祈りが心のよりどころだった話。
2018年06月25日
親を頼りにすることができなかった子どもの頃、
頼りにしていたのは仏様でした。
何の変哲もない単なる仏教徒なのですが、
自分には仏様がいる。
と思うだけで、なんとなく落ち着きを得ていたのを思い出します。
人はみな仏の子。
という教えのためでもあるでしょう。
見守られている。
そんな気持になったようです。
そして、
仏の子としてどう生きるか?
それが基軸になったようです。
いじめられたときも、こもっているときも、日常困ったときも。
自助グループでは、ハイヤーパワーに委ねることを学びます。
自分の手に余ることを。
そして、大いなる自然の営みの中にいる自分という意識を持ちます。
そうして、
ひとりでいろいろな重責を背負い込むことや
自分は誰よりも上手になんでもできるという錯覚を手放し、
ひとりのただの人間として謙虚に暮らしていくことを学びます。
両方とも大いなる何か、サムシンググレート・Something greatとのつながりによって、
自分をよく保ち、暮らしていくのですね。
窮地を生き延びる術は、大いなる何かとのつながりを得る(再確認する)こと。
そんな気がしています。
頼りにしていたのは仏様でした。
何の変哲もない単なる仏教徒なのですが、
自分には仏様がいる。
と思うだけで、なんとなく落ち着きを得ていたのを思い出します。
人はみな仏の子。
という教えのためでもあるでしょう。
見守られている。
そんな気持になったようです。
そして、
仏の子としてどう生きるか?
それが基軸になったようです。
いじめられたときも、こもっているときも、日常困ったときも。
自助グループでは、ハイヤーパワーに委ねることを学びます。
自分の手に余ることを。
そして、大いなる自然の営みの中にいる自分という意識を持ちます。
そうして、
ひとりでいろいろな重責を背負い込むことや
自分は誰よりも上手になんでもできるという錯覚を手放し、
ひとりのただの人間として謙虚に暮らしていくことを学びます。
両方とも大いなる何か、サムシンググレート・Something greatとのつながりによって、
自分をよく保ち、暮らしていくのですね。
窮地を生き延びる術は、大いなる何かとのつながりを得る(再確認する)こと。
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これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。
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当方からのお返事が送信できないことが時々あるのです。
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