希望を祝えると世の中でやっていけるのかも

2020年05月03日

内田樹さんの呪いと祝いの指摘についての私的考察です。

呪いへの対処は、予祝なんだそうです。
平たく言うと前祝い。

例えば、
豊作を祈って、田植えから稲刈りまでの作業を舞台で踊るとか。
今年もいい年でありますようにと新年を祝うとか。
先に祝ってしまうえば、その祝いに包まれてるから悪いことが起きない。
そんな考えが基盤になっているみたいです。

そんな気がします。
基盤として、祝福されている。OK。問題なし。平安。平穏。
※ちなみに、エヴァンゲリオンのネルフのスローガンは万事ことなしだったような。

そういう気持ちの基盤があれば、正直望まないこともたくさん起きる世の中でやっていけるように思えます。

逆に、予祝、前祝いがデキないとき、
それは、未来に希望が描けないとき、

人は生きるのに立ち往生する。

そんな気がします。

こもっている人、不登校の人、病で苦しんでいる人、生きづらい人、
虐待の中にいる人は、

将来に、希望が持てていないかもしれません。
自分の将来を祝えない。

こう考えると、将来が、そう悪いものでもないよ。
と証明すること。

将来は、そう悪くもないな。まんざらでもないな。
と困難を抱える人たちが思えるようになること。

それが始まりのように思えます。
さしあたりのゴールかも。

不登校でも大丈夫。
ひきこもっても大丈夫。
トラウマを負っても大丈夫。
と、しっかり言える社会でありますように。



参考文献
『現代人の祈り 呪いと祝い』(サンガ新書 p23 釈徹宗 内田樹 名越康文 サンガ 2011)


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