暴力は学んだことかもしれませんが

2016年10月21日

 人は生まれつき暴力的か?

 それとも成長する段階で暴力を覚えたのか?

 ジェンダーや男女共同参画、DV、アンガーマネジメント、非行、認知行動理論等、

 幅広い分野で話題になる問いです。

 私聞風坊の考えは、こうです。↓

 人、というか動物は、脅威から身を守る必要があります。

 脅威とは自然災害や、虎やライオンや、ヘビや毒虫などですね。

 自分の身を守るために、あらかじめ攻撃力が身に付いていると考えるのは自然でしょう。

 でもそれは、暴力とは少し違います。

 暴力というのは、何か・誰かを自分の思い通りにするために使われる(攻撃)力のこと。

 その力は、筋力だったり、国家の権力だったり、職場の上下関係という力だったり、男と女のどちらかが上位にいるという社会通念にもとづく力だったりします。

 その力を、相手への思いやりなく、自分の欲を叶えるためだけに使うと暴力となります。

 アイツは思いやらなくていい存在だ。

 アレは大切にする価値はない存在だ。

 ソイツの思いや気持ちには配慮しなくていい。

 だから、あの人を攻撃していい、略奪していい、貶めていい。

 この論理は、私たちの所属する社会的価値観・常識にもとにしています。

 常識に照らして、暴力を振るっていいのだと判断したのです。

 この常識は、無意識かもしれません。
 あの地域の人だから。
 労働しない人間はいらないから。
 男は性欲を押さえられないから。
 テレビに出るような有名人は(たとい貧困女子高生でも)プライバシーを暴かれても当然だから。
 
 こうして、
 人が本能として持つ自己防衛のための攻撃力を、暴力という形で発揮するのです。

 生き残るのに攻撃力は必要です。
 だから、選択の自由なく人にはデフォルトで装備されています。

 そして、それを暴力として発揮するかどうかは
 自分で決められます。

 力を発揮するにあたっては、相手を支配しようと暴力的じゃなくていいんです。
 

タグ :暴力攻撃力

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