トラウマからの回復は主体性の回復のように思える話

2018年07月15日

 人間というか哺乳類は、そもそもトラウマを負わないようになっているみたいです。

 危険に遭遇したら、

 自分の心と身体を瞬時に危険対処モードに切り替えて、

 危険・脅威に対して、闘うか回避するか、降参するか

 して、

 危険・脅威がなくなったら、

 つまり安全になったら、

 心と身体の状態を
 
 普段のモードに切り替えるんです。

 その時、身体を震わせたり、泣いたりして

 身体に溜まった安全な生活を送るのには不必要な危機対応エネルギーを放散して。

 スッキリした気持ちになる。

 安全を確認して。
 安心感を得て。
 気持ちを切り替えて。

 日常を生きる。

 こんな順序。

 トラウマって、このプロセスの最後の方が十分にできていないときに負うようなんです。

 闘うにしても、回避するにしても、降参するにしても、
 主導権は危険・脅威が持っています。

 私たちはやむなく闘ったり、回避したり、降参したりします。
 
 危険や脅威がなくなるまで。

 いつどのタイミングでなくなるかは危険や脅威次第。

 自分では決められません。
 一貫して受動的。

 この受動的な状態の、
 この段階でプロセスが止まったままだと、トラウマを負ってしまうようなんです。 

 だから、
 トラウマを負わないためには、
 傷を癒すためには、

 今の危険や脅威がなくなったら、
 一時的に弱まった自分の能動性を強める作業が必要になるんです。

 このとき確認すべきことは、

 私たちは、
 圧倒的な脅威の下であっても、自分の力を最大限発揮し闘い、回避し、降参しているってこと。

 私たちは、
 危険や脅威に圧倒されながらも精一杯自分の力を発揮して、自分を守っているってことです。

 そうして、
 そもそも自分は自ら能動的に危険・脅威に対処していたんだ。

 そうして今の安全を手にしたんだ。

 スゴいゾ自分! という自信と、

 もう今は安全だ。
 自分の力で、安全を確保したんだ。

 あの恐ろしい状況はもう過去のものなんだ。
 今じゃない。

 今は安全だ。よく考えると楽しみや安らぐときもあるじゃない。

 と、
 武者震いや涙や安堵を経験するなどして、
 その時最後までやれなかったプロセスをやり遂げ、

 危険・脅威に蹴りをいれて、
 またはケリをつけて、

 今これからを生きていくんです。

 主体的に、

 能動的に、

 ちょっとした自信とともに、

 自分の生きる時間、
 自分の暮らしを自分の手に取り戻すのです。



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