ほめるには大人にならねば

2020年05月07日

自己肯定感や自己評価や自己イメージや自己効力感とか、
とにかく近年流行中の自己ナントカ感の話では、
ほめる
ほめられる
が重要なポイントとされています。

ほめられなかったから、
自己ナントカ感という自分を肯定的に認める評価が低いんだとされているからです。
※他者からの承認がないから自分を肯定できない。

ほめられなかったために、自己を認められず、社会でやっていくことに難しさを抱えることとなった。
だから、自己評価を高めるには、
つまり、社会でよろしくやっていくためには、

社会の人々から、ほめること(ほめられること)が大事になってくるんだという理屈です。

ところが、ほめるってのは難しいんです。
相手のいい所を見つけて、きちんと言葉にして、感情も込めて、表情や態度もほめるのにふさわしくして、
ほめる。

これには、3つの「適」が必須です。
適度(大げさだと逆効果)に、適切(ほめられたいポイントにピッタリと)に、ほめられることをした直後(適時)に、

そうしてやっと、相手はほめられた気がして、自己ナントカ感が上がる。
そうじゃないと相手はほめられた気にならない。
下手をすると。なんかバカにされてる気すらしてくる。
自己ナントカ感は下がる。逆効果。

だって相手は、
自己ナントカ感が低いんだもの。
逆に自己否定感は高いんだもの。

だから、ほめるってとっても難しいんです。

人をほめられる人って、そんなにいないかもしれない。
そんな気にすらなってきます。

となるとじゃ、
誰かをほめるにはどんな条件を満たせばいいのでしょうか?
考えてみました。

一言で言うと、大人になること。
のように思えます。

これ、最近ふと気づいたんです。

そもそも、
ほめられなかった人は、
大人からほめられなかったんです。
子どもの頃に。

これを補おうというのですから、ほめる人は大人でなければなりません。
しかも優しく理解があって力強く頼りがいのある大人。
つまり理想の大人。

とても難しいことだろうけど、
人をほめるときは、そんな風な大人にならねばならないように思えます。

一方で、自分をほめるときは?
そんな風な大人の私になれば、自然と自分をほめられるようになるのでしょう。

誰かをほめることができる私になる。
それは、
自分をしっかりほめられる自分になったと言うこと。

誰かをほめるまなざしを自分に向ける。
誰かの自己肯定感を上げる行いを、
自分の自己肯定感を上げるためにも行う。
それができるような自分になる。
大人の自分になる。
この心がけが大事なように思えます。

他者であれ自分であれ、
誰かをほめるには、大人になることが必要という話でした。




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