スミマセンや、やんなきゃと思うとき

2015年02月26日

 今日は、Web家族教室先生の立場から一転、当事者本人の立場に戻っての記事です。

 私は、子どもの頃から、なんとなく「悪いなぁ」という思いを抱いていたり、
自分が「やんなきゃ」という気持になります。

 幼い当時は意味が分かりませんでしたが、小学校の通知票には、責任感が強いと書いてありました。
今にして思えば、なるほどの評価です。

 一方、悪いなぁというのはどういうときに感じるかというと、

 自分が相手にお願いするとき、
つまり、
 自分はこうしたい、こうして欲しくない、という自分の欲求を伝えるとき、
 さらには、それに相手が応えてくれたとき。

 それは、ここにいてゴメンね。という場合もあります。
ここにいたいからいさせて、場違いかもしれんけど。

 さて、
昔、この思いをどんな時によく感じたかと考えると、

 親がいつものようにケンカして、子どもがいるから離婚できないと大声上げたとき。

 毎日弁当を作るのがとても苦痛だと親が言ってきたとき。

 給食着や体育着の用意にヒステリックな声を挙げたとき。

 学校に行かせてやってるのに。とため息交じりに親が言ったとき。

 家を燃やしてやりたいと思うけど、お前たちがいるからそれができないと親から悩みを打ち明けられたとき。

 あぁ、自分がいるからできないんだ。
 自分がいるから悪いんだ。ゴメンね。
 そう思ったものです。

 だからでしょう。
 子どもの頃からずっと今でも、外出先から戻るときは、家が無事にあるのか不安になります。

 また、そんな家から逃げたくもあります。
 でも、それはいけないことなのです。
 それに、逃げたとしれたらその後どんな危険が待ち構えているか。
 そもそも実際問題として、幼い子どもには不可能なこと。

 そんないろいろな思いがからまって、
 家から逃げたくてスミマセン。
 家にいなくて、学校にいてスミマセン。部活やっててスミマセンと思うのです。

 こもる人が家から出ないのは、
家の安全を見張っている。
 とか、
出てはいけない。
 という無意識の思いもあるかもしれませんね。

 そして、
このスミマセンの思いを打ち消すためにでしょう。

 やんなきゃパーンチ と思いました。

親のため、家のため、自分のため、
生きるために、
嫌なことでも、望まぬことでも、
嫌いなことでも好きになって、
一生懸命に努力して、
将来のことなど考えずに、ひたすら問題処理。課題遂行。

 そのために、
学校に行き、
家の手伝いをし、
必要な学問をし、
必要な人間関係を築き、
必要なスキルを身につけました。

 自分の欲と社会のニーズの折り合いをつける術を身につけました。
一番目は無理だとしても、第2、第3の欲求なら社会に受け入れられやすいことを知りました。
 決して私の一番の望みは叶わない。そういう信念を無意識に持っています。
これ、TAの脚本プロセスの一つですね。
 
 もし、
 一般的には、罪責感や罪悪感として知られるこれらの思いを常日頃感じるのならば、
 その源泉は、過去の交流にあるかもしれません。

 今の苦しみの始まりを知ることは、心の重荷を取る第一歩です。

 少しばかり罪悪感や罪責感が減ったとしても、
私らしさは、びくとも動きません。



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