2015年03月01日

語れる場があるということ

 自分が叩いた蚊の死骸をいつもいつも憎らしげになすりつけてきたり、

 常にイライラしていてそのはけ口にことあるごとに小指をつねったり、

 どんな食べ物でも、食べて欲しいときは文句言わず言わず食べきって、食べて欲しくないときは食べてはならず、
 食べたいときに食べるのは怒鳴り散らされるほどイケないことで、食べさせたいときになにがあっても食べねばならず、

 尋ねても、聞いても返事がなくとも、
 相談しても、泣いて頼んでも反応がなくとも、

 前触れもなく怒鳴られても、

 部活で打撲して湿布を貼っていると、自分の体力のなさを知らないといけないと諭され、

 まだお前は幼いから、勉強が足りないから、一人前じゃなから分からんと会話をされず、

 ヤマイモを掘って、世間をショノミながら、包丁を何度もたたき付ける姿を毎夜の如く目にしても、

 家族が髪の毛を引きずり回されて、あちらの部屋からこちらの部屋へ引っ張られていっても、

 逃げ場もなく、じっとその場にいて耐えるしかなく、

 学校に行くことに賛成されず、

 
 集団登校や、運動会や、地域の行事やお祭りに参加することなど、
社会のルールを守ることに批判的で、

 出会う人誰とでもケンカし、不仲になり、

 自分たちの気分次第のルールを押しつける親であったとして、

 社会が、世間が、親に感謝することをよし!!! としている場合、

 親の職業の社会的な地位が高い場合、

 親が福祉制度に関わっている場合、

 子どもは自分の本心を語る場がありません。
本こころを語ることは、自分の身を危うくするからです。
 だから、
社会的に歓迎される言葉のみ発します。その術に長けます。
 都合、
よく社会に適応しているとみなされます。

 そのため、
救助が必要だとは誰も思いません。
子ども本人すらも。

 親の職がなくなれば自分の命も危うい。
直接的にそう言われているかもしれません。
直感的にそう知っているかもしれません。

 親への忠孝を篤く説く社会では、
親を批難する子どもの居場所はありません。
そんな子どもは即、口を塞がれ、感情を否定され、矯正の対象となります。

 頼るべき福祉職にすら救いを求められません。
親とつながっているからです。

 自分を誰も助けられない。
早いうちにそう知ってしまったからかもしれません。

 もはや、
大人と大人が作る社会を信用していません。

 これらのことは何を意味しているのでしょうか?

 本心を語れる場があることがいかに大事かということです。

 子どもが、自分の素を安心して口にしても安全な場です。
そこは、素の自分でいられる場です。




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