人間の本性は暴力的かやさしいか? 2

2015年06月26日

 前記事の続きです。

 ブランクスレート説では、人の行いは後天的な学習だけによるとされているので、
 もし、ある人が罪を犯したとしても、それはその人が育ったまたは学習した環境が悪かったからとなり、
畢竟、よりよい行動を再学習する環境を提供するという意思につながります。

 一方、このことについて反ブランク・スレートだとどうなるでしょう?
もともとの傾向があるのだからしようがない。とあきらめてしまうのでしょうか?

 著者は指摘します。その残念な現実に立脚した対応をとるべきだと。
社会運動が実を結ぶまでの期間における暴力をまず防がねばならないと。

 人は、そもそも暴力的な傾向がある。
それは、戦争や孤立、切羽詰まった感などの心理的負荷が高まる状態だと顕著になる。

 だから、そういう現実を前提に、暴力被害が起きないように対処せねばならないと指摘します。
 究極、反戦であり、犯罪予防を説きます。

 例えば、
 ミニスカートを履いて深夜の公園を歩く自由と、犯罪に遭遇する危険性を秤にかけると、
自由が毀損される方を選ぼうとなり、
 加えて、犯罪が起きないように、照明や建物の配置や、そもそも住民の孤立化を防ぐ手立てが必要だと説きます。

 また、戦争中は、どうしても戦争行為以外の犯罪(性暴力・虐殺・暴行・略奪)が多発する事実があるので、戦争自体を止めるような手立てが必要だと。

そして、絶対に忘れてはならない極めて現実的な事実を指摘します。

 世の中のほとんどの人は、
自分の暴力衝動によく折り合いをつけて社会生活しているし、
友愛の情で人と関わっている!!
 本性を日常生活によく活かしている!!!

 最終章では、子育てについて検証します。
親の影響よりも、環境(他者)の影響の方が人に与える影響は強いとか。

 これは、親の影響に縛られて苦しんでいるオトナたちへの希望にもなるでしょう。

 過去の親子関係がどうあれ、
実はそんなに致命的ではないかもしれない。
 そもそも、親の影響よりも、自分の本性と他者との関わりの影響の方が強いのだから。
 ならば、過去のしばりはほどけるだろう。

 今気にしている暴力性は、親との関わりの中で学習したのかもしれないけど、
そもそもの暴力性ではないかもしれない。
 私の中には、もっと穏やかで慈愛に富んだ調和力が眠っているかもしれない。
私は暴力人間ではないかもしれない。

 となると、
 今のこれから、よき他者と関わりながら私の本性を調和させていくことは可能だ。

 なぜなら、私は生まれたときから私だったからだ。
親から作られた私ではなかったのだから。

 こんな風に。good



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