プライドが高いから、社会参加できないについて考える

2017年04月19日

 思いつきシリーズです。

 ひきこもり、ニート界隈では、

 プライドの高さが邪魔してる。

 みたいな発言をわりとよく見聞きします。

 プライドが邪魔して、
 外出しづらくなっている。
 就労先が限られてくる。

 なんて感じです。

 当事者本人の立場からすれば、
 
 そこまでして。
 とか、
 そんなまでして。

 社会参加したくない。

 社畜になりたくない。

 なんて、感覚でしょうか。

 それは、

 そんなことに自分の人生を使いたくない。

 自分の時間を使いたくない。

 それならば、自宅でじっとしている方がまし。

 自宅でじっとしている時間の使い方がいい。

 そういう気持ちが働いているのではないかと思い立ったのです。

 就労を極端に単純化して説明すると、労働の対価として収入を得る行為、というのが一般的でしょう。
 
 この点、ひょっとしたら、
 ひきこもりやニートの人たちは、
 「自分の人生の時間を仕事に提供した対価」として収入を得るという感覚なのかもしれません。

 この考えを就学に当てはめると、
 自分の人生の時間を学校場面に提供した対価としてなんらかの利益(学力・地位・安全・承認・将来・・・)を得る。

 だから、

 オレの時間をそんなものに使いたくない!
 自分の時間はそんなに安いものか?!
 お前らにオレの時間を評価されたくない!
 俺の人生を管理されたくない!

 こんな思いなのかもしれないなと思ったのです。

 こんな風に、
 自分の人生時間に対するプライドがあると、それに見合わない社会参加、就労、就学は難しいのかもしれません。

 割に合わない。ということ。

 自分の人生時間を自分の思い通りに使える。
 少なくとも他人のいいようには使わせない。

 それが、
 社会と距離を置いて暮らす人々の思いの一つかもしれないな。

 と思い立ったのでした。




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