不安定とか、ストレス脆弱性とかって指摘される。

※こんなことから、感情を切り離して感じなくしている人も少なくありません。

もう1つは、
行動の混乱です。

気持ちが混乱して嵐のようなので、つまりはちょっとしたパニック状態なので、何をどうしていいかが分からない。

つまり、
目的をもって行動できない。行き当たりばったりで行動する。条件反射的な行動が多くなる。
挙動不審、他動で落ち着きがないなんて指摘される。

人へ近づく際も、この混乱が影響する。
近づいていいのか悪いのか混乱する。

近づいてくると避ける。
親しくなったかと思うとすっと離れていく。
抑制。

逆に密着して離れない。
脱抑制。

親しくしてるのか距離を置いているのかがよく分からない。
無秩序。

都合、
人間関係が混乱する。

もちろん思考も混乱する。
考えが整理できない。やりたいこととやりたくないこと、好きなことと嫌いなことが弁別できずに混乱している。
好きなことをしないで嫌いなことを頑張ったり。
考えもなくいろいろ行動したり、判断したり。

何をしていいかが思考できないい。

都合、会話も混乱する。
素っ頓狂なことを言ったり、かみ合わない会話もする。
配慮のないことも言う。

自分らしさについても混乱しているかも。
自分の考えなのか人の考えなのか不明かも。
ひょっとしたら性別や、性の指向も。

そして、
記憶も混乱する。
過去と現在が混乱する。何があったかも混乱している。何がなかったかも混乱している。
だから、
未来を描くことができない。

混乱が普通だから、葛藤状態がいつもの状態。
混沌、カオス。
そのストレスの中にいることになじんでいる。

問題解決してスッキリした生き方を知らない。
予想もできない。

混乱葛藤状態を長引かせる。

だから、
さしあたり集中できることがあると激しくのめり込む。
遊びだったり、ゲームだったり、勉強だったり、ネットだったり、人間関係だったり、筋トレだったり、仕事だったり、
アルコール薬物自傷だったり。
(親や兄弟姉妹や親友や悪友や先生や上司や配偶者からの・・・)指示だったり、頼まれごとだったり、いろいろなお誘いだったり。

意識の焦点があい、一本筋が通る感じ。
心と体と意識が一致してなにかしてる充実感が強い。
これは快感。

経験にもとづいて、
こんなことを考えたのでした。

補足
感情を感じないために混乱すらしないパターンの場合は、人のやりたいことに意識が向きやすいかもしれません。
自分のやりたいことを感じないない代わりに、人のやりたい気持ち(感情)に同調するかも。
都合、頼まれごとや自分のやるべき仕事に没頭しているかもしれません。
感情を感じないようにしているから、嫌なことがあまりないので、たいがいのことをいとわずやっているでしょうか。


  
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精神疾患を抱える親の子なんだと腑に落ちた話

2021年06月16日

自分が精神疾患を抱える親の子だと気づいたのは、わりかし最近です。

子の名前を気に入らない。ってことを子に言う。
ひどいことばかり言う。
なにごとも必ずけなす。 
子の立場を思いやらない。
いつも一方的。
子に共感しない。

子と関わることをめんどくさそうにしてる。
食事作りや洗濯や弁当作りや風呂の準備やなにやかにや、
子に関する世話が自分を困らせていることを子にはっきり伝える。

子がどれほど親に迷惑をかけたか、
子がどれほど親に配慮していないかを繰り返し責め立てる、

これやられると、子どもはとても混乱します。
世話してくれて有り難いうれしい気持ちを持ちそうなのに、
気がつくと責められてごめんなさいな気持ちも生じる。
これ、メンタル的にとてもマズいんです。
いわゆる、頭が変になる感覚を持ちます。

そういえば私は、
混乱の中に生きてきた感じがします。

頭が混乱してる。あれやこれや思考がまとまらない。行動が落ち着かない。混乱してる。
気持ちも整理できない。混乱してる。

いつもあたふた。
だから、いつもその場しのぎ。目先のことだけ片付ける。それなら混乱しててもできる。

親は、
私が子どもだからと言うだけで、まったく我が家で起きていることを説明しませんでした。
同様に私の気持ちや考えを聞かない。※私からの説明を聞く気がない。
親は指図し、子はそれに従う。
そういうシンプルな構図で親子関係を認識していたようです。

だから、
私が自我を持って、No! と言い出したとき、親はとても困っていました。
同時に怒っていました。
(あいつのように)言うこと聞かない甘やかされたわがままおぼっちゃま息子だと。

つまり、
説明もなし、相談もなし、意見を聞くこともなし。
だからといって、高圧的に命令するでもなし。
指示だけ出す。
そこに意図のやりとり、感情の受け渡し、心の交流はなし。

説明しない、意見を聞かない、相談しない、
それは、
相手に価値を置いていないから。
馬鹿にしている、軽んじているから。

それは、私を家族の一員として扱わないってこと。
いつも部外者にしていたってこと。
蚊帳の外。

それでいて、
都合のいいようには利用する。
例)家族だから助けてくれ。子どもだから言うこと聞きなさい。
(親に)都合の良い子。

道具として扱う。
必要なときだけ利用する。
人として扱わない。モノ扱い。
メシを食わしてやってるのだから言うこと聞くのが当然という感じ。
今風に言えば、奴隷とか、よくて住み込みの従業員って感じでしょうか。
つまりは、
丁稚奉公の子の扱い。
または、
ケア提供者 care-giver

こんな風なので、

私の親はいわゆる毒親に当てはまるんですが、

それらは、
親の性格の問題とか、子育て方針の問題とか、しつけとかの問題とか、愛情のあるなしの問題とかではなくて。
精神疾患や精神機能障害とか精神科領域で診断がつくような状態から来るものだと、専門職となった今では分かります。
思いを言葉にすることがとても苦手だったり、自分の感情の起伏に振り回されたり。

特に、
ストレス脆弱性と呼ばれていますが、
ストレスの対処が不得手だと、状況の変化にひどく動揺するために、
自分の気持ちのやり場に困って、他者や自分を傷つける言動をすることがあるのですが、

親は、
それを小さな子どもの私に対して遠慮もなく繰り返しやってたのです。

ストレスでいっぱいいっぱいになっているので、
子がどう感じるか、どう思うか、
子にどんな影響があるかなんて気にしません。

子への配慮なんてありません。
親の心に子を思う余裕がないからです。

配慮がないと言えば、
私からしてほしくない言動をやめてほしいと頼んだ際に、
親は、

ただ、自分がそうしたかったからやった(言った)だけ。

と、悪ぶれる様子もなく笑顔でよく言ってました。
あきれる一言です。

これはストレスと言うより衝動性の問題でしょうね。
きっと自力で止められないんです。

さらに配慮がないと言えば、
我が家には、
私の他に、預かっていた子どもがいて、そっちの方が大事だとそのこと私の目の前ではっきり言っていました。わりかし何度も。

確かに、
預かっていた子は、自分の進路は親と相談しながら決めていたようです。
私は相談できませんでした。
※兄弟差別と言います。

預かっている子だから、よそ様の子だから大事にすることについて、
なぜか納得した私は、実の親にわがままを言わないようになりました。
親は預かっていた子の世話を優先する。
実子の自分は我慢する。
※とはいえ、こんな親なので、預かっていた子どもも相当苦労してました。

自分は親を頼らずに。
やりたいことは自分でかなえる。できないことは端からあきらめる。

どうせ大事にはされないのだもの。それならそれでいい。私は私。そんな気持ちでした。

親がかける愛情は、その子への方が強かったかもしれません。
激しい親子げんかしてました。エスカレートして親の折檻となりました。
※面前DV。

ちなみに、
私は激しい親子げんかはしたことありません。私が心を開いてなかったのでしょう。
早い段階で親に期待しなくなっていたのでしょう。

他者をけなすことは両親そろって盛んにやっていました。

そしてそれは、
誰とも関わらないことを推奨しているということ。

そんな両親は、
自分たちだけが正しいと思っていたようでした。
私の親は、自ら孤立を選んだ人たちでした。

親同士のけんかは毎日数時間続くことがざらでした。
目の前で罵り合うことも、遠くでケンカしていて、こちらに移動してまたケンカして、また別の所に行ってケンカしてと。
※これも面前DV。

その中で、私はテレビを観、ご飯を食べ、眠っていました。宿題もやってたかしら。
何が起こるか分からない、どんな悪いことになってもおかしくない。
だから、
早く、速く、早く、自分のやるべきことをやって、いつも何があってもいいように待機していました。
早く大人になって。力をつけて。強くなって。焦りにも似た願いを胸に。

子にまったく配慮しない、配慮ができない親の都合に合わせるために、
辛抱強く待機しておくのです。

夫婦ゲンカの動静に、聞き耳を立てながら。
おかげで変に聴力と思考力が発達したようでした。
そして、
断片的な情報から状況を把握するために、空想力、妄想力も。

親の私への関わり方は、
虐待分類で言うと、心理的虐待に当たるでしょう。
※ちなみに身体的虐待の折檻は時代背景的に普通にありましたヨ。

虐待は許されないことですが、
それは、相手(子)の立場に立てないことから来るようです。今なら分かります。

親は私に対する愛情がないわけではない。気遣いもしてくれてる。
でも、子が愛情を必要としている大事なときには・・・。
親の心に余裕のないときには・・・。
※日常ほとんどですが

きっと、
今、子のために自分が何をすればいいかが分からないのでしょう。

片親は実家から捨てられて厳格で冷酷な他人の中で大人になったようでした。
人権という言葉を心底毛嫌いしていたのですが、自分が人権を踏みにじられてきた思いが強かったからでしょう。

片親は、いわゆる合理的な配慮を受けていない。

両親とも配慮ある扱いを受けて育たなかった。
だから、自分の子への配慮が分からない。
当然です。

このことは、私は、
虐待の連鎖の中にいたということを示します。
間違いないようです。

そして・・・、

言葉は救いにもなるし呪いにもなります。
虐待の連鎖。
私がこの言葉に怯えて人生を送るようになるのは程なくでした。
  
タグ :虐待連鎖


我が家を施設のようだと思った話

2021年06月12日

自分の家は、施設のようだとの感覚を持ったのは、ごく最近です。

You Tubeなどで施設で育った人たちの体験談を見聞きするようになって、近しい感じがいっぱいあったからです。

一般家庭とは違う暮らしの独特のルールがあって、なによりもそれが優先される。
だから、
基本我慢している。
一定の緊張感が持続している。

自分を養育する大人は、
親じゃない。
世話をよくしてくれる人。

だから、敬語を使う。

許可を取らねばならない人。

食事の世話や病院に連れて行ったりの世話をしてくれる人。

よくしてくれる人。
一定の範囲で甘えられる。条件付きで欲求をかなえてくれる。

自分が子どものうちの今、
育ててくれてる人。

そういう意味で感謝してるし、心も寄せている。

そんな感じ。

さて、我が家は、
親たちの気まぐれでどうとでもなるルールに支配された緊張感のある場でした。
だから、気まぐれにいつ自分が捨てられるか分からない。

このことはきっと、
親が同じような境遇で育ったことの影響は大きいでしょう。
私と同じような緊張感を持っていたかもしれません。

片親は他人の中で育ち、力による支配を学んだようです。
家族でない他人が支配する環境です。
※丁稚奉公のイメージが近いでしょうか。

片親は折檻する実親を恐れています。
こちらも親の機嫌に振り回されるところの、力による支配の養育体験です。

※虐待の英語表記は、ub-useです。きっと親の力の不適切な利用って意味でしょう。親の権限の悪用です。
力・権限を濫用しての養育は虐待になるということですね。

言葉を手にすることは救いになります。
施設のようだった。
との言葉は、私の苦悩を言い表すのに適切です。

最近、宗教2世という言葉を知りました。
親の宗教が自分の人生を縛っている子って感じです。
私これそうなんです。

クリスマスは経験したことありませんし、そもそも話題にも上りませんでした。
地区の子どもみこしを担ぐの担がないので親は役員さんと一悶着ありました。
宗教行事の日には、学校を休むのが本来だが、うちは学校に行かせてやっているとして、親は自分の寛容さを何度も主張していました。

世の中のルール・常識より宗教が優先されていました。
もちろん子どもの気持ちよりも。
ひょっとしたら、親の気持ちよりも。

当時の私は、
死んだ人だけ大事にする家だと評していました。

今改めて考えると、
実は親も宗教に縛られていたように思えます。

信仰の喜びが両親から感ぜられなかったからです。
死んだ人を大事にするために、やらねばならないことばかりの、義務感ばかりが際立っていました。

言葉は、気づきを促します。
救いにつながります。

最近の救いにつながる言葉は、他に、
ヤングケアラーがあります。
幼い頃から、親の世話をすることが役目となって、自分の人生に大きな制限がかかっている人って感じです。
これも私です。

精神疾患や障害のためや、宗教のことで手一杯で、
いろいろなことがおろそかになる両親に配慮するのが子である私の役目でした。
そうじゃないと、家が持たないのです。
暮らしがやっていけないのです。

これまた最近、
親を捨ててもいいですか? という刺激的なNHKの番組がありました。
NHKのクローズアップ現代+です。
URLは、
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4541/index.html

どんな親でも捨ててはならないという世間の常識に呪われている大人になった被虐待児。
って印象を持ちました。

嫌なら会わなければいいじゃない。
縁を切ればいいじゃない。
という、これまた世間の常識にもとづく通説が役立たないことが明らかにされます。

家族は家族の世話を、親の世話を焼くもんだという社会の常識があるために、
たといしばらく会わなくても、縁を切ったとしても、

親が死んだとき、病院に入院したとき、などひどい状態で、
連絡を受けた方としては逃げられない状態で、

自分の元に親とのつながりが無理矢理やってくる予想ができるから、

親を捨てられない。

なんだか、
結局つけが回ってくる感じ。

だから、そういう夢は捨てて親と関わり続ける。
親の世話を焼く。

番組に出た当事者の人は、そんな感じなんだろうなと思えました。

私も同様です。

結局、社会は家族とつなげて来る。
それが社会常識的に正しいことだから。
戸籍でつながっているから。

そんな予想がつくから、親と縁が切れた人生を捨てている。
親がつきまとわない人生を捨てている。
そんな人たちに、

親を捨てる。

という言葉は、救いになるかもしれません。

実のところ、そういう心持ちになると、
親との新しい関わり方ができるようになるようです。

親の世話を専門業者に頼むとか、割り切って世話を焼き、新しい関係を築くとか。
いろいろ。