親子関係が責任のきずなで成り立っている話

2018年11月20日

 親子の絆という言葉があります。

 およそ、
 愛情にもとづいた親密な関係。を意味しています。

 一方で、
 虐待を受けた子どもは、恐怖の絆で親と結ばれている。という指摘があります。

 怖いから離れられない。そういう親子関係です。

 さて、
 親子関係について、最近ふと思いついたことがあります。

 責任で結びついている関係があるんじゃないかと。

 うちの子を何とか一人前にしないとならない! そんな親の責任。

 ご飯を食べさせ、風呂に入れ、うちの子の健康を保たねばならない! そんな親の責任。

 一方の子どもの責任は、
 子どもとしての責任を果たすこと。食事をし、眠り、お手伝いをし、学校に行き、総じて親の言うことを聞く。
 そんな責任。

 日ごろから、親の相手をし、愚痴や相談に乗り、親の問題の解決を手伝い、

 親が病気になれば、
 看病し、

 老後の世話を焼き、

 親が心地よく暮らせるように、
 最低でも心地悪さがなくなるように、
 親の世話を焼く。

 親の心の平安への責任があるから、悪さはしない、けがや病気や悩み事で心配かけない、だから相談しない。
 自分で解決する。できなければあきらめる。

 進学も勉強も遊びもほどほどに。自分が担う責任ある役目の邪魔にならないほどに。

 親が不安にならないようにいつも親の目の届くところにいて、
 それは、
 自分が不安にならないように何か起きたらすぐ対処できるようにという意味もあって、

 だから、
 常に待機しておく。
 親の安心のために。
 自分の安心のために。

 だから、仕事は早く片付ける。
 食事も遊びも勉強も何でもかんでも。

 そうして次の何かのために待機する。

 それが子どもの責任。

 親も子も、相手に対する責任ばかりで関係を築いている。

 都合、相手と関わることがまるで仕事のようにストレスになる。
 相手が重荷になる。

 それでも切れない親子の絆。

 責任の絆。

 子どもへの責任。
 こもる人の親と話をしているといつも感じることです。
 子への愛情よりも。

 食べさせにゃいかん、学校行かさないかん、親じゃかい。
 私聞風坊はよく言われました。
 しょうがないから親をやってる。
 そんな感じを受けました。

 迷惑をかけてる自分。
 消えたほうがいいはず。
 うっすらと思っていたようです。

 ならば、
 立派に役目を果たそう。

 中年大人になった今、
 より強く感じます。
 親の面倒を見る責任。

 私たちはお互いに、
 親子という役割を担い、
 その責任を果たすことでつながっていた親子だったようです。
 


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