ひきこもりと不登校の違いを考えてみた話 その2
2020年02月19日
仮説です。
不登校は、学校にうまくなじめない状態。
学校不適応なんて言ってもいいかもしれません。
あの学校には、
あの教室には、
あの授業には、
あの先生には、
あのやり方には、
あの騒々しさには、
などなどなど、
なじめない理由がわりとはっきりしている。
だから、
あの学校じゃない、
あの教室じゃない、
あの先生じゃない、
あのやり方じゃない、
つまり、
あの環境じゃない学びの場なら、
通える。
なじめる。
環境・学校側が寄りそうことで適応しやすくなる。
つまり、環境調整が解決の鍵。
これが不登校。
じゃないか?
一方で、ひきこもりは、
あの学校でもこの学校でも難しい。
あのやり方でも、この環境でも同じように難しい。
環境が寄りそえるとしても、寄りそったとしても、こもっている。
社会が変わってもこもる。
これがひきこもり。
じゃないか。
となると、ひきこもり支援は、
本人の心への働きかけ。
痛みの軽減。
が必要じゃないかと思います。
環境を変えることよりも。
環境調整なのか?
本人への働きかけなのか?
支援に当たっては、
この見極めがとても大事な感じがしています。
不登校は、学校にうまくなじめない状態。
学校不適応なんて言ってもいいかもしれません。
あの学校には、
あの教室には、
あの授業には、
あの先生には、
あのやり方には、
あの騒々しさには、
などなどなど、
なじめない理由がわりとはっきりしている。
だから、
あの学校じゃない、
あの教室じゃない、
あの先生じゃない、
あのやり方じゃない、
つまり、
あの環境じゃない学びの場なら、
通える。
なじめる。
環境・学校側が寄りそうことで適応しやすくなる。
つまり、環境調整が解決の鍵。
これが不登校。
じゃないか?
一方で、ひきこもりは、
あの学校でもこの学校でも難しい。
あのやり方でも、この環境でも同じように難しい。
環境が寄りそえるとしても、寄りそったとしても、こもっている。
社会が変わってもこもる。
これがひきこもり。
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本人の心への働きかけ。
痛みの軽減。
が必要じゃないかと思います。
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