社会に適応できるかどうかは運次第かもしれない

2021年04月02日

チャールズ・ダーウィンが淘汰を説いたのはだいぶ昔の話ですが、
今でもこれは通用するようです。

参照:NHKテレビ「100分 de 名著」”種の起源”のページ
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/46_kigen/index.html

これによると、
進化とか淘汰とかって言うのは、

キリンの首が長いのは、高い木の上の葉っぱを食べられるように、長い期間をかけて、何世代にもわたって、首を伸ばし続ける努力をした成果だ。

じゃなくて、

たまたま、首がちょびっと長いキリンたちが生まれて、そのキリンの方が比較的たくさん生き延びて、
そしてその中からたまたまもちっと首の長いキリンが生まれて、そのキリンの方がまた比較的たくさん生き延びて、

と言うことを
世代で繰り返して、

今の首の長さを持つキリンたちが生き残った。たまたま。
それ以外のキリンは淘汰された。

ってことらしいです。
※ウィルスの変異も、これと同様みたい。

つまり、社会に適応できるかどうかは、
そのキリン(たち)の努力の成果ではなく、

たまたま、
適応しやすい諸元・スペックで生まれてきたかどうかに左右されているってこと。

頑張りや努力も大事だけど、頑張ってもどうしようもない諸元上の限界はあるってこと。

これを知って、妙に肩の力が抜けたのを覚えています。
なんかほっとする感じ。
あぁ、なるほどそうだったんだと腑に落ちる感じ。

さて、
少し前まで、不登校の子どもたちが登校できるなるための教室名は、適応指導教室と言われていました。
フツーの学校生活、フツーの教室に適応できるように指導する教室って意味だったのでしょうね。

でもこれ、なかなか難しかったみたい。
適応できるかどうかは頑張り以外の要素があるからでしょう。

そもそも合わない。
そもそも合う。

どうしようもない諸元上の事実が。

後天的な問題で、社会でのやっていき方を学んでないために適応できない場合は、
やっていき方を新たに学べばいいのですが、
それができればよし。
できないのならば、社会がその子、その人に適応するようにする必要が出てくるでしょう。

合理的な配慮と呼ばれていますね。

社会に適応できるかどうかは、努力だけじゃなくて、生物学上の諸元の要素も大きいってて話でした。


※適応指導教室は、今は学習支援教室となったみたいです。



同じカテゴリー(不登校)の記事画像
引きこもり・困窮者きっと不登校そして発達障害支援の図解2つについて
ひきこもり支援の研修資料が興味を引く話
ひきこもりフォーラム2019夏10 end 自己肯定感とか若者、高齢のこと
ひきこもりフォーラム2019夏9 ひきこもり支援の課題のこと
同じカテゴリー(不登校)の記事
 一般社会のフィールドになじまないことを痛感したのでした (2021-08-09 06:00)
 家が安全基地でないのなら (2021-05-15 06:00)
 働くことに消極的な理由 (2021-05-03 06:00)
 居場所って未来もいていいって思えるかが大事だと思う話 (2021-04-30 06:00)

Posted by 聞風坊 at 06:00│Comments(0)不登校ひきこもる
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
社会に適応できるかどうかは運次第かもしれない
    コメント(0)