『魂の殺人』を読んだのでした
2021年03月09日
『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(A・ミラー著 山下公子訳 新曜社刊 1983)
を読んだのでした。
ずいぶんと前に書かれた本で、だいぶ前から気になってはいたのですが、なかなか読む機会がなく、最近になって初めて読みました。
その感想です。
とにかく、
ビックリです!
これでもかこれでもかと。
子どもをモノとして扱う教育の実態が記載されているんです!
そんな本だったのか~!
著者は、
そうして事実を積み重ねて、
親による子の支配、子の魂の殺人について語っていき、
そこからの解放のすべを説くのですね。
著者によると、
世界中の人の不幸は、親が子に行う「しつけ」という名の闇教育(家庭内教育)が根源みたいです。
そして、
それを基盤とした学校や社会での闇教育(社会での教育)が決定づける。
つまりは、世の不幸は、
子どもの尊厳・立場・痛みに価値を置かない教育の問題。
みたいです。
原題「Am Anfang war Erziehung」はドイツ語で「最初に教育があった」という意味とか。
なるほどです。
とにもかくにも、
家庭内の教育で人は残虐な行為を学ぶのだそうです。
そうして育った大人たちが作った社会だから、残虐行為がまかり通る。
その教育を受けて大人になった子どもたちが同じ教育を次世代に施す。
そういう闇教育の連鎖があるのだそうです。
だから、
その闇教育の呪いから解放されることで、その人らしい生き方ができるようになるのだそうです。
本書では、
極端な例で論証していますが、実のところ、あらゆる教育という思想、構造が、同様の危険性をはらんでいることも示唆しています。
学校教育、地域での教育、風潮による教育、新人研修教育、専門家養成時の教育・・・・。
教育現場が、
暴力、ハラスメントの温床になりかねないのです。
実際、暴力やハラスメントはとても多い。
さて、
闇教育の根幹思想は何かというと、
大人による子の支配みたいです。
子どもは親に絶対服従で、親は子どもの上に君臨し、自分の好きなように思うがままに子どもを利用する。
それが子どもにとっての正しい教育だ!
という思想。
※家庭外だと児童生徒は教師に絶対服従で・・・。社員は上司に絶対服従で・・・。となります。
親・大人による支配と子どもの矯正。
親・大人が設定するところの望ましい子どもに仕上げること。
それが正しいこと、当たり前のこと、子どもにとってよいこと、ふさわしいこととして、子どもを教育する。
そんな教育法です。
そういう教育を受けた子どもは、非難否定された自分を嫌い、そんな自分を感情とともに自分の奥底に押し込めますが、
押し込められ抑圧された自分やその際に抱いた感情はゆがんだ形で放出されるそうです。
残虐行為、犯罪として。
他人の中に、嫌悪する自分の姿(親・大人から望まれない自分)を見て、それ(親・大人から望まれない自分)を排除・抹消するために、
他人を加害する。
親から学んだ残虐なやり方にのっとって。
そしてその残虐性には、親への復讐の意味もあるようです。
親に対してはできなかった反撃・攻撃。
を力弱き他人になす。
暴力的に。怒りを放出させて。
なぜなら、
反撃されないから。
その後が怖くないから。
うっぷんが晴れて少しすっきり。
でも、根幹の痛みはいやされない。
だから、またやる。
繰り返し繰り返し。
出版されたのは40年ほど前なので、21世紀・令和の現在ではこれほど悪くはないでしょうが、まだ親が自分のいいように子どもを利用することが受け継がれているように思えます。
虐待件数の多さが物語っています。
虐待を英語ではabuseといい、これは、ab-useで不適切な利用という意味です。
不適切な扱いをされた子どもたちが大人になって作った社会が今の社会です。
とはいえ現在では、
闇教育の問題に気づき、あらゆる人を尊重するという価値観に目覚めた人たちが少しずつ増えてきたことから、
適切な扱いをされた子どもたちも大人になっていることでしょう。
※まだまだ少数派かしら。
そして、
その大人たちの中には、
不適切な扱いを受けて、闇教育を受けて、大人になってからそれに気づき、自分を適切に再教育した大人たちもいるでしょう。
人権を守る。尊重する。感情を大切にする。相手を思いやる。自分をいたわる。
それがフツーにできる人たちが増えていく。
それに併せて、社会は少しずつよくなっていくでしょう。
を読んだのでした。
ずいぶんと前に書かれた本で、だいぶ前から気になってはいたのですが、なかなか読む機会がなく、最近になって初めて読みました。
その感想です。
とにかく、
ビックリです!
これでもかこれでもかと。
子どもをモノとして扱う教育の実態が記載されているんです!
そんな本だったのか~!
著者は、
そうして事実を積み重ねて、
親による子の支配、子の魂の殺人について語っていき、
そこからの解放のすべを説くのですね。
著者によると、
世界中の人の不幸は、親が子に行う「しつけ」という名の闇教育(家庭内教育)が根源みたいです。
そして、
それを基盤とした学校や社会での闇教育(社会での教育)が決定づける。
つまりは、世の不幸は、
子どもの尊厳・立場・痛みに価値を置かない教育の問題。
みたいです。
原題「Am Anfang war Erziehung」はドイツ語で「最初に教育があった」という意味とか。
なるほどです。
とにもかくにも、
家庭内の教育で人は残虐な行為を学ぶのだそうです。
そうして育った大人たちが作った社会だから、残虐行為がまかり通る。
その教育を受けて大人になった子どもたちが同じ教育を次世代に施す。
そういう闇教育の連鎖があるのだそうです。
だから、
その闇教育の呪いから解放されることで、その人らしい生き方ができるようになるのだそうです。
本書では、
極端な例で論証していますが、実のところ、あらゆる教育という思想、構造が、同様の危険性をはらんでいることも示唆しています。
学校教育、地域での教育、風潮による教育、新人研修教育、専門家養成時の教育・・・・。
教育現場が、
暴力、ハラスメントの温床になりかねないのです。
実際、暴力やハラスメントはとても多い。
さて、
闇教育の根幹思想は何かというと、
大人による子の支配みたいです。
子どもは親に絶対服従で、親は子どもの上に君臨し、自分の好きなように思うがままに子どもを利用する。
それが子どもにとっての正しい教育だ!
という思想。
※家庭外だと児童生徒は教師に絶対服従で・・・。社員は上司に絶対服従で・・・。となります。
親・大人による支配と子どもの矯正。
親・大人が設定するところの望ましい子どもに仕上げること。
それが正しいこと、当たり前のこと、子どもにとってよいこと、ふさわしいこととして、子どもを教育する。
そんな教育法です。
そういう教育を受けた子どもは、非難否定された自分を嫌い、そんな自分を感情とともに自分の奥底に押し込めますが、
押し込められ抑圧された自分やその際に抱いた感情はゆがんだ形で放出されるそうです。
残虐行為、犯罪として。
他人の中に、嫌悪する自分の姿(親・大人から望まれない自分)を見て、それ(親・大人から望まれない自分)を排除・抹消するために、
他人を加害する。
親から学んだ残虐なやり方にのっとって。
そしてその残虐性には、親への復讐の意味もあるようです。
親に対してはできなかった反撃・攻撃。
を力弱き他人になす。
暴力的に。怒りを放出させて。
なぜなら、
反撃されないから。
その後が怖くないから。
うっぷんが晴れて少しすっきり。
でも、根幹の痛みはいやされない。
だから、またやる。
繰り返し繰り返し。
出版されたのは40年ほど前なので、21世紀・令和の現在ではこれほど悪くはないでしょうが、まだ親が自分のいいように子どもを利用することが受け継がれているように思えます。
虐待件数の多さが物語っています。
虐待を英語ではabuseといい、これは、ab-useで不適切な利用という意味です。
不適切な扱いをされた子どもたちが大人になって作った社会が今の社会です。
とはいえ現在では、
闇教育の問題に気づき、あらゆる人を尊重するという価値観に目覚めた人たちが少しずつ増えてきたことから、
適切な扱いをされた子どもたちも大人になっていることでしょう。
※まだまだ少数派かしら。
そして、
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不適切な扱いを受けて、闇教育を受けて、大人になってからそれに気づき、自分を適切に再教育した大人たちもいるでしょう。
人権を守る。尊重する。感情を大切にする。相手を思いやる。自分をいたわる。
それがフツーにできる人たちが増えていく。
それに併せて、社会は少しずつよくなっていくでしょう。
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これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。
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