想像力だけが救いのツールだった話

2020年09月30日

TA・交流分析には、人格適応論という理論があって、
その中で、創造的夢想家が指摘されています。

人格適応論をものすごく大ざっぱに説明すると、
人は、周囲とうまくやっていくために子どもの頃からいろいろ工夫をしていて、
それは、6つのスタイルに分けられる。
と言うものです。

6つのスタイルのうちの一つが、
基本的に、周囲から心と身体の距離を置いて1人を好み、空想の世界にひたる。
とはいえ、人と関わるときは想像力豊かに思いやりを持ち、ある意味創造的に周囲に適応するスタイルの、
創造的夢想家です。
自分の気持ちに蓋をして、周囲にイメージ豊かに意識を向けることから、相手のニーズが予想できるのでしょうね。
だから結果的に他者に優しい。

もともと、親がアテにならなかったことから、1人自力でなんとかするようになったことが始まりのようです。
欲しいものは自力で手に入れる。ムリなら想像の世界で欲求を満たす。

私聞風坊もこのスタイルを採用しています。
思い返せば、子どもの頃は空想の世界にひたりまくっていました。
※今もそんなに変わりませんが。

空想の世界こそが居場所だったのでしょう。
※今もそうなのか?

だからか、
空想のネタを仕入れることもまた楽しみでした。

SF小説や、特撮、アニメ、マンガなどなど、空想をかき立てる娯楽が大好きでした。
すぐ空想の世界に行ってしまうので、遅読でたくさんは読めなかったのですが、読書は好きな方でした。
なによりテレビと映画が好き。いわゆるテレビっ子でした。
おかげで周囲とはちょっとうまく噛み合いませんでしたが。

その流れで、世の中のいろいろなことに興味がありました。
歴史も、地理も、科学も、宗教も、なんでもかんでも。
だから、勉強が大好きだったんです。
知識を仕入れることがとっても大好き。
だって、
知らないことの知識を仕入れる作業自体が実はとても空想的だもの。
それは、
現実から離れられる時間を提供します。

実のところ、
テストの点数がいいとか、大人にほめられるとかはそんなにうれしくありませんでした。
なによりも、新しいこと、知らないことを知ることが一番の喜びでした。
今でもです。

逆境的小児期体験ケアの専門家・医師のナディン・バーク・ハリスは著書『小児期トラウマと戦うツール』(パンローロング 2019)で、
自身のお母さんからの教えとして
「勉強しなさい。身に付いた教養は誰にも奪えないから!」
を紹介しています。

自身が逆境体験の中で子ども時代を過ごしたハリスには、強く実感を伴う教えだったでしょう。

私の思いも同様です。
頭の中の物は、いつでもどこでも自分の自由にできる。
誰にも邪魔されない。
奪えない。
形がないから。見えないから。

そんな気持ちを抱えながら、知識を増やしていたように思えます。
ある意味、渇望的に。
やっぱり今でも。

そして、
潤沢な知識やそれにもとづく夢想が、私を支え救ってくれていたのでした。
だから、
知識が増えることは至上の喜び。
これも今でも。



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