自由と責任との割合

2017年02月27日

 自由には責任がともなう。

 よく見聞きするフレーズです。

 自由意思にもとづいて、選択の自由の原則にもとづいて、

 自分の行動を自由に決めてイイ。

 でもそれには、行動主体者としての責任がともなうよ。

 それを、
 自己責任と言うんだよ。

 だから、
 責任のとれる範囲で行動するんだよ。
 責任がとれない行動はしちゃいけないよ。

 こんな風になります。

 これ、その通りに思えるのですが、
 ところが、

 自分がとった行動の責任は全部自分の責任だ。
 となると、問題が起きるのです。

 不登校という行動をとったために、
 進学したくても進学できず、友だちと一緒に何かするチャンスを放棄せざるを得なくなった責任。

 こもってしまったばかりに、社会から支援の手が届かなくなってしまった責任。

 生活するために、残業を月に100時間して心身ともに疲弊した状態になった責任。

 自己責任で片付けてお終いにするのは、なんだかおかしいと思います。

 その理由です。

 自由が制限されているのです。選択の自由の選択肢があまりにも少ない。自由とは言えないほどに。

 学校に行くか行かないか?
 こもるかこもらないか?
 働くか辞めるか?

 昔流行った究極の選択です。
 2拓しかありません。

 自由はそのどちらか選んでいいという極めて限局されたもの。

 こう考えると、責任も限局されていいように思えます。

 自由と責任が正の関連があるのならば、※自由な分、責任も重くなる

 自由が制限されているならば、
 責任も制限されて当然。

 だから、
 選択の自由のない条件で選んだ行動に対する責任は、
 制限をかけるのが妥当です。

 不登校やひきこもりやニートや過重な労働など、選ぶ自由が制限されている立場にいる人は、
 自分が選んだ行動の責任を全部自分で負うことはありません。

 もうすでに、制限された自由に見合った十分な重責は担っています。

 だから、
 過重な責任の一部を誰かにになってもらってもいいんです。

 誰かに手助けしてもらっていいんです。



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