イーストウッドの映画を観たのでした

2016年08月13日

 先日、クリント・イーストウッドが監督した「ミリオンダラー・ベイビ-」(2004)を観たのでした。

 その年度のアカデミー賞を獲った映画ですね。

 それを今ごろ初めて見たとは、相変わらず、時流に乗れておりません。ガーン

 とはいえ、今だからこその感動ポイントがあるのです!!!

 ズバリ!

 教えてくれる存在のありがたさに感動したのでした。

 私聞風坊も、格闘技にハマった人間ですから、主人公のボクサーがボクシングにすべてをかける感覚は良く分かります。

 生活のすべて、見るもの聞くもの話すことすべてが一色に染まります。

 その理由の一つが、
 
 導いてくれる存在。

 文字通り手取り足取り教えてくれる人がいること。
 
 のように思えます。

 実は、格闘技は特にこの手取り足取り感が強いんです。

 私の足の位置を先生や先輩が手で直に修正してくれましたし、私も相手の足の位置を手で直しました。
 文字通り手取り足取りで稽古するんです。

 主人公もきっと、こうやって親身に教えてくれる人がいたから、

 自分の生涯をかけるほどにボクシングに打ち込んでいったのだろうなと、

 勝手に感動しておりました。

 自分のことを気にかけてくれる人がいる。

 この経験は人生を生きるのにとっても大切なことのようです。



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この記事へのコメント
 残暑お見舞いありがとうございます。

 とにかく頑張れば、努力すれば、必ずいいことがある。というのが神話だというのは、誰しもが知っていることだと思います。

 オリンピックのメダリストも自分の努力を支えてくれる人たちへの感謝を必ず口にしますもの。

 きっと結果につながる努力の仕方があるのでしょうね。
 誰かの手助けを得ながら叶えていくような。
Posted by 聞風坊聞風坊 at 2016年08月14日 09:57
イーストウッドの映画…といえば
「夕日をガマン」?や「ダーティポッター」?が懐かしく思い浮かびます。
TVの月曜ロードショウやゴールデン洋画劇場にワクワクしていました。

おっしゃる 支えの重要性を実感します。
今は、支えをサービスや労働ととらえ、ビジネスライクに報酬とはかりにかけるような側面を見ると寂しい気もします。

つい先日、NHKから「努力」についてのアンケートが届きました。
記憶があいまいですがその中に、
●成功するのに必要なのは?
環境、運、お金、才能、努力。(だったか?)
優先順に並べてください。

●あなたにとって努力とは?

というような質問がありました。
体験上環境や運(出会い巡り会わせ)が違っていたら、今の生き辛さとは違っていたかもしれないと思うところあります。(思っても仕方ないのですが)

昔の自分は、努力は希望などと願って夢見ていましたが、
今は努力の背景に根強い不安があるのかもしれません。
不安に追い立てられ、やるしかない崖っぷち人生

映画を見ても、オリンピックを見ても、
持ってるからこそ成功できる、と何か冷めて観てしまうのかなと
「…かなと」
この言葉もあまり好きではありません。
自分の意見をそらす、濁す、逃げる、保身、リスク回避…
いつから始まったのか、ビジネス思考などが始まりなのか、
社会にはますます巧妙な闇が広がり深まるようです。

すみません 長くなって、
イーヒトウッド監督
ブラック社会を「カーット!!」
Posted by 残暑お見舞い申し上げます。 at 2016年08月13日 14:30
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