被害者に「100%あなたは悪くない」と言うことについての気づき

2019年11月08日

 DVやイジメや犯罪などの被害に遭った人のケアやサポート場面でよくいわれる言葉であり、支援者研修などで推進されることとして、

 「あなたは100%悪くない」

 があります。

 害を受けた人が、自分が悪いから被害に遭ったんだと、暴力を受けた自分が悪いとして、
自分を責めることをしないように勧める意図があります。

 誰しも、ミスや注意不足はあります。

 だからといって、暴力を受けていい、犯罪に遭っていいということはありません。

 暴力を受けなくていいのですし、犯罪に遭わなくていいのです。

 悪いのは、ミスや注意不足に付け入ったり、端からその人の尊厳を無視して暴力や犯罪をする加害者の方だからなんです。

 とはいえ、100%悪くないという言い方には、少し抵抗がありました。

 なんだか、ミスや不注意をしてもいいという風に聞こえてしまうのです。
 とにかく悪いのは相手なんだから。という風に。

 暗い夜道を無防備に歩いたり、危険地域に出入りしたり、暴力犯罪リスクの高い場面に居続けることをしないことはまずもって大事なことです。

 決して安全が保証されているわけではない日常を生きる私たちは、
 うかつにもリスクの高いことをしてしまわないよう、暴力や犯罪を受けないよう、注意を怠らないようにせねばなりません。

 こんな思いでいたせいか「100%悪くない」の言葉に対して、
 なんだかそういう注意責任がないような、自分の安全のための注意配慮をすることを軽んじるような感覚を持つのでした。
 だから「100%悪くない」という言葉は使いませんでした。

 もちろん、
 暴力する方が悪いのです。あなたが悪いわけではありません。とはっきり言ってはいましたが。

 さて先日、
 この長年の懸案事について、少し気づきがありました。

 被害を受けると、
 もしあの時、自分がこうしていれば相手は暴力をふるわず、自分の身の安全は保てたのではないか?

 そういう思いになりがちなんです。

 自分がどうにかすれば、自分の身の安全、安心は確保できるのではないか?

 自分の心と身体を守るために、自分になにかできたのではないか?

 そう思うものです。

 私は経験的に知っています。

 この思い、
 自分の力を再確認したいためでもあるようです。

 自分に対する影響力を再び取り戻したい。 ※自己効力感

 自分の力がまったく及ばず、
 あまりにも無力で、
 自尊心など粉みじんで、
 屈辱でしかないあのとき、

 なんとか自分にできたことはないか?
 そうならないためにできたことはないか?

 そういう思いからです。

 でも、それはかなわぬこと。
 圧倒的な力は存在します。

 その力の前には、
 屈するしかありません。

 100%なにもできないことはあります。

 相手の尊厳を踏みにじる
 そんな力の使い方は100%間違っています。

 100%悪いのは相手です。

 そして、

 100%相手が悪いのはわかっていても、

 自分の力が100%まったく及ばなかったことを認めることはとてもつらいこと。

 悲しいこと。

 この、いいようのない怒りや悲しみをしっかり感じること。

 それは、きっと回復に役立つのだろう。

 あなたは悪くはない。
 あなたに被害の責任はない。
 の奥に、
 そのときあなたは100%無力だったから。
 という事実があるのかもしれない。

 そんな気づきでした。


タグ :加害被害

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