親が変われば子が変わる。んだそうですが。
2014年09月24日
不登校・ひきこもり、ひょっとしたらニートの世界でもよく言われる言葉。
それが、
親が変われば子が変わる
です。
どげんかしてうちの子を治したい、働かせたい!
と、カウンセリング、就労支援機関、相談センター、有名な先生などに相談に行く親御さんは多いのですが、
それは、
子どもを一生懸命に変えねば!
と頑張っているのですね。
でも、その頑張りに反してか、というか頑張れば頑張るほど、子はかたくなに変わらないのです。
顔を合わせればあーしなさい、こーしなさいと言われるから、意固地になって、
変わらないことを頑張るようになるのは、当たり前と言えば当たり前の話なのですが、
こんな、にっちもさっちもいかなくなった時、前述の口伝の一言がどこからともなく浮き上がってくるのです。
親が変われば
そこで、今度は自分を変えようとあっちの講演会、こっちの研修会、地元の親の会などで勉強し、
受容しましょう、傾聴しましょう、肯定しましょうと言われたことをその通りに頑張るのですね。
そうして、
コミュニケーションの方法をあれこれ変えたり、
ネクラな自分をいつも元気で明るくしたり、
受容できないことも無理して受容する私でいてと、
やるだけのことをやったにも関わらず、
子どもや伴侶になんの変化もなく、もうほとほと疲れ果てた 親御さんも少なくありません。
こんなに心血を注いでいるのに、どうしてうまくいかないのか?
実はこれ、相手を変えるというゴールは何にも変わってないのですね。
自分の気に入らない相手を変えるために、たっくさん勉強して手を替え品を替え相手を変えようとやっていく。
だから、子どもは変化しないのです。
だって、変わらねばならないということは、
子どもにしてみたら今の自分だとOKじゃないってことですし、
変わった姿は、自分が望んだ姿ではなく親が望んだ姿だからです。
どうして自分を否定することに積極的になれるでしょう。
どうすれば自分を否定している人に協力するでしょう。
そして、
誰かの望んだ姿でいることに息切れを起こしてこもっているのに、
またもう一度誰かの望んだ姿になりたいと頑張れるのでしょう。
そもそも、
子どもは、自分がどう変化していいのか分からないのかもしれません。
どういう自分に変化すればOKなのか、苦痛から解放された生活が送れるのか想像すらつかないのかもしれません。
今まで、親の言う通り、先生の言う通り、社会の言う通りに頑張ってきたのに、ぜんぜん楽にならない。
いったい、どうしろというの?!
私、どうすればいいの?
この点、親も一緒でしょう。
私(親)が変わるって、どんな風に変わればいいの?
これが分からないから、親は、
エラい先生の言うことを鵜呑みにして、エラい先生の望む親の姿になるよう頑張るのでしょう。
親も子も自分をどう変えていいか分からない。
そう、だからこそなのです。
親が変わるのです。
親が率先して、自分を変えるのです。
子どものためではなく、今私が苦しいのだから。
エラい先生が、これが正しい姿だ、やるべきことだと言ったから自分を変えるのではなく、
そうでないあなたはダメ親だ! という厳しい評価が、イイ親だと再評価されるためでもなく。
楽になりたい! と私が思ったから、私のために私を変えるのです。
しかも、
誰かが変わったその影響で、自分が楽になるのでなく、
自分にできる自分が楽になることをして自ら楽になる。
のですね。
自分の変え方を発見し、実践し、その果実を味わう。
その姿は、同じように苦心している子どものモデルとなるでしょう。
あぁ、そうすればいいんだ。
自分のために自らできることをやってもなにも悪いことは起きないんだ。
そうして、
自分を変えることができた親はきっとこう思うでしょう。
自分が変わることができたのだから、
子どもが変わるってことに自信があります
参考文献
『「親」を育てる「ひきこもり」』(聞風坊 私家版)
それが、
親が変われば子が変わる
です。
どげんかしてうちの子を治したい、働かせたい!
と、カウンセリング、就労支援機関、相談センター、有名な先生などに相談に行く親御さんは多いのですが、
それは、
子どもを一生懸命に変えねば!
と頑張っているのですね。
でも、その頑張りに反してか、というか頑張れば頑張るほど、子はかたくなに変わらないのです。
顔を合わせればあーしなさい、こーしなさいと言われるから、意固地になって、
変わらないことを頑張るようになるのは、当たり前と言えば当たり前の話なのですが、
こんな、にっちもさっちもいかなくなった時、前述の口伝の一言がどこからともなく浮き上がってくるのです。
親が変われば
そこで、今度は自分を変えようとあっちの講演会、こっちの研修会、地元の親の会などで勉強し、
受容しましょう、傾聴しましょう、肯定しましょうと言われたことをその通りに頑張るのですね。
そうして、
コミュニケーションの方法をあれこれ変えたり、
ネクラな自分をいつも元気で明るくしたり、
受容できないことも無理して受容する私でいてと、
やるだけのことをやったにも関わらず、
子どもや伴侶になんの変化もなく、もうほとほと疲れ果てた 親御さんも少なくありません。
こんなに心血を注いでいるのに、どうしてうまくいかないのか?
実はこれ、相手を変えるというゴールは何にも変わってないのですね。
自分の気に入らない相手を変えるために、たっくさん勉強して手を替え品を替え相手を変えようとやっていく。
だから、子どもは変化しないのです。
だって、変わらねばならないということは、
子どもにしてみたら今の自分だとOKじゃないってことですし、
変わった姿は、自分が望んだ姿ではなく親が望んだ姿だからです。
どうして自分を否定することに積極的になれるでしょう。
どうすれば自分を否定している人に協力するでしょう。
そして、
誰かの望んだ姿でいることに息切れを起こしてこもっているのに、
またもう一度誰かの望んだ姿になりたいと頑張れるのでしょう。
そもそも、
子どもは、自分がどう変化していいのか分からないのかもしれません。
どういう自分に変化すればOKなのか、苦痛から解放された生活が送れるのか想像すらつかないのかもしれません。
今まで、親の言う通り、先生の言う通り、社会の言う通りに頑張ってきたのに、ぜんぜん楽にならない。
いったい、どうしろというの?!
私、どうすればいいの?
この点、親も一緒でしょう。
私(親)が変わるって、どんな風に変わればいいの?
これが分からないから、親は、
エラい先生の言うことを鵜呑みにして、エラい先生の望む親の姿になるよう頑張るのでしょう。
親も子も自分をどう変えていいか分からない。
そう、だからこそなのです。
親が変わるのです。
親が率先して、自分を変えるのです。
子どものためではなく、今私が苦しいのだから。
エラい先生が、これが正しい姿だ、やるべきことだと言ったから自分を変えるのではなく、
そうでないあなたはダメ親だ! という厳しい評価が、イイ親だと再評価されるためでもなく。
楽になりたい! と私が思ったから、私のために私を変えるのです。
しかも、
誰かが変わったその影響で、自分が楽になるのでなく、
自分にできる自分が楽になることをして自ら楽になる。
のですね。
自分の変え方を発見し、実践し、その果実を味わう。
その姿は、同じように苦心している子どものモデルとなるでしょう。
あぁ、そうすればいいんだ。
自分のために自らできることをやってもなにも悪いことは起きないんだ。
そうして、
自分を変えることができた親はきっとこう思うでしょう。
自分が変わることができたのだから、
子どもが変わるってことに自信があります
参考文献
『「親」を育てる「ひきこもり」』(聞風坊 私家版)
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【お知らせ】
これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。
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