当事者語りを消費する社会 2
2016年10月07日
消費シリーズとして当事者語りについての記事の続きです。
自己犠牲よろしく体験発表した結果、
多種多様な立場の人たちに多種多様に受け止められるのでした。
その結果、当事者の福利は向上したかというと、むしろ低下することがほとんどなのです。
当事者と当事者じゃない人たちの橋渡し。
相互理解を目指し、
当事者がフツーに暮らせるために努力し、
それは当事者じゃない人たちの利益にも叶うと思っての
当事者語りをはじめとする当事者活動なのにです。
全体の利益のために、自己の個人的体験を提供したのに。
世間が知りたいことだけを聞き取って、
勝手に分析したり批判したりして、
つまり、消費して。
それをもとに何か福利を生みだすことは滅多にない。
よくて、
勉強になりました。
当事者の生の声に感動します。
あ~そうなんだ。大変だね。頑張ってね。
で終わる。
悪ければ、
自己責任、やる気がない、頑張りがたりない。
なんてことになる。
当事者の体験を聴いていいも悪いもなにかしら心が動いて終わり。
映画や演劇みたいに。
それは、
当事者の人生の一部も提供した当事者語りを消費すること。
映画や演劇みたいに扱うこと。
畢竟それは、当事者を消費すること。
そんな気がしている最近です。
この項終わり。
自己犠牲よろしく体験発表した結果、
多種多様な立場の人たちに多種多様に受け止められるのでした。
その結果、当事者の福利は向上したかというと、むしろ低下することがほとんどなのです。
当事者と当事者じゃない人たちの橋渡し。
相互理解を目指し、
当事者がフツーに暮らせるために努力し、
それは当事者じゃない人たちの利益にも叶うと思っての
当事者語りをはじめとする当事者活動なのにです。
全体の利益のために、自己の個人的体験を提供したのに。
世間が知りたいことだけを聞き取って、
勝手に分析したり批判したりして、
つまり、消費して。
それをもとに何か福利を生みだすことは滅多にない。
よくて、
勉強になりました。
当事者の生の声に感動します。
あ~そうなんだ。大変だね。頑張ってね。
で終わる。
悪ければ、
自己責任、やる気がない、頑張りがたりない。
なんてことになる。
当事者の体験を聴いていいも悪いもなにかしら心が動いて終わり。
映画や演劇みたいに。
それは、
当事者の人生の一部も提供した当事者語りを消費すること。
映画や演劇みたいに扱うこと。
畢竟それは、当事者を消費すること。
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これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。
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