2017年09月27日

奪われる恐怖と与える喜び

 こもっている人と話しているとき、わりとありがちなのが

 搾取・さくしゅとか、収奪・しゅうだつとか、略取・りゃくしゅとか、

 という言葉に表される、

 自分たちから、社会や権力者が奪う、盗むという感覚・発想です。

 そのため、
 自分たちは、社会や権力者から奪われる、盗まれる。

 オイシイ思いをするのは、力ある人たち。

 自分たちではない。

 そういう感覚・発想です。

 世界は自分の物を奪う。取り上げる。盗む。

 そんな意識なのでしょう。

 となると、

 社会と関わるということは、

 奪われる。

 と言うことになります。

 だから、
 社会に関わることがとても命がけ。

 必死の思いで社会と関わる。

 かつて、とても怖い目に遭ったからでしょう。

 実は、
 これとはまったく逆の感覚・発想もあります。

 自分は社会に何を与えられるか?

 自分はあの人に何を提供できるか?

 社会・他者から奪われる感覚・発想ではなくて、

 社会・他者に逆に与える感覚・発想です。

 こんな感覚・発想に触れると、余裕と力強さや思いやりを感じます。
 
 与えると思うと、恐怖と自分の力強さを感じます。

 時間、スキル、知識、笑顔、お金・・・。

 自分の何を与えるかは自分で決める。主体的。

 逆に、
 奪われることばかり意識して
 自らなにかを与えることを考えられない人は、

 人からもらうことばかり考えているのかもしれません。

 だって、自分はとても弱い存在だもの。
 人になにかを与えることなんてできない。

 と言うか、奪われたものを返してもらわないとならない。
 その権利がある。
 自分は債権者だ。

 残念ながら、望むような返還はなされません。
 優しくされても、承認されても、労いとともに給料もらっても、きっと宝くじ7億円当たっても。

 まだ足りない。

 ところが不思議なことに、
 与えることに意識を向けると、

 無くなったはずのものが、蓄えられて来ることに気づきます。

 無くなったはずのもの。

 奪われ続けたもの。

 それは、自尊心。

 自信。

 ほどなく気づくはずです。



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