ひきこもりは社会が排除しているだけだろうか?

2019年09月15日

 ひきこもり界では、

 社会が自分たち(当事者たち)を排除している。

 自分たちは社会に入りたいのに。

 だから社会が変わるべきだ。

 という考え方があります。

 私聞風坊はこの説にちょっと懐疑的なんです。

 社会が排除している面はあります。

 この仕事ができなければ辞めてもらっていい。

 この学校のやり方に従えないなら来なくていい。
 という風に積極的に。

 または、
 ひきこもりや不登校や被虐待など困難を抱えるために社会に参加しづらくなっている人を放っておく。
 という風に消極的に。

 こんな感じで、
 社会参加のためのハードルが高く頑強に設定してあって、それをクリアしない人を社会は当たり前のように自分たちの仲間から除外します。

 これは、
 社会が、自分たちのコミュニティ(社会)のメンバーとして、ひきこもりなどの困難当事者たちを想定していないということ。
 
 それは、
 社会が、ひきこもりなどの困難当事者に期待を寄せていないということ。
 
 期待しない。そういう形で無意識に排除している。
 そんな社会の一面はあります。

 とはいえ、
 だからといって、当事者は社会から排除されるだけの存在であり、
 当事者が社会や他者を排除していないかというと、

 疑問なんです。

 当事者も社会や他者を排除しているだろうと思うのです。

 政治を批判し、親を責め、学校を否定し、他者を非難して、

 だから、
 社会は自分が参加するに値しない。として

 自分が社会参加することを想定しない。
 社会に期待しない。

 そんな風に、
 いわば、社会を見限る形で、

 今の社会を、自分の暮らしの想定から排除している。
 そんな気がするのです。

 つまり、
 社会も当事者もお互いに期待を寄せていない。
 自分が関わる対象範囲の想定外としている。

 そういう形でお互いを排除している。

 意識的にせよ無意識にせよ。
 積極的にせよ消極的にせよ。

 その両者の思惑が一致しているからこそ、

 ひきこもりが成立し続けている。

 なんて風に思い出したこの頃です。



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