社会の要請を受けてのカウンセリングは難しい話

2020年11月25日

社会的要請による心理的支援。

なんて物言いがあります。

社会が、心理的支援をやってくれと、心理職に要請しての、カウンセリングなりセラピーなりを意味しています。

具体的には、
裁判の判決などで、心理的支援が必要だと決定した人の支援などです。
何度も何度も(≒病的に)犯罪を繰り返す人などの支援。

この要請に基づいて支援をする心理職は、
本人が望むと望まないとに関わらず、心理的支援をせねばならない状況にあります。

そもそも、
心理支援は、原則本人が望んだから成り立つもの。
本人の治りたい意思を基盤にして支援の体系が組み立てられています。

ところが、
その大前提があやふやな状態での支援なので(※)、ものすごく支援しづらい。
※というかむしろ、支援されたくない! が大前提。

同様の構図は他にもあります。
1つは不登校支援です。

不登校の人は望んでいないにもかかわらず、親や先生が、カウンセリングを受けなさい的にカウンセリングを設定する。

カウンセラーは、困り顔で引き受ける。
本人の意思を無視したカウンセリングはカウンセラー自身が望んでいないからです。
面前で不満げに口を閉ざす生徒にカウンセリングをやらねばならない。
親や先生の意向に押し切られる形で。
目の前の人の意向はなんだろうと思いながら。

他に、ひきこもり支援も。
仕事をしないと、周囲が困るから、就労支援機関に無理やりつなぐ。
支援を望んでいない人に、支援せねばならない状況に苦心する職員。

また、
生活保護の就労支援も近いものがあるでしょう。

生活保護を受給するには、経済的自立に向けて最大限の努力をせねばなりません。
病気やケガなどがある場合は、医師の診断にもとづいてどれくらいが最大限の努力なのかが判断されます。

診断がない場合は、健康体なので、できればフルタイム就労して、生活保護が不要な状態に向かっていかねばなりません。
こういう決まりです。

ところが、それがなかなか難しい場合、就労支援を受けることになります。
強要や強制ではないのですが、支援を受けることを強く求められます。

嫌々支援を受けることを承諾する場合も多いでしょう。
嫌々支援を承諾した人を支援する職員の苦労は火を見るより明らかですね。
だって、相手は支援受けたくないのだもの。

このように、
社会的要請による心理的支援の場合、
心理的支援の必要性を感じているのは社会。当の本人は感じていない。
または
心理的支援を希望しているのは支援関係者。当の本人は希望していない。
となりがち。

少なくとも今ここのカウンセリングの場では。

こんな状況、構図で特に心理的支援を行う場合は、特別の技術が要ります。
心理職なら誰でもできることではありません。
クライエントの意思に反した支援をするからですね。
これを支援と呼んでいいかどうかについては議論の余地があるでしょう。

不登校・ひきこもりや生活困窮・生活保護の人への支援は、特別の技術が要るという話でした。





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