ケータイと思いやり

2016年12月10日

 社会では、相手のことを察することが重視されています。

 空気を読め。

 ですね。

 このことについてよく考えるのですが、あるときふと思いつきました。

 最近、待ち合わせの打ち合わせが雑だ。

 と。

 いつどこで誰と、なにかあったときはどこに連絡して、またはその際はこういう行動をとってと、

以前昭和の時代は細かく打ち合わせしていました。

 待ってる間も、今あの辺だとか、
 今何しているとか、
 そわそわしながら、相手のことを思ってじっと待っていました。

 でも最近は、これがあまりありません。

 気になったらケータイに電話するからです。

 変更が生じたらケータイですぐ連絡するからです。

 便利と言えば便利なのですが、

 相手のことを想像して、思いやって、自分の行動を決めるという手間はありません。

 不安を抱えながらその場に辛抱強く待ち続けたり、

 公衆電話から相手に電話したり、※これで相手が電話を取った時点で大遅刻ですね。

 駅員さんに事情を話して取り次いでもらったり、駅の構内に放送を入れてもらったり、

 ケータイが普及する前は、こんな風に自分の不安と折り合いをつけながら人と関わっていました。

 簡単に約束ができる反面、

 キャンセルも簡単。

 変更が簡単。

 結果的に、

 人と人との約束を軽んじるようになっている。
 
 そんな懸念を覚える昨今です。




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Posted by 聞風坊 at 06:00│Comments(0)社会のこと
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