「私がいる」ってどこにいるの?

2014年11月22日

 数年前から密かに気になっている言葉遣いがあります。

「私がいる」
 です。

 例えば、
「今日のランチ、カレーを食べたい私がいる」
 なんて使われます。

 これを見聞きすると、つい突っ込みたくなるのです。
「そうか、そんな私を発見したのか。
 で、実のところ君は何をたべたいの?」

 こういう使い方、結構たくさん見聞きします。
「まだそれを嫌っている自分がいました」
   「もう少し待とうよと言っている自分がいました」
 「頑張れと言いたくなる自分がいました」
などなど、ブログや会話で見聞き放題な状態。

 どんだけ自分を発見するのが好きな人が多いんだ叫び
とひったまがっています。

 そして、
 ちょっと気になるのは、これ、私が分離してること。
発見したのも私だけど、発見されたのも私。
まるで私が二人いるみたい。いえいえ他にもいっぱい隠れているみたい。

 もし、こんなことが常態化しているとしたら大変。
本当の私って、どれ?
どこにいるの?
今の私って本物?
 って疑心暗鬼にならないかと、実は心配してるのです。
これ、アイデンティティの危機。なんて言いますね。

 そもそも、なんでそんな遠回しな言い方するのかが分かりません。
私は、カレーが食べたい。
私は、まだ嫌っている。
私はもう少し待ちたいと思う。
私は頑張れと言いたくなる。
 こちらの方が、よっぽどスッキリと、そしてよく意を表現していると思うのですね。

 なぜ、わざわざ婉曲な表現をするのか?

 自分の気持ちぐらい自分に対して自信を持って
スパッと言い切ってもいいのになと思うのです。

「私がいる」
という言葉遣いを嫌いな自分がいることについての記事でした。




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