どのように戦争を記憶しているかは国によって違う話

2020年08月12日

『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話』(キャロル・ブラック 講談社現代新書 2019)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000321621
を読んだのでした。

私たち日本では、先の戦争と言えば、太平洋戦争と答えることが多いかもしれません。
でも、平成を経て、令和の今では、アフガニスタンとかシリアという若者もいるかもしれません。

太平洋戦争については、
世界的には第二次世界大戦(Worl War Ⅱ)と呼ぶのが一般的らしいのですが、私の上の世代では大東亜戦争や日米戦争とも呼ばれていました。

太平洋を中心とした戦争と記憶されているか、
世界全体が戦争してその中の一つとして記憶されているか、
大東亜共栄圏確立のための戦争と記憶しているか、
アメリカと戦った戦争と記憶しているかの違いから、
呼び名に違いがあるのでしょう。

始まりと終わりについては、
12/8は、国力の差が歴然としている米国に国の存亡をかけた乾坤一擲の奇襲攻撃をかけた日として記憶されているでしょうか。
そして、終戦の8/15は、戦争が終わって平和な世界が到来した最初の日。
戦争被害から回復して新しい民主国家が興った記憶の始まりとして認識されているかもしれません。
戦争が終わったというか、新しい日本が始まったという記憶の方が強いかもしれません。

そして、
どちらの方が強く記憶されているかというと、取り上げられる多さから言って、終戦の方のようです。
私たち日本人は、終戦について強く記憶しているようです。

一方で、日本から占領された国々は、開戦日は占領という屈辱が始まった日として記憶されているでしょうか。
終戦日は、その屈辱からの解放の日であり、戦争は解放のための戦いの日々として記憶されているかもしれません。

アメリカの記憶は、12/7のパールハーバーでの初戦でしょうか。
戦争の記憶としては、理不尽な攻撃を受けて劣勢を強いられて、そこから一致団結して立ち上がり見事自由陣営の勝利をもたらしたとなっているでしょうか。
終戦は、アジアに新しい自由民主主義の国を自分たちが作りだした始まりとして記憶されているかもしれません。

または、年代によっては別の戦争の記憶が想起されるかもしれません。
ベトナムで戦った別の戦争を思い起こし、
それは敗戦の記憶として思い出されるかもしれません。

いくつもの戦いを経験しているアメリカでは、
どの戦争の記憶かで、世代が分かるかもしれません。

交戦した国同士で、その戦争に対する記憶が違うとき、
互いの国民の感情は、相容れないものになるでしょう。

さて、
ある出来事の記憶が、立場によって違うことが、引き起こす問題は多いようです。

あれはしつけだった。
という思いの親。

あれば純粋に暴力だった。
という思いの子ども。

あの出来事についての記憶が違うことは、わかり合えなさにつながります。

それは、言いようのない悲しみをもたらします。
記憶の仕方が違う。
それが要因で相互理解が進まない。
悲しみがもたらされる。

そんなことを思った一冊でした。


タグ :記憶戦争

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