手助けが必要な人2
2015年05月04日
前記事の続きです。
人と関わらないことによって、体や心の不調を他者が気づくという恩恵が得られないと、
自分の心身の状態の悪さ自体を把握しづらいのです。
あんた、今日顔色悪いよ。
と言われて、
そういえばさっきから寒気がしてて実は食欲もない。
とはたと気づくことはままあります。
人と関わらないと、こういう展開になりづらいのですね。
これまでの相談・支援の仕組みでは、自分で(または親密な関係の人が)具合の悪さが把握でき、支援・相談機関にアクセスできることが前提です。
そのため、
相談・支援機関が、うちを利用しないのは、自己責任だ。
で片付ける向きも少なからずあるでしょう。
しかしながら、
日本社会の生活常識に照らして、手助けが必要な人は多くいます。
一般的日本人の健康度や生活レベルに到っていない人には、社会が手助けするというのが現在の日本の常識です。
このように考えると、
医療や警察や福祉や学校などを含む相談・支援機関は、
決して自分からはヘルプを出さないけれど、客観的に見れば誰かの手助けが必要な人の存在を知った時、その時点で社会的責任が生じているのでしょう。
自分をヘルプしてくれと、困難を抱える人からの手が伸びてくるのを待たずに、こちらから手を伸ばす。
今後、相談・支援機関も、そういう姿勢が重要になってくると思います。
人と関わらないことによって、体や心の不調を他者が気づくという恩恵が得られないと、
自分の心身の状態の悪さ自体を把握しづらいのです。
あんた、今日顔色悪いよ。
と言われて、
そういえばさっきから寒気がしてて実は食欲もない。
とはたと気づくことはままあります。
人と関わらないと、こういう展開になりづらいのですね。
これまでの相談・支援の仕組みでは、自分で(または親密な関係の人が)具合の悪さが把握でき、支援・相談機関にアクセスできることが前提です。
そのため、
相談・支援機関が、うちを利用しないのは、自己責任だ。
で片付ける向きも少なからずあるでしょう。
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一般的日本人の健康度や生活レベルに到っていない人には、社会が手助けするというのが現在の日本の常識です。
このように考えると、
医療や警察や福祉や学校などを含む相談・支援機関は、
決して自分からはヘルプを出さないけれど、客観的に見れば誰かの手助けが必要な人の存在を知った時、その時点で社会的責任が生じているのでしょう。
自分をヘルプしてくれと、困難を抱える人からの手が伸びてくるのを待たずに、こちらから手を伸ばす。
今後、相談・支援機関も、そういう姿勢が重要になってくると思います。
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これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。
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