2018年08月30日

カウンターの歴史としてのひきこもり支援 2

 私聞風坊が語るひきこもりの歴史です。

 今回は、ニートブームが終わった2010年頃から。

 長年のたゆまぬ努力により社会問題として認知されるようになったひきこもり問題ですが、
 日本社会の問題であるひきこもりを担当する省庁はどこかというと、
 厚労省と内閣府だったんです。

 一つに絞れない!
 どっちが担当するんだ?
 どっちつかずと言えばどっちつかずだったんです。
 この頃特に。

 内閣府は子ども・若者支援の担当です。
 若者の定義は40歳未満で、16歳以上の若者の全国調査をするとひきこもりの人が数十万人いるということが分かりました。
 それにもとづいて、支援者読本を策定しています。2011年(H23)

 一方の厚労省は、医療・保健と労働が担当です。
 ひきこもりに関しては、2003年(H15)と2010年に精神保健センターなどが中心となって医療的サポートを核とする意図の支援のガイドラインを策定しています。

 特に、新版ガイドラインと呼ばれる2010年の厚労省ガイドラインでは、
 一貫して医療目線からの見立てと手立てと地域の関わり方が記してあります。
 
 病気じゃない! 働いていない人たちないんだ!

 に対抗するかのように、

 2作目は、
 より強く激しくなってアイツが帰ってきた!

 かのように、

 ひきこもりは病気だ!
 だから医療が最優先なんだ!

 と、
 前回のガイドラインより 
 より医療職を濃く、
 そして医療の必要性を強くうったえています。
 ※そんな感じがします。
 
 2回目のカウンターです。

 関連して、
 ひきこもり地域支援センターの設置が勧められています。

 これ以降、
 ひきこもり支援は、ひきこもり専門の(医療に強い)支援機関が行う方向性となっています。

 でも、医療、特に精神科医療には簡単につながりません。

 偏見があるからでしょう。

 薬漬けにされる。
 人間終わり。
 そこまで弱くない。
 そこまで堕ちてない。

 つながったとしても、
 「本人が来なければ」
 という医師の一言で、
 つながりが終わってしまうことはまだあるようです。

 こもる本人と医師が少なくとも一度は直接会わない限り、
 医療してはならない決まりだからです
 直接診てもいない人を診断・治療してはならない。
 当然といえば当然の決まりですね。

 そんなこんなで、受け入れ体制は徐々に整ってきているけれども、
 そこへつなぐことが難しい状況はいまだ変わらずなのです。

 就労先の確保を出口問題とするならば、
 支援先につなぐ難しさは入口問題と呼ばれています。

 就労支援が効果が発揮できなかった理由の一つがこれだと思われます。

 こもる人は支援につながらないのです。
 つながってもつながり続かない。

 これぐらい、
 社会につながることが困難なのです。
 こもる人は。

 こんな、
 困難続きのひきこもり関係の、
 現在については、

 次の記事で。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと

2018年08月25日

カウンターの歴史としてのひきこもり支援 1

 私聞風坊は、ひきこもり当事者として活動して、20年近くになるので、

 ひきこもりについて、ある程度の歴史を語れるようになっています。

 今回は、ひきこもりがどう扱われてきたかを、「カウンターという思いやり」の歴史として振り返る連続記事の最初です。

 まずは、その始まり。

 病気が原因とはいいきれないのに、24時間の内ほとんどを自室で過ごしている人のことを

 社会活動=他者と関わる活動を行っていない。

 社会=集団に参加していない。

 という意味で、「(社会的)ひきこもり」と名づけたのは、斎藤環医師です。

 1998年(H10)のことです。

 しばらくして全国組織の親の会が立ち上がります。
 2005年(H17)頃です。

 親の会は、当初から社会にうったえる活動を行っていました。

 我が子は、
 強迫性障害、被害妄想、人格障害を患っているのに、治療を受けずに家に引きこもっている。
 親だけの力では限界だ。
 社会が手厚く手助けしてくれないともうどうにもならない。

 として、
 社会からの制度的支援(法に基づく支援)を強く求める運動を続けます。

 ひきこもりと言えば当時は、痛々しいほどに病んだ若者。というイメージでした。

 (関係者の頑張りで)
 このイメージが一時日本を席巻しました。

 すると、
 イヤ、そんなことはない!
 とプロテストする意識が生まれるのは理なのでした。

 こもる人は病気じゃない。働いていないだけなんだ!
 です。

 あまりにも病気のひどさが強調されすぎた感を持ったのでしょう。
 ひきこもりの若者の尊厳を回復する意味合いで、
 老舗の若者支援民間団体が新しい運動を展開しはじめました。

 この時期、
 少子化が問題視されはじめたことや、バブル崩壊の影響もあり、労働人口の減少が問題となっていました。
 社会としては、労働力の確保=納税者の確保が急務となっていたのです。

 そんな社会情勢下、
 各種若者支援団体の働きかけが奏功し、
 働かない若者数十万人は、
 日本の将来的コストとなりうる社会問題だと社会が認識するようになりました。
 若者が納税者にならずに、生活保護等の社会保障費の消費者・タックスイーターとなる懸念です。

 年長者たちは自分たちの老後に不安を覚えました。
 納税している若者たちも同様の不安を覚えました。自分たちの稼ぎで多数の日本人を支えないといけない!

 加えてその頃、南蛮渡来のニートの概念が導入され、
 ほどなく、この概念に取り込まれる形で、
 「ひきこもりは働いていない若者」である。
 の認識が燎原の炎のごとく日本中に広がりました。

 ひきこもりは精神的に病んでいる子どもたちから、
 就労に困難を抱える若者たちであるニートに衣替えしました。

 (関係者の頑張りで)
 この時から、ひきこもり支援は就労支援が主軸となったのです。
 最初のカウンターです。

 (関係者の頑張りで)
 国も予算を組みました。

 お金が入る! というので、
 就労支援者が雨後の竹の子のごとく発生しました。
 
 こうして、
 ニート支援に象徴される
 10代~30代・若年者への就労支援は注力され、
 若年者への就労意識、就労教育の重要さも確立しました。
 学校にキャリアサポート部門ができたり、学校に企業が出向いて講話したり、
 卒業後(退学後)の進路保証に力が入れられはじめました。
 これらは今に続いています。

 でも、
 ひきこもり支援の効果は上がりませんでした。
 ※ひきこもり関係者は予想していたことだけど。

 支援効果のなさは、
 のちの8050問題と呼ばれる高齢化問題につながっていきます。

 2009年(H21年度)、合宿型の就労支援事業である若者自立塾は事業終了となりました。

 少なくともひきこもり支援としての若年者就労支援ニート支援は、
 この頃に終わりを迎えたと考えられます。

 ※とはいえ、サポステなどの若年者就労支援はもちろん現在でも継続しています。とても大事だもの。

 この項続く。

参考サイト
聞風坊の図書館 https://sites.google.com/site/monpubou/
 論考のページなど  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと

2018年08月21日

ひきこもり支援と言えば就労支援だったそうな2

 前記事の続きです。

 現在ひきこもり支援は、困窮者の枠でなされる割合が強くなっていますが、
 お金(と気力)がないことを大前提とした長年のひきこもり支援の知見は、困窮者支援にも活かすことができます。

 困窮の場合は、
 軽々しく、病院に行こうと言えません。
 不登校を受け入れている学校があります。
 専門校に行ってPCスキルを身につけましょう。
 とも軽々しく言えません。

 通院も通学も2つともお金がかかるからです。

 また2つとも途中でやめる可能性が低くないからです。
 せっかくお金を工面したのに・・・。となりがち。
 
 そんなこんなで、
 とにかくまず、今自分につながったのだから、自分にできる限りのことをする。
 そういう心構えが必要なのです。
 
 ホントは病院に行って治療した方がいいのだけど、
 ホントは学校に行ってやりたい勉強をやった方がいいのだけど、
 なかなか難しいから。

 今ここでできる限りの支援をする。
 そういう心構えです。

 心と身体の応急手当てをしたり、
 福祉制度を一緒に検索したり、
 自分の立場で何がどこまでできるかを模索しながら支援します。

 そんなこんな経験から、

 ひきこもり支援は、こもっている人や家族が、つながった人がやるしかない。
 さしあたりは。

 と思っています。

 なぜなら、
 その人しか信頼していないからです。世界広しといえど。

 さらに、
 困窮者支援の視点から言うと、
 交通費やサービス利用するお金が十分でないからです。
 ※よりよいところを紹介されてもなかなかつながらない。

 今その場でつながった人ができる支援をする。しかない。
 ※支援者目線で言うと、自分の目の前にいる人、電話の前、メール画面の先にいる人を、今その場で支援できるのは自分のみ。

 ということは、
 高齢・障害福祉も医療もピアも教育も心理も法律も司法も就労も雇用も近所づきあいもアイドルグループも定時ニュースで必ずきちんと挨拶してくれるNHKのアナウンサーも。支援者になると言うことです。
 ※もちろんニーズにマッチすれば。
 
 それは、専門家に限らず誰でも支援できるということです。
 逆に言うと、幅広く手助けが必要と言うことです。

 つまり、
 ひきこもり支援は、総合支援なのです。

 だから、
 支援者には、総合力が要るのです。

 もし、
 個人で力不足ならばネットワークを作ります。

 個が結集することで総合的な支援力が確保できるからです。
 ※組織が結集する必要性もあるでしょう。

 就労面の支援だけでなく、
 こもる人を多方面から支える、手助けする。

 こもる人への支援には、この総合態勢が必要です。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと

2018年08月20日

ひきこもり支援と言えば就労支援だったそうな

 少し前に個人的に判明したことです。
 個人的にリサーチして。
 
 かつて、
 ひきこもりの支援と言えば、就労支援だったそうです。
 ある意味、現在でも継続されているそうです。
 知りませんでした!!!

 これは、全国的な話なのでしょうか?
 少なくとも東京圏ではそうだったようですが。 

 私自身のことを思い返せば、
 ひきこもり自助グループを仲間と立ち上げてやっていた頃に、

 若者自立支援の名目で、宮崎の若者支援現場が動き出して、
 そこに自らアクセスして、NPOに所属して支援に関わることをやり始めたのが2005年。

 ひきこもりを対象の一つにしていましたが、その団体の意識としては無業の若者であるニート支援でした。
 
 当時はひきこもり=ニートと認識されていた時代だったからです。

 その環境下、

 ひきこもりとニートは違います! とNPO組織の内部で言い続け、

 働きたくなった、働く場面に意識が向いている人の(そういう人に限り)就労支援をするように意見し続けた記憶があります。

 働く気力がわかない人に就労支援をしてはならないという意味も含んでいます。

 この頃は、当事者活動ばかりやっていた時期なので、
 当事者の声を届ける役目に意欲満々! 
 な思いの強さが影響していたようです。

 そんななので、
 話せるニート当事者がいるということで、地元マスメディアの取材もたくさん受けました。
 地元ニュース番組にも出ました。コミュニケーション障害のニートという設定で。
 
 正直なところ、特段就労に意識は向いておらず、そんなこんなを事前の打ち合わせで細かく意見交換したにも関わらず、コミュニケーション障害の就労に悩む若者としての取材でした!
 ※社会が求める当事者イメージを引き受けた!

 私はすでにそれなりに社会の仕組みを知っていたので、
 メディアは自分たちの意図に合うようにインタビューを編集するだろうから、
 そうならないよう腹をくくり取材を受けました。

 若者は高度経済成長から始まる現代社会の犠牲になっている。

 学校教育で個性を尊重されなかったことが原因だ。

 みんな働きたいんだ。働く機会がないんだ。

 みんな自己肯定感が低いんだ。だから自己肯定感を上げる支援がイイんだ。

 みんなコミュニケーション障害だ。コミュニケーションの練習が最優先だ。

 メディアが用意したそういうありきたりの結論に持っていかれないように。
※さぞ、取材しづらかったでしょうね。かわいげのない当事者だもの。

 さて、
 ニート支援は別の言葉で言うと若年者就労支援となります。
 一言でいうと若者支援です。

 私が身を置いていた宮崎市の若者支援界では、
 サポステや、若者自立塾や、
 若者の支援をしている人たちのネットワークである支援者ネットなどが徐々に立ち上がっていきました。

 民間団体みんな連携しました。
 若者支援・若年者就労支援=ニート支援という意識で。
 
 最近では、
 若者ではなく、老若男女、当事者・家族区別せず困難を抱える人へ何か手助けをする「その人支援」という形になってきています。

 こんな感じで、
 2000年代初頭に始まった宮崎の若者支援ですが、
 この間ずっと、ひきこもり支援はなかったと私は認識しています。

 私のまわりの支援者は、
 こもる人も含む「若者を支援している」感覚だったからです。

 とはいえ、すでにもう高齢化が取り沙汰されていて、
 私自身も若者と呼ばれるにはちと心苦しい中年にさしかかっていたので、
 ほどなく高齢化の問題にも視点を向けるようになりました。

 でも、どこから手を付けていいのか分からない!
 高齢化と言っても介護問題とはちょっと違う。
 はてさてどうすると困っていたところ、ふとひらめきました。

 子が高齢となれば、親も高齢なので、親の福祉サービスをひきこもり支援の入口にしよう!
 逆転の発想です。

 すぐさま、
 当時市内2ヶ所しかない地域包括センターにアクセスしました。

 予想通り福祉現場の人は居宅しているサービス利用者の子どもと思われる誰かをどこにつなげればいいかで悩んでいました。

 これはもう、若者支援と言うより親子二代支援の様相です。

 支援のカテゴリーで言うと、
 介護支援、生活支援、医療支援・・・となるでしょうか。

 そんな暮らし向きだからお金がたくさんあるということを前提にできません。

 だから、
 お金のかからない支援法でやっていかねばならないのです。
 そして、今すぐ取りかかれる支援でなければなりません。

 社会と距離を置いている時間が長い分、支援する期間も長くなるでしょうし、
 親も子も高齢なので、不登校支援でありがちな「焦らずゆっくり」なんて悠長なことは言えないからです。
 
 そこから、
 今、使える制度を利用してやっていく。
 という発想が生まれました。
 新しい制度を組み上げる時間と労力がもったいない。
 それは誰かに任せて、現場の支援者は現場のことを考える。

 支援者のネットワークもこの発想をもとにしています。
 
 実のところ、
 現有制度を組み合わせれば、なかなか頼りになるのでした。

 この記事続く。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと

2018年08月15日

メンタライジングと「こもって、よし!」のこと

 メンタライジングとかメンタライゼーションとかいう考え方や心理療法があるようです。

 他者の心について、知り、感じ、想像し、共感するなどして、他者とイイ関係を築き、

 社会でよろしくやっていくための効果的なアプローチのようです。

 ※個人的には「心の理論」なんていう呼び名の方がなじんでるんですが。

 相手には、相手の気持ちがあり、受け取り方があり、都合なり、相手の自由意志がありということを知って、

 それらを尊重して一緒に社会をやっていく練習をするみたいです。

 同じように、自分にも自分の気持ちがあり、自分なりの受け取り方があり、自分の都合があり、自分の意志がありますので、

 それらも尊重しつつ、相手とよろしくやっていくことになるのでしょう。

 ひとりよがりにならずに、それでいて相手に従属することもなくやっていくためには必要なことだと思います。

 親子関係でいうと、親が子どもの気持ちや受け取り方や考えた都合を尊重する。
 子どもも親のそれらを尊重する。
 そうして親子関係をよろしくやっていく。
 家族としてやっていく。

 となるでしょうか。

 職場なら同僚同士、上司と部下、取引先と自社でしょうか。

 支援者と利用者も同様でしょうね。

 拙著『こもって、よし!』では、これに通ずることを書いています。

 フォルダを作る。

 という表現です。

 私の中に、相手のことについてのフォルダを作って、
 相手のことをまるごとそこにファイルするというイメージです。

 解釈などの加工をせずにまるごとそのまんま保存する。

 自分のフォルダは別に独立保存してあるので、相互干渉はない。
 双方安全に保存されている。

 そんなイメージ。

 こうすると、相手の立場に立って感じたり、考えたりという想像がしやすくなります。
 私の中にある相手のフォルダを検索すればいいのだもの。

 同様に、私の中にある自分のフォルダを検索すれば、私ならどう感じるかということが分かります。

 比較対象もしやすくなり、

 都合、折り合いもつけやすくなります。

 私とあなたの境界を踏み越えずそれでいて協調してやっていくことが期待できます。

 私の中の私のフォルダの中に無理やり相手のことを入れ込もうと苦心惨憺したり、
 それでもどうにも難しくて相手のことが受け容れられずに排除してしまったりする事態を避けられます。

 小耳にはさんだメンタライジングと、拙著の心の理論である「フォルダ」理論の話でした。

  




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