2017年04月25日

その人らしさは他人が決めるということ

 医療界には、操作的診断という言葉があるようです。

 病気やケガの診断を下す条件を決めて、その条件に当てはまるかどうかをチェックする感じで診断していく方法のことをそう呼ぶみたいです。

 ○○な症状はあるか?

 △△はないか?

 みたいにやっていきますね。

 実は同じようなことを支援者もよくやっています。
 そしてこれは、支援者の視点が違うと、同じ人に対しても違う印象が生じることを意味します。

 ある支援者は、学校を怖がっているかどうかという条件で、人を見ています。
 だからもし、ある人がその条件に当てはまると、その人を学校恐怖症と名づけ、恐怖が軽くなるように働きかけます。

 またある支援者は、学校を怖がっているというより、登校することを拒んでいるかどうかという視点から人を見ています。
 ある人がこの条件に当てはまると、その人を登校拒否と名づけ、その価値観にもとづいて働きかけます。

 拒否なので、自由意思にもとづき主体的に学校に行かないというニュアンスでしょう。
 となると、学校をさぼる性根を叩き直すという働きかけになるかもしれません。

 またある支援者は、登校を拒否しているというより行きたいけど行けないのかもしれないという視点から人を見ています。
 となると、学校に行けない弱者としてその人を見るかもしれません。

 そして、無理して学校に行かず傷を負って弱った心を癒すように働きかけるかもしれません。
 または、弱者でも行ける学校を作ろうとするかもしれません。

 またある支援者は、社会からこもっているかどうかに注意を向けているので、社会との接点がなく家で静かに暮らしている人を見ると、ひきこもりだとして、ひきこもり対応の手順に従って働きかけるかもしれません。
 
 またある支援者は、働いているかどうかに関心があるので、家で静かに暮らしている無職の人を見ると、その人をニートと判断して就労支援するかもしれません。

 またある支援者は、お金に困って生活が苦しいかどうかに意識が高いので、家で静かに暮らしている無職の人を見ると、将来的に困窮生活を送る可能性が高い人だと判断して、困窮者支援を始めるかもしれません。

 これらのことから分かることは、医療者を含め対人支援者は、人のある一面にのみ注目しているということです。
 支援者同士の意見の相違、関わり方の重点の相違はここらへんから生じます。

 だから、
 ある支援者は、心に寄り添いながらのひきこもり支援をしようと考えるのに、ある支援者はサボり癖を叩き直そうとするのです。

 病気の治療を積極的に行うことが優先だと思う支援者もいれば、そんなことより穏やかに刺激しないことが重要だと考える支援者もいるでしょう。

 その人全体を見ているのではないということ。
 そして残念ながらその人全体を支援することはできないということ。

 このことを、
 支援する方も支援を受ける方も、お互いに知っておくことが大切に思えています。



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