2017年11月03日

子どもの望ましい行動を伸ばすためにほめられるなんてイヤだ! の話

 行動理論にもとづいた子育て支援、不登校支援、ひきこもり支援の思想に、

 子どもの望まし行動と、望ましくない行動をよく見極めて、

 望ましい行動をした時は、究極的には相手にしないなどの最低限の関わりに留め、

 望ましい行動をした時は、しっかりほめる。

 というのがあります。

 すると、子どもは望ましい行動を繰り返すようになるからですね。

 極端な例を挙げると、
 食べ終わった茶碗を流し台に持っていくとほめる。

 学校に行くとほめる。

 外に出るとほめる。

 そんな感じです。

 さて、このやり方、子どもの立場になると、ちょっとムカつきます。

 動物の調教よろしく、芸をするとえさをあげて、芸をしないとえさを与えない。
 原理はこれと一緒だからです。

 どの芸をするか、どんな風に芸するか?

 それを決めるのは調教師。

 どの学校に行くか、どんな風に学校に行くか?

 どんな風な行動をすればいいのか? 悪いのか?

 決めるのは、親や教師や支援者です。

 子どもが望む行動ではなく、親や教師や支援者が望む行動をするとほめられ、そうじゃないと軽く無視される。

 なんだか、バカにされている感じ。

 だからか、自分がやったことを「望ましくない行動」なんて言われると、
 逆にやりたくなってしまいます。

 どうせ望まれないんだから、勝手にやらせてもらうわ! なんて風に。

 もっとゲキしてくると、

 テメーが勝手に決めてんじゃネーよ!

 とジョジョ的な物言いになってしまいます。

 これ、両価性の原則と言ったりします。

 一方に肩入れすると、もう一方の気持ちが強くなるんです。

 では、
 どんな風にすればイイのでしょうか?

 我が子を含め他人様の行動を、望ましい行動、望ましくない行動と判断したのは、ほかならぬ私。

 実は私の主観。

 一方の主観はOK、一方の主観はダメ。

 こんな風に、主観と主観がぶつかり合うから上手くいかないようなんです。

 ならば、主観を合一させればいいように思えます。

 それは、
 「私が思う望ましくない行動」
 「私が思う望ましい行動」
 から
 「私たちが思う望ましくない行動」
 「私たちが思う望ましい行動」

 を話し合い、合意するとなる作業でしょう。

 そうなると、
 私たちが思う望ましい行動をとるためなら、

 少しばかりの損害も引き受けられることでしょう。

 なぜなら、
 望ましい行動をとった結果得られる喜びは、一人自分だけでなく

 私たちで共有できるのですから。

 一緒に喜び合えるのですから。




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